#18 灰色に映る
結局書いていた弟宛の書置きはゴミ箱に突っ込んでいた。
「あれ、姉ちゃんまだ晩御飯食べてなかったの?」
もっしゃもっしゃとキャベツ多めの野菜炒めを食っていると、そこにデートから帰ってきた弟がやってきた。学生にしては遅い帰りだが、おそらく彼女の家で親御さんに捕まっていたのだろう。
なんとなく顔がにやけてるとこ見ると、別れ際にキスでもしたか。
「明日某舞台から飛び降りてしまえ」
「質問したのに罵倒された……」
肩を落とす弟だが、いつもの事なのであっさり復活して自室へ向かって行く。適当なバラエティ番組が垂れ流しになっているテレビを横目に、私はゲームの事を考えていた。
あの洞窟に入って後、待っていたのは無駄に長い迷路のような通路だった。相変わらず水晶が発光しているので暗くはないが、どこもかしこも同じように見える。一度現在位置を見失えば遭難は確定だ。
なーに、迷路と言ってもマップがあるから大丈夫――なんて思うのは早計である。そこは流石開発と言うべきか、まさに外道と言うべきか。
うん、見事にマップ機能が動作してませんでしたね。
これは単純にスキルレベルの問題だと思われる。なにせ私の『探索』スキルはレベル1だ。
それ専門のストゥーリアさんやトッププレイヤーの夢見さんなら大丈夫なんだろうけど、半端なスキルだと道に迷う仕様らしい。
なのでボスから離れないように追いかけながら右へ左へ、上へ下へ。
方向感覚もそうだけど時間がそろそろヤバいかなー、と思ったところで止まったのは少し開けた場所。巣と似たように滑らかな地面で、休憩するには十分であった。どうやらボスもそこで一泊するつもりだったみたいなので、私もご一緒する。
ボスに寄り添うようにして仰向けに寝転び、腹には子犬と妖精を置いてログアウトをしたのだった。
――そして今に至る。
キャベツ率が8割越えの夕飯を平らげて、後片付けやらなんやらと後は寝るだけの状態にまで持って行った。ゲーム内の朝はこちらの深夜なので、早目に寝て早く起きる。言ってることは早寝早起きなんだが、見事に不健康な内容なのは今更だ。
こんな時こそ普段は逆に寝れなくなってしまうのだが、それこそ使わずどうするVR機。催眠誘導によりそのまま寝ることも十分に可能で、無論目覚まし機能もバッチリだ。
そういえばこの睡眠機能だけチョイスした機器が発表された瞬間、その企業の株価がまるで種子島から打ち上げられたがごとく急上昇したとかニュースでやってたな……。
さて寝るか――と言って隠していたハードを取り出すのは早計だ。私の運の悪さはこんな時ほど発揮する。何か掲示板ではリアルラック高いだろ、なんて言われているがそんなものはゲームの中だけと言う悲しい現実なのだ。
自室を出て隣の部屋の前に立つと三回ノックする。
直ぐに返答があったので部屋に入ると、
「あれ、まだ準備してたんだ」
弟は明日から修学旅行予備地の事前確認という名の観光だ。私が用意していた旅行鞄以外にも普段使っているようなサイズの鞄も取り出していた。見たこともないデザインなので最近新しく買った物だろう。
……バイトもしてないのに新しい鞄を買える金があるのは、気にしない方が良さそうだなー。
どうせ私の場合両親に言っても無視されるのがオチだ。姉に至っては親に金を要求するなんて、などと自分の事を棚に上げて嫌味を言ってくるだろう。
ちょっと嫌な事思い出してテンション下がったが、寝ればリセットされるだろうと前向きになっておく。
「こっちの小さいのは持ち歩き用。ほとんど仲間内での観光だけど、一応学業の一環だから持っていくのは必要最低限なのは間違いないよ。スケジュール決まってるしね」
「ツアーで行くようなものでしょうに。相変わらず変に堅いな」
「姉ちゃんが緩い、もとい自堕落すぎるだけだと思うよ……」
両親か姉の前ではピリピリしてる反動なもんで。家と学校含めて敬語使ってないのが弟と二人きりの時だけだからなー。
あ、AlmeCatolicaでも敬語外れてきてるか。一番の話相手が喋れない妖精と言うのが微妙だけど。
少し弟と明日の事について何故か私が注意を受けて――寝すぎないこと、散歩ぐらいして外に出ること、三食必ず食べること等々――から退散することにした。
あのまま部屋に引きこもっていれば、この律儀な弟は私の部屋に来てまで今の注意をしてきただろう。書置きが無駄になったけど、これで私の部屋に来ることはないはずだ。
「それじゃ、私はもう寝るから。要らない心配だろうけど明日は気を付けてね」
さて、これ以上は特に話題もない。さっさと退散して明日に備え――ん?
