#51 竜と踊れ
滑る様に走り、駆ける様に飛んでいく。
自身が風になったかのような、そんな錯覚に襲われながらも集中を切らさない。
上に跳ねて、
左にカーブを描き、
下に回って、
右にスライドし、
前に加速する。
勢いは落とさない。ただ、速度だけを求め続ける。
やはり空の上だからか、下よりも風が強い。それでも盾で大気を切り裂くようにして突き進む。
どのみち何をしなくとも勝手に道に沿って走っていくのだ。今は振り落とされないよう体勢を整える事だけに専念する。
一つ間違えれば真っ逆さま。かといって速度を落とせば喰われるか叩き落されるか、なんて馬鹿みたいな状況だ。
まったく、これだからこのゲームは――
『よこっ、くるよー!』
「――――!」
肩に乗った姫翠の声に合わせ、全身のバネを使って横に跳んだ。
体が浮遊感に包まれる。ほんのわずかな間、時間が停滞したように見え、
――直後、今まで走っていた道が"喰われた"。
巨大な牙が轟音と共に閉じられ、風を嚙み千切る。
その中に私がいないことが余程不満なのだろう、不機嫌極まりない唸り声と視線が飛んできたが無視する。
跳んだ私は隣に流れていた風の道に着地――着風?――し、即座に若干落ちた速度を取り戻すため速度を重ねていく。
ちらりと後ろを見れば、未だに諦める気配のない暴竜が追いすがってきていた。
「ああもう、誰だこんなチェイス考えた馬鹿は!」
いや本当、ここまで来れば愚痴の一つも言いたくなるものだと思う。
何しろ、追ってきている竜が竜だ。
まず図体がデカい。色々と安定しないながらの目視計測なので非常に大雑把だが、あの水晶竜と同じかそれ以上なのは間違いないだろう。
次に面構えが凶悪すぎる。確かに水晶竜も鋭い外見をしていたが、彼は深い知性をもっていたので途中からは気にならなくなっていた。
しかし、この竜は全く別。
理性も知性もなく、縄張りに踏み込んだ相手を本能のままに喰らおうとしてくる獣。これぞまさしくモンスターだ。もうちょい余裕とか温情とか欲しいところですが見当たらないのはバグじゃないのかド畜生め!
今度は口から放たれた光弾が飛んできたので勢いそのまま縦に一回転して避けた。
ペースは幾分か落ちたものの、まだ上がるスキルレベルを横目に回避行動を続けていく。
……ところでこのゲームにおけるレイドボスとエリアボスの違いってなんだろうか?
いやもう何だかさっきから"ひゃっはー風になるぜー!"って状態な姫翠と、もはや高波に揺られるクラゲ状態なトリアートを見てると、必死になっている私が馬鹿みたいに思えてくる不思議。正直、終わりが見えないのでどうしたものだろうか。
勝機があるとすれば……あの裂け目に戻ってきた時だろうか。
あそこなら私にとっては十分な広さがあっても、後ろの竜にとっては非常に狭い場所だ。そもそも追ってこない可能性もあるけど、それはそれで逃げきれているので十分である。
まあ、そもそもそれ以前に、
「ここがどこかさっぱり分からない……!」
おい探索スキル仕事しやがりください。
高度の問題か、速度の問題か、それともボスと相対しているから。地上では逐次マッピングをしていた筈の探索スキルは、ここにきて見事にご臨終なさっていた。
「ああもぅ、さっきから嫌がらせみたいな状況しか続いていない気がするなぁ!?」
ボスが出現してから逃げ道の為に周囲の確認は怠っていないけど、それ以上となると話は別だ。
方角は太陽だったり大樹だったりで分かるが正確な位置は完全にロストしている。自動マッピング頼りだったこともあって、あの裂け目からどれだけ離れていて、どうすれば戻れるのかなんて特に。私が行方不明ってなんじゃそりゃー!
