#31 過去に縛られる
「――なるほど。歌が上手くなりたいから、短期間で良いのでここを見学したいと」
それが素だと思うのだが、どこか冷めたような音が含まれた副部長さんの声に思わず体が震えた。失礼だとは思うのだが、そんな反応に慣れているのか副部長さんは気にせず話を続ける。
まず初めに簡単な質疑応答。
練習期間、経験、どこまでのレベルを目指しているか等々。なんとなくバイトの面接とはこんな感じだろうかと思い浮かべたが、むしろ医者の問診のようだと感じる。……どことなく消毒液のような匂いもするし、実家がそうなのだろうか?
「とりあえず無理やり攫われてきた訳じゃなくて良かったわ」
「だからー、そう言ってるじゃん」
「あら、それはごめんなさいね。――全くもって信じられなかったから」
「マジわたし扱い酷くね?」
私たちがいるのは、部室の端っこにあるスペースだ。他の部員たちは既に各々の練習を始めている。楽器を弾いていたり、それに合わせて歌っていたり、ペンを持って楽譜を書いていたりと色々だった。自由と言うかまとまりがないと言うか。
ちなみに部長さんは現在目隠しの上、椅子に縛られている。いいのかコレ。そしてそれを誰もがスルーしているのが何とも。
しかしやはりと言うか、私の話を聞いた副部長さんは難しい顔をしていた。やはり二週間だけ――いや、二週間"も"か――見学という事に難色を示しているようだ。
流石に"ゲームのイベントで必要になったから"とは言わなかったが、それでも条件的に厳しそうである。
こりゃ無理かなーと思ってると、何かを考え込んでいた副部長さんが口を開いた。
「一つ聞きたいのだけど……あなた、帰宅部よね?」
「あ、はい。そうです」
「なら簡単ね。はい、これに記入して」
これ、と差し出されたのはB5サイズの紙一枚。
名前やクラスを書く欄があり、その紙の上部には"入部届"と書かれていた。
……おぅ?
顔に出たのであろう私の疑問に対し、副部長さんが眼鏡の位置を片手で直しつつ答えてくれる。
「許可をしてあげたいのは山々だけど、二週間見学なんて普通はないわ。ならいっそ、入部してしまえば早い話よ」
「おお、純真無垢な下級生に契約書にサインしろと迫る姿は正に外道――ごふぅ」
「別に毎日出ろとは言わないし、週一回でも顔を見せてくれたらいいわ。……ま、私自身も私的な理由でいないことが多いしね」
空いた手で部長さんの脇を抉りつつ、副部長さんはそう軽く言ってのけた。どうやら聞く限り、幽霊部員のような偶にしか来ないような人が割といるらしい。
それに活動内容も”音楽に関する事”のような曖昧なものなので、それぞれが好き勝手にやっているそうだ。
「音楽部、なんて名乗っているけど、吹奏楽部は別にあるからココはかなり適当なのよ。歌は勿論、ピアノ弾いたりギター弾いたり某ボーカルシンセサイザーで動画作ったり」
「……自由すぎませんかソレ」
「にひひっ、それがウチの売りだからねー。動画上げるのだって、一応部活動としての実績に入るよう交渉済みだし」
「なお、強制はしていないからご安心を。ええ、自己責任ですよ。自己責任です」
何故二回言ったし。
なんとも思ってたより自由度が高いと言うか何と言うか。歌は何人かで一緒に練習していたりするらしいので、見たり混ざったりは大歓迎とのことだ。
