#57 目が覚めて
――気が付いた時には病室だった。
目を開けた時に映ったあの人の顔の安心した顔は、今でも鮮明に思い出せる。
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「――と、そんなところだ。君の体の不調は、ある意味必然的に発生したものだな」
「はあ」
思わず気のない返し方をしてしまったが、足を組んで椅子に座る妙齢の女性は気にした素振りを見せなかった。細かいことを気にしないのか単に面倒なのか、多分両方だろうと思わなくもない。
鋭すぎる目つきで手にしている書類を睨み付けている女性は、白凪さんの上司の紗々沙さん。声は聞いたことがあったけど、実際に会ったのはここが初めてだったという人だ。主任という立場にしては前を通る誰も彼もが頭を下げるという、普段の立ち振る舞いが容易に想像できるタイプである。
……見た目は美人さんなんだけどねー。
どこかのモデルか女優かと思う程に整ったスタイルで、ただ目つきがとんでもなく鋭い。しかし雰囲気とか性格からくるイメージとかと一致しているためか全く違和感や怖さを感じさせず、欠点すらカリスマ性に変えられるというのも才能の一種だと理解できる女性であった。
なお既婚者であると言われた時、隣にいた白凪さんが「冗談だと思ってました」などと口にしてしまい、そのままどこかへ連れ去られるという事態が発生。が、周りの職員は誰も気にしていなかったあたり日常茶飯事でいいのかこれは。
なんだかかなり主題とズレたきがするけど、ともあれ。
私が唐突にぶっ倒れてから数日、ようやく体調的にも精神的にも落ち着いたので病室にて諸所の説明を受けていた。
起きたばかりの頃は体がほぼ動かなかったが、少しとは言えマシになってきたので今のタイミングなんだそうだ。……ちょっと情緒不安定になってた自覚もあるしね。
毎日来ていたらしい姉やハトコのねーさん、伯父さん達は先に聞いているようで、今日は平日という事もあり不在である。
うーん、なんだか随分長い事寝ていたような感覚があるけど、まだ一週間も経っていないとは妙な感じだ。空は晴れ晴れとしているのに体が思う様に動かないためカンヅメで、余計に時間間隔がおかしくなっているような気がする。
紗々沙さんは椅子に座りながら、私はベッドにて点滴とか電極とかと無数に繋がりながら、私が倒れた原因について話をしていた。
いた、のだが。
「ふむ。やはり難しかったか?」
「分かって言っていますよね? 専門用語多すぎで1割も理解が出来なかったのですが」
最初に話していたのは主に脳に関することだとギリギリ分かったのだが、途中でロボット工学や心理学と思しき内容、たぶんシステムやらネットワークやらの情報系らしき話が混在してからはもう無理だった。
うん、そんな思考停止に陥った私を見て紗々沙さんは『あ』と言ったのだが、それはもしかして、
「ああ、ついうっかり上層部へ報告用の資料で説明してしまった。面倒だからそのまま話したが」
「止めましょうよ」
めんどくさがる所が盛大にズレてはなかろうか。
流石は白凪さんの上司、なんて性格がひど、個性が強い人なんだ。
「もし君が理解できれば二度手間は省けるだろう? ま、その道の人間でも聞いただけでは理解できんような作りはしてあったのだが」
「……要するに時間稼ぎ用ですか?」
「そんなところだ。完全没入型VR――ダイヴタイプが原因での緊急入院は君が初めて故に、関係各所から説明しろと夏のセミの如く喚かれてな。焦った結論など出したく無いのだが、どうしてもと言うのでくれてやった」
なるほど、それで資料を受け取った人は更に上から分かりやすく説明しろと叩かれる訳ですね?
とはいえここは国費を使った専門機関なので、その分の成果はだせと言われるのは仕方がない。で、その結果が中々捻くれた嫌がらせとは、これはストレス結構溜まっていそうだ。
「一応、政府のお偉いさんには分かりやすく説明しているさ。今頃、美桐が」
「ストレスが既にぶちまけられた後だった!」
「なに、確かに美桐は少々抜けたところがあるが大丈夫さ。――たとえ説明する相手がこの国のトップでもな」
「白凪さーん!?」
白凪さん、いないと思ったら……!
