#22 夢泳ぐように微睡む(ただし現実は非情である)
「ふにゃあ〜……」
湯船の中、だるんと力を抜いた口から変な声が出た。
普段なら絶対に無いが、今は仕方がないだろう。なにしろ程よい温度の湯に、底は浅いがその分寝そべるのには最適な形状のバスタブ、更には右手に持った赤い液体が心を蕩けさせてくる。しかもお湯を出しっぱなしにするという庶民的な贅沢仕様。
仰向けになって浸かれば視線の先には透けた天井があり、更にその向こうには街の天蓋が見える。その蓋が雲の代わりになって発生している"天使の梯子"を、水晶が反射して煌めく様は何とも幻想的な光景だ。
そして、私が最も今この場で楽しんでいるのは、
「……ん♪」
右手に持つグラスを傾けて、ワイン――のようなものを口に含む。
ふわりと、浴室の中でもはっきりと分かる芳醇な香りが広がった。舌で味わうそれは深く渋いのに滑らかで、僅かにある甘みを感じる。私が今まで飲んだどんな飲み物とも一線を画す味、舌触り。いけないとは思うのに、ついつい早いペースで飲み干していく。
これほどお酒が美味しいのならリアルのワインってどんな味なんだろうかと想像しようとしたが……ま、それは数年後のお楽しみということでと止めておいた。リアルでは昨今飲酒に関しての厳罰が厳しいので、ゲームで飲めるのならそれに越したことはない。
ふう、熱のこもった息を吐く。外と内の両方から温まった体を少し冷やそうと足を上げてバスタブの外に出すと、ゲームならではの傷一つない素足を雫が伝っていく。
『ん~~♪』
そんな私の傍らでは、姫翠が同じように小さなグラスに入ったお酒を楽しそうに飲んでいた。バスタブの端に腰掛け、足をバタバタとさせながらご満悦である。
いきなり素っ裸になって一緒に風呂に飛び込んできたときは私も驚いたが、これだけのクオリティなのだ。NPCは兎も角Mobが服を脱げても不思議じゃない……のか?
『おいしー!』
ぷはーっ、と顔を真っ赤にしているのを見て非常に和むが、体が小さいからか酔いがよく回るようで目がぐるぐる回っている。それを笑って眺めている私も何処かふわふわしたような感覚があったが、悪い気分ではない。
空になった翡翠のグラスを取ってテーブルの上に置き、ふらふらしている姫翠が溺れないように胸元で休ませて――改めて観察。
やはり、と一人戦慄する。
それはそうだ。改めて素っ裸になっている姫翠を見ると、やはり相対的に見れば私より大きい。勿論胸の話だ。大きい、と言っても多少の話なので他と比べれば小さい部類なのだが、全体的にちっこいのにそこだけ出てるので大きく見えていた。
ロリで微乳の妖精Mob。誰得だ。
――私か!
決して小振りなお尻とか健康的な足とか艶めかしい鎖骨とかを凝視していた訳ではない。そう、凝視ではなくじっくり眺めていただけだ――って。いかん、いい感じに思考がぶっ飛びだした気がする。
……あっれ私ってそっち方面の趣味は無かったはずなんだけどなー。解せぬ。
本格的に酔っぱらい始めてどうにも自制が緩くなっているなあ、と思いつつもまだ飲んでいる辺り手遅れな気がしなくもない。
少し落ち着くため、浴室の扉に目を向ける。透視能力はないので見えないが、板一枚挟んだ向こうにはトリアートが鎮座しているはずだった。二人が脱いだ時には既に外に出ていたので、何気に紳士なMobである。オスであることもビックリだったけど。
「うーん、ちょっと飲み過ぎ……かな?」
もう半分以上が空いたボトルを見てひとり呟く。飲めば飲むほど頭はぼーっとしていき、湯の暖かさとは別に体が温まっていた。加えて妙な眠気のせいで瞼が少し下がっていて、上手く思考が定まらない。
疑問には思ってもリアルで飲んだことがない私では飲み過ぎの基準が分からない。なので身近な酒を飲む人……ハトコのねーさんを思い浮かべた。記憶の中で彼女のは一升瓶を二つ、三つ……うん、むしろ弱い方かもしれないと結論付けた。
