6◆何十回目の見合い
さて、ついに見合い当日である。正確に言うならば、30回目の見合いだ。関係無いが、キリのいい数字だ。そろそろ見合いも終わりにしたい。今回は期待できないから、次回よほど問題がない限りはその相手にするか……。
もはや、ただの作業となっている見合いの準備を済ませ、応接間にてカトリーナ嬢を待つ。
侯爵家が迎えに送った馬車から御者に手を借りて彼女が降りてきているようだ。
ところで、この心読みの能力だがなかなかの優れものである。
この能力は侯爵家の屋敷を十分に網羅するだけの使用可能範囲がありながら、特定の個人のみに発動することもできる。先代当主であり、現在王のもとで働いている父上は、範囲を王宮内全てまで広げているのだから、私の能力も伸びしろはまだある。
幼い頃はそんな調節などできず、他人の考えが頭の中に一日中垂れ流しで気が狂いそうにもなった。
ここまで巧く扱えるようになるまでには時間がかかったが、それだけの時間をかけた甲斐があったというもの。
つまり何が言いたいかと言うと、見合い相手の心の声も此処から聞くことができるというわけだ。
すなわち、この屋敷に入る前から見合いは既に始まっているということ。
ちなみに彼女は馬車の中で、侯爵夫人になれたときの贅沢について思いをはせた後、侯爵が心を読める悪魔でなかったら、心の底からこの日を楽しめたのになどと考えていた。
既に、心が読めることは彼女の中で決定事項であるようだ。噂を信じすぎる女性はあまり侯爵夫人に向かないな。
……この噂については正しいのだから、そこまで気にする必要はないか。
「ヴィジャネスト様。侯爵夫人から先触れが届きましたが、いかがなさいましょうか?」
急に部屋にまで来た侍従から尋ねられ、呆れて一旦カトリーナ嬢の心を読むのを中断する。
「また母上か。今日は何と?」
「異国の茶を手に入れたので、今から茶会を開きたいとのことです」
「一体今更何の用が……。私は今から見合いがあるからと、丁重にお帰り願え」
「かしこまりました」
最近になって、別居している母親が頻繁に訪れようとするようになった。ちょうど私の見合いが始まったくらいの時のことだったから、結婚相手について口を出そうとしているのかもしれない。私にとってあまり関わりのない母親は手に余る。
親子でもこれほど解り合えないのだから、妻ともこうなってしまうのだろうか。貞淑で美しく、教養があり、支えになってくれ、穏やかな家庭を築けそうな理想の女性はどこかにいないものか。
気付くと部屋の扉が控えめに叩かれていた。どうやらカトリーナ嬢は執事に連れられ私のいるこの部屋へとやってきたようだ。
ノックの後に入れと返すと、彼女が先に部屋に入り、執事は壁際に寄っていく。
客人をもてなすために立ち上がり、自然と彼女と目があった。
不思議と感情は全く読めない瞳をしていたが、確かにそこには好意も何も存在しない。
あぁ、女とはみんなこうなのだな。
そんな風に一人諦めに似た気持ちを感じていると、
(あぁ、やはり、赤と緑は補色だから、変な感じがしますわね)
って、は!? 補色!? カトリーナ嬢は一体何を考えているのだ……
この令嬢、先ほどまで嫌悪と欲にまみれておきながら、私の目の色につっこんでくるとはなかなか強者だな。
そのままカトリーナ嬢は特別綺麗なわけでもない淑女の礼をとって、挨拶を述べる。
「ハトマン伯爵家の長女、カトリーナでございます。ヴィジャネスト様、今日はお日柄もよく……」
ここからさらに、うんたらかんたらとつづく。
長い上、定番の内容なのでほとんど聞き流して、自分の瞳について考えていた。
私の瞳は言われてみれば補色だが、そこまで気になるほど変なのだろうか。今度友人達にでも聞いてみようか。
「本日はこのような席を設けてくださり心より感謝申し上げます。短い時間ではございますがよろしくお願いいたします」
(きまった! 途中で噛むことも、言葉を忘れることもなく、無事にやり遂げましたわ!)
……申し訳ない。意気込んでいたようだが、ほとんど聞いていなかった。
「ご丁寧にありがとう。私がヴィジャネスト・ルータ・ベルマーンだ。カトリーナ嬢、今日は遠路はるばるご苦労だった。どうぞ、そこに」
そう言って、私とテーブルを挟んで向かいのソファーを勧める。
(此処までの道は遠くなかったですけれど? 私はあんなに長く挨拶を述べましたのに、侯爵様はこれだけなんて、良いご身分ですこと。確かにハトマン伯爵家よりは格式の高い侯爵家ではありますけど。キーーーッ)
いや、何かよくわからないがすまないな。確かに遠路ではないが、そんなことどうでもよくないだろうか?
