#23 おはよう、おやすみ
風呂上がり。
それはやはりゲームだろうとなんだろうとサッパリするものだとよく分かった。コーヒー牛乳は流石に無かったので残念だが、ワイン飲んだのでそこは次回か。
「あ、あの……ハルカカナタさん?」
いやーでも狂人氏は凄いね、いや本当に。ここまでリアルに再現したのには正直脱帽する。お風呂の気持ちよさとか、お酒の美味しさとか、この酔いが醒めた時の絶望感とか。
うん、最後のは何か違う気がしなくもない、が。ははは、ヤダナー背中を流れる冷たい汗とか凄いリアルだなぁー。
「か、カナタさーん」
『今は放っておいてやれ、美凪。星の奴も呑み会後はこんなものだろう』
「いえそうですけど、そうなんですけど。まだ若いのに星先輩のようになってしまうのは気が引けると言いますか」
『お前さんも地味に酷いな……』
今なら分かる、分かるよ夢見さん。
恥ずかしさのあまり布団に篭ってしまうその気持ちが!
『まっかっかー』
余計な事は言わんでよろしい。
人の顔見てケラケラ笑っている姫翠を布団に引きずり込む。きゃーと楽しそうにしているが、あまりこっちに余裕はないんだよー。
正気のつもりだったんだけどなぁ。酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言ったもので。
とりあえず風呂から出て、タオルはあったので体を拭いて服を着て、隣の寝室に入って、そのまま布団の中で丸まった。いっそログアウトしてしまいたかったが、美凪さんが来ているので何とか思いとどまりましたよ、ええ。
うーん、後で夢見さんには謝るべきなのか、それとも全部すっぱり無かったことにしてしまうべきなのか。……そこはなるようにしかなりそうにないな、くそぅ。
しばらく布団の中で悶えていたが、しかし何時までもこうしている訳にはいかない。あまり一人でうだうだしていても思考が深みに嵌るだけだし、何より美凪さんを待たせたままだ。
何とか気力を振り絞ってもぞりと身を起こす。
「……落ち着きました?」
「……少しは」
こちらを心配そうにのぞき込んでくるこの人はマジ天使です。いや種族的な話ではなく。
『持ち直したのならさっさと話をしようか』
ようやく起き上った所で、美凪さんの横に展開されたいたウィンドウから声が聞こえてきた。まるで刃物を連想させる、重く鋭さのある女性の声。なんだろう、女傑という言葉が思い浮かんだぞ。
『と言っても単なる報告のようなものなんだがな。安心しろ、直ぐに終わる』
直ぐに終わるのは私の命ですか、と聞きたくなるようなバッサリ感。凄いな、ウィンドウが横向いてて姿は見えないけど、そこに女王様が映っていても不思議じゃないと思えてしまう。
その飾りのない言葉に私は気にならなかったのだが、どうも美凪さんには不快だったらしい。端正な顔が不機嫌気味になっている。
「紗々沙主任……ご迷惑をお掛けしたのはこちらなのですから、その言い方はどうかと思うのですが」
『固いね、お前さんは。ならハルカカナタだったか、君はどうだ? 長ったらしく一から丁寧に言い訳と謝罪を織り交ぜつつ話をするか、面倒なのは抜かして要点だけ話をするか。どっちがいい?』
「面倒なのは抜きで」
思わず反射で答えると、美凪さんががっくりと肩を落とした。まあ不具合の影響を受けたのは私なので本来なら美凪さんの方が正しいのだろうけど……今は正直さっさと話を終わらせて眠ってしまいたい。
ログインしてから歩き通しで精神的に疲れていた上に、風呂入って酒飲んで追加ダメージというかクリティカルである。こんな時は寝てしまうのが一番だ。
『話が分かる子は嫌いじゃない。なら、お望み通り簡潔にいこう』
