#38 風舞い空描く渓谷(命名:某GM)
それに先に気が付いたのは姫翠だった。
長い長い洞窟を歩き始めてもうトータル一日分以上。なんだか同じ道をぐるぐる廻っているような錯覚に陥ったか分からない。
幸い休むのに使った小屋はそれぞれ見た目違うのと、探索スキルのマッピングがあったので現状が把握できたが、どちらもなかったら途中で引き返していただろう。
夢見さんやジュンさんらと会話して気を紛らわせたり、変わらない風景に飽きた姫翠に髪を弄られたりしつつも前に進んでいたのだが――
「姫翠?」
私の頭の上に寝そべっていた姫翠が突然起き上がったかと思うと、勢いよく前に飛んで行ってしまったのだ。その先は緩やかな曲道になっていて、あっという間にその姿は見えなくなってしまった。
思わずトリアートと顔を見合わせ、何事? と首を傾げていると、少し遅れて私も気が付いた。
風だ。
ほんのわずかだが、そよ風にも満たない小さな空気の流れで髪が微かに揺れる。 なるほど、姫翠は風の妖精っぽいし、そのあたりは敏感なのだろう。
そして風が吹いているという事は……。
つい見送ってしまったが、流石にこのまま放っておく訳にはいかないので急ぎ姫翠をトリアートと共に追いかけ走る。
ずっと歩き通しだったけど持久スキルのレベルが上がった為か、だんだんVR特有の"精神的に疲れる"というのが少なくなってきた。なので足取りは軽く、駆け足で坂を駆け上がっていく。
「あ……」
カーブを曲がり、顔を上げた視線の先。そこに、水晶の光とは異なる種の明かりが差し込んでいるのが見えた。人工的な光でも、勿論ない。
風が来たのは間違いなくそこ――陽光が差し込む洞窟の終点、出口から。
トリアートが付いてきていることを確認してペースを上げ、歩幅を大きくする。
さほど距離がなかったからか、それともこのアバターのスペックがリアルより高いからか、あっという間にたどり着いた。
ゴールテープを切るように出口を走り抜けた先に見えたのは――
「……お、おおぅ?」
このゲームを始めてから予想通りという事がなかったけど……うん、この光景も同じだな。想像の埒外だ。
洞窟から出た瞬間、強く吹いた風に足を止めさせられた。そうしようと思って止めたのではなく、それほどに強い風。
強い日差しと風に伏せていた目を開けた先に広がっていたのは、これもまたリアルでは中々お目にかかれない光景だった。
「"谷"……いや、うん、渓谷というやつかな」
壮観、その一言に尽きる。
眼前には険しい山脈が連なり、その足元には深く険しい谷と流れの速い河、それに足元も含めて深緑色の草原がずっと続いている。兎様やあの水晶の森とは異なる種の木々が生え、山から流れてきている冷たい水の匂いで満ちていた。
イメージとしては海外――アルプスとかその辺りだろうか。実際に行ったことはないけれど、写真で見た光景と似通ったところがある。草原は広く、山は高く、谷は深く。
リアルじゃ山になんて、学校の行事で一回だけ行ったきり。それもここまで自然の"力強さ"を感じるような場所ではなかった。そこらの小山と比べればスケールが違い過ぎる。
圧倒される、とはまさにこの事だろう。
それにしても……予想では更に深い森の中で古代遺跡とかあるのではとか思っていたのだけど、まさか山の麓にまで来ていたとは。
そして何より驚いたというか――不思議で物騒なのが空だ。
ゲームでは久し振りに見た、広くどこまでも続くような蒼空。そこに幾つもの"線"が描かれていた。白い曲線が空を縦横無尽に走っている。
飛行機雲。
その雲を作り上げている影はまるで波に乗るように舞っていた。
飛竜に、でっかい鳥? である。
水晶竜とは異なり生き生きとしているどう見ても肉食な竜種に加えて、鷹を数倍大きくしたような鳥類。体格は水晶竜より小さそうだが、それが群れで隊列を組むように飛んでいる姿は思わず見惚れてしまう。その翼に秘密があるのか、そも空に何かあるのか、軌跡として雲が残るのが見ていて面白い。
ただし、襲われたらひとたまりもないのは間違いないけどね!
