#27 ただいま熱血鬼指導週間実施中
「らー、らー」
『声が小さい! ちゃんとお腹から声を出して!』
「らー! らー!」
『そうじゃない! 喉に力を入れず、リラックスさせて声を響かせるのよ!』
「らぁー! らぁー!」
『ちがぁーう! スキルの補助に頼ってないで、ちゃんと感情も込めなさいっ!』
『……これ、いつまで続くのかしらねぇ』
『……もはや当初の目的が行方不明な気がしてきたんだけどなー』
不思議な色合いをした水晶に囲まれた、世にも珍しい広場。
現実にはあり得ないVRならではの光景だが、その中央に位置する場所で、何故か鬼教官にしごかれる私がいた。
仮想空間で肉体的には疲れない筈なのに、喉が枯れたと錯覚するほど声を張り上げている。そして声を上げる度にフレンド通信のウィンドウからやたらと熱血な指導が返ってくるのだ。誰だ向こうに竹刀とか持たせたの。
『今日はここまでっ! 明日も引き続きやるから、ちゃんとリアルでも発声練習して実践する事! いいわね!?』
「……はい」
『声が小さいっ!!!』
「はいっ!!!」
その返事を聞き、鬼教官が満足そうに頷いてウィンドウが閉じた。
それを見届け、その場に崩れ落ちるように座り込む。ああ……やっと終わった。
『おつかれー』
そう言って水が入ったボトルを差しだしてくれたのは、小さな羽根で飛んでいる姫翠だ。どうやらトリアートに乗って水を汲んできてくれたらしい。ボトルはあのワインが入っていたもので、全部飲み干すと空のボトルというアイテム名になりホームに置いていたのだが、それを使ったようだ。
うちの子達はホンマええ子やで……。
一気にあおると、喉を冷たい水が通る感触がきた。仮想であっても喉を酷使した後は冷たい飲み物がとても美味しく感じられる。
「はぁー……」
《随分と疲れているな》
一息ついているところで、そう声を掛けられた。
大きく、まるで重低音の楽器のような声だ。一言で表すなら――渋い。
その声の発生源はすぐ近く。
時を告げる鐘の傍で鎮座している、巨大な水晶の塊。
竜だ。
そしてこのエリアのレイドボスでもある。
もう一度言おう。
このエリアのレイドボスである。
「まあ、ここ連日ですし。いい加減慣れては来ましたけど」
《大変だな。我としては感謝すべき事ではあるが、しかし無理はせぬことだ》
……原因は貴方なんですけどね。とは言いたいが言わないでおく。それで怒るような相手ではないだろうが、しかし余計な事は言わないのが円満な人間関係を構築する術なのである。うん、相手人違うけども。
言いたいことはそれだけだったのか、首を下げてそれきり話さなくなる。
それにしても、
「レイドボスに気遣われるとか、これ世界初ではなかろうか」
『そもそもボスの隣で鬼レッスンしてる時点で頭おかしいと思うんだけどね?』
『以前に街中にレイドボスがいる時点でおかしいわよ』
独り言を呟いたつもりだったのだが、横からツッコミが返ってきた。さっきから表示しっぱなしだったウィンドウが二枚――夢見さんと、ストゥーメリアさんだ。
夢見さんは呑気に茶菓子食べながらまったりしていて、それとは対照的にストゥーメリアさんは頭痛そうにウィンドウを幾つも操作している。
「まだまだ合格点は貰えないので、時間かかりそうですね……」
『いいんじゃない? あの条件で、素人が一発クリア出来たらそれはそれで凄いと思うよ』
『プロでも練習なしは難しいわよ。それより、今日までで"歌唱"スキルはどれだけレベル上がったのかしら?』
言われ、ウィンドウを新たに出してステータスを確認。今の私のステータスは、
■ステータス
名前:ハルカカナタ
種族:機人
称号:優しき奏者
ATK:D-
VIT:D
INT:D-
MND:D-
DEX:D
AGI:D
LUK:-
■スキル
・ラビットジャンプK Lv.1
・ウォルフステップ Lv.1
