#61 難しい話:要専門知識
「……もぐもぐ。あむあむ。……んむ、で、どっちから始める?」
「それよか姉ちゃん、なんだか現実より食べてない?」
「そんなはずは――あるね。なんだろう、際限無くって訳じゃないけど、まだガッツリいける気がするからつい」
徐々にお腹いっぱいになりつつあるのは分かるが、それでも満腹までは程遠いような感覚がある。現実では味のうっすい粥しか食べてないので、調味料をふんだんに使った料理がいつも以上に美味しいと感じているのはあるのだろうけど……それでも普段食べている量の倍はすでに平らげることが出来ていた。
注文時は弟の食欲に引いていたのに、実際に食べ始めると私が引かれているとは謎である。
「私も十全に理解している訳じゃないけど……そも機械の体なのに普通に食事できてるっていうのも不思議なんだけどねー」
「流石に今更すぎると思うよ姉ちゃん」
いや前々から疑問ではあったのだけど、話の流れで。
とりあえず、どうせいくら食べても現実には影響がないのだ。幸いお金はあるし、お酒も料理も美味いとなれば自重する必要はないだろう。
とはいえ、今は酔っぱらう訳にはいかないので飲むのは抑えているけどね。
「さて――では私から話そうか。あ、野菜スティックうま」
「食べるのか話すのかどっちかにしようよ。……うん、正直僕たちも聞いているのは"命に別状なし"と"要リハビリ"、後は"世界に数人レベルの希少"っていうぐらいかな」
不治の病とかではないのは正直嬉しいが、何度聞いても凹む珍妙加減である。ぽりぽり。
「私も詳細という程は理解してないよ。ただ、なんでこうなったかを簡単に聞いただけだし。後日、世間的なあれこれだとかの難しいのは"保護者"含めた時に話すってさ」
「言えば皆すぐに来ると思うけど」
「忙しいのに有り難いことです」
いや本当にね。
ハトコのねーさんを始めに親戚の方々は多忙なのに、暇があれば見舞いに来てくれている。見舞いの品と称して六法全書とか資産運用の専門書とかを置いていくのはどうかと思うが。
「さて」
と、気を取り直して姿勢を正す。
先に私から話すと言ったので、まずはメニューウィンドウを呼び出した。ステータス欄には状態異常扱いになっている酔いを解除するボタンが表示されており、それをぽちっと押せば霧が晴れるように頭がすっきりする。
見れば弟も同様の操作をしており、ちょっとふんわりしていた表情は今は生徒会長モードになっていた。
頭を振っても特に異常がないことを確認する。
「ん、……よし」
「僕も大丈夫だよ」
酔い覚ましは戦闘中や探索中でなければボタンで一発覚醒できるという非常に便利な機能で、あの開発にしてはいい仕事だ。ただ本人が完全に酔っぱらっていればそれ以前の問題なのだが、予めこのレベルまでしか酔わないという設定も可能だったりする。
廃都の時の私? どうせホームだし周囲に誰もいないからちょっと酔ってみたいとか思ったのが敗因です、はい。
「ところで。……姉さんはそのままでいいの?」
「聞いてはいるみたいだからほっとこう」
意識したら負けだとは思うのだが、やたら酒臭いのが二つ分も頭の上に乗っかっているのでどーしたものか。うん、扱いが面倒なのでスルーの方向で。
気の取り直しアゲイン。
咳ばらいを合図に、ゆっくりと口を開く。
「――私のこのアバターだけどね。どうも、現実で"人型ロボットを作り出すこと"を目的とした機能がふんだんに盛り込まれているらしいのよさ」
「初っ端から飛ばしたのが来たね……で、どゆこと?」
予想通りの反応が返ってきたので、紗々沙さんから聞いていた内容を思い出す。あのとき病室に似た仮想空間でのやり取りをなぞるようにして言葉を投げる。
「ところで、今の人型ロボットの精度ってどんなものか知ってる?」
「最新の人型ロボットってことだよね。うーん、確か少し前に技術系の動画で見たものだと……歩く走るは出来るけど、飛んだり跳ねたりはまだ難しいって言ってたような」
