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牛頭と馬頭

 柘榴色の水が入った硝子コップが、等間隔に板の上に並んでいる。

 朝の光を浴びてきらきらと。

 庭に出た纐纈(あやめ)は、折り紙で折った小さな蛙に息を吹き掛け宙に放った。

 蛙は色水の入ったコップの縁を跳び渡りながら、最後のコップまで行き着いた。

「柘榴の色が飛んでいるな」

 横で検分していた兄が言う。

 これで緑の蛙に柘榴色の飛沫が全く飛んでいなければ駄目なのだ。

 力のコントロールがまだ不十分ということになる。

 そもそも紙に水は御法度。

「まだまだ、鍛練が必要だな」

「解っています」

 淡い生成りの木綿の着物に身を包んだ纐纈は、悔しそうに、斑色になった掌の上の蛙を見た。病弱でおっとりしているが、術に関しては負けず嫌いなところがあるのだ。

 広めの庭には生垣の椿を初め、欅や紅葉などが植わっている。

 その中心部、洗濯物が干された横で纐纈は長兄・朝日(あさひ)()に鍛練を見てもらっていた。

「その歳でこの微妙な力加減はまだ難しい。纐纈はよく出来ているほうだ」

「そうだぞー。偉い偉い、すげえすげえ」

 縁側では、こちらは高みの見物をしているだけの、次兄・和行(かずゆき)が煎餅を齧りながら真剣味の薄い声を投げてくる。

 如何にも質実剛健といった顔立ちの朝日路と、女顔の和行の気性は、見た目と同じく正反対だが、これでこの兄弟は仲が良い。

「和行あにさまったら」

「まあでも道風の奴が十五の歳には纐纈より出来てたな」

「天分というものだろうよ」

 晩春の風は生温く、縁側に置かれた三つの湯呑みのうちから一つを取り、朝日路が茶を呷った。

「そうそう、負けんな負けんな」

「勝ち負けの問題ではありません!道風おにいさまに勝とうとも勝てるとも思いません」

「―――――道風は少なからず対抗心を持っているようだが」

「まさか。道風おにいさまが」

 笑う纐纈を朝日路と秀行が見て、同時に顔を見合わせる。

 鳩が二、三羽、欅の梢から飛び立った。



牛頭(ごず)馬頭(めず)、ですか」

「うむ」

 父・(はやし)()(げん)(りゅう)に呼ばれた纐纈は、近頃、近隣に出没する牛頭鬼と馬頭鬼の討伐を命じられた。

「お前一人では心細くもあろう。道風君にも話を通してある。これはお前たち二人の任務と心得よ」

 それで父の居室に道風もいるのか、と纐纈は得心が行った。

「よろしく、纐纈さん」

「よろしくお導きくださいませ、道風おにいさま」

 いつも通りの落ち着いた穏やかな道風の物腰に、安堵する。

 これが、纐纈が一人前の術士となってからの初仕事になるのだ。



 牛頭は頭が牛、馬頭は頭が馬でそれより下が人間の、文字通りの異形である。

 地獄の邏卒(らそつ)として有名だが、纐纈たちが住まう土地に出没する者たちまでがそうかどうかは解らない。

 ただ、彼らが暴れ害を成すと玄隆は言った。

 それならば滅するのみである、と。


 夕暮の頃、牛頭たちが目撃された林の近辺を、纐纈と道風は手分けして見て回った。

 名も判らぬ樹々がざわざわと鳴り、烏が鳴く。

 もう朱色に染まり闇に落ちようとする刻限、纐纈一人ならば不安を覚えただろうが道風がいる。従兄弟で許嫁で、術の実力者。

 これ程に心強いことはない。

 足元の小枝をぱきり、と踏み折ったのに目を遣った纐纈の上を、巨大な影が覆い被さってきた。

 は、と跳躍すると、それまで纐纈がいた場所の地面が陥没していた。


 牛頭―――――――。

 頭に二本の角を生やし、筋骨隆々とした獣人が拳を握り立っていた。

 腰には簡素な布を巻きつけ、肌の色は丁度、今日の鍛練に使った蛙の色に似ている。


 纐纈は着物の袖から折り紙を取り出して息を吹きかけた。

 狼の姿に顕現したそれは、吼えながら牛頭の喉笛に食らいつく。

 まだそれが決定打にはならない。

 纐纈は袖から次々と鷹の折り紙を出しては息を吹きかけた。

 猛禽が一気呵成に牛頭に襲い掛かる。

 

 あと一息。


 纐纈は身の前に半円を描くよう正方形の白紙を浮かばせる。

 礼儀正しく、淡く光りながら白紙は並んだ。

「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

 纐纈が唱えると白紙が一斉に牛頭を覆った。

 それは白刃が鞘走る様に似ている。

 白紙の大きさは纐纈が呪言を唱えると拡張し、全ての紙で牛頭を覆い尽くせる程になり、その巨躯に張りついた。

 牛頭が苦しがって無茶苦茶に暴れている。

 狼と鷹は少し離れ、けれどまたいつでも飛び掛かれる体勢だ。


 その様子を見届けていた纐纈には、もう一匹の馬頭の存在が頭から飛んでいた。


 今、まさに背後から纐纈を襲おうとした赤銅(しゃくどう)(いろ)の肌の馬頭は、しかし本意を遂げられなかった。

 もう一人の白術士がいたからである。

 道風は、馬頭に向かって複雑に折り結んだ網の白紙に、吐息を掛け放った。

 一見は柔らかで優美にすら見える網が、馬頭には振り解けない。身動きが取れない。


「御無事ですか、纐纈さん」

「はい、道風おにいさまも。ありがとうございます」


 今では牛頭・馬頭の生殺与奪の権を握る二人が、互いの無事を確認し合う。

 観念したのか、大人しくなった牛頭と馬頭を見て、纐纈がぽつりと言う。

「このまま滅するのは可哀そうですね…」

「纐纈さんならそう思われるでしょうが。玄隆どのの命ですからね」

 しかし、と道風が続ける。

「ここまで弱ったなら心を入れ替えてもらいましょうか。些細な力の使いようで、命の行方は変わるものです」

 そう言って二匹の鬼に向かい、呪言を唱えた。


「オンマカラギャ・バザロシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウンバンコク」


 怨敵の心を改めさせ、親睦の情を起こさせるという呪言である。

 無論、誰にでも効く訳ではなく、今の牛頭と馬頭のように悄然とした状態の敵にのみ有効なのである。

 纐纈は、道風の呪言を聴いていた。

 玄隆どのには内緒ですよ、と小声で言われて頷く。

 そして、それだから私は道風おにいさまが好きなのだ、と思った。

 折り紙による呪縛を解かれた牛頭と馬頭は、大人しく林の中に消えた。

 仰ぎ見れば空には星が瞬いている。




挿絵(By みてみん)





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