そう言って私の横にウィンドが開くと、そこには本当にざっくりとまとめた内容が書かれている。
『君が気になる点としてはそんなところか。まず最初に、あの通信に倫理制限解除したプレイヤーの姿が映るのは純粋なミスだ。開発連中の仕業ではない』
「その説明入る時点で何かおかしくないですかね」
「……ご存知の通り、少しアレな方が多いので」
開発陣どれだけやらかしているのだろうか。
そして美凪さん、お疲れ様です。
『既に修正は完了し、制限解除をしているプレイヤーに対してはあの拡張機能及び類似のスキル、アイテムは無効になる。元より制限解除中は通信自体できない筈だったのだがな』
VRMMOというジャンルは従来のゲームとは全く異なるタイプだ。加えて実プレイ時間と比例するスキルや称号、自由に行動するNPCにMobと、決まったパターンでのテストが不可能に近い。更に基礎を作ったのは既に故人なので、隠れた機能や仕様が多数あるのだとか。
そもそもよくそんなのをゲームとして出そうとしたな……。
『それとログを見たが、あの時に君の姿を見たのはプレイヤー:七色夢見だけだ。他は見ていない』
「それは不幸中の幸いですけど、そんなのもログで分かるんですね」
「そこまで詳しいログが残るのは一日程ですね。一応規約にも書いているのですが……」
『誰が読むんだあのバカみたいな長文』
「書いたの主任ですよ!?」
とりあえず美凪さんが地味に苦労人なのは分かった。
なんでこの人ここでGMとかやってんだろーね。変人な上司と変態の開発に振り回されている常識人枠……の筈。実はぶっ壊れた夢見さんみたく一癖あったりするんだろうか? ああ、そういえばこの人厨二入ったことが、
「……何か失礼な事を考えていませんか?」
「いえいえいえ」
その天使な笑みで背筋の凍るフラットボイスは止めてください。割と命の危険を感じるのですがっ。
『さて、詳細はシステムメールで送付してくから気が向いたら呼んでくれ。後はそこの美凪から受け取ってくれ』
「受け取る?」
何をと思ったら、私の眼前にシステムメッセージが表示される。そこにはいくつかのアイテムが表示されていた。
あー……侘びの品、と言う奴ですか。
「受け取らないという選択肢は――」
『無いな』
無いですか。
前回はいけましたけど?
『運営としては、前も本当は無理やりにでも渡すべきだったのだが。それに今回のは最悪裁判沙汰になってもおかしくない話だったからな』
「その分ラインナップは前より良くなっていますので、最低一つでもお選び願います」
……無敗を誇るお抱えの弁護士軍団を相手にするつもりはないのだけどねー。
見れば確かに前の微妙過ぎた課金アイテムよりも実用的な品々になっている。それを最大で三つ選択可能とは中々に太っ腹だ。
内容としては長時間特定のステータス向上や、各種回復薬セット、以前貰ったことのある簡易裁縫キット等々。うん、確かに前の課金アイテム類より遥かに良い。アフロになる育毛剤とか誰が買うんだよ。
「それにしても、やっぱりほぼ消耗品なんですね。公式の過去記事とかでも載ってましたけど、こんなところにまで関わってきているとは」
『その辺りは基礎製作者の意向だからな。ガチャは実装できないし課金アイテムもネタアイテムに限定されていて、ここでも一定以上のレアリティの物は渡せなくなっている』
「課金が嫌いだったのか、それとも努力せずにレアアイテムが手に入れられるという事が嫌いだったのか。今となっては分からずじまいですね」