「上半身の動きは妙にリアルになってきたんだけど。どうもバランス感覚的なところが全然進んでないらしいよ」
人型ロボットという、昔々から多くの技術者研究者を魅了してきた存在。
もはや桁すら分からない程の時間・人・金が掛けられて開発が行われている"それ"だが、人体の不思議というかハイスペックさには未だ遠く届いていないのが現状であった。
「人間やろうと思えば新体操やフィギュアスケート、パルクールみたいに体動かすことが可能だからねぇ。昔の映画であるような、人の形をしているのに人を軽く超える性能を持つロボットなんて夢のまた夢ってことか」
「それは分かるけど……姉ちゃんのアバターとどう関係が?」
ぺしぺしと頭を叩かれる感触があるが、とりあえず姫翠はひょいと摘んで腕の中へ。にへらーと緩い笑みを浮かべる顔が真っ赤になっていて、まこと見事な酔っ払いだ。今度は私が姫翠の頭を撫でつつ、目の前の卵焼きを口に放り込む。
「確かにこのアバターは機人――ロボットではあるのだけど。でも今こうして飲食ができてるし、どう考えても現実では"まだ"再現できない領域な代物な訳だね」
いくら仮想現実内でロボットを作れたからと言って、それが現実で作れる動かせるかと言えば全く別の話だ。未来的には可能になるのだろうけど、現時点での技術力では如何せん無理があった。
さて、では何を考えて狂人氏は"現実で再現をすることを目的として"この機人という種族を作ったのか。
それは発想の逆転と言うべきか、やはり程よく頭のネジが外れた人間の発想と言うべきか、
「だからこのアバターの目的、いや機能としてはね。正確には、現実でロボットを作るための設計図とソフトウェアを作り出すことなんだと」
「……うん? んん?」
私が言い、そして少し前に私が紗々沙さんから言われた情報に、案の定、弟は頭を抱えてしまった。うん、その気持ち分かるわー。
人のような動きが出来るロボットがまだ作り出されていない一端として、そのロボットを動かすためのソフトウェアが出来ていないということもある。少しバランスを取って立つことぐらいはできるが、障害物を認識して避けたり跳び越えたりとなってくると、処理が追い付かないそうだ。
「ただ最近では高性能AIだとか仮想現実とかが発達してきて……それに目を付けたってこと。いや、狂人氏を考えれば逆かな? AlmeCatolicaを作っていて思いついたのか何なのか」
要するにハードは置いておくとしても、ソフトはVR技術を応用すれば先に作ることが可能だと思い至ったらしい。
なので先行して仮のハードを仮想現実で作成し、そしてソフトを作るための自動生成装置として"機人"というアバターが作成されたと、そういうことなんだと。
「ええと……それで、なんで姉ちゃんは倒れたのさ。あと、姉ちゃんの不幸体質も結局何なの?」
「不幸体質いうなし」
この機人という種族、私のアバターの基本的な機能として組み込まれているのは、主にデータの収集だ。体を動かしたときのバランスや、動作間のテンポ、人としての何気ない所作だとかを諸々と。
既にNPC等のAIには組み込まれている情報が大半ではあるが、それはあくまでも人間の動きを人間が再現するためのものである。
しかしあくまでも狂人氏が目指したのは、現実世界での人型ロボットだ。
なので現実の人間を機人という器に入れて、体をどのように動かすのかを観測し、どのような構造にすれば技術的に可能かを算出。最終的には、限りなく人間に近い動きが出来るロボットの設計図と、そのロボットを動かすためのソフトウェアが出来上がるという訳である。
「勿論、ただそれが妙な仕様になってたから私がこうなった訳だけどね」
通常、一般的なプレイヤー……というより他の種族の場合はゲームシステムと脳がハードを介して繋がり、無理のない範囲でやり取りを行ってプレイしている形となっている。
しかしこの機人は先述の通り、私の身体動作に関するデータを取るため常に別システム――紗々沙さんは裏システムと呼んでいた――が繋がっていたのだ。それはつまり、ゲームシステムに追加で私の脳へ負荷を掛けているという事に他ならない。