少ししか話していないが、カトリーナ嬢は少し変わっているのかもしれないと思い始めた。
「カトリーナ嬢は紅茶がお好きかな? 他にも珈琲などもあるが」
「まぁ、それでは紅茶をお願いしますわ。お心遣いありがとうございます」
(コーヒーなんて飲んでしまっては、成長するところも成長しないわ。実際にこれから成長するかは別として。望みを捨ててしまってはだめですもの。)
確かに彼女は凹凸があまりない。しかしだ、いまさら珈琲一つが胸の膨らみの大きさを左右するとは考えられないが……
私が珈琲を飲んでいても彼女の心の声がまた聞こえてくる。
(ヴィジャネスト様の髪は外からの光をうけて綺麗なキューティクルを見せつけ、……
侯爵様は男性なのになぜこんなに負けた気がするのかしら。悔しいわぁ!)
私は髪の輝きを見せつけてなどないし、何を勝手にこの令嬢は私と勝負をしているのだろうか。
彼女はやはり、少し変わっているようだ。
カトリーナ嬢は紅茶を口にした後、部屋を軽く見渡し思案して、またもやその内容が頭に聞こえてくる。
(なぜこの部屋を使ったのかしら? 今回はお見合いでしょう。もう少し色合いの明るい、穏やかな部屋はございませんでしたの? こういうところもいまだに結婚話がまとまらない一因なのではないかしら)
余計な御世話だ。
確かに家具は重厚な色合いで統一され、なかなかに迫力があるが、交渉事の際にはこの部屋の雰囲気も一役買い、相手も少し緊張してくれる。見合いとはいえ、相手を見定め交渉をするのだから、こちらに有利になりそうな部屋を選んで何が悪い。
……とはいえ、この部屋は女性にあまり良い印象を持ってもらえないのかもしれない。今度からは、違う部屋を使うことも考えてみるか。
(もっとも、たとえそこらのセンスが良くても悪魔に嫁ぎたい御令嬢などいらっしゃらないでしょうけど。)
本当に、余計な御世話である。
彼女が変わっていることが分かってきた。
「カトリーナ嬢は何か好んでいることはあるのだろうか?」
先ほどから心の中での会話は続いているが、こちら1人で完結しているものであって、相手には伝わっていない。つまり、紅茶を飲むか尋ねた後から会話は全くなかったのだ。さすがに気まずいかと思い、場を持たせるために話しかけてみたのだが、曖昧すぎたかもしれない。
(なかなかに答えに困る難しい質問ですわね。これは何を聞いていらっしゃるのかしら。趣味?好物?それとも男性?
ちなみに男性でいうのならば、タイプはお金持ちで地位と権力のあるイケメンですわ。やはり、結婚するにあたって、今の自分よりも劣っている家柄の方とはできれば御遠慮したいですわ。まぁ、家が豊かだというのなら、考えないこともございませんが。やはり、生活の質は落としたく――省略――あぁ、私がもっと良い生まれだったら。けれど、これって今の私を否定していますわね。そうよ、こんな不毛なことを考えるのはやめましょう。)
速い……!!この令嬢どうでもいいことに限って異様に思考回路の回転が速くなっている!! そして、煩悩まみれすぎるだろう!
いや、他の令嬢もこのような感じだが、何か違う。絶対に何か違う。
(そういえば、侯爵様は人の心が読めるのでしたわ。まさか今の、ばれてはおりませんわよね? けれど、人の心を読むのは時として疲れることもあると描いてあったから、わざわざ伯爵家の小娘相手に使うなどしないでしょうね。侯爵様の表情もあまり変化がないように見られますし、たかが見合いですもの。あぁ、そんな力を持った化け物と同じ空間にいることがすっかり頭から抜けておりましたわ。
それで、質問はどうしましょう。)
描いてある? 何のことだ? 人の心を読むのは疲れるという噂はあるから、それのことか?
