#35 月夜の舞台で、幕よ上がれ
ついにこの時がやってきた。
レイドクエストの終わりの日である。
この二週間であっという間に色々な事が変わったと思う。
朝の発声練習も、授業後の部活も、夜のゲームでの鬼特訓も。ゲームを始める前はこんなことになるとは欠片も予想をしなかった展開だ。せいぜい細々とソロでダンジョンを進み、いつか飽きて終わるぐらいなのでは――と思っていたぐらいなのだから。
水を飲んで空調を整えて、家事も学校の課題も済ませている。時間も遅いので、この家の他の住人が部屋に来る可能性は低いだろう。
体調もばっちりで、気分も悪くない。
さあ、後は全力で挑むだけ。
「行こう」
――login.
******
今日はこの街にとって特別な鐘が鳴るとは聞いていた。
けれど月が見える日なんて何年に一度の話でもないだろうから、普段通り鐘の前で歌うだけだと思っていたのだが――
「……どれだけ設定を隠しているんだろうね、この不思議世界観は」
ホームの寝室にログインし、姫翠とトリアートと合流。
まだ余裕はあるけど鐘の所へ向かおうと外へ出て、そこで思わず足を止めた。元より幻想的な街並みであったが、今はそれに輪をかけて現実離れしていたのである。
水晶が光っているのだ。
要するに。
水晶で構成されている建物や地面、壁や天蓋に至るまでが。淡く、しかし普段よりも確かに強い輝きで明かりを灯している。
それだけではなく、蛍のような小さな光の玉がそこら中に、それも数え切れないほど浮遊していた。実体が無いらしく、姫翠が捕まえようとしてすり抜けて不思議そうな顔をしている。
ああ、これはアレか。やっぱりあの隙間から月が見えるのは珍しいのか。
「……っと。今はイベントか」
もうちょっと浸っていたかったが、あまりそう驚いてばかりもいられない。
ここで時間に遅れてしまえばこの二週間の努力が水の泡になるのだ。気が付けば過ぎているのが時間なので、考えるのは後回しにして鐘のもとへと向かう。
歩きながらウィンドウをぽちぽちっと操作をして巫女服を選択。着ていた服が上書きされるように一瞬で巫女服に切り替わった。
私の種族特性として手足が機械で少々ゴツイけど、白衣や千早、袴は違和感なく着ることが出来ている。ただ下着替わりなのが水着っぽいボディースーツなのだが……まあ、ストゥーメリアさん達からは特に違和感なしとお墨付きを貰っているので大丈夫だろう。
それより、ゲームらしくボタン一つで衣装チェンジができるのは楽でいいんだけど、ね。なんだろう、外でやるとどことなく恥ずかしいのは気のせいだろうか? こう、誰かに見られている訳ではないけど露出しているような気分になるというか――あ、今のやっぱりなしで。
次からは着替えるのは屋内にしよう……。
『来たか』
鐘の前に来ると、既に水晶竜が体を起こしてスタンバっていた。
この様子ならもしかして水晶竜も光っているのではと想像していたが、
「がっつり光ってますね」
『うむ、今宵は我の力が十全で発揮される時でもあるのでな』
なんとも物騒な話ではあるが、手を出さない限りは大丈夫だろう。ただ、この水晶竜も影響を受けているという事はあの狼達もパワーアップしてるのだろうけど、この街を目指している探索班は大丈夫だろうか?