・ブースト[種族専用] Lv.1
・釣り Lv.1
・細工 Lv.1
・探索 Lv.2
・親和 Lv.2
・料理 Lv.3
・持久 Lv.7
・歌唱 Lv.15
■種族特性
・視覚拡張 Lv.1
・機能拡張"フレンド通信" Lv.MAX
◆レイドクエスト参加中
『……正直、レイドボスを前にしている人のスキル構成じゃないわねぇ』
『でもゼロからここまでよく頑張ったよね、この一週間』
「よく耐えた、私……」
『まだ終わりは見えないけどねぇ』
「ひぃ」
そう、一週間。
レイドクエストが発生してから、つまりあの水晶竜と遭遇してから既に一週間が経過していた。私も驚きの時間の速さである。
その間にも連休は終わり家族が旅行から戻ってきて、平日には学校があった。が、そんなどうでもいい出来事は私の記憶に残ってはいない。……土産もなかったしねー。
そしてここ一週間の私のスケジュールはリアルでもゲームでも過密だったのだ。
・朝
早起きしてランニング。
近くの人気が無い場所でボイストレーニング。
帰宅後、私と弟と姉の分の朝食を作って登校。
・昼
学校で授業、ではなく携帯端末で"歌い方"について検索。
放課後は"音楽部"へ行き、練習に参加させてもらう。
・夕~夜
スーパーに寄って夕飯の買い出し。
帰宅後に作るのが簡単な夕飯を作って食べてから風呂。
ゲーム内で鬼教官に日付が変わるまでしごかれる。
うん、何しているんだろうね私は。
塔を目指していた筈が、何故か歌手でも目指しているかのような生活スタイルになっていた。解せぬ。
『ねね、いっそどこぞのオーディションとか受けてみない?』
「絶対にお断りします」
残念そうな顔しないでください夢見さんや。
ため息を吐き、街の方を見る。
私がこの街に着いてリアル時間で一週間経過したが、しかしまだ門は開かれていない。もう毎日の事となったが、難しい顔をしているストゥーメリアさんに声をかける。
「正規ルート探索班はまだ来れそうにないですか?」
『そうねぇ……船を設計レベルで見直さないといけなくて、素材集めもやり直し。加えてボス対策も必要になったから、まだまだ時間がかかりそうよ』
『やっぱり河下りはすんなりいかなかったかー』
『高速移動して不安定な船の上で、その船を狙って来るサメ型ボスと戦えって舐めているのかしら』
「むしろなんで河にサメ?」
今日も今日とて開発は素敵な具合に鬼畜らしい。
先週の段階ではあっという間に正規ルートが発見されて必要な素材も瞬時に集められた。さあ後は造った船で河を進むだけ――なんて、思われたのだが、しかしそう簡単にいかぬと問屋が卸さなかった。
ボスのご登場である。しかも単純な戦闘ではなく、VRならではの特殊環境下でのボス戦だ。
従来のゲームなら画面の向こう側のキャラクタは多少足場が悪かろうが平然としていて、アクションでも大体は垂直に立っている。が、残念ながらそんな非現実的なルールはここに存在しない。
そもそも船は渓流下りのような状況でひどく揺れており、まともに立つことも叶わない。そこを悠々と泳ぎ襲い掛かってくるボス。体当たりで見事に船諸共、藻屑と化したとか。
『今は船の大型化に加えて装甲の追加をしているわ。見てる感じなんだか戦艦じみてきたけど、色々と大丈夫かしら?』
「次で五回目の挑戦でしたっけ。もう自棄になってませんか」
『普通、水中の相手なら"泳ぐ"系のスキルを取得して戦うのがセオリーなんだけど……。流れ早すぎる河では難しいみたいだね』
だからって戦艦拵えてどーする生産職。浮くのか。河だぞ。そう幅は広くない上に底もそう深くないぞ。
『そこも含めて本職の船大工どころか軍オタまで出てきて楽しそうよ? 間違いなく時間はかかりそうだけどねぇ』
「……ヘルプが期待できないのは理解しました」
再度ため息が出てしまうが、もうとっくに幸せも底をついていそうだと苦笑する。またボトルを傾けて水を喉に流し、体を冷やす。