しかし。
しかし、だ。
見てる限り部室の中の空気は悪いものではない。週一ほどで顔を出せば問題ないそうなので、家事をやらないといけない私でもイベントが終わった後も問題なく参加できるだろう。
が、一番の問題はそこではなく。
「……え、部費?」
「はい、部費です。払えません」
そう、部活動の為の費用。略して部費。この学校では部活動をするなら部費は必須だ。
金額は部活動によって変動するが、少なくともバイトもしていない学生が気軽に払える程、安くはない。普通の一般家庭であれば親が出すか自活の為に子供が働いて出すかのどちらかだろうが……バイトも禁止で親の期待性が皆無な私にとっては致命的だった。
「本気と書いてマジで?」
「マジですね」
私の思いもよらなかったであろう返答に部長さんは目を丸くし、副部長さんは眉をひそめている。
部費は学生にとっては高額でも、私立であるここの授業料に比べれば微々たるものだ。それが払えない、となると家庭事情が特殊であると言っているようなものだろう。
とりわけ私の場合は、
「……でもあなた、あの生徒会長の妹よね?」
「ええ、まあ」
成績優秀、スポーツ万能、スタイル抜群、ただし愛想は欠片も無い。それがこの学校の生徒会長で私の姉である人物だ。
中学で同じく生徒会長やっている弟もスペックは大概だがバランス的には運動寄りで、こっちは頭脳寄り。それに加えて弟は空気を読んで協調性を重視するタイプなら、姉は真逆で我が道を行くタイプなのだ。
そんな姉は今や学校では知らぬ者はいないと言われるほど有名人である。
中高一貫の私学として中々に歴史のあるこの学校は、それ故に古き良き伝統なんて"(笑)"を付けるべき悪習が大量に残されたままになっていた事があった。
それを中学で生徒会長に就任した姉が改革を推し進め、旧体制派と激突――と言うより殲滅・駆逐を開始。何やら教師やら校長やら理事やらの辞任退任交代劇があったが、概ね改革は成功しており間違いなく学校の歴史に名を遺すのだとか。
そして、そんな人物に一つ下の妹がいるとなれば話題になってしまうのが人の噂と言うものである。
私は姉とは違い成績は平々凡々で、見た目も小さい。更に人見知りで一時期不登校経験あり。トドメはお世辞にも美しいとは言い難い灰色の髪。
非常に不本意ではあるが、良いか悪いかは別にして私もそこそこは有名なのである。
この部長さんもどんな噂を聞いたのかは知らないけど、それで私の事を見ていたのでは――
「え、そうなん?」
「「え?」」
あ、副部長さんとハモった。
「……知らなかったの? 噂好きなのに」
「いやいや、わたし噂は流す方専門なので」
「胸張ってるけど、まったく自慢にならないわよ」
「今日気になって見ていたのは確かだけど、その噂とやらとは別だよん」
別、とは一体なんだろうか? あの体育の合同授業以外では他に接点らしい接点は無いはずで、思い当たる節は無い。
一人首を傾げていると、部長さんが何かを納得したように頷いている。
「あー、なるほど。アイツの妹だったんだ。――じゃ、妹ちゃん。今から入部届出しに生徒会いこっか」
「……はい?」
おかしい。
どうもありえない台詞が聞こえたような気がしたけど、気のせいだろうか。あ、もしかして実は夢オチだったりする?