クエスト開始から二週間。まだ攻略組はたどり着いていない。
未だこの街には私一人である。
……まあ、今回は仕方がなさそうではあるか。
実を言うと、ボスは一度既に倒されている。
正確には、ボスだと思われていたMobは、4日前に倒された。
忘れていたというかあまり関連が思い浮かばなかったけど、この街は地下にある。
ボスを倒し、攻略組がたどり着いたのは街、ではなく中間地点のセーフゾーン。そして目の前には河が流れ込む鍾乳洞と、細く薄暗い洞窟。
ここまでで中間かよ! と叫んだとかなんとか。
多分その薄暗い洞窟というのが私が通ってきた道なのだろう。中にはワーム系のMobがいたというのだから間違いない。
ただ、ボス狼の案内があった私と違って、攻略組には案内も地図もない。なので複雑に入り組むそこは早々に諦めたらしい。
ではまた船に乗って今度は鍾乳洞だ! と意気込みを入れたのはいいものの。
入って数分、現れたのは先ほどのサメMobに水晶が生えた強化型がご登場。それも複数。鬼かと。
自棄になって戦う攻略組であったが、本当の敵は別であったのに気が付くのに時間は掛からなかったそうだ。
船だ。
鍾乳洞は広さこそあるものの、大きい船だと小回りが利かずに壁や岩盤に当たってしまう。船体を鉄で覆っていたが破損し、あっという間に浸水して沈んでしまったらしい。
攻略法は一つ。
小型船で流れに乗り、サメを避けつつ鍾乳洞を突破する事。ちなみに鍾乳洞は一本道ではなく、当たり前のごとく分岐している。いやだから鬼畜かと。
幸い前半のサメが復活することはなかったので後は小型船を作るだけなのだが、流石に一朝一夕で出来るものではない。
なので今回のクエストには間に合わなかったという事だ。
ま。掲示板見てる限り楽しそうだから問題ないだろうけど。
誰だサメ蔓延る鍾乳洞を銛一つで突破しようとか縛りプレイ考えたの。うん、それはまだいい。少なくとも船は使え。下りだからってサーフボードで行こうとするんじゃない。
元々はクエストに間に合うように行こうとしていたのに、何か色々と吹っ切れてしまったようで。
悪ノリが過ぎたのか縛りプレイどころかボスを題材に映画を撮り始める馬鹿が現れ始め、パーティ募集の項目に『鮫に喰われるリアクションが上手い人』とか書かれている始末だ。限定的にも程がある。
今日はその水晶鮫も強化されているだろうからもう間に合うことはないだろう。
むう、結局ぼっちか。
「おかげで掲示板が荒れぎみけど……これ、私のせいなのかな?」
もともとそんな兆候はあったが、レイドクエストに他のプレイヤーが間に合わないと分かった時からがより顕著になった。
この街は二週間も一人のプレイヤーが独占状態で、レイドクエストもそのプレイヤー。しかもたった一人でも攻略できる可能性があるという、確かに妬まれる要素満載な状況だ。なのでここ数日は掲示板が結構荒れてしまっていたのである。
レイドクエストに関しては多少誤解が混ざっているのだけど……もう今更か。
それにもう収束に向かっているから、ね。
理由は簡単。
"来ない"からである。
新しいマップを探索したいなら、レイドクエストに参加したいなら、現状で一番早いのは鮫もとい鍾乳洞の攻略である。
また、ここ以外にも未開の地は多い。なので"そんなに言うなら前線に来い"と攻略組が言うのだが、結局来ないのだ。ついで、あまりに目につく書き込みは速攻でGMによって対処されるので、大きく騒ぎになることもない。
「まあ、とりあえずこのクエストが終わったら街を離れた方がいいか」
それは夢見さんの助言だ。
今日はないにしても、早ければ明日には攻略組がこの街に辿り着くだろう。そうすれば安全なルートも解放されて人も増える。となると先に辿り着いていた私は嫌でも注目されてしまい、勧誘とかもたくさんあるのだとか。
目立つのが好きな人ならいいが、私は苦手だ。なのでその前に離れた方が良いと言われていた。
クエストが成功すれば、あの塔までの道を開けてくれると眼前の竜は約束してくれている。
ならその道を通って行けるのだろうけど、しかし失敗すれば別のルートを探さなければならないのだ。ないことはないだろうけど、間違いなく時間がかかるのは間違いない。
その時のことを考えるのであれば先にその入り口でも探しておくべきだったのだろうけど――
「そんなこと思いつきもしなかったというか、なぁ」
気づいた後も、結局は失敗した時のことを想定して練習するなんてという考えもあったので探さずじまいだ。
背水の陣とは違うけど、似たようなものか。
「何しろ、私だけ楽する訳にはいかないし」
そんなことを考えていると、フレンドから通信が入っていることを示すウィンドウが表示された。
特に相手を確認することなく通信を許可する。そして画面に表示されたには、
『やっほーカナタちゃん、昨日ぶり』
「夢見さん、こんばんはです。昨日は何やら忙しいそうでしたが、大丈夫ですか?」
『いやー、急な私用でばたばたしてゴメンねー。でも何とか間に合ったし、良かったけど』
笑顔で言う夢見さんの手には少し大きめの荷物が抱えられていた。そのチョイスが実に夢見さんらしい。
それを肩に乗せている姿に違和感はなく、扱っている姿も随分と様になっていた。うーん、この人良いところのお嬢さまではないだろうかと思うことがあるけど、どうなんだろ?
