#29 時間とついでに背丈が欲しい
「――で、姉ちゃん。帰ってきて早々こう言うのも何だけど、頭大丈夫?」
「それはどっちの意味で言ってやがりますかコンチクショウ」
「暗い部屋で頭抱えて言語中枢おかしかったら、そりゃ心配にもなるよ……」
旅行から帰ってきた弟に早々、頭を心配される私がいる。レイドボス対策を考えることに没頭していたら、外が暗くなっていることに気づかなかったようだ。
明かりも付けず、一人机で頭を抱える私……うん、客観的に見ても酷い絵面だな。
まあ私の事はちょっと放っておいてくれとか言うか、現状では考えることが多いので仕方がない。
それより今、まだ旅行鞄を手に持ったままの弟に言うことは、
「それよりさっさと下に行ってきたら? あまり待たせると煩いよ、間違いなく」
リビングでは両親と姉がお互いの旅行の話をしている筈だ。弟も行けば、土産の交換でも行われるだろう。
「盛り上がるかは別にして」
「姉ちゃん、今からそこに行く僕に対して酷くない?」
「そうは言っても、あの似非旧家みたいなノリで会話するとか拷問だと思うのは私だけ?」
はい、お約束ですが目を逸らしたのでアウトです。
他人なら兎も角、親に対して敬語使って笑顔貼り付けて話しろとか何の罰ゲームかと。いつからウチは上流階級になったんだ。
あれ、傍目に見てても気持ち悪いのだけどなあ。弟がまだ行こうとせず、私と話をしているのはちょっとでも引き伸ばしたいからだ。
「……姉ちゃんはやっぱり行かないの?」
「無理に決まってるでしょ。行ったところで無視されるのがオチだし、そんなのに時間潰す気はないよ」
なんで自ら針の筵に突っ込まないといけないのか。
目下、あの夢見さんの紹介で知り合った教官、もとい鬼教官のカリキュラムを二週間でこなさなければならない。今はその為の明日以降の行動内容を考えなければならないのだ。
ちょっと後悔してるとは言え、せっかくのクエストを攻略したいと色々モチベーションが上がっている。わざわざそれを下げようとは思わなかった。
早く行けと手を振り、また机に視線を戻す。
そこに置かれているのは数冊の本。勿論、歌うことに関する書籍だ。わざわざこの為に買った――訳はなく、近くの図書館で借りてきたものである。そんな金があると思うてか!
「幸い発声練習出来そうな場所は近くにあったし、学校の音楽部も合唱とかしてた筈だから明日見に行くとしよう……けど、なあ」
ゲームでは鬼教官から指導を受け、リアルでもコツを掴むために練習する。やっている事は単純だが、あと二週間内に上達しろとなると簡単ではない。
「時間がない。これに尽きるか」
この家では家事全般は私がしているので、そう多く時間を取ることはできない。朝食にゴミ出しと夕食、掃除に洗濯、その他諸々。
これ、非常に面倒ではあるのだけど、私がやらないと悲惨なことになるしなぁー……。外面整えるのは得意なのに、なんで揃いも揃って家事が壊滅的かね? 前に私が完全に引き籠ってそこを放棄した時は、多分どこかにGが湧いていたのではと思うほど惨劇と化していたぐらいだったし。殺虫剤を置く前に掃除をしろと言いたい。
そんな訳で時間は非常に限られている。
基本方針はリアルで実際に声を出してコツを掴み、ゲーム内にてスキルの補助で感覚を覚えていく。本格的な練習は時間が倍となるゲーム内でやることになるが、リアルでの練習が一番重要になる。その時間配分がポイントになりそうだ。
さてどうしたものかと頭を抱えていると、まだ弟が部屋の前に突っ立っていることに気が付いた。
「どうかした?」
まだ何かあっただろうかと疑問を投げると、何故か弟はすごく微妙な顔をしている。視線がうろうろ彷徨い、しかし結局定まらない。
そして出た言葉は、
「……姉ちゃん、何かあった?」
「はい?」
「ごめん、やっぱりなんでもない」
そう言ってあっさりと階下へ去ってしまった。
いや、なんでもないて。すごく気になる引きをしてくれるなこの弟め。
「はっ、これが反抗期か!」
どこからともなく"なんっでやねん!"と関西弁のツッコミが聞こえた気がしたが、幻聴なのでスルーする。
うーん、なんだったんだろうか?
