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チャプター 06:「絶望」

「さて。これで、残る一区画を調査すれば終わりね…………念のため、ここで装備の点検

と身体に異常が無いか確認しましょう。けれど、周囲の警戒を怠らないよう注意して」

「はい!」

「了解」

 レイラは踵を返し、調査に参加している三名へ向けて目配せした。レイラに最も近い位

置に立つレネは姿勢をただし張りのある声で返答し、ベルタは静かに自分の篭手や装備を

点検していた。だが、シンは仁王立ちしたまま動かない。

「シン君? 装備の点検を。今まで何も問題が起きなかったとは言え、ここを出るまで油

断はできないわよ?」

 レネの鋭い視線がシンへ向けられている事に苦笑しながら、レイラは動かないシンへ確

認を促した。

「…………点検完了。全ての機関は正常に動作している事を確認した。問題ない」

「貴様、まだそのような世迷言を! レイラ様を愚弄するのもいい加減にしろ! 何なら

ここで俺が――」

「やめろ」

 静かにレネを制したのは、点検を終え、自分の髪をかきあげたベルタだった。青い瞳が、

レネを冷ややかに見つめる。

「そいつが妄想家だろうが何だろうが、そんな事はどうでもいい。もしもシンがその気な

らば、お前は瞬く間もなく殺されてるんだ。あたしも、レイラもな」

「そ、そんな事は……」

 ベルタには強く出られないのか、レネの声は尻すぼみに小さくなる。場が静まり、レネ

が反論しない事に小さく吐息を漏らし、目を伏せたベルタが静かに呟いた。

「あたしはホラ吹きが大嫌いだ。だが、同時に実力者は尊敬する。こいつの強さはあたし

が身を以って体験した。個人の好き嫌いはあっても能力まで否定はできない」

 思わぬ場所からシンの擁護が入り、レネは黙ったまま八重歯を剥き、シンを睨む。危な

く騒動が起き掛けた所を沈めたベルタに目で感謝しながら、レイラは再度参加者を見渡す。

「それでは、最終区画に入ります。これから向かう場所は、今まで調査された区域の中で

も最も危険度の高い場所です。慎重に、入念に調査を進めましょう。私達の見落としが、

重大な危機を招く可能性がある事を肝に銘じておいてください」

 三人は無言で頷いた。前方を向いたレイラが右手に乗せた測位板へマナを流し、現在位

置を確認すると共に、左手に持つ地図を頼りに移動を始める。

 危険生物が多数生息している可能性のある場所である不出の森は、一般人の出入りが厳

しく制限されている。道の整備などされている筈もなく、一行は獣道すらない、雑草と大

樹に囲まれた深い森を進んでゆく。先頭にはレネ、次にナビゲーターであるレイラ、ベル

タ。そして、最後尾を担当するのはシン。

「待って」

 レネが短剣で前方の蔓を払う中、その動作を制止し、耳を澄ます。しん、と静まり返っ

た森の中に、地響きのような音が一定の間隔で近づいて来ている。その音から推測される

重量と速さから、四足歩行で、相当な体躯である事は容易に想像できた。

 レイラは戦慄する。

「これは…………ブラウンボア! 皆こちらへ! 迎撃準備!」

 運良く開けた場所があった事で、戦闘の難易度を下げる為、レイラは素早く一行を誘導

する。

 小さな雑草地に逃げ込んだ直後、森の中から巨大な生物が姿を現した。

「…………こいつは」

 先頭に立ちながら、レネは震えた声で剣を構える。相対するのは、木々の丈にも負けな

いような巨大なイノシシだった。牙は人の腕よりも遥かに太く、その身をよじるだけで周

囲の樹木はなぎ倒され、その巨体が移動するだけで立っている事もままならない程に地面

が揺れる。不出の森特有の、超巨大野生生物。

 だが、この場所へ足を踏み入れているレイラ達もまた、学院の映えぬき(・・・・)な

のである。全員が、相対するブラウンボアに対して最適な陣を形成する。

 最前衛がシン、レネ。その後ろにベルタ。そして、三名に護られる形となったレイラが、

声を張り上げた。

「シン君とレネはブラウンボアを走らせないよう翻弄して! ベルタの準備が出来次第、

彼女へ敵を誘導!」

「了解」

「了解しました!」

 前衛の剣士二人がボアへ向かってゆくと、その背中でベルタが双腕へ魔法を充填し始め

る。彼女の術は通常魔法と同程度の起動速度であり、熱や電気といったエネルギーを一切