……まあこれだけ飲むと、ちょっと勿体なかったかな? これ多分レアアイテムだし、売ればいい値段にはなっただろうけど。
と言っても私の中では飲まないという選択肢は無かった訳だが。いつ死に戻りするかわからない状況で、インベントリの肥やしにしても仕方がなく。飲む相手も(距離的な意味で)姫翠以外にいないので状況もそろった中ではむしろ今飲まなきゃいつ飲むのという話なのである。
そんな訳でゆっくりと至福の時間を堪能する私と姫翠であった。
「……おぉ?」
うとうととし始めていた私の眼前へ急に現れたのはシステムウィンドウ。そういえばそろそろいい時間になっていたことを思い出す。
表示されているメッセージは予想通りの内容だ。
『フレンド:七色夢見 よりフレンド通信が入っています。応答しますか? Y/N』
ストゥーメリアさんと夢見さんでどちらが早いだろうかと思っていたが、どうやら早かったのは夢見さんのようだ。起きて、ログインして、メールを見てさっそく連絡してくれたらしい。
特に何も考えずに"Yes"をぽちっと押すと、以前のように夢見さんの顔がウィンドウに映り、
『あ、繋がった! カナタちゃんおは――』
そしてビシリと効果音付きで固まった。
あれ? と首を傾げるも、まるでゲームがフリーズしたのかと錯覚するほど動かない。
「……ゆめみさん?」
呼びかけても反応が無いが、しかし顔がどんどん赤くなっているのでフリーズしている訳ではないと分かる。
もう一度呼びかけようとした所で、夢見さんの後ろに誰か映――――
「へ?」
誰かが映ったと思った次の瞬間、次に画面に映っていたのは夢見さんの後ろ姿だった。そしてその向こうから聞こえてくる悲鳴と盛大な破砕音。はっきりとは見えないが、どうも手に弓を持っているので振り向きざまに早打ちをぶちかましたらしい。
『でてけー! 男は今すぐこの部屋から出てけー!!』
『ちょ、いきなりどうしたギルマス、ご乱心か!? ハッ、まさかあの日なのか!?』
『五月蠅い! こっち来るな見るな男は全員離れなさーい! ――そしてセクハラは死ね!』
『ひぃぃぃいいい、タケさんがエリアルコンボでゴミ屑のように……! と、殿、殿中で御座るぞぉ――ってぎぃやぁあああああ!』
『だから男はこっち来るな見るなと言っているでしょうがぁー!』
正しく阿鼻叫喚である。うーん、よく分からないけど大惨事だ。
夢見さんの背中で見えないので音で結構派手な事になっていると判断する。途中からいつの間にか弓から杖に変わっていて更に爆音が聞こえてくるが、色々な意味で大丈夫なのか。
街中でダメージは入らないけど衝撃は入ることは確かなので、それでいい感じに吹っ飛ばされているのだろう。主に人が。壁に激突すればダメージは無くとも精神的には割と痛いはずなのだが、偶に楽しげな悲鳴(?)が聞こえるのが若干気になった。
『カ、カナタちゃん、今何しているの!?』
「?」
突然話しかけられてちょっとビックリするも、問われた内容――今何をしているかと考えて、
「おふろ入ってますねー」
『お風呂!?』
「あと、おさけのんでますねー」
『お酒!?』
今気が付いたけど、すっさまじく呂律が回ってないな私。間延びして、子供っぽい話し方なってるし。
『……風呂と酒、だと!? まさか、その画面には――――ぐぼらばぁぁあああ!』
『ひぃぃいい、タケさんに全方位マジ打撃が一斉に……ってこっちにまで来たぁぁああ!』
『サブマス、至急GMに連絡! 女性メンバーは全員で馬鹿共を外に叩き出して!』
『『了解!』』
『く、くそう! あのウィンドウには噂のロボっ子のサービスシーンが映っている筈なのに、ここで諦めてたまうわなにをするやめr』
何やら超重量の物質を上から下に叩き込んだような音が連続でしたが、それを最後に静かになっていった。結局、ウィンドウに映っていたのは夢見さんの背中だけだったな。