……とりあえずあまり目立つことをすると餌になってしまいそうなので気を付けよう。
空が物騒なのは兎も角、私が目的地に設定している"塔"は山脈の向こう側に立っていた。山の標高はそれほど高くないようだが、傾斜が急なので単に登るのは難しそうである。
あの兎様の森の崖から見た時から近づいているとは思うのだけど、まだまだ先は長そうだ。
「道は、と。うん、なんとか判別できる程度にはあるね」
水晶竜が言っていたように長い年月で舗装が剥がれているが、分からないわけでもない。あの水晶竜曰くあの街の住人達はこの道を通って塔に行ったのだから、この道を辿って行けばあの塔に着くのだろう。
山越えするのか、また洞窟があってそこを通って行くのか。いくらゲームでも山越えは勘弁してほしいので、後者であることを祈っておこう。もっと酷い手段の可能性もあるけど、そこは気にしない方向で。
とりあえずスクショを撮り、谷というか山や谷を近くで見たことがなかったらしい目を輝かせている姫翠をとっ捕まえる。なんだかネタな勢いで飛竜とかにぱくっと食べられそうだから怖いのなんの。
はいはーい、珍しいのは分かるけど、とりあえず定位置(頭)にはいなさいな。
私たちが今いるのは、渓谷の終点にあたる位置だと思われた。水晶で舗装された道は長い年月を雨風に晒されてきたからか、かなりボロボロになっている。奥に行けば行くほど道が判別できなくなりそうだ。
何か地図の様なもの廃都で探せばよかったかとは思うものの、ここで戻ることはない。道なき道なぞ今更だ。あの距離をまた往復するぐらいなら進むに決まっている。
……飛竜とか鷹とかに襲われませんよーに!
恐らくは道中に洞窟内にもあった小屋があるとは思うのだけど、そこが朽ち果てていないことを祈るしかない。流石にここで野宿は危険が過ぎる。
いつまでもここで立ち止まっていても仕方がない。さあ行こう、と一歩踏み出したところで、
「……?」
ふと、影が差した。
それは一瞬ではあったけど、確かに何かが上を通り過ぎたのだ。遅く、今度は風が後ろから前へと過ぎ去っていく。
何が、と顔を上げた先に飛んでいたのは、
「あれは――船?」
船、と言う割にはかなり先鋭的なシルエットをしてはいるが、そう言われればそう見えるようなデザインだ。
確か飛行船と言ったか。街と街を結ぶ、ここ最近プレイヤーがクエストをクリアしたことによって新たに追加された移動手段だ。PVなどの公式でその姿は知っていたが、実際に飛んでいるのを見るのは初めてである。
……しかしあれは三つ目の街と"首都"、それに"夕闇城"を繋ぐ航路ではなかっただろうか?
飛行船の高度はさほど高くはなく、山を越えはせずにぐるりと迂回するよう向きを変えて飛んでいく。
方向からすると、あれは三つ目の街に行ったのだと思うけど……まさかここが通過地点だったとは。
『どーしたのー?』
「ちょっと掲示板で検索をば」
ウィンドウを一つだし、さくさくっと飛行船の航路について検索。すると確かに情報があったので読んでいく。
ざっくりとまとめると以下のような具合である。
・兎様の森の奥であることは知られている。
・基本的には風景が良いので鑑賞程度。
・が、甲板に出ているともれなく竜やら鷹やらが襲い掛かってくるので景色を見るのも命がけ。
……船内には窓がないそうだ。
・やろうと思えば船から途中で降りることも可能だが、出た瞬間に餌になるのがオチ。
行くやつはもれなくドM認定されるレベルだとか。
・塔を調べているが、距離がある上になにやらバリアっぽいので視覚情報が歪められているとかなんとか。
バリアってなんぞ。
「なるほど。……なるほど?」
景色が良いことや塔が近いことで有名ではあるが、あの空を飛んでいる飛竜とかに喰われるので詳しくは分からないらしい。
水晶で舗装された道云々は一切書かれていないので、私にとってはどれも不要な情報だ。せめて小屋の様なものを見た、程度でもあればよかったのだけど、そう都合よくはいかないらしい。
……しかし船か。
リアルでは飛行機に乗ったことがないので、ちょっと興味はある。が、残念ながら縁がなさそうなのでスルーするしかないのが残念だ。
ここ以外では甲板に出ても問題はないとのことなので、機会があれば乗ってみようと心に決める。
「兎にも角にも、今は歩くしかないか」
元は綺麗に整備されていたであろう道に沿って進んでいく。荒れていると言ってもそこまで酷い状態な訳ではなく、少なくとも森よりかは歩きやすい。
見える大自然は森とは違い、遠くまで見通すことが出来た。一陣の風で波打つ下草や、険しくも壮大な山々に見惚れつつも歩を進める。
姫翠は久しぶりの外だからか機嫌良さげに歌っているし、トリアートも尻尾の振り具合を見る限り楽しんでいるようだ。
これで空に物騒なのが飛んでいなければいいのだけど――
「んん?」
少し、違和感があった。
どこか、とは分からないけど、あの空にいる飛竜や鷹を見ていると何かがおかしいと感じるのだ。困ったことに、その正確なところが分からない。
「……まあ、そのうち分かるか」
さあ、襲われないうちに早くセーフポイントを見つけよう。