「何? なんか言いたそうだけど」
「あー……いや、その」
弟が何かを言おうか言うまいか迷っているようで何とも歯切れが悪い。
その態度に嫌な予感がする。……もしかして。
「……一応言っておくけど。いくら自分の部屋って言ってもアレは目立つから、もう少しカモフラージュした方がいいかも」
「おおう、やっぱりそれか。バレるの早すぎでしょうに」
なんと家族には内緒で買ったはずのVRハードだが、早速弟には発覚していたらしい。いつもなら誰も私の部屋に入ってくることはないはずだけど、やはり運が悪い。誰だ私のリアルラック高いって言ったの。
「姉さんたちには話してないけど、見つかるとちょっとマズイかも?」
「マズイと言うか、その場合は問答無用で没収コースだろうなぁ」
あの人たちは基本的に私の事を無視しているくせに、自分の気に触ることがあれば容赦なく口を出してくる。
姉はどうせ私が高価なゲーム機を買っていることに文句を言うだろうし、両親は漫画やゲームに理解が無いので勝手な価値観を押し付けてくるだけだろう。普段無視するぐらいら放っておいてほしい。
生体情報が登録されているので私以外が使うことが難しいから、没収された後は粗大ゴミ行は確定か。ハードは二つも買える余裕は何処にもないので、それだけは避けなければならない。
「それより姉ちゃん、あのAlmeCatolicaはハード含めて結構高かったはずだけどよく買えたね」
「ま、こっそりお年玉とか集めてて良かったよ」
「……あれ、姉ちゃんお年玉とか貰えてなくなかったっけ」
他のご家庭は聞いたことがないので分からないが、年始の定番であるお年玉は私だけが貰えない。理由は言われないし教えてくれもしない。いい加減諦めは付いたけど、理不尽な事に変わりはないか。
しかしそこは捨てる神あれば拾う神ありで、
「伯父さんとか従兄のにーさんとか、同情して助けてくれるからねー。実はこっそり会って貰ってたのさ!」
「ああー……。姉ちゃん年始とか昔から留守番なのに、何故か皆が姉ちゃんのこと知ってると思ったら」
「そりゃ私が生まれてから毎年似たような理由で会えてなかったら不審にも思うでしょうに」
私が初めて親戚に会えたのは中学生になってからだ。それまでは――正確には今もだが――親戚と顔を合わせるような催しには必ず留守番をさせられているのである。
が、顔を見たことがないのは親戚側も同じ。
一度だけでも会おうとしても両親が拒否するので、どう考えても怪しいと親戚同士で結託。両親が年始の挨拶に行っている間にこの家にやってきたのである。
私も流石に突然訪れた親戚を名乗る人物達に警戒した。しかし彼らが両親の事をよく知っていたり、そも家に写真があったりして打ち解けたのだった。
それ以来、年末年始やお盆には両親がいない所で会ったりしている。
「道理で母さんや父さんに皆冷たいはずだ……」
「姉は猫被ってるし、弟は普通に良い子ちゃんだから悪い印象はないみたいだけど。今の所」
「恐ろしい事さらっと言うね、姉ちゃん」
あの両親に似なければ大丈夫だろうさ。
つーか、いい加減あの両親は親族の中でも孤立しているのを気づけと言いたい。まあ私の事を隠し通せていると思い込んでいるから無理か。
明らかな虐待を受けていないので誰も何も言っていないだけで、私に会うたびに六法全書を片手に持っているハトコのねーさんがそろそろ怖い。
「ま、金があったのはそんな訳。まあそれで贅沢していたらバレるだろうから、ここぞという時の為に残していたのさ」
「納得した。姉ちゃんガチで必要最低限しか生活費貰えてないから、こっそりバイトでもしてたのかと思ったよ」
ウチは両親が共働きなので、私たちは朝昼夜と食費を貰っている。ただ、その貰える金額に差があるという悲しい現実があった。
――学校での昼食で比べると。
姉と弟は昼に食堂で定食とジュースを買っても余裕があるそうだ。しかし私はコンビニで買ったパン一つでギリギリ。学校にウォーターサーバーが無ければ水道水持参という恐ろしい状況だったかも知れぬ状況だったりする。
バイトも一度考えたが、ものの見事に生徒会長である姉に却下された。誰だバイトするのに生徒会の許可がいるとか校則作ったの。こっそりやるのも出来なくはないけど、見つかった場合は退学って明記されてるのがねぇ……。
それは兎も角。
ハードに関しては、今日はいいだろうけど何か考えないとな。取り上げられて捨てられでもすれば、それこそマジギレしかねん。――ハトコのねーさんが。
VRハードの購入は何気にハトコのねーさん名義で購入してある。それを勝手に捨てたとなると……うん、喜々として六法全書を振りかざすねーさんしか思い浮かばない。
