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「やっほー」

 手を振り、顔を傾け、軽い調子で近寄ってきたのはいちかちゃんだった。

 ナナと一言二言会話をすると、額を拭うような仕草をしながら、やはり躊躇いなく隣に腰を落ち着ける。

「モテモテだねえー」

 そんなことを言って悩殺の笑みをくれる。

「そんなことないよ」

「またまた~。長嶺くんかっこいいからなあ!」足を投げ出す。「いちか選んでくれるかな~?」

 そんなことをまっすぐに言ってこられるとは思っておらず、完全に面食らってしまう。

 彼女は慌てたように両手をぶんぶんと振ると、

「ごめん、そんなこと答えられないよね!」打って変わってしょげた顔になる。「一応、お勧めの作家さん、聞いておこうかな」

 その言葉が示す意味が何であるのかを察せられないほど、僕も馬鹿ではなかった。

 だから、意識的に口を噤む。

 彼女はそれを見て、薄く笑んだ。

「まだ可能性はあるってことかな? って、それも言えないか。でも長嶺くん、優しいね」

 僕も、意識的に、笑顔を見せる。

「優しいかどうかはわからないよ」

「ううん、優しいよ」そして思いついたように、「あ、いちかにとって優しければそれで良いんだからね。みんなに優しくしちゃ駄目」

 ウインクを見せてくれるが、下手糞だった。

 それが少し、可愛いなと思う。

 はっきり言えば、彼女はあざとい。それは、いくら女の子とのかかわりが希薄だとは言え、僕にもわかる。でも大抵の男は、こういうあざとい女性に弱い。なぜか。免疫がないからだ。もちろん、話をする女性がいないわけではない。優しい人がいないわけではない。ただ、それが本来的な意味でポーズでしかないのだとしても、このようにあからさまに「自分はあなたに好意がありますよ」という姿勢で立ち会われると、戸惑いはあれど、嬉しいものなのだ。

 基本的に人間の根底にあるのは、下心だ。読んで字の如く、それは上澄みではない。子孫を残すための本能として当然のことだろう。

 それを刺激するような接し方をされれば、餌を受けた犬のように従順になったとして、違和感などあるだろうか。

 いちかちゃんは何度かウインクを繰り返しながら、あれ? あれ? と呟いていた。要するに他人から見た自分のウインクがどういうものかを知っているために行われる所作である。

 それでも少し、可愛いなと思う。

 たぶん、今、いちかちゃんにとっては優しいのだろうと思う。

「ねえ」

 声を掛けると、彼女はウインクの練習をやめた。

「なに?」

「僕はたぶん、いろいろなことに対して無知なんだと思う。もちろん、今まで切り捨ててしまった五人に対しても、これからも試験を行う五人に対しても。僕はほとんど何も知らないと言って良いと思う」

「うん。まあ、五分しか話していないからね」彼女はそう言って笑った。「それで?」

「僕は選択を間違っているのかな」

 そんな弱音が口を突いて出て、自分こそが一番驚いた。

 何を言っているのか。

 最初からわかっていたことだ。十人から一人に絞る。そのためにここに着ているのだから。

 それが、涙を見て、不安を見て、怖くなっているのか。

 なぜいちかちゃんにそれをぶつけてしまった。

「ごめん」すぐに言い添えた。「気にしないで。忘れて」

 彼女の視線が頬にぶつかってくる。それがわかる。彼女はこちらを見ている。それで、何を考えている?

 何も言わないままだった。

 背中にぬくもりが伝わる。

 撫ぜてくれていた。

 思わず彼女を見る。

「内緒だよ」

 いたずらっ子のように笑った。

「ありがとう」

「これくらいなんてことないよ」

 それを聞きながら、目を閉じた。

 彼女は間違っているとも、合っているとも言わなかった。

 それがたぶん、彼女の優しさなのだろう。

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