『で、他の連中はまだ来てないの?』
「もう来ると思いますけど――って、来ましたね」
夢見さんと話している間に新しいウィンドウが表示され、そこには更に追加で通信が来ていることを示していた。しかも複数人。
全員に許可を一遍に出し、通信を繋げる。
すると私の前面に四個のウィンドウが追加で現れ、それぞれにフレンド登録をしているプレイヤーが映し出された。
『ふぅ……なんとかワタシも間に合ったわ。まったく、だからあれほど遊び過ぎだと注意したのにねぇ』
流れが急な河に、過去となった街へと続く鍾乳洞なんてそれこそ彼女のギルドの活躍場所だろう。直前まで攻略組との調整を行っていたであろうストゥーメリアさん。
『さあ、これで泣いても笑っても最後ね。私が教えられることは叩き込んだから、後は全力を出すだけよ』
かなり無茶な内容にも関わらず、本当に最後まで付き合ってくれたな、この人も。言っていることは厳しいけど、でもその表情は柔らかい犬軍曹。
『やべー、やべー。危うく寝過ごしかけるところだったよ!』
寝起きでこのテンションとは恐れ入る。ある意味いつも通りな、それでいて全身から楽しそうなオーラが出ているジュンさん。
そして最後のは、
『やっほーぅ、カナタっち! イベントだよクエストだよ元気出していこうにゃー!』
ウィンドウの向こう、ピンク色のツインテールとやたらとデカい胸が揺れている。
そんなに揺らす必要あるのかと思うが、着ているフリル多めの服がそもそも"そういう"意図でデザインされていて、かつインナーさえも特殊仕様なのでこれでもかと強調されていた。あの狐の兄さんやりおるわ……!
どこかジュンさんと共通するテンションの高さでノリに乗っているのは――"とぉね"さん。
そう、目の前のちょっと頭のネジが二、三本抜けたような女性は、あの地味で知的クールな感のあった副部長さんその人なのである。
……いや本当、初めてゲーム内で顔合わせたときは完全にフリーズしたしたなあ。
あまりにも人格が違うのでビビったけど、アイドルの世界ではそんなものなんだとか。嫌な相手でも可愛く愛想を振りまきます、と。芸能界こえー。
「皆さんも準備万端みたいですね」
答える声がない代わりに、それぞれが手に持ったそれを画面に映るように掲げる。
それは今回のクエスト成功の為に必要なもの。
夢見さんはバイオリン。
ストゥーメリアさんはフルート。
犬軍曹はアコースティックギター。
ジュンさんは法螺貝。
とぉねさんはキーボード。
何か明らかに一人頭おかしいのがいるけど、それは各々が一番得意とする楽器であり、私と同様にこの日の為に練習してきたものである。
……ちなみにジュンさんのあれはスイッチ一つで多彩な音が出せる笛の類なので大丈夫だ。何が大丈夫かはわからないけど。
『歌詞があれば当然楽譜もある、ってね。いやー、知り合いに解読頼んだらまさか半日で解読するとは思わなかったけど』
『お陰で準備も早くできたからいいんじゃね? 流石大手ギルド、金と人脈が羨ましいでござる』
『それはいいことなんだろうけど、大きい分面倒も増えるのだけどねー……』
『隣の芝はにゃんとやら、です。とぉねのところも大きければ、スポンサー探しとかしなくていいのににゃー』
夢見さんやジュンさん達は気楽に話すけど、鐘の側面に書かれているという歌詞を見たときに思わず変な声が出たのは記憶に新しい。なにせ、そこには意味不明な文字と記号の羅列があったのだから。
少し考えればわかる話なのだが、確かに歌詞があるのに楽譜がないことはないだろう。しかしそれが日本語だったり五線譜で書かれていることは――有り得ないのである。だってこのゲームだし。
しかしそこは人の縁の力というモノで。
スクリーンショットを一つ撮って二人に送れば、あら不思議。次の日には夢見さんからは楽譜が、ストゥーメリアさんから歌詞の解読した内容を渡されたのである。
ただし。ここで問題が一つ。
