#7 ここから旅路は始まった
「んぅ……?」
窓から差し込んでいた朝日で目が覚めた。いつの間に寝たっけ、と寝惚けた考えがよぎったが、頭に付けたままだった機械で思い出す。
「そっか、あのまま寝ちゃったのか」
どうやら兎様に抱き、”状態異常:睡眠”によってマジ寝したらしい。時計を見ればまだ早朝だった。
感覚的にはかなり寝たような気がするのだが、ゲーム内時間が倍なのでちょっとズレているような気がする。そういえばこの機械には寝てる間にそのズレを直す機能があるらしいが、次は使ってみようか。忘れる気がするけど。
「しかし……ふっかふかだったなあ」
あの感触を思い出すだけで頬が緩む。今抱いている布団とは大違いの、奇跡のような手触り肌触り。道理でみんな目の色を変えて特攻するわけだ。上手く倒せれば毛皮も手に入るだろうから、自分で使ってよし売ってよし、だ。
死に戻りはしただろうけど、もう一度触る為なら何回でも森に入れる気がするね。
「ともあれ、朝食べないとなー」
どうせ食べた後直ぐにログインするつもりなので、いっそカロリー取れるゼリー系でもいいかもしれない。……あれ、これいい感じに廃人ロード入りかけてない?
私が廃人になったら速攻で見捨てられそうだよなー、なんて後ろ向きな思考しかできないが、今更だ。立ち上がり、VR機器を外して部屋の外に――ん?
「あれ? 扉が開いてる」
ゲームをする為と言うか二回目は兎様に会うためにしっかり準備と確認をしたはずだったのだけど。あの家族にゲームしてるなんて知られたら面倒なことこの上ない。
だから扉はしっかり閉めた、つもりだったのだが。
「うーん、少し逸りすぎたかな……?」
ま、直ぐにでも兎様に会いたかったし単に閉め忘れただけだろう。あの両親や姉に見つかれば速攻で取り上げられているだろうし。
そんなことよりさっさと何か食べて続きをしよう。
『………………』
――login.
もふ。
もふもふ。
「……?」
ログインした瞬間、何かもっふりしたものに手が触れた。柔らかい、この世の物とは思えないような肌触り。
もふもふもふと堪能して――はっと我に返った。
……あれ、この感触って。
目を開ければ、目の前に飛び込んできたのはフサフサの毛皮だった。どうやら私は体勢的に横になっているらしい。首をひねって手の先を見ると、兎様――のちっこいのがすぐ傍に座っていた。
無意識にまだ手はモフモフしているが、しゃーねーなあ的な感じでどっしり構えている。幼いながら何という貫禄。
いやそうではなく。
「え、どういう状況?」
変な死に戻りしただろうから街の中だと思い込んでいただけに、自身でも分かるぐらいに混乱している。
私が寝ていたのは草木を重ねて作られた天然のベッドだ。街ではなく森の中という事はすぐに把握できたのだが、状況理解がさっぱり追いついていない。
体を起こして辺りを見渡すと、そこは一種の楽園だった。
兎様を中心に、小動物や妖精がそこらに溢れている。というか、兎様が一匹、二匹、三匹……十以上はいるんだけど。
「兎様の巣、かな」
寝てしまっていたので推測しかできないが、私が状態異常と普通の眠気で落ちた後、どうやら兎様にここまで連れてこられたようだ。何故に。
片手で兎様(小)をもふりつつ、片手でスクリーンショットを撮りまくっていく。
「掲示板だと確殺されるって話だから何か条件があるんだろうけど……武器持ってないこととか?」
考えられることと言えばそれぐらいだ。
リアルの兎は臆病な生き物であると考えれば納得できるが、しかしそれだけだろうか。あの開発のことだから凄まじい嫌がらせのような条件に違いない。そもそも寝たらお持ち帰りされるってなんだそれ。
「情報もないし、これ以上は考察もできないか」
どうせコレを書き込んでもネタとしか扱われないだろうしね。うまく説明も出来ないしいいや。
唯一相談できる夢見さんは今ログインしていないようだ。まあ休日の昼だから、どこか買い物にでも出掛けてるのだろう。なんかリア充っぽいし。
立ち上がって周囲を見回す内、もういいだろ? みたいな風に子兎様は去って行った。至極残念だが仕方ない、スクショは大量に撮ったのでそれで我慢しよう。
さて、何はともあれ探索しよう。
せっかくだし、いいアイテムとかありませんかね?
