第4章 魔王の城の衛兵(1)
ギリギリと何かを踏みしめている感触で、彼女はふと目を覚ました。
人間だ。
真っ赤な血を流し、瓦礫と自分の履いたピンヒールの間に挟まれて苦しんでいる人間の姿が目に飛び込んできた。
彼は折れた剣を手に、弱々しく「みんな逃げろ……」とつぶやいている。
(確か、傭兵というのだったな。人間の刺客のことは)
この人間のことが可哀想に思ったわけではなかったが、ずっとその人間の頭を踏みしめているわけにもいかないなとヒールをどけると、パタパタと自分の黒いドレスのすそを払う。
「おい、アース・フリント。これはいったいどういう状況じゃ。説明せい」
ふわふわとウェーブがかった紫色の髪をかき上げると、雪のように白い頬をふくらませて、彼女は自分の衛兵を呼びつける。
……だが、アース・フリントは姿を現さない。まったく何をしておるのじゃと彼女はため息をつくと、ぐるりと周囲をみまわした。
(広い草原に積みあがった瓦礫……。それと、いまにも消えそうな人間の命がごろごろと転がっておるな。なんじゃ、戦いでもあったのか。ん? この瓦礫は私の城のレンガと同じに見えるが、ひょっとして……いや! 考える前にやっておくべきことがあるようじゃな)
彼女はふと思考を止め、大きな瓦礫の影を指さした。
「そこに隠れておるな? 不届き者めが。私が気がつかんとでも思ったか」
(…………)
瓦礫の後ろには魔王の城のメイドであるリリンが隠れていた。
いや、自らの主に歯向かった時点で彼女はメイドとはもう呼べないかもしれないが。とにかくリリンは、瓦礫の影から出てくると、深々と頭をさげた。
「お目覚めですか、魔王様」
「なんじゃ。お前、城仕えのメイドじゃろう」
一瞬見せた殺気もどこかへ消えうせ、魔王と呼ばれた少女はすっかり毒気を抜かれた様子でその場に座り込んだ。
「私はずいぶん眠っていたようじゃ。アース・フリントもどこかへ消えてしまったし、なんだかよくわからんが人間どもがごろごろしておる。お前でいいから、私に状況を説明せい」
「…………」
リリンは言葉を探していた。
目の前の少女は間違いなく、魔王の部屋で見た眠り姫だ。
(……特に、私を疑ったりしてるわけじゃないみたいだけど……)
先ほどカマをかけて「魔王様」と呼んでみたのも、目の前の少女が本当に魔王なのかどうかを確認するためだった。けれどどれだけ読み取ってみても、その少女の心は波風もたたず、ゆらゆらと揺れるだけの水面のようだった。
(……ウソやごまかしも感じられないわ。やっぱり、この子が魔王様なのね)
リリンは迷っていた。
このたった数時間の間に起きたことで、自分を取り巻く状況はがらりと変わってしまった。それは魔王も同じこと。自分に有利なように説明するには、どこから説明したらよいのだろうか。
やっぱりもう少し、この少女の考えを読んだ方が……。
「メイドよ。私の心を読むのはやめておけ。私は訓練を受けている」
少女は右目でウインクをすると、リリンに瓦礫に腰かけるよう促した。
「魔物たちの中には心を読むものもいるのでな。幼少の頃に鍛えたのだ。私の心は穏やかな泉のようじゃろ?」
その通りだった。まさにその話をしている今この瞬間も、少女の心は無風で動きがない。返す言葉も見つからず、リリンはただ腰をおろすしかなかった。
「さて、教えてくれるな? 私が寝ている間に起こったことを」
少女の瞳が、リリンの目をまっすぐ見つめる。