私は楽器が弾けないどころか持ってすらいなかったのだ。
さてどうしようかと考え――ぽんと手を叩いて出た案が一つ。
それは夢見さんやストゥーメリアさんがウィンドウ越しに楽器を弾くことである。
なるほど、このフレンド通信は水晶竜含めてフレンドが発した声以外の音も相手先へ伝達している。ならば楽器の演奏もこちらに届くのは自明の理だ。
歌を奉ずるのは巫女である私の役目。だが、演奏自体は私でなくとも問題はないのである。
そして、その話を聞いたジュンさんが閃いたことは単純明快で、
――レイドクエストなんだし、大人数でやればいいじゃない。
準備の仕上げとしてウィンドウの設定を変更して画面サイズを最大にまで変更。するとB5程度だった大きさの枠は一気に広がり、人一人が余裕で通れそうなほどまで拡張された。
そして伸びた画面の向こう、五人の後ろにはそれぞれのギルドメンバー、友人、知り合いが待機しており、やはり楽器を所持しているのが見える。
後は、この人数に注目されると緊張して動けなくなってしまうのでウィンドウの向きや位置も調整。私が前に向いたとき、後ろで広く弧を描くように配置すれば完了だ。
『歌い手が一人に、それを支える奏者が大多数。やっぱりレイドクエストはこうじゃなきゃね!』
『狂人氏も、まさかフレンド通信を利用して演奏するとは想像もしなかったでしょう』
同意するように笑い声が聞こえる。
もしかしたら通信を利用した別の方法もあるのかもしれないけど、フレンド通信のウィンドウをスピーカー代わりにするのは想定外だろう。実際、運営はパニックになってたし。やったぜ。
『運営も"通信越しの演奏でも成功したらクエスト報酬よこしなさい"は驚いたでしょうねぇ』
『先に竜に"演奏は通信越しでもいいよね?"って言質取ったのが良かったのだろうけどにゃー』
おかげで運営は今後のルール決めも含めて一時徹夜になったのだと美凪さんから恨みのメールが届いたけどね。……いかん、後が怖い気がする。
『僕、レイドクエストとか縁がないと思ってたんですけどねー』
『今鮫に喰われてそうな攻略組は知ってんの、この話?』
『後で変に恨まれるのはヤだから、話は通してるさね。でも連中は楽器弾くなんて出来ないから』
『戦えなくとも弾けるウチら勝ち組ー!』
ウィンドウからウィンドウへの会話が行われていて、なんだか面白い。
ここにいる大半のプレイヤーはまったりと趣味に走っていて、戦闘や高度な謎解きがメインになる前線攻略はしていない人達だ。普段は気が向いたらダンジョンに潜り、生産もしたりと、のんびりとゲームを進めている類らしい。
中には私と同じほぼ初心者で、リアルスキルとこの二週間で練習した分のみで参加している人もいるのだ。
『ふつーのゲームならレイドクエストなんてやり込んだ人専用になってくるのだろうけど……やってくれるね、狂人氏も』
誰かがしんみりとそう言い、皆が無言で頷く。
そんな丁度会話が途切れたところで、こちらを楽し気に見ていた水晶竜から声が来た。
《さて、もう刻限が近い。準備は良いか?》
見れば、周囲に浮かんでいる光の玉の量はどんどん増えており、水晶も輝きが強くなっている。
そして広場中央の鐘――鎮鐘がゆらゆらと陽炎を放っていた。天蓋の隙間からは、もうまもなく月がその全貌を見せるだろう。
《鐘が鳴ればそれが合図となる。この二週間、その修練の成果を見せてもらおう》
すぅ、と息を大きく吸う。
私がメインであり、ミスをすればウィンドウの向こうにいる人たちに迷惑をかける。その事実で緊張で体が震えそうになるけど、肩に乗った姫翠と足元のトリアートが大丈夫、と言うように触れてくるので直ぐに収まっていく。
ああ、大丈夫だ。
体の奥に緊張とは別の熱がある。
短距離走のスタートラインに立った時のような、得意科目のテスト用紙を前にした時のような。自分の出せる力を出したいと思える、そんな感覚。
もう一度大きく息を吸って。
皆が楽器を構える音がして。
鐘が、鳴った。