結論。
ありませんでした。
ただ、妖精さんと仲良くなりました。
変な犬に噛み付かれましたが、兎様がどっかに持ってきました。
いやだから何してる私。
「〜♪」
私の頭の上で、翠の色合いをした羽根の妖精が木の実を食べている音が聞こえる。見えはしないが楽しそうな声? が聞こえてくるので機嫌は良さそうだ。
サクッと見て回ってあったのは普通の木の実と薬草っぽい草ぐらい。いるモンスターもノンアクティブなので、探索は難しくはなかったのだけどね。
なんかこう、夢見さんみたいな主人公補正かかってそうなプレイヤーなら、見つけたこれらがランクの高い希少な品だったりするんだろうけたど。現実はそんな甘くないねー。
ただ、取った木の実はむしろ果実と言うべきで、サクランボの形をしたリンゴみたいな味をしていた。うん、こっちは甘い。
そこで幾つかインベントリに入れておこうと取っていると、物欲しそうにしている妖精に気がついた。目をキラキラさせて見てくるのは、うん、卑怯だと思う。
で、一個あげたら何故か私の頭の上で食べ始めた訳である。
「〜〜♪」
妖精の外見はまんまアニメやゲームに出てくるような、小さくて可憐な姿をしていた。手のひらサイズの大きさで、透明な羽根を揺らして飛んでいる。羽ばたかずに浮いているのは流石ファンタジーと言うべきか。
そして割と重要なのが、一体一体の姿形、加えて性格までもに個体差があるようだ。例えば向こうでネコっぽいのに追いかけられているのは、気弱そうな水色の個体。それを微笑ましそうに見ているのは大人っぽい白色の個体。髪型も服装も違っていて、どれもバラバラだ。
私の頭の上のは好奇心が強そうな顔立ちで、長い髪をツインテールにして動きやすそうなワンピースとドレスの中間みたいな服を着ている。
……この妖精、NPCじゃなくて一応フィールドモンスター扱いになってる。
NPCがそれぞれ”個性”があるのは分かるが、まさかモンスターにも”個性”があるとは。
アイテムあげたら乗ってきた状況から、テイムでもしたのかと思ったけど違いそうだ。単に懐かれただけかあ。
「〜♪」
ま、いいか。
そうそう、アレをエンカウントと言うべきかは悩むところだけど一つだけ。
探索している最中。急に足に違和感があったので見てみれば、そこには妙なモンスターがいた。
外見はまさしく"ラクガキ"。子供がクレヨンで書きなぐったような絵を、立体的にしたような犬だった。大きさは小型犬と言ったところか。
それがガジガジと私の足を噛んでいる……のだが。
まったくダメージがない。痛みすら感じない。むしろこそばゆい。
妖精も特に気にしていないし、甘噛みなのか本気なのかさっぱり分からず困っていたのだが。どこからともなく兎様が現れてラクガキ犬を咥えて行ってしまった。
いやほんと何だったんだろう、アレ?
「……さて」
それから暫く。
私は倒木に腰を掛け、熟考していた。
何がどうなってこうなのかイマイチよく分からないけど、兎様をモフるという目的は達成した。ついでに瓜坊やら小動物をモフることもできた、スクショも撮った。
そして――振り出しに戻った。
「これからどうしようか?」
実を言うとこれは時間稼ぎのつもりだったのだ。
来るものを拒む嫌がらせ全開の森に、触れることさえ難しいという兎様。最前線プレイヤーでさえ困難という難易度なら、当分の間はそれを目的にしても良かったはずだったのである。
それがまさか、その当日に完遂するとは思わなかった。おまけに何の奇跡か死に戻りすらしていないので、今更街に戻る為に自殺行為をするのも勿体ない気がしてしまう。
「うーん、どうしたものか……な?」
腕を組んで頭を悩ませていると、肩にもふもふとした感触が乗った。長い、白くふわふわした耳。
振り返ると、そこには何時の間に近づいたのか兎様がこちらを見下ろしていた。
……何事?
