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チャプター 07:「狂気の影」

「これは恐らく…………」

 冷却用ファンの回転音に満たされたラボの中で、椅子に座る女がぽつりと呟いた。深紫

のウェーブがかかった長髪を垂らし、学者然とした白衣を纏う。タイトスカートから覗く

のは黒のガーダーベルト。ライトブラウンの瞳と長い睫を持つ白衣を着た艶のある女であ

る。

 彼女がぼんやりと視線を落とすのは、机に広げられた古めかしい資料。元々白かったで

あろうそれらの紙は、経年劣化によって黄色く変色していた。書かれた難解な科学式や説

明を指でなぞり、幾度か唸ってみせる。

 そこへ、黒いコートを着た青年が入ってくる。

「博士。指示通り作ってきました」

 シンである。

「ご苦労。カップをくれ」

「はい」

 シンの手渡すマグカップは無地白色であり、お世辞にも洒落たものではない。それは、

このラボの持ち主でありシンを生み出した彼女、ドクターイデアの人間性を映し出してい

た。

 湯気の立ち上るマグカップに注がれた黒い液体をすすると、イデアは顔を顰める。

「シン。これは濃すぎる。次からはもっと薄く淹れてくれ」

 イデアの指摘に、シンは首を傾げる。この仕草も、イデアのプログラムしたものである。

「かしこまりました」

 シンの返答に、イデアは納得すると同時に悔しさを覚える。それは自分の想定していた

通りの反応であり、自分の目指す人間的な思考とは別のものであった為である。

 どのように改良すれば良いのか、また、どのように学習させれば効果的なのか思案を始

めるが、ふと、その日の主題を失念していた事に気がつき、会話を始めた。

「シン。これを見て、どう思う」

 机の端に置かれたコンソールを操作し、大型で透明な板に映し出されたのは、前日に遭

遇した赤い怪物。

「ドレイク、ですか」

「そうだ。これはどう見てもドレイクだ。だからこそ不安なのだ」

 イデアは足を組み替え、机の上で両手を重ね、再度シンへ視線を合わせる。

「もしや、とは思うのだが。現在の世界では、ドレイクとドラゴンが混同されているので

はないのか」

「可能性はあります」

 遅延なく答えたシンに、イデアは目を閉じ、二度頷いた。

「おかしいとは思っていたのだ。学院の資料に、ドラゴンの出現履歴が残っていた。だが、

アレと相対して記録が残せるような戦士や刻印師が、あれだけ多く存在しているとは考え

にくい。世界の惨状を見れば、個の能力が衰退している事は明白だ。と、なれば――」

「ドラゴンは、既にこの世界に居ない」

 疑念を言葉にしたシンに、イデアは深いため息をつき、視線を落とす。そして、書類の

並べられた机を、右拳で激しく叩く。

「クソッ! あれを、あの存在を圧倒する為だけに。私の肉体も、200年以上の時間も

捧げてきたと言うのに。何故だ…………何故だ!」

 シンと同じように、自ら作り上げた機械の身体で、イデアはぶつけようのない悲しみを

心に抱く。双眸からは、人口眼球潤滑用の液体が零れ落ちる。

 だが、完全なる機械である息子には、感情の機微が不足していた。

「博士。今は、新たな問題を処理する事に専念しましょう」

 傷ついた人間に対する、あまりに無遠慮な言動。しかしながら、今はシンの前向きな発

言が嬉しくもあった。零れた涙を拭い、息を整える。

「……そう、だな。先ずは、アレの対応から検討するか」

 言うより早く、新たな画像や大量の文章を、大型画面に並べてゆくイデア。

 画像の欄には、無数の触手を持つ不気味な物体が描かれていた。

「こいつが発生している可能性がある」

 シンが無言で頷いた。

「コード・レクター。マッドドクターの一人が生み出した、対人用大量殺戮兵器」

「そうだ。本体を確認したわけではないが、平凡な森であれだけ酸素比率が変化している

のはあまりに不自然。で、あるならば。対応する準備を整えておく事が肝要だ」

 一瞬、無反応になったシンが、素早くコンソールを操作する。

「ANBのアンプルを携行しますか?」

「妥当な所だろう。5本装備しろ。注射用の器具も忘れるな」

「了解。直ぐに薬品庫へ――」

「待て」

 イデアは立ち上がったシンを制止し、端末を繰る。

「抗ナノマシン薬は、あくまで受動的なものに過ぎん。計画通りのスペックならば、並の

火力では無力化が難しい」

「火炎放射器も携行しますか?」

 イデアは、シンの提案に笑む。その表情は、敵を討ち取る復讐者のようだった。

「〝ガジャルグ〟を使う。建造してから一度の試射も行っていないからな。試験ついでに、

焼き払ってやろうではないか」

「了解です。キャパシタへのチャージを始めますか」

「先ずは、各クラスタが何割稼動しているか調べる必要がある。デブリにやられる事を想

定して、かなり多く打ち上げているからな。今回のケースならば、設計出力の15%程度

で足りるだろう」

 忙しなく端末を操作し始めたイデアに、シンは黙って待機を続けていた。大型画面には、

専用のプログラムが起動し、升目状に分割された小さな画面には、バラバラな表示が並ぶ。

 イデアが呟いた。

「なるほど。9割程度は無事なようだな…………上出来だ。シン」

「はい」

 直立不動のまま動かなかったシンと、イデアの視線が交わる。

「ガジャルグの電子キーはお前に内蔵されている。各クラスタの稼動を開始しろ」

「了解」

 シンの応答と同時に、大型画面に分割表示された文字列が、次々に緑色へ代わってゆく。

そして、右下の大きな欄に表示された数字が、少しずつ大きくなって行く。

「ようし。各クラスタのチャージは順調なようだ。3日もあれば最高出力に到達できるな

…………さて」

 素早い操作で全ての端末を切ったイデアは、ラボの端に置かれたカプセルへ身体を収め

る。そして、それに従うように、シンは己のうなじに設けられた通信用ポートへケーブル

を差し込んだ。

 ほんの数秒で、イデアの身体は動かなくなり、代わりに、シンの電脳内へ聞き慣れた声

が戻ってくる。

『ふむ。やはり、身体があるというのは、幸せな事なのだな』

『そう、なのですか』

 イデアは電子を震わせ苦笑した。

『いずれお前にもわかる時が来る。きっとな。さて、問題を片付けに戻ろうか』

『了解』

 イデアはシンに移動を命じ、肉体を失った電脳内で静かにため息を漏らし、次の作業を

始めた。

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