「ま、いいか」
思春期男子の思考なんぞ私に分かる訳がない。
それより今は目先の問題だ。
なにしろ紹介されて開口一番に教官が言ったのは、
『――厳しいわね』
あまりにストレートすぎて涙が出そう。
歌唱スキルを持っている人、と夢見さんに呼ばれてやって来たのは何故か竹刀を片手に持ったジャージ姿の女性。服装はファンタジーの欠片もないけど、ある意味ファンタジーな姿をした女性は、あらかじめ伝えられていた状況と私の歌の経験を吟味してそう言った。
『この歌唱スキルというのは結構"捻くれた"スキルなの』
使えないスキルだとか、地雷だとかなら分かる。しかしこのスキルはそうではなく"捻くれて"いると言う。
その意味を彼女は話す。それは伝聞ではなく実際に体験した内容だと、真っ直ぐにこちらを見る目が物語っていた。
『確かにレベルが上がればそれ相応の補助がつくわ。ただし――プレイヤースキルがなければ致命的になる類の、ね』
普通のスキルならレベルが上がれば補助精度やステータスの向上があるけど、それがプレイヤーにとってプラスに働くかは別である。その一つが"歌唱"。レベルが上がれば上がるほど、プレイヤースキルの差があからさまに大きくなってくるスキル。
『そうね……例えるなら、このスキルは"楽器"なの。スキルレベルが上がれば出せる音や使えるテクニックは増えて音質も良くなるけど、その分プレイヤーにそれを扱う技能が必要になるのよ。カスタネットが気が付いたらドラムセットになっている感じ?』
言いたいことは分かるのだが。
なるほど、確かにそれはひどい。
初めて扱う楽器で、更にどんどん扱いが変わる代物を練習もせずに引ける人は……いないこともないのだろうけど、ごく少数だろう。故に、練習が必要になる。それも現実と仮想との両方で。
『上手い人、と言うより"自分がどんな風に歌えるか"を理解している人はスキルレベルが上がってもブレないのだけどね。単なる想像に妄想、憧れだけで歌うとスキルに"歌わされている"感が凄いから』
ゲーム開始当初は歌手やアイドルといった称号、プレイスタイルを夢見たプレイヤーが多くいた。が、その大半がゲーム内なら時間が倍なのだから仮想空間で練習をしていれば問題はないと思い違いをしてしまい、結果挫折して要らぬ称号を得る羽目になったのだとか。鬼かと。
無論ゲーム内の練習だけで上手くなる人もいるにはいるのだが、それもまたごく少数だ。
『そのクエストがどれくらいの技量を求められているのか分からないから――ちょっとハードに行くわよ?』
いや、うん、ありがたいんですが。目が怖い、と言いますか。
……夢見さん、なんで遠い目をしているんですかね? ストゥーメリアさん、なんで合掌とかしているんですかね?
『とりあえず現在の技量知りたいから、今からここで歌ってもらって――それから、やり方教えるからログアウトして発声練習してきてね』
えっ。
発声練習?
メニューを開き、時計を見る。
もう夕方なんですが。
『うん、まだ夕方ね。大きな声出すから広い公園とか河川敷とか海辺とかが定番よ。大丈夫、余裕余裕』
何が余裕?
『最初は恥ずかしいかもしれないけど、一度やると慣れてくるわよ? 夕方だったら薄暗いから顔もあんまり見られないし』
私ちょっと人前で大きな声出すの苦手なのですが。
『その辺は気合で』
マジですか。
『マジね。本当ならそんな恥ずかしがり屋な人向けのもあるけど、時間ないし。それか、あなた自由に使えるお金……リアルマネーはある?』
ないです。欠片も。
『即答……。ならカラオケボックスは使えないわね。諦めなさい』
orz。
『カナタちゃんの私生活が気になってきたのだけど』
『夢見、通報するわよ。……で、夜は確かに人がいないけど、流石に日が落ちてからは発声練習してると不審者扱いされることがあるからダメね。詳しくは聞かないけど、学生なら補導もされるかも』
……本来ならこれを聞くのはタブーになるかもしれませんけど、私はリアルが何歳ぐらいだと想像してます?
『知り合ったばかりだから、見た目で言うなら中学生ぐらい』
『ええと、しょ、中学生かな?』
『大穴で高校生かしらねぇ』
一瞬、これゲームのアバターだからと言い訳が思い浮かんだけど、よくよく考えたらランダム選択かつ種族補正は皆無なので体型はそのままだったと思い出す。脚の甲により多少身長が高い程度である。
……こうもはっきりと現実知らされるとつらいわー。
『ああっ、カナタちゃんが体育座りで端っこに!?』
『ワタシが当たりだったようねぇ……』
……と言うか夢見さん。あなたは風呂の一件で私のある程度の年齢知ってますよね。インナー解除は小中学生には不可能ですよ。
『(゜ロ゜)』
少しどころではなく心にダメージを負ってしまったが、しかし教官は気にせず続ける。
『ま、それはともかく。時間がないのは本当だから、発声練習とか以外にも色々やってもらうから――覚悟しなさいね?』
さて、ここから二週間。
どうにかなる……のかなぁ?