用いない。液体や気体に対しては致命的に弱く、通常のメイジが難なく対処できる事でさ

え、彼女には解決する事ができないのである。

 だが、異端視される彼女の魔法は、欠点を補って余りある利点を持っていた。

「…………ふう。充填完了。レネ、シン。ブラウンボアをこちらへ」

「了解」

「了解!」

 前衛の剣士が動きを変え、ベルタの立つ位置へ後退する。一時は二人を見失っていたら

しい動きを見せたブラウンボアだが、目標を見つけるや否や、その巨体を強靭な足が前へ

蹴り進め、肉塊としか表現できないような怪物が突進して向かって来る。ボアの蹄が何度

も地面を殴打し、衝撃によって巻き上げられた砂埃を引き連れ、それがシンとレネに迫る。

「ようし…………どけ!」

 ベルタの号令と共に、レネとシンが素早く左右へ飛び退る。

「ふう…………ふううん!」

 残されたベルタは、冷静に、力強く、右拳を突き出した。拳は薄緑色に光るマナを纏い、

空を駆け抜けた後、ボアの眉間へ命中する。質量差から考えるなら、ベルタが跳ね飛ばさ

れて終わりである。だが、彼女の拳は前進を続け、頑強に見えるブラウンボアの頭蓋骨を

突き破り、ブラウンボアは鉄壁に衝突したかのように身体を丸めた。だが、自重の慣性質

量まで殺しきる事は出来ず、脳を破壊され絶命した後も、全身の骨や筋肉が下半身重量に

負け、潰れてゆく。

 熱や光などは、圧倒的な物理質量を発生させる彼女には不要なのである。

「まあ、こんなものか」

 脳漿まみれの右腕を引き抜いたベルタは、痙攣するボアから離れ、腕に纏わりついたも

のを振り払う。

 戦いが無事終わると、レイラはブラウンボアが確実に絶命している事を確認し、身体の

検分を始める。生後何ヶ月なのか、雄、雌の判別、子を成した形跡はあるか、など、それ

から入手できる限りの情報を集めてゆく。

「これは…………報告の必要がありそうね」

 レイラの所見では、仕留めたブラウンボアは雌であり、子を生んだ形跡があった。それ

は、雌より小型ではあるが対となる雄も生息し、そして、数匹の新たなブラウンボアも存

在している事を示していた。民家をも容易く破砕する巨大生物であれば、万が一の事も考

え、メイジ教会に報告を行わなければならない。

 背中に背負う鞄から洋紙を取り出し、滅多な事では使用しない鉛筆を使って情報を記し

て行く。

「さて。次に進みましょうか…………シン君?」

 全てを筆記し、鞄を背負い直したレイラは、右方を見つめたまま動かないシンへ声を掛

ける。だが、反応が無い。

「シン君、次へ――」

「近づいている」

「…………えっ?」

 何が、とは聞かなかった。耳を澄ますと、猛禽とも、獣ともつかない、威圧的な咆哮が

微かに聞こえる。

 それは、彼女が知り得る最悪の生物である。

「嘘、でしょう…………ドラゴン! 皆、森へ隠れて!」

 レイラの叫びに、ベルタとレネは急いで植生の濃い森の中へ駆け込む。そして、レイラ

もそれに続いた。

 だが、参加者の中で唯一人、シンだけはその場を動かない。

「シン君! 早く中へ」

「…………了解」

 反応が鈍いシンへ苛立ちを覚えつつ、身を隠す為に大木の陰へ逃げ込む一行。最後にシ

ンが合流し、徐々に咆哮の大きくなる背後を透かした。

「やっぱり」

 レイラの一言を最期に、一行は口を噤んだ。絶命したブラウンボアの傍へ舞い降りたの

は、二本の角を持ち、全身を赤い鱗で覆われた有翼最大の生物、ドラゴン。

 巨体である筈のブラウンボアも、それを喰らうドラゴンと対比してしまえば、小動物の

ようである。

 音を立てながら肉を食い千切るドラゴンに警戒しながら、レイラは全員を見回し、静か

に口を開く。

「あの怪物がここを離れるまで、絶対に動かないように。ドラゴンは、鼻も耳も恐ろしく

良いわ。絶対に物音を立てないで」

 ベルタとレネが緊張した面持ちで頷く中、シンだけが無表情のままだった。そして、奇

妙な挙動の青年は、さも不思議といわんばかりに口を開く。

「何故そこまで警戒する必要がある?」

 あまりに素っ頓狂な物言いに、一行の視線はシンへ集中する。

「シン君、ふざけている場合じゃないのよ。新たなドラゴンが誕生していると判った今、

私達はこの情報を絶対に持ち帰らなければならない。これは最優先事項なの。ここで貴方

