#39 這い寄るモノ
軽い、下草を踏む音が意外とよく響く。
都心では雑多な音に溢れているとは言われているが、秘境というべきな渓谷であるここも多種多様な音に包まれている。
例えば、河を流れる水とか。
例えば、山から吹く風とか。
例えば、風で靡く木々とか。
……空でなんか吠えている竜とか鷹は別として。なにやらテンション高めというか、音だけ聞くなら割と世紀末入ってないかな、ここ。
まあ空は兎も角、要は景色も綺麗なので洞窟とは違って飽きが来ないということだ。もう結構な距離を歩いているはずだけど疲れることがないし、刺激は多いので全く気にならない。
たまに姫翠が飛び回って、どこからともなく花やら木の実などを取ってくるのでアイテムボックスに収めつつ歩を進める。お、トリアートも走ってった。
珍しそうな花に、木の実に、石に。適当にどんどんと入れていく。
一時期は結構注意していたけど、結局使うに使えなかったアイテム類はホームに置いてきたので、今はアイテムボックスに余裕がある。なんだかんだで物が増えてきていたので、整理しておいたのだ。
使い道があるかは分からないけど、ホームの保管ボックスに突っ込んだアイテムは別の街でも専用施設で回収可能なのが便利なところ。しっかり金は取られるけども、場所を考えれば安いものか。
そんな訳で色々と拾ったり摘み取ったりしているのだが、たまーに姫翠が妙な色合いのシロモノを持ってくるから注意だ。
こらこら、極彩色の木の実とか明らかにヤバいのは素手で掴んではいけません。貰うけども。
「に、しても」
また姫翠を乗せたトリアートが走っていくのを眺めつつ、空を見上げる。そこには幾つもの白線と、それを描く竜が飛んでいる。
時折こちらを見ていそうな気はするのだけど、
「ほんと、襲われないなー。もっと隠れて移動しないと、って思ってたのに」
飛行船の話を聞く限りでは、補足され次第突っ込んでくるかもと予測していたのだけど。最初こそ抜き足差し足忍び足と上に注意しながら歩いていたのだが、姫翠たちは全く気にしておらず、それどころか私にこう言ったのだ。
『かぜ、だいじょーぶ』
言葉の意味がよく分からなかったけど、どうも姫翠には危険かどうかが判断できるらしい。
出来れば詳細に確認したかったのだ、が……姫翠は舌ったらずというか難しい言葉が話せず、聞けずじまいだ。
ま、現状危険がないと分かっただけでもいいか。あと可愛いし。
視線を戻して前を見れば、行く先には険しい山々と、その更に先には天に聳える塔が突き立っている。
色は白を基調にして、所々黒の歯車が生えているという造り。時折、赤なり緑なりの光が壁に沿って走っていて、まさにロマン溢れるオーバーテクノロジー的な遺跡だ。
確か崖の上から見た時は山より手前側にあったはずなのに、ここから見れば奥にある。不思議な話だがこれが掲示板でもあったバリアっぽいものの影響だろうか? もしくは、実は某動く城ならぬ動く塔とか。
……行って入れないとか、そんなオチがないことを祈っておこう。
それは行ってみてからの話なので、それとして。
塔を見上げればキリはなく、本当に雲の向こうまで届いてるようだ。何の施設かは外見からはさっぱりだが、面白そうなのは確かである。
「まあ、あっちもちょっと行ってみたくはあったけど」
少し名残惜しさを感じながら後ろを見れば、あの水晶の森の奥――あの廃都があると思われるそこに、ここからでも"光の大樹"が視認できた。それは昼でも煌々と輝き、とてつもなく目立っている。
大光樹カルネージェア。
高さでは天辺が見えない塔の方に軍配が上がるが、"大きい"という方向性でなら大樹の方になる。なにせアレ、葉の部分も合わせれば直径にしてキロ単位は間違いなくあるのだ。
そんな馬鹿みたいにデカイ樹は、レイドクエストを達成した際に出現したダンジョンである。見た目からしてあっちも面白そうなのではあるが……武器すら持っていない私が行っても瞬殺されてしまうのが目に見えているので残念だったり。
なにしろ、期間限定でかつ高難易度と運営がいう程だからだ。どう楽観的に考えても、軽く外道入っているのは確定だろう。実際、少し前に先遣隊が突入したらしいが既に掲示板は阿鼻叫喚の嵐であった。即死級のトラップ満載とか、絶対趣味入ってるだろうよ。
そんなところに私が行っても、特に出来ることがないのは目に見えている。姫翠やトリアートもいるし、うん、やはり無理しないのが一番だな。
それにあのダンジョンは確かに期間限定ではあるけれど、出現させる条件は分かったのだ。しかもPVで流れていたのだから、私でなくとも他の誰かが成功させるだろう。
なら、急ぐことは全くない。ホームはあの街にあるし、機会は十分にあるはずだ。
そう心で整理してまた前を向いて歩き出そうとしたところで――
「……おぅ?」
………あっれ、今視界の隅に凄まじく見間違いであってほしい何かが横切った気がするのだけど。
『うぅー』
いつの間にか姫翠とトリアートが戻ってきていたけど、二人とも警戒全開だ。
姫翠は私の頭の上で髪をがっしり掴んでおり、トリアートもピンと尻尾を立てたまま傍を離れない。見事な臨戦態勢である。
トリアートは兎も角、いつもは呑気な姫翠がコレである。気のせいだと思いたかったけど、
「やっぱりそうは問屋が卸してくれないよねぇ……」
横を見る。
いない。
後ろを見る。
いない。
前を見る。
何もいない。
足を止めて耳を澄ませば、徐々に、少しずつ、何かが近づいてくる音がする。
それも、後ろから。
……いや、いなかったじゃない、今。
どうもかなりすばしっこく、私の視界に入らないように移動しているらしい。どうしよう、かなり嫌な予感しかしない。
「ふー……」
一度深呼吸し、気分を少しでも落ち着かせる。
ゆっくり、ゆっくりと振り返ると、そこには――
「―――――ぴ」
思わず変な声が出た。
姫翠が掴んだ髪が引っ張られて痛いが、いや、これは仕方がないと思う。
VRゲーム。
仮想現実。
……なるほど、単なるゲームではなく、これは。
現実で会ったらとかレベルではなく、ちょぉっと迫力というか。
あの水晶竜とかで多少は慣れたと思っていたのだけど――
「美凪さん……流石にどう見ても全長五メートルオーバーの"大蛇"はないと思うわぁ……」
すぐ近くで虎視眈々と私を狙っていた者の正体。
それは蛇。
それも大蛇の類である。
可愛らしさとか、そんなものは一切ない。
ぬらりとした光沢を放つ、毒々しい赤と黒の斑の鱗。一枚一枚が鋭く刃のようであり、それが擦れて耳障りな音を立てている。
チロチロと舌を出してその口端から紫の液体を垂らす様は、控えめに見ても舌舐めずりをしているようにしか見えない。
たとえ小さくとも嫌悪感があるであろう生物が、何をはっちゃけたのか五メートル越えという大きさで目の前に鎮座しているのである。
そして当然の如く、その濁った色の瞳がしっかり私をロックオンしていた。
嫌な沈黙がぬるっと通り過ぎる。
……あかん、なんだか色々悟りそうというか、空から聞こえる鳴き声がコントに思えてきた。
さて、こんな時やるべきことは、と。
息を大きく吸ってー。
後ろ向いてー。
あとは、
「わひゃぁぁぁぁぁあああ!?」
悲鳴を上げて逃げるだけだっ!