#9 その後ろを追いかけて
目の前にいるのは体の半分以上が水晶でできたオオカミだった。
水晶以外の所もまるで金属のような毛で覆われており、非常に頑丈そうである。大きさは一番デカいので大型犬ぐらいか。すぐそこに座っているのがそれなんだけども。群れのボスかな?
水晶は透明度は低いが淡く輝いていて、動くたびに残光が煌めくのでとても綺麗だ。
ただし今はお互いじーっと見つめ合ったまま、そこから一歩も動かない。
――オオカミと妖精が。
オオカミは首を傾げて、私の膝上にいる妖精は面白そうに相手を観察している。なんだかそのままぱくっと食われるんじゃないかと思わなくもないが、まあ大丈夫かと放置中だ。
他にも周りには少し小さめのオオカミが何十匹といるが、どれも毛繕いをしていたり寝そべっていたりと襲い掛かってくる様子はない。どうやらこの森のMobはこちらから攻撃しない限りは安全なのだろう。
……なんか偶に森の奥で光線が突っ走っている気がするけど、見なかったことにした方がいいんだろうなー。ついで人の悲鳴も聞こえない聞こえない。あ、こら気になるからって見に行ってはいけません。
今度はそっちに行こうとする妖精を捕まえて、夜釣りを再開する。
そこらで拾った長く丈夫な木の棒と細くしなやかな蔦、鋭い枝を曲げて針を作って組み合わせれば釣竿の完成だ。後は川原の石をどければ虫がいるので、それを餌にして糸を垂らす。虫はなにかキシャーと雄叫びを上げていたが、実はこれもMobなのだろうか?
「今日はここで野宿かねー」
もう辺りは日が落ちた為に真っ暗だ。
普通ならたき火なりして照明を確保するんだろうけど、星明りとオオカミの明かり、あと種族特性のおかげで十分に見えている。ここまで意味不明な開発がやることだ、火を焚くとMobをおびき寄せたりオオカミが狂暴化したりするかもしれないので止めておく。
「おっ、引いてる引いてる」
こんな仕掛けでも釣れるんだなーと上げてみると、先についているのは真紫の魚。やたらと凶悪な歯と鱗をしていて、やっぱりキシャーとか叫ぶシロモノである。
……これ食えんの? いや、それ以前にこんなもんいるなら泳ごうとしてたらアウトだったよね? やっぱここ鬼畜だわー。
キャッチアンドリリースかなと魚を川に返そうとしたところで、ふと視線を感じて横に向く。見れば、返すの? と言わんばかりに耳が垂れて、どこかしょんぼりしているオオカミだった。
いる? と手に持ったそれを掲げてみれば、しゃきーんと耳と尻尾が直立する。なんて分かりやすい。固めの外見とは違って動きがなんとも可愛らしく、これがギャップ萌えか。
ほい、とオオカミの前に置けばあっさりと口の中に納まった。ゴリゴリと何か魚食ってる音じゃないが、平然としているのは流石である。
他の魚もどうせ怪魚か変魚なんだろうけど、リアルじゃ釣りもあまり経験がなかったので意味はなくとも面白い。他のオオカミが羨ましそうにしているのもあるので、また虫を捕獲して釣りを再開する。
平和だなー……。
その後も魚を釣り上げつつ、切れたり折れたりする道具を補修していると、気がつけばスキルを習得していた。
『釣り』と『細工』。うん、ド定番だ。
あ、また一匹釣れた。ほーい御飯だぞー。
また一匹寄って来るのを横目に見ながら、そろそろ寝るかねーと考える。ログアウトしてもいいのだが今日は特にリアルでの予定はない。下手に部屋を出て厄介な事になっても面倒なので、このまま引き籠っておこう。
ただ、リアルではまだ日中なので本当に寝てしまうと生活サイクルが崩れるのは目に見えている。そこで使用するのがVRの根幹に組み込まれ、ゲームにも連動している"枝の小鳥"システムだ。ネーミングは置いとくとして、内容は"脳を休息状態にする"というもの。"休眠"ではないのがポイントである。