なんかやらかした? と嫌な考えがよぎったが、頭上の妖精はまだ呑気に木の実を頬張っているようなので、それは杞憂らしい。
と、兎様は私の肩を叩いた耳とは反対の耳をこちらに差し出してきた。……つーかこの耳って腕変わりですかい。
「……毛玉?」
その腕もとい耳の上にあったのは、一塊の毛玉だ。手のひらサイズで、ちょうど今の私の手ならすっぽり収まるぐらいだ。
「くれるの?」
言葉が通じるかは不明だったか、思わず問いかける。そこで気が付いたが、この兎様は昨日森で出会った――要は私をここに連れてきた兎様だ。
その問いに対し、ずいっと耳を前に出すことで返答がきた。
その耳に乗った毛玉に手を伸ばす。
指先が毛玉に触れた瞬間――
――特殊アイテム『兎王のお守り』を取得しました。
――スキル『ラビットジャンプK』がアンロックされました。
――install:New Function "Boost"......Complete
「!?」
突然視界に浮かんだ文字と、ウィンドウに表示されたシステムアナウンスに驚愕した。兎様を見ると、うむ、と言うように頷いている。
視界に浮かんだ文字はすっと消えてしまったが、ウィンドウはまだ残っているのでもう一度内容を確認した。
「スキルのアンロック……? そうか、そんなのもあったっけ」
基本的にはスキルはそれに見合った行動をとることでレベルが上がるが、中には一定の条件を満たさなければレベルが上がらないものも存在する。
まあそんな難しい話ではなく、例えば魔導スキルは魔導士のNPCに教えを乞う事でアンロックされる。極端な話をすれば、剣を持たずに戦っても剣に関するスキルレベルは上がらないのは当然だ、ということだ。
にしても、モンスターから貰ったアイテムでスキルのアンロックがされるとは思わなかった。もしかして他にもモンスターから得られることはあるのだろうか? と掲示板を見てみると、非常に分かりやすいのがあった。
「……霊感」
夜の街などでゴースト系のモンスターに何度か会うと――いや、これ以上は止めておこう。だから開発何考えてるし。
それはともかく。
気になるのは貰ったアイテムの名前。
「兎、王」
どやっ、としている兎様。ああ、兎の王族でしたか……。納得の貫禄。
誰だこの兎様考えたの。
私が受け取ったことを確認すると、兎様はもっふもっふと去って行った。
その後ろ姿を見送り、貰ったアイテムと取得したばかりのスキル内容を確認する。
▼兎王のお守り(特殊アイテム:譲渡不可)
兎王が信頼するに値するとした者に与えられる幸運のお守り。
・インベントリ内に存在するだけでLUK上昇
・スキル:ラビットジャンプKのアンロック
・すごく、もふもふ
▼ラビットジャンプK
兎王のお守りに込められた力により解放された原初の力。
・跳躍力大上昇
・HP消費:極小
「……なるほど」
これは、凄い物なのだろう。
スキルはまだ何とも言えないが、お守りに関しては装備するまでもなく所持するだけでステータスが上昇するという壊れ性能。それと、もふもふだ。
所持するだけでステータス上昇。
LUKが。
そう、LUKが。
「…………orz」
私LUK補正受けねえよ!
しばらく凹んでいたが、スキルともふもふだけで十分と思う事にする。せっかくの兎様の好意だ、有難く使わせてもらおう。
空を見上げれば木々の隙間から太陽が見えている。今の時間と太陽の向きから方角を割り出し、街とは逆方向に歩き出す。
「せっかくだし。行けるところまで行ってみようか」
ついでに貰ったばかりのスキルを試すことにしよう。
ああ、それなら頭の上の妖精をいい加減降ろして……って。なんで肩に乗る。
「もしかして、付いてくる気?」
聞けば、満面の笑顔で頷かれた。他の妖精を見てみれば、いってらっしゃーいと手を振っている。いやはや、なんとも自由な気質だ。
ふふ、と私の口から笑みが漏れる。
……ああ、この無表情ロボでも笑うことはできるんだな。
「旅は道連れ、か」
テイムは主従の関係だが、気の合う仲間という風なこれはこれで面白い。
こちらに手を振っている妖精と、遠くで見守っていた兎様に頷き一つ。
私は森を走り出した。
「――っと! はっ!」
とーん、とーんとリズミカルな音が森に響いている。音は早くなったり遅くなったりとしながらではあるが、森の中をかなりの速度で進んでいく。
その正体は私が"跳躍"する音。
木々を足場に、前に跳躍しているのだ。
よくアニメやら漫画やらでやっているので出来るかなとやってみたのだが、案外上手くいっている。たまに速度を出し過ぎて木に衝突しかけるが、それを回避するのも面白くなってきた。
肩にいる妖精も楽しんでいるようで、GOGO! と言わんばかりの表情だ。うん、現実で免許を取る時は気を付けよう。
景色が高速で流れていく。これでワイヤーがあれば立体機動! とかできるんだろうけど。……それは怒られるか。
そうやってどんどん森の奥へと進んでいく。時折何か獣や鳥の鳴き声が聞こえるが、あっという間に後方へ流れていった。おかげでまともなエンカウントはなしである。兎様の力すげー。
さて、結構先に来たものの、そろそろ何かが見えても――?