お次はホーミング入った光弾十六連射。
基本軌道は直線だが、ターゲットと進行方向の角度が一定以上になると突然"曲げて"くるタイプだ。どこかのアニメで見たような曲芸じみた軌跡を描いて追ってくるが――
『わははははー! おちろー!』
姫翠がマシンガンの如く放った風弾にぶち当たり、誘爆し、連鎖で光爆を引き起こす。
背中に熱を感じるがそれも一瞬。勢いが勢いなので余韻はあっという間に置いていく。
なにやら興奮し過ぎでキャラ崩壊してる姫翠は兎も角、どう見ても一発当たりの威力が洒落になってない。それが十六とか頭おかしいのか、実はエリアボスではこれが普通なのか。
どれだけ防御が固くともバランス崩したら終わりという状況なのに、爆風だけで死ねる代物とか鬼畜すぎんよー。
「にしても、これじゃどう考えてもジリ貧か……」
呟きつつ、雲が多い方への"道"を選んでいく。
運よく見失ってくれないかなー……なんて考えるものの、やはりそう都合よくはいかないらしい。
……毎度ながら思うけど、いい加減武器持とうぜ私。
蛇に追っかけまわされた時とは違い移動にHPもMPも消費されてないから、単純な話として攻撃に当たらなければいい。
しかし逃げようにも付かず離れず、至近ではないが一気に咬みついてくるぐらいには近い距離をキープされている。加えて離れたら離れたで今見たく光弾を飛ばしてきて、こちらの迎撃手段は姫翠の風弾のみ。たぶんMP消費しているから限界は当然あるだろう。
「一応、攻撃手段があるにはある、のだけど」
それは姫翠が持ってきていた毒物。
『クレゼスの葉』と『ゲビルドドの実』の二つだ。
どちらも高レベルの状態異常を与えるものであり、しかも酩酊やら麻痺やらで行動を大きく阻害するタイプのものである。この空の上ならどちらでも致命的なのは間違いない。多少は耐性スキルで抵抗されるとしても、そも効果レベルが高い。
これを咬みついてきたタイミングに合わせて喰わせてやれば、倒せはしなくとも何かしらは効果があるだろう。
毒に魅惑に酩酊、麻痺と怠惰の計5種類。まさかこれ全部の耐性を持っているなんてことは――ない、はず。……はず。
……あ、ちょっと嫌な予感が。
え、まさか『生息区域に生えているものだから耐性あり』なんてふざけたことはない、よね?
水辺にいるMobが水耐性だったり、火山だったら火属性だったりするのは分かるけど……流石にちょっとそこらに生えている草花の耐性まで完備しているなんてことはないよな!?
……すごく不安だ。
空いた距離を詰めるために竜が急加速してきたことによって"道"が乱れた。
"道"が自然の産物である以上、大きく歪めば当然そのまま沿って進むことは非常に難しくなる。もはや幾何学的な紋様となった"道"の上を通れと言われても土台無理な話だ。
『あらなみがきたぜー!』
今一番荒ぶっているのは間違いなく姫翠だが、だからどこで覚えたそのポーズ。
息を大きく吸って、目を細めて集中。
要領はさっき咬みつきを跳んで避けたのと同じ。ただ今乗っている"道"の先だけを見るのではなく、周囲に無数ある"道"も把握する。しなければ無理だ。
なんだか制限時間付きのパズルを解いているような気分。深く考えている暇と余裕がどこにもない。
急カーブしつつ隣へ跳び移り、また直ぐに反対方向へ。そしてそのまま進み、途切れた先で下の"道"に跳び降りる。
あとは発射台の如く一息で前方に射出され、歪みの先、まだ乱れていない"道"に乗れば仕切り直しだ。
「と言っても、この状況で投擲なんてそう簡単にはうまくいきそうにないんだけどね……」
なにしろ物は葉っぱと木の実という石ころ以下の軽さ。下手を打てば強風で明後日の方向に飛んでいくのは目に見えている。かといって接近ギリギリまで狙いを付けようとすれば、そのまま私自身もぱっくりいかれるのがオチだ。
掲示板で書いてあった通り袋に重しとか入れればよかったのだろうけど、袋もないからと後回しにしたのが駄目だったか。
そういう意味で打つ手がない、見当たらない。
「さてどうしたものか……な?」
『おぅ?』
気が付いたというよりはビビッときたと言うべきか。
たぶん所持しているスキルか種族特性に引っかかったのだろう、"何か"が追加で接近していることが分かった。……これで錯覚だったら色々危険だけど、姫翠も同じ反応をしているので気のせいではないだろう。
「まさかとは思うけどボス追加とかふざけた事じゃないだろうな――――ってええ!?」
『わぁ!?』
私も姫翠も……そしておそらく後ろの竜も。
距離にして十数メートルという至近。分厚い雲が覆っていた真横、突然上がって来た巨体に驚愕した。
それはまるで海面へ飛び出した鯨のように。
雲が飛沫のように弾け、白銀の体を輝かせながら、下から空を割って現れた。
ナイフのような鋭い躯体、間近で見れば鏡の様に反射している外部装甲に自分の姿が映ったのが見える。装飾は少なく、それ自体が一種の芸術品にも思えた。
ただでさえ大きい竜を凌駕するサイズのその"船"は、
「飛行船!? 航路とバッティングしたのか……!」
馬鹿みたいにデカい上に、後部に付いておる推進機の影響だろう、風が乱れて体勢が崩される。
乗っている"道"が揺れ、歪み、大きく波打った。
「っと、うわ!?」
『あわー!?』
――まずい、このままじゃ直撃する! つか轢かれる!?