ようやく、という感じで振り向いた夢見さんの顔は真っ赤だ。また画面を、私を見て一瞬硬直したが、それでも絞り出すように声を出した。
『カナタちゃん……頼むから服ぐらい着ようよ』
それを言われ、ようやくどんな状況だったかを把握した。
ここは風呂場で、私は湯舟に浸かっている。そんな己の恰好は、
「ああ、そういえばすっぱだかでしたねー」
『うわぁ凄い酔い方してるよこの子!』
大丈夫、私はまだ大丈夫だ。ねーさんみたいに笑いだしたり脱ぎだしたりしてないし。
……あれ? 私は既に脱いでるが……うん、これは酒を飲む前に脱いでたからセーフだ。たぶん。
「だいじょーぶです。そんなに酔ってませんですよー」
『それは酔ってる人が言うセリフだよ!? と言うかカナタちゃん、その背格好でそれは色々マズイ……!』
「?」
『うわぁ、そこでその上目遣いは危険すぎるよ!? 頼むからGM早く来てぇー!』
と、一瞬画面にノイズが走ったかと思うと、一瞬後には簡素なメッセージが表示された。
簡素な書体で急ごしらえと分かるそれは、
『現在緊急メンテナンス中です。ご迷惑をおかけしております』
さっきサブマスさんからGMに連絡するとか言ってたから、早速運営が動いたのだろう。運営・開発が在中しているのは更に時間が倍化している場所なので、問題が起こった時は本当に便利である。夢見さん側の声が聞こえてはいるので、とりあえず映像表示を切ったようだ。
それはそうと……。なんだろうねー、この”やっちまった”感。
当然、素っ裸で通信に出てしまったことである。普通なら頭を抱える場面なのだが……まあいっか。もうここまで来れば今更だ。
それに当然、綺麗すっぱり諦めた理由はある。流石にこれが公衆の面前なら切腹ものだが、恐らく見たのは夢見さんだけだからだ。フレンド通信のウィンドウも幅は大きくなく、加えて他人が見ようとすると色々と制限がある。フレンドやギルドメンバーじゃないとそもそも内容が見えない上に、真正面からでしかきちんと表示がされないのだ。
それにその夢見さんと比べれば貧相な体つきだと自覚しているので、寧ろ見た方ががっかりするのではなかろうかという考えである。まな板、凄くまな板ですよコレ!
自虐ネタは置いておいて。
一応これで騒ぎは収まっただろうと気を取り直して夢見さんに話しかけようとして、
『うう〜、まだ顔が赤い気がする……』
『いや気がするじゃなくて、真っ赤だからな? ……まさか夢見にそんな趣味があるとは思わなかったが』
『えっ、ちょ、何その生暖かい目は!? ない、ないから! ただちょっとカナタちゃんがエロかっただけだから!』
『『…………』』
『……あれ?』
声掛け難いにも程がある……!
先程から非常に微妙な会話が聞こえて来るが、どうも向こうはまだ繋がっているとは夢にも思ってないようだ。夢見さんと話している女性の声は、確か前に一度だけ見た鬼族の女性のものだろうか。話を聞いている限りではどうやら彼女がギルドのサブマスか。
『ちなみにどんな風にエロかったんだ? ああ、夢見の好みも加味した主観で』
『うわあ酷いレベルで刺しにくるよこのサブマス』
これ、知らないふりして切った方が良い気がしてきた。
よし、こっそり終了を――あ、でも画面がメンテナンス中のメッセージになってて通話終了ボタンがない。マジか開発。
『……とりあえず言うなら、男には絶対に見せちゃダメだと確信できるぐらい』
『……そんなにか?』
一拍。
一呼吸分開けてやたら真面目な声で、
『うん。ロリコンなら一撃、そうでなくとも新しい扉を開くと思う』
『(キリッとして言ってるが、それブーメランしてないかね)』
『(愉快な感じでテンパってますけど、どうやって正気に戻しましょうか……)』
いやだから。実はコレ新手のイジメか何か?