というかこいつ、今の今まで私の能力の事忘れていたのか。返答もまだ考えてないし、本当に何なのだ、この令嬢は。
ただこのカトリーナ嬢に悪魔と言われるのは、あまり悪い気がしない。カトリーナ嬢も他の令嬢と同じように私を嫌っている。しかし他の令嬢は昆虫や爬虫類にでも向けるような見下した嘲りを感じるのだが、彼女はまるで本当に悪魔や化け物などの人外に向けるかのような嘲り、どちらかといえば恐怖に近いものを感じる。そこでは未知のモノへの畏怖と排他的な感情が強い。他の令嬢は俺を恐れながらも見下してくるのだ。彼女が俺を見下してないとは言えないが、けれど確かに人間としての俺の存在も認められているような気がする。いや、本当にわずかだけどな。むしろ気持ち悪いとかの方が大部分を占めている気がするけれどな。
けれどそれでも、少し好感を持つぐらいには(ほぼ初対面の貴族令嬢にしては)珍しい事なのだ。
「侯爵様こそ、どのようなものを好みますの?」
って、結局質問で返すのか……
「そうだな、私は……乗馬などをすることが多い。仕事柄部屋に籠ることが多いから、外で身体を動かすと疲れが取れる気がする」
(はぁ。運動なんてしては、むしろ疲れがたまりそうですけれど。殿方ってそういうものなのかしら。)
自分から聞いておいて、それはないだろう。
「それは健康的ですわね。私は刺繍などを嗜んでおりますわ。時間をかけてつくりあげたものが完成する時の気持ちは何物にも代え難いものですから」
(達成感はとてもありますし、自分のことは褒め称えますけれど、何物にも代えがたいというほどではないですから。憧れの方と話した時や、新しい流行りのものを贈られた時の気持ちもまた良いですからね。)
健康的だとか言っているが心の中は誤魔化せていないからな。自分の心の中で刺繍が一番では無いと、正直に言っているからな。
そうやって、カトリーナ嬢の心の声に1人でツッコミをいれながらも会話は進み、彼女が私の事をどう思っていたか分かった。彼女の言葉を借りると、
(この方想像していたよりも捻くれておりませんが、貴族令嬢的視点から言うのなら生真面目で少し神経質というか面倒くさそうですわ。これではおぞましい能力がなくとも、結婚相手に進んで立候補しようとは思わなかったでしょう。いえ、お金と地位と権力と顔はいいのですから、性格は多少難があってもいいのですけど。そうは言っても化け物なのは変わりないので結ばれるのは嫌ですし、つくづく可哀想な人ですこと。)
本当に、本当に、余計な御世話だ。
心の中で自分を偽ろうとしないのは良いことだが、私が心を読めることを知っているなら少しは考えろ……。
なにはともあれ、お見合いは無事に終わりを迎えた。
「本日はそろそろお暇させていただきますわ。誠にありがとうございました」
「あぁ、そうだな。有意義な時間を過ごさせてもらった。こちらこそ感謝する」
(有意義? 何かそんなことあったかしら? どうせ社交辞令でしょうから、関係ないわね)
いや、有意義だった。この令嬢は逆にすっきりしてしまうほど、煩悩まみれだった。そこを正直に心の中で言うところも好ましい。それがわかっただけでも今回の見合いはとても実のあるものだった。
そうして、カトリーナ嬢が人並みの淑女の礼をし、退室しようとして思い出したように一言加えた。
「それでは、ごきげんよう。良い縁に巡り合えますように」
これも社交辞令で、どうやら家庭教師に言うように言い含められていたようだった。
この言葉は良い縁とは言っているものの、ようは私を選べということだ。
(悪魔に選んでなんてほしくはありませんがこれも社交辞令の一環ですのでしかたありません)
たとえ社交辞令であろうと、言われたこっちにはそんな裏事情は関係無い。
ふと、思った。カトリーナ嬢を妻にするのも悪くないかもしれない、と。
悪魔だ化け物だ言いながら会話中は怯えることもなく、表面上を取り繕うのは他の令嬢より巧いようだった。というか、心読みの能力がなければ、彼女の心情は全く読めなかったと思う。表情こそ会話に合わせて変えていたが、全く心中は反映されていなかった。侯爵夫人ともなる者ならば、そのような芸ができているに越したことはない。
何より彼女の心の声は聞いていて飽きない。1人で言って1人でそれに反論する。面白くて良いじゃないか。
理想の女性像に全く当てはまらない(教養は人並みにはあるようだが)ので考えもしなかったが、彼女は盲点だったかもしれない。彼女ならば妻にしても……
(さぁ、これで晴れてあのおぞましい化け物から解放されますわ。)
そう考え始めると、このような嫌味でも可愛く聞こえてくるから不思議なものだ。
カトリーナ嬢。本当に有意義な時間を過ごせた。