判断は一瞬。それの使用判断を即座で決めた。
幸い後ろの竜から逃げている間にMPは3割回復している。逆に言えばそれしか回復していないから効果時間はほんのわずかだろうけど、その刹那の時間が欲しかったのだ。
頭の奥で、あの甲高い回転音が響き始める。
同時、視界に映る世界の速度がズレた。
――種族特性:思考拡張。
目に中の光景と、記憶にある情報から解決策を二重で模索する。
正直に言えば、この自分が二分割されている感覚が非常に気持ち悪い。だからあまり使いたくないのだけど……ああ、もう、ここまで来たら自棄だ!
背筋に来る悪寒を堪えて見えたのは、
「船の推進機を中心に"道"が出来てる――そういうことか」
あの速度でどうやって竜やら鷹やらが船に近づいているのかと思ったけど、考え、実際に見てみれば簡単だ。
自然にできた"道"と、飛行船がその巨体を推し進める事で生まれる"道"。飛行船が発生源の"道"は飛行船を中心に進むため、その速度も飛行船に合わせることになる。離脱する場合は眼下にある自然の"道"に跳び移る、と。なかなかアクロバティックすぎやしないだろうか。
で。
船は下から、私の進行方向に対して水平ではなく交差するような進路を取っていた。
当然相手の方が速度があるので、このままでは派手に事故る直前な訳だが。これを回避するには――
「って、もう効果が切れたぁー!?」
唐突に戻ってくる感覚と速度。そして迫る銀の船体。
もはや考えている時間すら無くなった。
「さっきからこんなのばっかりだなチクショー!」
『いまこそほしになるぅー!』
星になってどうする。
前門の船、後門の竜という私に何か恨みでもあるのかと言いたくなるこの状況。それを切り抜けるため、スキルレベル任せの強引な動作で速度を叩き込む。
やるべきことは、
「跳び越える!」
幸いと言うべきか、もとより"道"は流体なのだ。
雲や風を押し上げている巨体の表面を撫でるように"道"が流れている。ただしその"道"は途中で霧散したり、逆に浮き上がってきたりと非常に不安定だが……ここまでで上がったスキルレベルならやってできなくはないはずだ。
できなかったら色々と残念なことになるだけである。
「本日何度目かもう忘れた一発勝負!」
『とっかーん!』
跳んだ。
飛び越えた。
そして目が合った。
「「えっ」」
ぽかんとしたような声は、私からも、向こうからも。
飛行船の反対側。
そこにあったのは、甲板と呼ぶのか単なる通路なのかはよく知らないけど、とにかく立って歩けるスペースがあった。そしてそこに立つ、幾つかの影。
『おー、人だー』
翡翠の呑気な声だけが風に流れていく。
そう、人だ。プレイヤーだ。
唖然とした顔で立っていたのは、複数人の男性。同じパーティなのかギルドなのか、それぞれ似たような装備を身につけている。
加えて、口をあんぐりと開けたリアクションも皆狙ったように同じだった。
お互いに深く何も考えずに言葉が出そうになって、
「「!?」」
『わわっ』
響いたのは強い風の音すら掻き消す咆哮だ。
男たちの傍にウィンドウが出現し、ぎょっとして目を向けるのが視界の隅に見えた。
もちろん私はそれどころではなく、
『したっ、きてるよ!』
船の推力によって生まれている"道"を滑り、もはやカンのみで進路を曲げる。
直後、もともと私が走っていた位置を貫くように光弾が駆け抜けていった。しかも高速六連射である。
また、怒りを帯びた叫びが響く。
首だけで振り向けば、船の後ろにぴったりと付くようにして竜が羽ばたいていた。目が爛々と赤く輝いており、どう見ても怒り心頭というかマジギレしているのが分かる。
羽ばたくだけで水蒸気が快音と共に発生しているけど、かなりヤバくないだろうか。
「……ってコレもしかしてMPKになる!?」
このバーサーク入った竜を船と引き合わせてしまったのは私である。
そう簡単に船が墜ちるとは考え難いが、絶対にない、なんてこともないだろう。で、船が巻き添えでぶっ壊されたときは私が原因という事になるのではなかろうか。
ちょっとどころではなく嫌な予感に背筋が凍った。
これは本気で怒られるパターンではないかと、恐る恐る船にいたプレイヤーを見てみると――
「………?」
特に怒っているとか、焦っている、とかそんな表情ではなく。
というか気が付いたら甲板の人数が倍になってない?
そんな彼らは私を見て、竜を見て、周りを見て、アイテムボックスらしいウィンドウを見て。
「「「……お」」」
『「お?」』
「「「俺達も混ぜろー!!!」」」
『「ってなにぃ!?」』
船から飛びだす男たち。
雲より高い、空の上。
事態は更に混迷を極めていく。
……どうしてこうなった!?