これを使えば脳が半覚醒状態になり、使用者は寝てるようで寝てないなんて状態になるそうだ。二、三日徹夜で脳が本格的に疲れていると判断された場合は使えないらしいが、今のようなちょっと休憩的な時には有効とのこと。
私はリアル時間で言えばまだ半日しか経っていないので寝るには早いと言える。しかしゲーム内ではリアルの倍の時間となるので、それを考慮すればそこそこな時間になっていた。
「そういえば、これも"VR問題(仮)"の一つだっけ」
私の独り言にオオカミが反応したが、なんでもないよと手を振れば理解してくれたようだ。頭いいな、この子ら。ちなみに妖精は既に私の頭の上で就寝中である。
VR問題(仮)とは、VRゲームが出てからよくテレビやネットで行われている論争のことだ。内容としては健康とか精神の影響に関するが多いが、中には陰謀論だとか都市伝説的なものまである。兎に角、それらをまとめたものをそう呼んでいるのだ。
要は、問題にすらならないか、そもそも当の昔に解決済な問題の事である。
よくテレビで挙げられているものとしては今の私のような実時間とのズレで、体内時計が狂って体調が崩れる――可能性があるとか何とかだ。これは確かに超初期の研究用として作られたプロトタイプのときはあったらしいが、一般に出回っているようなハードは"枝の小鳥"システムや他の安全機構によって影響は極最小限に抑えられている。国も基準とか法律を決める際にかなり苦労したらしいが、それも今は昔だ。
が、それは企業や企業と繋がっている政治家が流しているデマで実際が悪影響があるんだーとか○○界の権威なんて禿げたジジイが声高に叫んでいたりする。年を取った人間ほどVR嫌いが多いらしいが、まあ新技術なんてそんなものですかね。
更にはゲームだと時間は倍の速さなので脳の使用率も倍になり、結果として寿命が半分になるなんてのを言い出した医者とかもいたか。
あとはゲーム内に閉じ込められたり、ゲーム内の死亡と合わせてリアルでも死んでしまう所謂デスゲームの危険性が~とかもあるけど、だいたい"考えるだけ無駄"という結論だったりする。何せ実現するには多額の金と高度な技術が必要になり、そんな事ができるのは信頼と実績のある大企業だろう。そこを疑え、製品を使うな、なんてのは土台無理な話なので、そんな結論に落ち着いている。それを言えばパソコンやタブレット、スマホもメーカーが情報抜き取るようなシステムにしている可能性だってあるのだから、言い出したらキリがない、という事だ。
……どうでもいいことだなあ。
脳波データ取られているとか行動がすべて監視されているのでプライバシーの侵害だとか、このゲームで遊んでいる人たちの大半は全くもって気にしてはいないだろう。無論私も気にしちゃいねえ。せっかくのVRのゲームだ、楽しまなければ損である。
「とは言え、とりあえず日が昇るまで落ちるかなー……とぉ?」
そろそろ釣れなくなってきたので作った釣竿をインベントリに収納していると、いつの間にかオオカミ達が川沿いに集まっていた。皆一様に水面をじっと眺めている。そこで私も同じように見てみれば、先までとは川の様子が違っていることに気が付いた。
「これは……流れが止まっている?」
ここに来てから釣りをしていた時は緩やかではあったが、今は水の動きが完全に止まっている。まるで湖面ようにピタリと静止して夜空を映していた。念のためオオカミ達に倣い立ち上がって川沿いへ行き、何が起きてもいいようにしておく。武器とかないんで心構えだけですけど!