……こら姫翠。いつの間にか起きてるのはいいけど、そう楽しそうに耳を傾けるんじゃありませんっ。
そんな間にも夢見さんの話は続き、
『だってあの体のバランスは芸術的だよ? 種族補正入ってるのかと思ったけど、前見た時の歩き方からするとあれはリアルでもあの体系だね。年幾つか分からないけどもう少し背が伸びたら、いや今でもシークレットブーツとか履いたら十分モデルとかやっていけそうだし。胸がない? ステータスです、幼い雰囲気は貴重だね。でもそれがお風呂と言うシチュエーションで肌とか上気して淫靡と言う単語がいい感じに似合ってるから背徳感が天元突破しそうな勢いでもう。あの足の組み方とかそこから流れ落ちる水とかもしかして狙ってやってるのかと聞きたくなったしね? それでいて綺麗な肌とか光の加減だと思うけどキラキラ輝いてる髪とか、変に清楚な部分が入っていて逆にそれが他のエロさを際立ててたよ。あの真っ白な肌って前衛職とか戦闘系種族には似合わないけど、すばらな感じで全体の雰囲気と噛み合ってたかな。それに大事なところとかは髪とか妖精ちゃんとかで隠れて見えないのが逆にそそると言うか、そういえばあの妖精ちゃんもエロかったなあ。加えて普段はガチ無表情なのに酔ってるせいか凄く眠たげなのにバッチリ上目遣いで合わせてくるからいや本当に誘ってるのかと。こうなんて言うのかな、ギャップ萌え? クーデレとか。もしあれで”一緒に入ろ?”なんて言われたらまず間違いなく勝てるね。誰にって? それは私の理性だっ!』
『すまんアタシが悪かった。落 ち 着 け 阿 呆』
『ギルマスが壊れた……!?』
あーお酒が美味しいなー。
目が覚めたら全部記憶飛んでるとかないかな。ないか。ちくせう。
「……わたし、そんなにエロいのかー」
思わず。
酒に酔ってのもあって思わず呟いてしまったことがなんと致命的なことか。
『えっ』
『お?』
「あ」
本日のやっちまった二回目。
テンプレではあるけど、なんでこんな時こそ周りが静かになっているのか。思いの外大きく出てしまった声は当然ウィンドウを通して流れていき、向こうにもしっかりと届いたようだ。
『か、かかか、カナタ、ちゃん?』
「なんでしょう」
なんだか夢見さんが壊れたレコードのようになっているけど、もういいや。こんな時は開き直ってしまえ!
ふふふ、酒飲んでアッパー入った人間は強いぞぅ。
『き、聞いてたの? と言うか、まだ通じてた、の?』
「きれたのはえいぞーだけみたいですねー。ボタンがないのでわかりにくいですけど」
言ったとたん、ウィンドウに"通話中"の文字と通話終了のボタンが表示される。
あ、これはもしかして、
「GMもきいてるみたいですね」
『――――――――』
ひゅ、と息を飲む音がリアルに聞こえた。ついでにカタカタ震える音も聞こえてくる。
『お、おーい。凄い勢いで顔が赤くなったり白くなったりしてるが大丈夫か?』
流石にヤバいと思ったのか、サブマスさんも少し慌てた感じで話しかけているようだ、が――
『ぴ』
『ぴ?』
「……ぴ?」
……もしかしなくとも、これは。
『ぴぃぃぃぃぃぃいいぃぃやぁぁぁああああああああああ!!!』
画面越しでも響く大絶叫。
よし、耳を塞いでいて正解だった。姫翠もちゃっかり同じように耳に手を当てている辺り、この子もいい性格をしていると思う。
そして勢いよくどこかへ走っていく音が聞こえた後、ぼすっと何か柔らかいものに突っ込む音が聞こえた。
『夢見ー、大丈夫かー? ……駄目だ、完全に布団に引きこもったか』
さっきの突っ込む音は布団にダイブした音だったのか。で、そのまま丸くなってしまって出てこなくなったと。
うーん、やはり子供っぽいというか、可愛らしいというか。言うと更に追い打ち掛けることになるから止めとくけどねー。
『すまんなーロボっ子ちゃん。こっちが煽ったとは言え、まさかこんなことになるとは』
「いえー。またふっかつしたころにれんらくもらえればー」
『了解だ。……しかしこのスキルにこんな穴があるとは思ってもみなかったがな』
この"拡張機能:フレンド通信"は倫理制限の解除中に使う事に対してはチェックが入っていなかったようだ。
むしろ今まで発見されていなかったことが不思議である。エロ関係は重点的にテストを行っていると思っていたけど、
『根幹を作ったのがあの狂人氏だからな。運営、開発でさえ把握しきれないブラックボックスが多数あるとは聞いていたが、どうも本当らしい』
「そういえば、そんなうわさもありましたね」
『運営が四六時中掲示板見てるのもそれが理由だ。稼働当初はこの程度のハプニングならあまり珍しくなかったそうだがな』
ただでさえ広すぎるフィールドにNPCやMobのAI設定、独特の種族にスキル等。仕様書も残っていない設定も多く、現在もリアルタイムで調査が行われているのだとか。
『まあ一番の理由は種族だろうけどな』
「しゅぞく?」
はて、種族と言うと私の機人のことだろうか?