ログアウトした直後に眩暈が起こることがあったが、それが原因だったという訳である。
「あー……ということは姉ちゃんの稀な資質っていうのは」
「複数のシステムと並行接続しても、脳の処理速度が落ちないことらしいね。普通の人……テスターの人とかが使った場合は、その裏システムはそもそも動作しない仕組みになっていたそうだけど」
なので運営が事前にテストを行っても発見できていなかったということらしい。しかも肝心のプログラム本体も巧妙に隠されていたとのことで、生きていたらぶん殴っていたとは紗々沙さんの言である。
「それをもし一般人が使うと……?」
「使うと処理が追い付かなくなって頭パンクするらしいよ? 紗々さん曰く、勢いで検証の為と使ってみた開発の人は熱が40度近く出た挙句大笑いして半裸で走り始めたとかなんとか」
「なにそれこわい」
「うん、全裸なら大惨事だったな」
「違う、そうじゃない」
実は熱が出た混乱で性癖が飛び出たのではという話もあったが兎も角。
で、だ。
一応資質があったらしいので、単純に使っていただけであったなら私は入院することもなかったそうだ。
しかし、そこにトドメともいえる機能があったから困るというか非常に泣ける。
私が倒れた直接的な原因。
それは、倒れる前に使っていた種族特性:思考拡張であった。
……いやまあ予想通りというか、むしろそれしかないだろうとは思ってたけど。これがまだトンデモ厄介な代物だったのである。
「その種族特性はね、表向きは思考を短時間だけ倍速化する程度なんだと。ゲームが現実の倍の速度だし、その性質を利用した安全なものの筈だったらしいよ」
「でも姉ちゃんのは違ったってことか」
「そ。私の場合、繋がっている裏システムの余剰計算領域と意識を接続して、計算能力を一時的にブーストさせる機能だったってさ」
あの自分がもう一人いるような感覚は、その余剰領域にまで思考が広がった結果であったということだ。
思考拡張(物理)ってもう意味が分からない。
「コンピュータと繋がって高速計算、って本当にロボットみたいだねー……。あれ、でもそれはあまり倒れる理由にはならないような……?」
弟が首を傾げるが、私も同じ疑問を持ったんだよなあ。
計算領域は向こう持ちだから、確かにそれだけなら特に負担にはなっていないようにも聞こえるが――
「さて問題です。ここに一台のパソコンがあるとして……メモリを追加すれば処理速度は向上するよね?」
「パソコンはちょっと詳しくないけど……確かそうだね」
「で、もしそのメモリを、起動中のパソコンからぶっこ抜くとどうなると思う?」
「……爆発する?」
「してたまるか阿呆」
多少は安全に切り離す機能はあるのだろうけど、しかしあの時私は短時間での連続使用まで行ってしまっていた。どうにも元からの無茶仕様+その辺りの影響で、自身の脳がその拡張状態を普通であるかもと混乱してしまったのではというのが専門家の見解である。
それからログアウトして完全に裏システムと切り離され、寝て起きて――ベッドから起き上がろうとして。
あろうことに私の脳がゲームでは常時繋がっていた裏システムに接続しようとして混乱し、ものの見事に暴走した、ということなんだそうだ。
「今はもう裏システムと繋がることはないからね。後は現実で運動したりしていれば、脳が元の動きを思い出していく、ということだってさ」
「なんというか、あれだね」
「あれ?」
「……よくそれだけで済んだよね」
「……半身不随も可能性にあったと聞かされた時は背筋が冷えたなぁ」
運が良いのか悪いのか。
まあ、私の体の事は一先ずここまでにしておこう。リハビリとかアルバイトとかで何時まで入院するんだとかもあるけど、その辺りは弟の持ってきた話を聞かなきゃ進まないし。
「次は僕か」
「うん、そうだね。結局――私たちはどこに引き取られることになるのさ」