一人が死ぬだけでは済まない事なのよ。だから――」

「あれはドラゴンではない」

 絶句した。あれほど倒したいと豪語していた生物を前にして、目の前の青年剣士はそれ

がドラゴンではないと言い出したのである。遮蔽物の向こうで未だ獲物を喰らっている生

物は、レイラの知るあらゆる資料に記されているドラゴンの特徴と一致し、それが史上最

強の生物である事は疑う余地も無い。

 だが、対するシンは冷静なままであり、錯乱している様子でもない。その様が、奇妙な

説得力を帯びていた。

「あれはドレイクだ。赤い鱗と象牙色の角を持つ翼竜…………珍しい生物ではあるが、ド

ラゴンと見間違えるには無理がある」

 涼やかに答えるシンに、レイラは呆れ返った。囁き声ながら、強い口調でシンへ言葉を

放つ。

「シン君、いい加減にしなさい。あれはドラゴンよ。ここでは私の命令に従って頂戴」

「違うのだが…………まあいい。特に危険はないから――」

「貴様! 黙って聞いていれば! お前だけここでドラゴンの餌になるがいい!」

 誰の目から見ても明らかなシンのふてぶてしい態度に、遂に一人が癇癪を起こしてしま

う。

 レネである。

「俺は事実を説明しているだけだ。あれは――」

「最早言葉は無用!」

 だが、頭に血が上っていたレネは、抜剣した刃の軌道まで注意が回らない。

 勢い良く抜き放たれたレネの大剣は、頭上の枝に打ち付けられ、大きな物音を発してし

まった。

「し、しまっ……」

 失態を悔いる言葉が口から漏れかけ、レネは慌てて自分の口を塞ぐ。

「なんて事……」

 だが、既に相手はこちらに気がついていた。物音に反応したドラゴンは、警戒の意を喉

音で表した。それはシン達の隠れる茂みを注意深く観察し、そして、ゆっくりと近づいて

くる。

 レイラは絶望に打ちのめされそうになった。野生の生物を相手にする程度の装備、練度

が高いとは言え、学生程度の戦力では到底敵わない。それどころか、逃げる事すら敵わな

い。

 しかし、レイラは長としての責務を果たす為、覚悟を決めた。

「総員、戦闘準備! 前方のドラゴンを――」

 既に見つかっていると想定し、一手でも早く体勢を立て直そうと声を張り上げるも、一

人ドラゴンの前に身を晒したシンに釘付けになる。

 脳裏に過ぎるのは、全滅の二文字。

「シ、シン君直ぐに隊列を」

 レイラの命令にも、シンは微動だにしない。そして不思議な事に、対するドラゴンも様

子を窺うかの如く、シンを見つめたまま動かなかった。

「人語を解するならば聞け。獲物を横取りするつもりは無い。我々に手出ししないならば、

危害は加えない。それを持って立ち去れ」

 狂気の沙汰。シンは、ドラゴンと意思の疎通を図ろうとしているのである。

「うそ………………でしょ?」

 暫く睨み合ったシンとドラゴンだが、人の数倍はあろうという首を垂れると、それは食

べかけのブラウンボアを後ろ足で掴み、空へ飛び上がった。辺りへ砂埃を撒き散らし、木

々の葉を掻き乱しながら、ドラゴンは彼方へと飛び去っていった。

 レイラはその場にへたり込み、額へ手を当てる。

「し、信じられない。ドラゴンと交渉するなんて前代未聞よ」

 憔悴する一行の中で、シンだけが涼しげな表情を崩さないまま、レイラへ視線を向けた。

「ドレイクの中には、人語を理解できる個体も少数存在している。元々知能は高い生物だ。

今回は運が良かったな。お陰で――」

 もはや反論する気力もないのか、ベルタやレネでさえもシンへ返す言葉はなかった。だ

が、口を開いたまま突然言葉を切ったシンは、暗い森を何度も見回し始めた。そして、漂

っていた視線がレイラへと帰ってくる。

「レイラ。調べたい事ができた。直ぐに戻りたい」

 意味不明で傍若無人。ドラゴンにすら交渉を行う狂人。強者である事をわかってはいて

も、シンに対するレイラの評価は固まりつつあった。加えて、二度と調査に同行させない

事も決意した。

「そうね。ドラゴンの生息情報を届ける事が最優先だわ。戻りましょう」

「…………了解」

「了解しました!」

 移動を始めた一行の最後尾を歩くシンを一瞥し、レイラは静かに呟く。

「貴方は……一体何なのよ」


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