最近のゲームはVRMMOでなくともネット接続がほぼ必須なのだが、同時にダウンロードコンテンツやガチャと言ったリアルマネー要素もまた当然のようにあった。しかしこのゲームはどうも狂人氏がそのようなシステムを組めないよう徹底的に妨害ロジックを仕込んでいるのだとか。
当時の社長が無理やり重課金要素を入れようと指示したが失敗し、危うく全データが吹っ飛びかけたとかでニュースにまでなっていたなあ。
と、そんな事より今はアイテムを選ぶしかないな。一覧をざっと見て、気になったものは詳細を確認する。
うーん、これは要らないし、これは……後でもいいな。となると残りは、
「……ならこれで」
『これまた見事に無難なものを選択したな、君は』
聞こえる声にも美凪さんにも苦笑されるが、個人的には悪くないチョイスだと思わなくもない。
私が決めたアイテムは数少ない消耗品ではないアイテムで、
「野外調理セット、ですか」
「調理器具以外にも皿やコップも付いているのが嬉しい品ですね」
見た目は正方形のクーラーボックスなのだが中には鍋や包丁に皿などが収納されており、天板を外せばコンロ――IH仕様――も付いている。燃料は? と思ってヘルプを見たら、なんとMP消費だった。消費率は大したことないからいいんだが、相変わらずファンタジーなのかそうじゃないのか……。
水も同じくこれまたMP消費で出すことが可能だが、こっちはかなり割高。それも"普通の水"なのでレアリティや品質としては調理で使える最低ラインなのだろう。
「でも現地の水を使用するのも醍醐味ではなかろうか」
「……誰に説明しているのですか?」
『気にしてやるな、そういうお年頃だ。美凪もよく理解できるだろう?』
「いえいえ美凪さんほどではないですよ。大人になっても童心を忘れていないその心。そこにしびれない憧れない」
『GMやってプレイヤーの言動を直に見ている影響なのか、学生気分が抜けていないだけなのか。ま、ウケは悪くないから構わんがね』
「……何故巡り回って私が被害受けているのでしょう」
他にも簡易調合キットやら細工キットなどもあって心惹かれたが、それらは街でも買えるしダンジョンでも入手可能な代物だ。あると便利なのは確かなのだろうけど、一品物ではないのでここで手に入れておかなくともいいだろう。
私としてはこれで十分なんだけどな。美凪さんが困った顔しているという事は、運営側としては出来れば上限で貰ってほしかったのだろう。
『欲がないな君は。事あるごとに侘びを寄越せと言い出すクレーマー連中に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぞ』
「あまり貰い過ぎてもゲームを楽しめないので」
「そう言われてしまいますと、こちらも弱いのですが……」
うーん、とお互いに悩むが、私としてもこれ以上は不要だ。あまり貰い過ぎても後が怖い気がしなくもない。
と、画面の向こうが静まり、何やら考え込んでいるような雰囲気が伝わって来る。
『(精神バイタルでは警戒の色が強く、不信にも反応アリか。自分が被害を受けてもその対価が信じられないとは、若いのに厄介な人格形成をしているな)』
「紗々沙主任? どうかしましたか?」
『いや、なんでもない。……ん? 待てよ』
なんだろう、今の”いい事を思いついた”的なのは。同じことを思ったのか、美凪さんが若干引いている。
そして見えていない筈なのにニヤリと笑ったのが分かった。
『そうだな、そんな手もあるな』
「しゅ、主任?」
もはや涙目の天使さん。そんな内心を反映しているのか羽根がせわしなく動いている。
ひっじょーに嫌な予感がするが……するが、あれ? なんだかその嫌な予感の対象が私ではないような気がするのだけど……?
