落命の対価
道風が自室の襖を開けた途端、それは胸に飛び込んできた。
纐纈に以前渡した金の折り鶴が、何かを訴えようとするかのようにパタパタと羽ばたいている。道風はそこから不吉で不穏な気配を感じ取った。纐纈は、今は林葉本家で守りの中にいる筈だが、この金色の折り鶴を見る限り、彼女に何かあったとしか思えない。
道風は駆け足で廊下を抜け、下駄を突っ掛けると玄関を出た。
林葉邸は大混乱に陥っていた。
部屋にいた筈の纐纈の姿が、家中どこを探しても見当たらない。同じ頃、山岸の姿も消えたと警備隊から連絡が入った。
一体、何がどうなっているのか―――――――。
良い予感がしないことだけは確かだった。そこに道風が駆け込んできた。
「纐纈さんは御無事ですかっ」
その問いに真っ向から答えられる者はいなかった。
ただ、金色の折り鶴だけが今も生きているかのように、道風の掌の上で羽をはためかしている。
道風たちが住まう町を西へ西へと進むと、海へ出る。
今は暗く藍色に凪いでいる。海鳥たちが飛び交い、その下には船影がちらほらと見える。
その海近くの洞窟に纐纈は横たえられていた。周囲をぐるりと死術士たちが取り囲んでいる。それから、頼迪、卓磨、晃賀、庄吉。庄吉は不安そうな顔で頼迪と纐纈の顔を交互に見ている。
「我らは死術士。愛する者を亡くした者の深い悲嘆を救うべく、古くから在る。それが太古より変わらぬ人の願いだからだ。普遍的な希求だからだ。それが禁呪であろうと、願いに応じて在るのが我々だ。嘆きの声を聴き魂玉を用い、死者を蘇らせる。立花頼迪。お前はそこに眠る娘の心臓を取り出す覚悟があるか」
頼迪が纐纈の顔を見る。庄吉、卓磨、晃賀は頼迪を見る。
「ある」
答えは簡潔だった。その答えの直後、ぴちゃん、と洞窟の天井から雫が落ちる。
「ならばまず、その娘を殺すが良い。そうして心臓を取り出すのだ」
「解った」
頼迪が匕首を懐から取り出す。庄吉がその腕に取り縋る。今の彼は人間の姿なので、頼迪の腕にも容易に手が届くのだ。
「やめろよ。やっぱりこんなの駄目だ。このお嬢さんをやっちまって、それで未廣のお嬢さんが生き返ったって喜ぶ訳ねえんだ!考え直せ、頼迪」
「放せ、庄吉」
それでも庄吉はしゃにむに頼迪にしがみついて、阻もうとする。卓磨や晃賀たちはどちらの加勢をするでもなく静観している。
遂に頼迪が庄吉を突き飛ばした。卓磨がその身を受け止める。
鳴り止まぬ潮騒と海鳥の鳴き声の中、頼迪は匕首を纐纈の首に当て、一気に斬り裂いた。
血と庄吉の悲鳴が飛ぶ。
彼らを囲む死術士たちは微動だにしない。死術士は見極めてもいるのだ。頼迪の覚悟を。
なまなかな決意で、魂玉を、秘術を、生きる人間の心臓を、使わせはしない。
見極めることが死術士に課せられた使命でもあった。
頸動脈を斬られた纐纈の顔からどんどん血の気が失せていく。
暴れる庄吉を卓磨が羽交い絞めにしたまま離さない。庄吉の腰に下がる袋を取り上げて中から魂玉を取り出す。
纐纈の心臓の音が途絶えた。
それは纐纈の死を意味する。
(お前は俺を憎むだろうな、道風)
事切れた纐纈の死に顔を見て頼迪は思う。少なからず痛む胸は、まだ若く、未廣の血縁に連なる娘を殺してしまったことから来るものだ。憎めば良い、と思う。そのくらい、未廣が生き返ることに比べればどうということはない。道風が頼迪を憎んで憎んで、殺したいと願ったとしても、頼迪に後悔は無い。
今では庄吉は茫然として、纐纈の遺体を眺めている。
「…立花頼迪。業を引き受ける覚悟、確かに見届けた」
死術士の中でも長老格の者が進み出て、魂玉を卓磨から受け取る。
死術士の顔触れには山岸陽治の顔もある。彼は警備隊の長となるよりずっと前から、死術士の一人であったのだ。彼のように、ひっそりと民衆に紛れて生活している死術士は多くいる。林葉玄隆が知れば驚くべき数の彼らは、先祖代々、死術士たる者の心得を言い聞かされて育ったのだ。
死者を恋うる者の悲嘆を汲み取れ、と。
大き過ぎる代償を払う覚悟を持つ者に力を貸せ、と。
対価として心臓を取られる者の死という罪過を共に背負え、と。
死術士の一人の、まだ若い女が、纐纈の着物の上半身をはだけさせた。それから頼迪に目を向ける。
「心臓は左よりも中央寄りにある。傷つけないように注意しなさい」
頼迪は頷くと、匕首を纐纈の肌に当てた。
魂玉が青く眩い輝きを放つ。庄吉は泣きながらそれを見ている。魂玉を持つ死術士が長い長い禁呪の詠唱に入る。
この禁呪の詠唱が纐纈の心臓と絡まり合い、魂玉の輝きと一つになった時、林葉未廣は蘇る。