「森が、開けてる?」
視界の先に捉えたのは森の終点。木々の隙間から溢れる光だ。
木々を蹴りつける足に更に力を込め、速度を上げる。
「――――」
ふと思い出したのは、このゲームを始める直前に聞いた言葉。
『――"この世界"を見てみては如何でしょうか』
そこにある、という期待感があった。
私がこのゲームで、仮想の現実で、何をしたいのか。
そうして私は森を抜けた。
ふわりと柔らかな、しかし鋭い風が髪を撫でた。
「――――あぁ」
思わず、感嘆の息が漏れる。
目を奪われるとはこの事を言うのだろうと、どこか呆然とした頭でそんなことを考えた。
どこまでも続く蒼の空と、広大な碧の大地。
遠くに見えるのは、地平線ではなく雲まで届く山脈が聳え立つ。
大きく息を吸い込めば、都会の街にはない澄んだ空気。
付近に咲く花の匂いだろうか? 甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「――――あぁ」
また、息が。
思わず、見える光景に頬が緩む。
空。
二つの太陽がこの風景を照らしている。その下を、白銀の竜が飛び去って行った。
陽光を反射して煌めく翼が雲を割り、風が巻いているのが遠目でもわかる。
大地。
数十メートル単位の巨木が幾つも蔓延り、一部に至っては水晶でできた樹が乱立している。その中を、これまた水晶でできたオオカミが駆けていった。
オオカミの水晶は淡く輝いていて、それが群れを成して行くのである。残光は正しく光の川の様だった。
その他、山脈の付近に浮かぶ明らかな人工構造物。森の中に唐突に生えている――というより突き立っている、果ての見えないバベルの塔的ななにか。塔の途中に歯車が見ているので、この機人と関係があったりするのだろうか?
あと、私の肩で目を輝かせている妖精。ついでに何故か、本当に何故か足を齧ろうとしてくるラクガキ犬がいたが、それはぽいっと崖下に投げ捨てた。
地球上には、間違いなく存在しない風景。
ファンタジー、いや、おとぎ話を形にしたような摩訶不思議な世界。
また、美凪さんの言葉を思い出す。
そしてようやく、このゲームの"狂人の遺産"の意味を理解した。確かにこれは褒め言葉として"狂人"だ。
彼が何を想ってこの世界を作り上げたのかは分からない。
ただ――それを見た者の心を動かすことだけは間違いなかった。
――ああ、やはり見ているだけでは満足できそうにない。
「ん。行こ、かな」
さっきラクガキ犬を放り投げた崖を覗き込む。目算、ざっとビル7階ぐらい。
落ちれば、普通は死ぬ。
ここが現実であるなら。
肩に止まったままの妖精を見るが、どうやらまだまだついてくる気らしい。それに、これから私がやることを解っているようで、わくわくしているようだ。
「……物好き」
苦笑するが、相手は気楽に笑うのみ。まあ私も同類だから人(?)のこと言えんのだが。
二、三度跳ね、足の具合を確かめる。ここまでラビットジャンプを駆使してノンストップだったので、ステータスを見ればHPが減少していた。
移動系は元々消費が少ないとは聞いていたけど、ここまで燃費がいいとLUK補正云々はどうでもよくなってくるね。
とりあえず回復するのだが、せっかくなので昨日に拾ったアイテムを使わせてもらう。効果はHP回復とAGIの上昇。その瓶一本飲むだけで体の重さはなくなった。
一度体の力を抜き、体勢を変えてそこで止める。
さて、こういう時、言うべきことは一つだ。
「あーい」
体を前傾姿勢に。軸足に力を込める。
「きゃーん」
あとは――一歩を大きく踏み出すだけだ。
「ふらああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああい!!!!」
それがこの世界――VRMMO「AlmeCatolica」での、私としての第一歩。
そして多分、私が現実でも変わるきっかけとなった第一歩。
さあ、この世界の果てを見てやろう。