「妹ちゃん、頬をつねっても夢じゃないし気のせいでもないよー」
「意外とノリいいわね、この子」
いつの間にか妹ちゃんとか呼ばれているが、重要なのはそこではなく。
なして部費が払えないとの事なのに入部する流れになっているのだろうか。
「どうせ入部届は顧問経由で生徒会にも行くしね。なら顧問の印鑑貰うついでに凸しよう!」
「あまり他人の家の事情に首突っ込むな……って言っても、もう遅そうね」
「当然! あんにゃろ、昼にいつも学食で良いもん食ってんだから金はあるでしょ」
姉の昼食について"いつも"と言っているという事は、それなりに親しい相柄……なんだろうか。あの私とは別ベクトルで対人性能が破滅的な姉に友人がいるというのに驚きだ。
「妹ちゃん、声に出てる出てるよー」
「意外と辛辣ね、この子……」
そうこう言いつつ急かされるままに入部届を記入させられ、あれよあれよと手を引かれて廊下を歩いていた。
私の焦る内心とは関係なく、手を引く部長さんと呆れたように隣を行く副部長さんの足取りは気楽なものだ。
「だいじょーぶさ。さっき言ってたウチの活動実績の件、アイツに直接交渉したのわたしだぜよ?」
「変に弁が立つと言うか、屁理屈が嫌がらせのレベルで上手いのよね……」
そう気楽に話す二人。
しかし。それでも今からあの姉の所に行くと考えると、自然と脚が鉛のように重くなった。
沈む気分とは関係なく彼女達はあっさりと顧問から印鑑を貰い、事態は進んでいく。訳も聞かずにぽんと押印するのは部長さんが信用されているからか、諦められているからか。……たぶん後者かなあ。
「後は奴に矢文で届ければミッションコンプリートぜよ」
「止めなさい、二度ネタは禁止よ」
一回やったのか、というツッコミはさて置き。
生徒会室――姉のいる場所に近付くほど、鼓動が速くなっていく。
家で顔を合わせるのとは違う。
学校で、生徒会長としての姉と話をしなければならない。それは、過去の巻き戻しの様で。
部費という金銭的な話は実はそう大した問題ではない。
部活動に参加するという事。何かをしたいと、姉に告げるという事。
それを、また、
「んー……。あんまり乗り気じゃない?」
気が付けば、私は静止した自身の足を見ていた。
夕日が廊下を照らして影が伸びていく。またそれも、記憶の中と同じ光景だ。
ああ。
やっぱり、だめだ。
手が震える。
汗が冷たい。
心音が煩い。
息が苦しい。
かつての言葉が。
思い出さない方が良いのに、そう思うほどより鮮明に頭の中、鈍い痛みと共に反響する。
頭が酷く痛い。
耳鳴りが煩い。
吐き気がする。
視界が狭まる。
頑張った。努力した。何度も。ただ、ちゃんと見てほしくて。
それなのに。
「どうせ――どうせまた。才能が無いって。何をやっても無駄だって」
そう言われるに決まっている――
「地味に痛いデコピン!」
「!?」
ゴムでも弾いたような軽快な音と額に衝撃を感じ、暗くなりかけた意識が強制的に引き戻される。
思わず顔を上げると、やはりドヤ顔をしている部長さんと顔を青くしている副部長さんがいた。
「ちょ、ちょっと。大丈夫なの?」
「あ、ええと」
言われ、荒くなっていた息を整える。
深く深呼吸すると、黒く濁った気分が薄くなっていく。手のひらも背中も汗でびっしょりだが、それぐらいだ。……いや、あとは額の一点が地味に痛いぐらいか。
「突然驚いたわよ。急に顔が青白くなって、今にも倒れそうになるもの」
「……すみません」
今までは意図的に避けていたから気づかなかったが、昔に引き籠った原因はものの見事にトラウマとなっているようだ。ここまで色々と影響が出るとは自分もビックリである。
もう一度深呼吸をすれば、晴れやかとは言わないけど十分に気力は戻った。
……というか。
冷静になって周囲を見渡せば結構目立ってないかな、この状況。
あの部室から生徒会室へ向かうには人通りが多い中央の校舎を通る必要があり、私が立ち止ったのは丁度そこだったらしい。見渡せば、何人かの生徒がこちらに注目していた。
「ああっ!? くっそ、傍から見れば年下イジメるわたしの図じゃないか!」
「それは風紀呼べというフリ?」
「呼ぶなよ!? ほんとに呼ぶなよ!?」
なんでこの人たちは毎度ネタを挟むのだろうか。
「ま、このまま行っても倒れそうだし、ちょっとリフレッシュしよっか。丁度近いし」
「近い?」
この辺りになにか休める場所なんてあっただろうか?
また手を引かれて連れてかれたのは外。校舎もそうだが、グラウンドや中庭の類もバカみたいに広い。その木々が植えられた一角に向かうとそこには――