さて何が起こるか――そんなことを考えた瞬間、その変化は一瞬で訪れた。
「……水が!?」
目の前、川の水が急速に引いていく。
音もなく大きな動きもなく、まるで何かに吸い込まれるように消えていった。
どんな原理なのかは不明だが、あっという間に目の前には対岸までの道が出来ていた。どうやらここ地点だけ水深が浅いらしく、向こうまで一直線に伸びている。
私が呆然としている間にも事態は動く。
それまでじっとしていたオオカミ達が出来た道を走り始めたのだ。大群が光の帯を作り上げながら進む光景は正に幻想的である。思わずぱしゃりとスクショを撮った。
なるほど、オオカミ達はこれを待っていたのか――ってそう落ち着いてスクショ撮ったり分析したりしてる場合じゃない!
ついさっきまでのんびりしていたオオカミ達が対岸へ"走って"渡っている。
それはつまり、
「間に合うか……!?」
慌てて私も走り出す。たかが数秒だが、このロスは痛い。
オオカミ達は既にほとんど渡り終えており、まだの個体も急ぐようにして加速していく。
彼らが全員渡り終えた時、まだ私は川の中間あたりにいた。あの私の横にいた大きいオオカミが急げと言わんばかりに吠える。
ぱしゃり、と足に水が触れた。
やばい、このままでは間に合わない。
そう思った時、頭の妖精に頭を叩かれた。その軽い衝撃でついうっかり失念していたことを思い出す。
「そうか、こんな時こそ――"ラピッドジャンプ"!」
残りの距離を全力で"跳ねた"。
足元で盛大な水飛沫が上がり、その代わりに私は勢いよく前に跳躍。残りの距離を一瞬で埋めた。
「――っとぉ!」
予想以上に速度が出たので怖かったが、なんとかうまく着地する。
振り返れば、もうそこには元の緩やかな流れの川に戻っていた。さっきまでここに道があったなんて嘘の様だ。
「ふぅ、いやほんとギリギリだった。お前もありがとな」
えっへん、と胸をそらしている妖精の頭を撫でてやり、ようやく人心地つく。ほっと一息入れたところで思わずその場にへたり込んでしまった。
あのまま水に飲まれていれば恐らくあのピラニア風味な魚に齧られていたに違いない。もしくは泳げずに土左衛門になっていたか。……本来は森の木で船でも作って渡るんだろうなあ。速さが足りなければ渡れない川ってどんな嫌がらせだ。
ふぅー……と息を吐いていると、頬にペロリとなめられる感触がきた。何事とビックリしたが、そこにいたのはあの大きいオオカミ。どうやら心配してくれたらしい。
ありがとーと言いつつ抱き付いてみると、お、見た目に反して意外にいい感触。兎様とは真逆のもふもふであった。
暫くそうしていたかったが、何やら他のオオカミがお待ちの様だったので自重する。こらこら、君が残念そうにするんじゃありません。
ちょっとしょんぼりしていたオオカミだったが、気を取り直したのか立ち上がるとどこかへと歩き始めた。群れもそれに続いて歩き始める。向こう先は……崖の上から見た記憶が正しければ、これまた水晶でできた森だったか。
「一緒に行ってみようか」
ここまで来たらせっかくだ。
オオカミ達が走っていたら追いつけなかっただろうが、歩いて移動しているので十分ついていける。と、言いますか先頭のオオカミが来てほしそうにチラッチラッと見てくるので、御呼ばれしてみんとす。……可愛いヤツめ!
