#58 明かされた真実……という程かっこよくない現実
『おー? おーぅ?』
部屋の中をふよふよと浮かび、物珍しそうにする小柄な人影を目で追いかける。
透き通った宝石の様な羽根を小さく動かし、その影――姫翠はあっちへこっちへと飛び回っていた。その姿は初めて外国へ来た子供の様で、相変わらずAIだと思えないような反応をする子である。天真爛漫、というのは姫翠にぴったりな熟語だとつくづく思う。
少々ハシャギすぎな気もするが、確かにここは小さな妖精さんにとっては外国のようなものか。
最新技術の素材で作られた断熱・防音素材でできた白の壁や天井に、その壁に貼り付けられた最新の超薄型テレビ、携帯端末や紙の書類に筆記用具類などなど。そのどれもを始めて見る姫翠にとっては、目に映る全てが興味の対象だろう。
――ここは、私が入院している病室だ。
ただし見た目だけ。
私はベッドの淵に腰掛け、手元のトリアートを撫でつつ姫翠を眺めていた。
備え付けの鏡で首を傾げていた姫翠だが、今度は窓の外に目を向けている。外の風景も翡翠にとっては珍しいだろうけど……敷地外に出ることは可能なのだろうか?
「――その辺りはどうなんでしょう?」
「"外"に関しては某検索サイトな企業と提携していてな、衛星写真や車から撮影した写真などを利用して簡易マップを作成している。リアルタイムで更新されている訳ではない上にハリボテではあるのだが、主要な道路を歩く程度なら問題はないさ」
「なるほど……なんだか現実っぽいところに妖精がいるのがすごく変な感じはしますけど、慣れの問題なのでしょうかね?」
「人の感覚なんぞそんなものだ。それに、私としては君の隣にいるバグのような物体の方が気になる性質なのでね。――気を抜くと問答無用で修正したくなる」
紗々沙さんに視線を向けられたトリアートがビクッと震えたが、撫でて落ち着かせる。技術者だからか、そういう性格だからか、わりかしテキトーかつ姫翠以上にクレイジーな外見をしているのが気になるようだ。とりあえず双方の精神安定のためにトリアートをそっと移動させ、私の体で視線から遮っておくことにする。
……どうでもいいけど、この反応だとトリアートをデザインしたのは開発側ではなく狂人氏なのか。
しかしなんともまあ、ファンタジーの塊みたいな存在である妖精が、テレビに映ったバラエティー番組を見ている光景というのは素晴らしく現実感がない。幻想的な世界で幻想的な生き物を見ると案外普通なんだけど、現代構造物の中で見るとつい自分の正気を疑うという不思議である。
『う?』
……可愛いからいいか。
若干思考放棄気味ではあるけど、やるべきことはやらないといけない。
姫翠はあっち行ったりこっち行ったりと忙しいが、私はこれから本格的にアルバイト兼リハビリだ。初回である今回は非常に簡単な内容だが、それでも緊張はする。準備が整ったのか、どこかと連絡を取っていたらしい紗々沙さんが座っていた椅子から立ち上がった。
「では、始めるとしよう」
「分かりました」
す、と大きく息を吸って、吐く。気分的なものではあるけど、それでも気を引き締めるには十分――あ、ちょっと姫翠、そう興味深げな顔で見られると和むので勘弁してください。ほーらトリアートとちょっと布団の下に隠れててねー。
という訳で気を取り直して。
「よっ……と」
腰かけていたベッドから、多少ふらつきつつも立ち上がる。足裏が床に着いた途端、硬い音が部屋に鳴った。
少し体が揺れるけど、そのまま体が倒れることは……ない。
「歩けるか?」
一歩、二歩と足を動かし、前に進む。
うん……歩ける。ちゃんと歩けてるね。
ただそれだけなのに泣きそうになってしまうのは、やっぱり不安だったからだ。もう、二度と歩けないのではなんて、悪い想像ばかりしていたから。
……いやほんと、安心した。
思わず、長い息が漏れる。
「はぁー……」
「ふむ、想定以上の数値だ。これなら先に進めても良さそうだな」
紗々沙さんが見ているのは、彼女の周囲に浮かぶ幾つもの半透明なウィンドウだ。その枠内に表示された情報に目を通しながら、同じく宙に浮いたキーボードで何かしらの操作を続けている。
「では、続けてこちらが指定する通りに動いてみてくれ」
つと指をこちらに向けると同時、私の横にウィンドウが一枚出現した。見ると、動画で棒人間が足を延ばしたりジャンプしたりしているのが映っている。なるほど、この通り動けばいい訳か。
それから、紗々沙さんに指定され、棒人間が見せる見本と同じ動きを続けていく。両手を上げたり、一回転したり、スクワットのような動作をしたりとだ。