『よく考えてみろ、君の種族以外でそのスキルを使えるのは"二次元"や"外宇宙"だぞ? しかも"外宇宙"に至ってはまともな映像は表示されない』
「となると……」
『そんな連中が倫理解除して通信する状況が無かっただけだろうな。いや、あったとしてもネタで終わっていたか』
「ネタ……。しょくしゅプレイ?」
『よし、お姉さんとちょっとお話しようか?』
「ごめんなさい」
ちょっと胆が冷えたが、事なきを得て。
AlmeCatolicaは世界から見ても完成度がぶっ飛んでいるので注目度も高く、各方面からプロを呼んで問題の対処を行っているそうだ。今回の件もしばらくすれば、あっという間に修正されるだろうとのことである。
『ま、夢見はこっちでなんとかするよ。どうせ君にはGMから連絡入ると思うから、そちらと話をしておくといい』
「GM?」
『倫理解除関係は色々厳しいからな。侘びの一つでもあるだろうさ』
GMと関わるのは二回目だけど、どちらも理由がエロネタと言うのがなんとも。
……そんなにエロいか、私?
『ああ、それと何か色々あって名乗って無かったな。アタシは"傘華"って言うんだ。夢見共々よろしく頼むよ』
「はるかかなた、です。こちらもよろしくです」
それじゃあ、と言い通信が切れる。
ふう、と息を吐いて蛇口から出した冷水で顔を洗う。そうすることで酔いが少し冷めた気がした。
そのうちまた夢見さんから連絡が来るだろうけど……しまった、この後寝る予定なのを伝えていなかった。ストゥーメリアさんからも連絡はまだ来ていないし、まーいっか。それよりGMから連絡があるかもと言っていたけど、何が――って、うん?
浴室の扉がノックされる音に、思考が途切れる。
この人がいないはずの街で"扉がノックされた"という事は、
「どうぞ」
「――失礼します」
声と共に、扉が開いて一人の女性が入って来る。その姿はいつか見たままで、うん、奇妙な縁もあったもんだ。
天使の羽を持ち、クラシカルなメイド服に身を包んだ大和撫子風味な女性は、
「システムサポート担当GMの美凪さん、でしたか」
「はい。お久しぶりです、ハルカカナタさん」
どこか照れたように微笑む女性は、私が初めてログインした日に出会ったGMだった。
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▼カナタが飲んでいた酒
ゲーム内には一本しか存在できないように設定されているレアアイテム。
開発や酒造メーカー等の各種の人間が調子に乗って"美味い酒"を作ったのはいいものの、あまりにも出来の良く、しかしそれがデータで幾らでもコピーし放題ということに色々と戦慄。なのでゲーム内の同時存在制限を掛けたというある意味曰く付きのアイテムの内の一つ。
使う(飲む)と別のどこかで宝箱に入ったりボスMobなどからランダムでドロップするようになる。
ちなみに同種のアイテムはマニアの間ではとんでもない値段で取引されているシロモノだったりするが、何気にそんな一品物のアイテムは数多く存在する。ザ・開発遊び過ぎ。
▼夢見の方が早かった理由
ストゥーメリアより夢見の方が早かった一番の理由は、その「起きる~連絡する」までの一連の動作の所要時間がカップ麺作るより早かったりするからである。
普段ならすぐにサブマスに見つかり朝食を食べろ、洗顔やらをしろとログアウトさせられるのだが、今回は特例だった。そしてこの後、頭を冷やすことも含めて強制的にログアウトさせられる予定である。
サブマスにオカン、またはそれに類ずる言は禁句。