『ふむ、確かこの辺りに……ああ、あったあった』
コロコロコロ……。
「え、ちょっとまって下さい今何か転がす音が」
『なるほど。おい美凪、お前――これからハルカカナタと添い寝な』
「「……は?」」
……さて、なんでこんな事になってるんだろーなぁ。
「ええと、なんだかもう色々すみません……」
目の前、美凪さんの顔が本当にすぐ傍にある。こう困り顔ばかり見ているけど、それでもやはり非常に整った顔立ちだとそう思う。改めて間近で見ても不自然さは何処にも見当たらない。
そんな美凪さんは白いワンピースの寝間着になっていてどこの聖女状態なのだが――今は私もその黒バージョンを着て二人同じベッドに入っていた。倫理規制は戻したので手足も元の装甲に覆われた形に戻っているが、布団の中でも違和感はないのがやっぱり不思議。
若干大きめとは言え本来は一人用のベッドでは、二人+αもいるとやはり狭い。結果として距離が物理的に縮まるのは必然だった。それに美凪さんは大きな羽根のせいで仰向けに寝ることが出来ず、お互いに背を向けることも出来ない状態なのである。
「まあ、どのみちこれから寝るつもりだったからいいですけど……」
『いっしょー』
コヤツはとことんお気楽だなー。
姫翠は私と美凪さんの真ん中で俯せになっていた。ちなみになんだか空気なトリアートはベッドの傍で毛布に丸まっている。
「それでもまさか私の夜勤明けを理由に一緒に寝ろって、どんな思考回路をしているのでしょうか。もう」
(聞く限り、ワーカーホリック入ってる美凪さんをどうにかしたいみたいなんだけど)
一緒に添い寝とかどこの怪しい店だとは思ったが、どうもこの美凪さんは働きすぎてしまう類の人間らしい。今日も本来なら夜勤明けで既に退社しているはずなのだが、なんだかんだで勤務時間が伸びてしまっているのだとか。
そこで私をダシにして美凪さんを休ませる案が"これ"だと言うのもどうかとは思うが、
「にしても、何故それをサイコロ振って決めたのでしょうか……」
『ダイスと呼べ。他にも、もう一度風呂だとか食事だとかがあったのだがな。手っ取り早いだろう?』
全てはダイスの女神の導きだったかー……。
『ウチはなにかと注目されているから、あまり変なとこで隙を作りたくはないんだよ。労働基準云々を調べるのにストーカーの同類まで出たぐらいだからな。ま、その様子を逆に記録して裁判所で叩き付けてやったが』
「それ逆恨みされません?」
『安心しろ。報復なんぞ考え付かなくなるぐらい叩き潰すのは得意だ』
とは肩書以上に多々やらかしている紗々沙さんの言である。
『ははは、これで何はともあれこれで美凪も休めるし、ハルカカナタにとっても役得だろう? 一石二鳥だな!』
「一石二鳥は兎も角、まさか他にもこんなことやってないですよね?」
『これが男や変な趣味持った女ならそもそもそこに行かせてないから安心しろ。むしろ美凪、お前が襲うなよ?』
「襲いませんよ!?」
『いやでもお前、風呂場に入ってハルカカナタを見た時、心拍数が垂直上昇して――』
「わぁー!? 主任、もういいですね? いいですね!? おやすみなさい!」
そんなやり取りがあったのは少し前の事。既にウィンドウは閉じられ、部屋の明かりも消灯している。結局寝間着まで渡されたので、添い寝と合わせて上限三つまでってことなんだろうか。
そも、根本的な疑問としてなんであんな女王様気質な人がいたんでしょう? 不具合に対する説明の筈なのに、あんな爆弾持ってきてどーする。
「本当は別に担当がいるのですが……生憎今日はトラブルが別でも発生したようでして、そちらに行っていましたので」
「それによくよく考えれば今日、休日の早朝でしたね」
そりゃ人もいない訳だ。単なるサポート要員ならいるのだろうけど、上が出張らなければならない事態はそう起こる事はないのに、今日に限って連発したので仕方なくあの人が出てきたってところか。まあ言動は斜め上からだが、部下思いであるようだし悪い人ではないだろう。
勢い騒がしかったが、その分反動でもうかなり眠い。姫翠は――あ、もう落ちてる。
「……もう寝ましょうか」
「そうです、ね」
静かになれば、自然と瞼が落ちていく。
耳に聞こえるのは三人と一匹の小さな息遣いだ。それと、肌で感じる美凪さんの体温。
……ふと。
昔、こうやって と一緒に寝たことがあったのを思い出した。甘いような。苦いような。そんな記憶。
柔らかな温かさを感じながら、私の意識はゆっくりと閉じていった。
「おやすみなさい」