途中、謎のエッチぃポーズのリクエスト(?)があり、紗々沙さんがどこからともなく取り出した日本刀を持って飛び出していくこともあったがそれはそれとして。かれこれ一時間は続けただろうか、ウィンドウに"First stage completion"の文字が現れたところで終了となった。
「よし、まずは第一段階クリアだ。やはり"仮想空間であれば"身体活動に問題は無い、か」
「ふぅ……。この調子で"現実でも"動ければいいのですけど」
「故のリハビリだ。それに、今のところ君が動けるのはそのアバター限定ではあるからな」
言われ、自分の体を見下ろす。
そこにあるのは大平原――ではなく、いやそうではあるのだけど、このタイミングではどうでもいい。
今の私の体。それは病衣を着た生身の体ではなく、手足が無機質なAlmeCatolicaで使っている"機人"の体であった。
改めて周囲を見渡すが、そこは現実の私の病室そのままである。姫翠やトリアートがいたり私の体がAlmeCatolicaのアバターだったりするのでここが仮想空間だと分かるけど、もしそうでなければ気付かないのでは思う程そっくりだ。
「結局のところ、だ。分かっているとは思うが、焦らずにやっていくしか道はないのが現状だな」
小さな金属音がして、紗々沙さんが手にしていた煙草に火が付いた。
長く吐き出された息に紫煙が混ざるが、すぐに霧散して何も残らない。愛煙家がこぞってダイヴタイプVRを購入しているとは噂であったけど……案外噂じゃなさそうだ。
「ま、頭が痛い話としては、このリハビリには君がこうなっている一番の原因であるそのアバターを使わなければならないということだが」
「一番ということは二番もあるのですか?」
「そっちは君自身の体質。そのアバターをまともに扱える人間は、この世に数人いればいいレベルらしいぞ?」
「嫌なレアですねー……」
なんでそんな珍妙奇天烈なモノを引き当てたかね私は。
アバターが原因とのことだけど、まだよくイマイチ分かっていないのは確かだ。そこは詳しく聞いていくことにするし、他の疑問点もあれば確認していこう。幸い時間はたっぷりあるのだ、無為に過ごす必要はどこにもない。
もう一度ベッドに腰掛け、姫翠とトリアートを布団から取り出して抱きかかえる。
さて、質問をするにしても適当では意味がないので少し思考を回す。一先ず聞くべきことは、
「このアバターが原因とのことですけど……今使っているのは大丈夫なのですか?」
「今更だがね。そこは安心していい、既に身体の不調となる原因は排除済みだ」
それはそうですよね、と頷く。
もしそうでなければ、いくらアルバイトだからと言っても爆弾抱えたようなアバターを使わせることはないだろう。お金か安全かの二択であれば迷うことなく安全を取りたいし、それは向こうも同じのはずだ。
あっさりと一本吸いつくした紗々沙さんは、どこか呆れたような、苦笑交じりで話を続ける。
「そのアバターが何なのか、と非常に簡潔に言ってしまうとだな……。ま、あの狂人はやはりロマンチストだったということだな」
「はい?」
唐突に言われた予想外の単語に、首を傾げる。
顎に手をやり、しばし熟考。狂人氏に関する、いや、AlmeCatolicaで起こったイベントの数々を思い出す。
「姫翠とかトリアートとか兎様とか、高度なAI詰んだMobとかをデザインしたのって狂人氏ですよね」
「そうだな」
「あの水晶の森とか廃都の樹とか風乗りの渓谷とか、かなりファンタジーな設定をデザインしたのって、狂人氏ですよね」
「そうだな」
「……ふつーにロマンチストじゃないですか?」
「……そうなのだがな。いや、今回のはそういう意味ではなくてだな」
たった一人であれだけの世界観を仮想空間で作り上げてしまうのだ。もはやロマンの定義が崩れそうな勢いだが、彼は間違いなくそうだったに違いない。
ただ、今回のはそういった話とは少し違うようだ。咳ばらいをして仕切り直した紗々沙さんに先を促す。
「結論を先に言おう。君の使っているアバターだが……その機人という種族は、"現実世界で再現することを目的とした"ものだということが分かった」
「……現実で、再現?」
何を、ってそれは当然……え、まじで?
「人間等身大のロボットだな」
「わーぉ。ついに次元を超えましたか」
どうやら、あのゲームは想像以上に斜め上の機能が隠されているようだった。
いやほんと、なんで巻き込まれたし私。