普通に仕事かと思ったら上司の超無茶振り絶賛対処中だったというオチ。今度何かしらで労ってあげよう……。
「にしても、そんなところにまで説明が必要なのですね」
「当然だ。ダイヴタイプは様々な分野で普及し始めているが、同時に厄介な危険性も孕んでいるからな。試験段階では色々あったことではあるし」
"色々"を強調するのは勘弁してほしいのですが、ネットで流れてる物騒な噂のどれぐらいが真実なんだろーなー……。
それ以上は考えると怖いので置いておいて。
完全没入型の技術は医療や軍事などの専門技術の訓練はもちろんの事、多くの工業産業に利用されている。
例えば、歴史上の街並みや出来事を再現したのを散策・体験するツアーや、建築物の実際に歩ける完成予想モデルなど、それを使ったサービスは今も増え続けている。もはやこの先の発展には必要不可欠だと言われるほどだ。
しかし、世の中とは難しいもので。
法律面でも技術面でも慎重に慎重を重ねて作られた物ではあるが、どうしても予期せぬ事態は発生するし、それを使って反社会的な事を考える輩も一定数発生してしまうものなのだ。ログアウト不能の所謂"デスゲーム"もハードの作り次第では十分可能と言われているぐらいなのだから。
「だからこそこんな病院が出来た訳だが。とりあえず真っ先に調査したのは、原因がどこにあるかという話ではあったがね」
「私か、ゲームか、VRそのものか、ですか」
あのゲーム――AlmeCatolicaをプレイしている人は世界中にいるし、プレイヤー数はそれこそ万単位だ。昨日今日でサービスが開始したという訳でもないし、VRは言わずもがな。私自身の問題というのが一番しっくりくるのだけど……。
さっき聞いた話であれば、ちょっと違うらしい。
「やれやれ、あの狂人もやってくれる。まさかダイヴタイプをそこまで理解し、あの種族に妙なモノを仕掛けていたとは」
「正直先程の説明ではさっぱりだったのですが、何がどうなってこうなったのでしょう?」
私が倒れた理由。あのノイズの意味。
その一因として、私のアバターである"機人"という種族に狂人氏自らの仕込みがあったのは分かった。だけど、何故その仕込みとやらのせいで倒れたかまではさっぱりだ。
――出来るのであれば。
こう入院までしている状況で、こんなことを考えるのはおかしいのかもしれないけど。
「……私は、このままゲームを続けることはできるのでしょうか」
このゲームを始めて、色々と変わったことは多い。
あまり人と話すことが苦手ではあるけどゲーム内外で知り合いが増え、学校では部活に入る切っ掛けにもなったのだ。そして姉とのことも、まるっと変わることになるだろう。……弟? たぶん全く変わらないに違いないから知らぬ。
結局のところ、私のわがままではあるのは確かな話。
だけど、この短期間でこれだけ変われたのである。このまま入院して終わり、では納得できないものがあるのだ。
それに、せっかく仲良くなった夢見さんやストゥーメリアさん達プレイヤーだけでなく、姫翠やトリアートと会えなくなるのは辛いしね。
「ふむ」
私の言葉を予想していたのか、紗々沙さんは呆れたように肩をすくめ――しかし面白い玩具でも見るかのような目をしていた。獲物を見つけた獣、どころではなく実験体を目の前にしたマッドのような。
「なるほど、なるほど」
「紗々沙さん……?」
……あれ、どうしよう。なんだかここで"実は私が黒幕なのだ"とでも言われそうな雰囲気を醸し出しているのだけど大丈夫か私。
確かにゲームしてて入院したのに続けたいとか、どこの廃人だというか弟辺りなら頭大丈夫かと言われそうな内容である。
いやいやいや、そこは今すぐとは言わないのでゆっくり治療してからでいいのですよ。ほら、あの赤いノイズとか何だかよく分からなかったけど、二度と経験したくないですし。
だからですね? そう肩に手を置かれていると凄く心臓に悪いというかもしかしてこれバッドエンド直行ですか?
やけに静かな部屋に、時計の針の音だけが続く。
「……で、この演出の意味は?」
「意外と楽しかったのでな、つい」
「白凪さん早く帰ってきてぇ……!」
「君も存外ひどいな?」
気を取り直し、お茶で一服したところで話を再開させる。
ちなみに白凪さんが帰ってくるのは明日の夜になる予定なのだそうだ。死にそうな顔をしたお偉いさんと共に、泣きそうな顔をして付いていったらしい。
「どうせ病院側の上の連中は普段から碌に仕事してない奴らだ。ダイヴタイプの初被害というマイナス方向の状況説明ではあるが、相手が相手だから顔を売るか保身に走るか悩む阿呆共の顔は中々面白かったぞ? こちらの上はちょっと頭の螺子が抜けてるから気にしてないだろうが」
言われた内容に一瞬内心で首を傾げたが、そういえば紗々沙さんや白凪さんが所属するゲーム会社はこの病院の研究施設に部署を構えているからここにいるのだった。
にしても年齢、役職、色々と上な人たちに囲まれてのプレゼンか……私なら裸足で逃げだすな。
「しかし、今はそんなことはどうでもいい。とりあえずこれを見たまえ」
そう言って、紗々沙さんがあまり動けない私にも見えるようにA4サイズの用紙を広げた。
中身は……契約書?
紙面に書かれている内容に目を通していくが、契約書らしく堅っ苦しい文言がつらつらと並べられていて非常に読み難い。ただ、題やら重要そうな箇所だけを抜き出して読み解けばなんとなくは理解できる。
その内容とは、
「天樹彼方君――状況説明も兼ねて、ちょっとアルバイトでもしてみないかい?」