法律はよくわからないけど、少なくとも対外的な評判を気にする両親にとっては"訴えられる"だけでもダメージがあるだろう。そのあとは絶対に身の回りがごたごたするのは目に見えているので、可能な限り回避するしかない。
とりあえず今思いつく妙案は……
「それならいっそ、弟もAlmeCatolica買うとかどう?」
「え、僕が?」
私の扱いはアレだけど、両親は姉と弟には非常に甘い。そこで更に体面を取り繕おうとする性格を付いてやればできなくもないだろう。
「学校でAlmeCatolicaをやってる人は生徒にも教師にもいるはずだし、世間一般でもニュースに流れるぐらい浸透してるからね。それにAlmeCatolicaはあのレベルまで来るとゲームと言うより一種のコミュニケーションツールだから、後学の為に知っておく必要が~とか言えば買ってくれるような気がする」
「コミュニケーションツール?」
あのゲームは殆どリアルと錯覚しかねないクオリティだが、あくまでも"MMORPG"なのだ。アバターという仮面を被ることで本来の自分を隠し、色々な人達と接することができる。そして逆にあのクオリティだからこそコミュニケーション不足の解消も期待できるのだとか。
気が大きくなりすぎて悪い方面に走る人間もいるにはいるが、そこは運営が仕事しているのでそこまで酷い事にはなっていないのが現状だ。
「あとは学校で皆持っていて、自分だけ話題に付いて行けない、とかかな。子供じみてるけど、あの人たちなら効果覿面でしょ」
「いや、うーん、確かにそれで買ってくれそうな気がするけど……母さんたちってVRにあまりいい印象持ってなくなかったっけ?」
「それは単にVRをよく知らないだけ。食わず嫌い。凄く簡単に書いたパンフとかネットからダウンロードできるはずだから、印刷して渡してやればいいさ」
結局結論は出なかったが、弟もVRをやってみたいとは思っているようなので近いうちに買う事になるだろう。姉の分と合わせて2台。
そうなれば見つかっても金の出どころを聞かれるぐらいで捨てられはしなくなる……はずだ。
弟はまだ準備があるらしいので私はお暇して部屋に戻る。
ハードを改めて手に取って観察。……うん、確かに目立つなコレ。
最善は姉や弟がVR機を買ってもらうまで自重することなんだろうけど。今更、ねぇ?
今日の所はどうせ厄介な姉と両親は不在なので深く考えず頭にすっぽり被る。後は起動して"中"で設定をするだけでいい。
と、VR機を被った拍子に髪が絡んでしまったらしく、少し前髪に違和感を覚える。
一度ハードを外し、髪がまた絡んでしまわないように後ろに流すように手串を入れた。髪は自分で切ることが多いので整えられているとは言いがたい。だけど、この髪にはそれが似合っていると思わなくもない。
……私の手の中で、灰色の髪が揺れている。
さっき弟と話をしていたからか、あまり精神衛生によろしくないのにじっと見つめてしまう。
相変わらずあまり艶のない、文字通り灰の様な色合いだ。これでもう少しでも光沢があれば"灰"ではなく"銀"と称することも出来ただろうけど、これはそんな華美なものではないのは確かだろう。
深呼吸を一つ。
「さーて、明日は早いしさっさと寝よう。あの洞窟の先には何があるのやら」
少し自分でもワザとらしいと思わなくもないが、あえて声に出して気持ちを切り替えた。再度VR機を被り直してベッドに倒れ込む。そのまま起動させれば自動で処理が走り、意識が落ちていくだろう。
寝ればある程度は気持ちの整理が付くのは経験則で知っている。特に悪い感情に関しては。
だから今日も蓋をする。
出来れば中身を全部吐き出してしまいたいが、溜め込んだものが多すぎてそれも難しい。
何か一発ガツンと入れば変わる気もするが、そんなご都合主義はお伽噺の中だけだ。伊達に昔から"灰かぶり"とは呼ばれていないのである。
豪奢なドレスやら素敵な王子様なんぞは要らないので、と手に入れたのがこのゲームだったが――うん、そんな物よりよっぽど重要なものを見つけたのは収穫だった。
そう、モフモフ。
モフモフだ。
面倒なリアル事情やらシリアスな空気やらなんぞよりモフモフのほうが万倍重要だ。
モフモフは正義。これ重要。
「よし、次はどんなのに会えるかなー」
なんだかさっきまで憂鬱な気分になっていたはずだったのだが、そこはやはりモフモフの強さか。あの兎様の感触やオオカミの肌触りを思い出しら頬が緩む。
なんだかテンション上がってきたが、寝過ごしてしまってはボスや妖精に悪い。ここはもう寝るとしよう。
VR機の電源をぽちっと入れて、そうして私の意識は落ちた。