なんだか妙な集団となって森の中を進んでいく。もともと見えるのに加えてオオカミは発光しているので分かりやすい。
こうして私は何故かオオカミ達と森の中を歩いて行った。
彼らと一緒になって進んだ先。まず目に飛び込んできたのは、
「うわぁ……ほんとに木、いや森そのものが水晶なんだ」
上から見ただけでも凄かったが間近だと壮観だ。
木の一本一本が水晶で出来ているのはまだしも、下草や花、どころか石や岩などの地面の一部までが水晶で形成されていた。そしてなにより驚きなのが、その草花が風で揺らめいていることである。本来硬質なはずの物がゆらゆらしている姿には目を疑った。
生えていた名も知らぬ花を一本手折る。すると見る間に柔らかかった茎や花弁は硬化し、一瞬の間に精巧なガラス細工のような花となった。
……アイテム名は不明、か。
どうやらここのレベルになると鑑定スキルか、対応する知識系のスキルが必要になるようだ。実際には"水晶"という物質ではないという設定なんだろうけど、目の前にあるのを見ると私の常識までつられて揺らいでしまいそうになる。
「インベントリ容量には限界があるけど……今は余裕あるし、足りなくなったら捨てればいいか」
手に持った花をインベントリに入れる。
よくMMOではインベントリの容量が余程じゃなければ尽きないようなことが多いが、このゲームではかなりの制限付きだ。wikiや掲示板では有名だったが、予想以上に数が入らない。
容量を増やすには単純所持でインベントリを拡張するアイテムか、"鞄"などの装備して拡張するタイプのアイテムが必要だ。あの街の露店でも鞄タイプの販売を専門とする店がいくつかあったのを思い出す。
「鞄か……細工スキルで作れないかな?」
一般的には獣の毛皮が使われた鞄が多いが、何か代わりになる物でも十分可能だろう。そうそう見つかりはしないとは思うが、歩きながら代用品を探していく。
普通なら単純所持タイプの方が需要がありそうだが、実際には鞄タイプの人気が高かった。
……なにせ、そこに開発の罠があったから当然と言えば当然なのだが。
単純所持アイテムは説明通り使用すると枠が増える訳ではなく"所持している"と枠が増えるのである。察しが良い人は気が付いただろうが、つまりそのアイテムはデスペナでのばら撒きの対象になってしまうのだ。
さて、ここで問題が一つ。もしデスペナで拡張アイテムを落としてしまった場合、アイテムはどのようになってしまうか。
例えば10の枠が初期であり、その内の1を使って10増え合計20になっていたとする。その状態でデスペナにより3のアイテムが排出されて、そこに拡張アイテムが入っていた時、それはもう悲惨な事になる。なんと排出される分とは別で、10のアイテムが強制的に投げ捨てられるのである。つまり最大13失う計算で、13以下のアイテムしかなかった場合はインベントリ内が空っぽになるという鬼畜加減。
ま さ に 外 道。
ゲーム開始初期の、あまり情報が出回っていない時はかなりの数の犠牲者を出したとの噂である。しかも単純所持タイプは拡張枠が大きいので余計だった。
さて、なら鞄タイプはどうか。
鞄タイプはインベントリ枠の拡張と言うより、インベントリそのものが増える。単純所持タイプならインベントリは一つで、鞄は装備している分だけインベントリの数が多くなっていくのだ。
確かに装備品としての扱いの為に耐久度が設定されているので補修が必要だったり、数が増える分管理が大変だったりはする。だが鞄タイプは装備すると"服"扱いとなる為、単純な死に戻りの際にはばら撒きの対象外になるのだ。あの開発だから鞄ごと落っことすのかと戦々恐々とされていたとかなんとか。
当然素材が良ければ装備品としても優良で、せっかくのゲームなのだからと色々と洒落たデザインの物が出てきたので人気が出たのだった。
「素材とデザインに拘らなければ作成自体は簡単らしいけど、流石にまだ早いか」
ダンジョン探索において鞄作成は重要で、探索中にインベントリが足りなくなってもその場で作って確保するのだとか。私も作ってみたいが、ついさっき取得したばかりでは難しいだろう。ま、適当な素材で試して行けばその内レベルが上がって作れるようになるか。
そうやって素材を探しつつオオカミ達と行き着いた先。とある場所でオオカミ達が立ち止った。
そこは――水晶の森の中、ぽっかりと穴が開いた洞窟だった。