第3章 人間たち(1)
「どこだ……? 山しか見えんぞ」
「あ~、もうちょっと手前じゃないですかね。一本杉がありませんか?」
地平線が見えるほどだだっ広い草原の片隅にある、小さなオアシス。
小太りの男と、精悍な顔立ちながらどこか愛嬌のある笑みを浮かべる壮年の傭兵が、二人並んで双眼鏡をのぞいている。
小太りの男は、彼にはまったく不似合いな赤と金のコートを羽織っており、豊かな口ひげがクルンと外側に巻いていた。その名をゴードンという。
「それにしてもゴードンさん、こんな原っぱまで大変ですなぁ。管理官というお仕事も」
傭兵が苦笑いをしながらそう言った。聞きようによっては嫌味にしか聞こえないが、傭兵の妙に実感のこもった声色から、ゴードンはむしろ我が意を得たりという様子でうなずいた。
「国王陛下が心配しておられるのでな。きちんと報告をして、安心していただかんと……ん? あれか」
一本杉を見つけたゴードンが、「ほほう」と口ひげを揺らす。
「見事なものだな。さすがは策略家の一族ということか」
「はい。成果を出してナンボですから。やるなら徹底的にやらないとね」
一本杉の下には大きな街が1個か2個丸々入るくらい大きな魔法陣が緻密に描かれ、ぼんやり青く光っていた。
「ワシも少しは魔法をかじっていたからわかるが、あんなに細かく書き込まれた魔法陣をこの大きさでつくりあげるのは、並大抵のことではない。さぞ時間がかかったろう」
「ええ、まあ」
傭兵は軽い相づちだけで済ませ、「それより食事にしませんか。この辺は角豚が美味いんです」とゴードンを誘った。ゴードンが魔法の話をするときは、自慢話がしたいときだと傭兵は心得ていた。どうせ約束の時間はずっと先なのだ。じっくり自慢話を聞いてやろう。この仕事が終わったら、次の仕事を探さないといけないし。
「ラグー、エヴァン、警戒を怠るなよ」
傭兵はゴードンから双眼鏡を受け取り、自分のものと一緒に若い見張り二人に渡すと、ゴードンと連れ立ってキャンプ地に帰っていった。
「……オレ知らなかった。知ってたか? さっき隊長が言ってたけど、この辺、角豚が美味いんだって。焼き豚食いてぇなぁ!」
傭兵とゴードンがいなくなり、ラグーが楽しそうに話しだした。ラグーはエヴァンに比べると背が低く、声もまだ少年らしさを残している。一方で、エヴァンは背は高いが痩せっぽちで、ちょっと陰気な雰囲気を醸し出していた。
「なあエヴァン、エヴァンは角豚食ったことあるか?」
「ゴホゴホッ……ラグー、黙ってろ。仕事するぞ」
エヴァンが双眼鏡をのぞき込んで一本杉を監視する。ラグーも一緒に双眼鏡をのぞくが、すぐに目を離してエヴァンに話しかけた。
「オレはないんだよなぁ。聞いてくれよエヴァン、オレさ、でっかい豚をまるっと焼いてさ、3頭4頭バクバク食べるのが夢なんだよ!」
「……あー、うん」
エヴァンは双眼鏡をのぞいたまま動かない。
「でな? きれいなメイドさんが豚を切り分けてさ、『はい、ラグー様。あ~ん!』ってな! できればメイドさんは2人は欲しい。右と左のイスに座らせて『ラグー様は私の方が好きなの!』『ううん! 私の方よ!』……最終的には、『ラグー様、私とこの子、どっちの焼き豚を食べるんですか? もう、はやく決めてくださいっ! でないと私……私っ!』……って、おい、いつまでやらせんだよエヴァン!」
「……ああ?」
「いつまでやらせんだよ! って言ってんだよ。ツッコミ待ちだったろ? いまオレはよ!」
「なに言ってんの? ていうか、え? なにツッコミ待ち?」
「そうだよ。わかりやすかったろ? おい、全部説明しなきゃダメなのか?」
「いや、説明はしなくていいや」
「仕方ないな。オレが最初に『さっき隊長が言ってたんだけどさ』って角豚の話を振ったとき、お前『ふーん、そっか』みたいなリアクションしてただろ?」
「説明したいのかよ!」
「違うよ! オレはお前に、吟遊詩人として新たな可能性を模索してほしいだけなんだよ。ほら、さっきの話はお前だって聞いてたんだから『角豚の話? いや、俺も一緒に聞いてたし』って返し、これな。このジャブみたいなツッコミがテンポを生み出すんだろうがよ。頼むよ、相方よぉ」
「……この前の話、本気にしてたのか?」
ついにエヴァンは双眼鏡をおろして、残念そうな瞳でラグーを見つめる。
「……いや、待てよ、エヴァン」
ラグーが空を見上げた。
エヴァンがラグーに指を突き立てる。
「待てよじゃねぇよ。おいラグー、この際だから、はっきりさせておくぞ。この前、確かに俺たちは『吟遊詩人として天下とるって面白いよな』って話はしたよ。コンビで掛け合いをしながら話を盛り上げる、新しいスタイルのな。だけどそれは酒の席での話だ。それもほとんど冗談みたいな笑い話だったろ? 俺はこの仕事を真面目にしっかりやるつもりだし、吟遊詩人なんてなるつもりはないんだよ!」
「オーケー、わかった。コンビは一旦休止だ。この話はおしまい。それよりほら、あそこ見ろ。あそこ!」
真っ青なラグーの顔。
エヴァンはいらだちの矛先を変えられないまま、ラグーの視線の先を追う。
「俺はいま大事な話を……ええぇ!?」
エヴァンは言葉を失った。