空を見上げれば天蓋の隙間からは星空が覗いていた。もうリアルでも夜遅い。明日も学校なのでそろそろホームに戻ってログアウトしよう。
「それじゃあ、今日はこの辺で失礼します」
『うん、おやすみー。さーあ私はこれからサブマスをカジノから引きずり出さないと……』
『おやすみなさいねぇ。もう後半分だから、頑張りなさいな』
そう別れを告げて、通信が切れる。
後に残されたのは私とおねむの姫翠とトリアート、そして水晶竜だ。
《先の女子も言っていたが、次に鎮鐘が鳴るのは一週後。もし巫女として歌を奉ずるのであれば、鍛練は怠らぬことだ》
頷きを一つ、竜に一礼をしてからその場を後にする。
鍛練を怠るな、という事はまだレベルが足りていないのであろう。まだまだ地獄が続くようである。
姫翠は頭の上に乗せてトリアートを両手で抱え、薄暗く、しかし万華鏡の様に小さな明かりが煌めく街中を歩く。
「あと一週間か」
呟きが漏れるが、聞く人は誰もいない。
早く他のプレイヤーが来ないかと思うが、話の限りではギリギリか間に合わないだろう。
ちなみにゲーム内での暦は面白い事になっている。ゲーム内時間がリアルの倍になっているため、曜日も倍になっているのだ。
月火水木金土日とあるのはリアルと同じだが、そこから更に上弦・下弦なんてものがある。つまり月の上弦、月の下弦、火の上弦、火の下弦……という風に続き、上弦・下弦を合わせてゲーム内四十八時間で"一日"となるのだ。
これは一週間単位なら分かりやすいが、日単位となるとややこしいのでNPCとのやり取りに混乱するとかなんとか。ついで一年は逆に半分で、十二ヶ月じゃなくて六ヶ月だったりする。
……ま、それは兎も角として。
「にしても、よくもまあこんなレイドクエストを用意したと思うよ、ほんと」
突発的に、前兆すらなく発生したレイドクエストと、強烈なインパクトと共に現れたレイドボス。MMOに限らずアクションでもRPGでも、突然目の前にボスが現れたのなら"戦う"か"逃げる"かが普通だろう。そう、普通であったのならば。
確かにメッセージにはレイドボスと遭遇したとあるが――だから倒せとは書かれていない。
RPGでは条件を満たしていればボスを回避するなんてイベントもあるが、それと似たようなものだろう。表面上は似てるだけで、全くの別物だけど。
なんともまあ、どうしてこうなったと言いたい状況ではあるけども。
しかしそんなに悪くないと思っている私がいることに、私自身が驚きを感じている。
「こんな時間切り詰めて努力するとか、必死になって頑張るとか。……もう二度とやらないと思ってたのだけどなあ」
ゲームだからか、目的が違うからか、手助けしてくれる人がいるからか。それとも、その全部か。
以前のは単に穴掘っていただけとするなら、今は井戸を作るために穴を掘り進めているようなイメージだ。それも掘るごとに水が染み出してきているような、ハッキリと分かる手応えがある。つまりはスキルレベルだが。
「でもスキルに頼り過ぎて怒られたけど」
そこが難しい所だ。
練習をしていれば確かにスキルレベルが上がり、歌唱の場合は補助として声が響きやすくなったり、思った通りの音程の声を出せるようになったりする。が、あまりそれに頼り過ぎると今度はスキルがあまり上がらなくなってくるのだそうだ。
……分かる人にはスキル使ってるかどうか、微細な違いでも把握できるらしい。鬼教官すげー。
ホームに戻り、トリアートは毛布を置いた専用スペースに入れる。もう姫翠が寝ているからか、小さな紳士は軽く尻尾を振るとそのまま丸くなった。おやすみー。
そして私も寝室に入り、姫翠を起こさないように注意しながら布団に入る。
「まあ、後一週間。ちょっと久しぶりに気合入れてみよう」
目を閉じれば、一週間前の出来事が目に浮かぶ。
それを思い返しながら、そっと意識を手放した。