チャプター 05:「ストライカー」
集会場から出た四人は、先行するベルタに続き校舎の外へ出る。そして、屋外訓練用の
広場へ出ると、レイラは踵を返しシンを見る。
「さて。あたしはいつでも戦える。装備の確認及び準備があるなら、万全になるまで待と
う。不完全な状態で負けても納得できまい」
不敵に笑むベルタに頷き返し、シンは身体機能のチェックを始める。
『おい、シン。各部が正常に稼動している事くらいわかっているだろう。馬鹿正直に確認
する必要はない』
『申し訳ありません』
ため息まで表現された博士の音声は、苦笑にも似た声を発した。
『融通が利かないは、設計した私にも落ち度はあるかもしれないがな。まあ……それはい
い。今は、相手を分析する事に専念しよう』
『了解。出力拘束は』
『解除不要…………と言いたい所ではあるが。魔法というものがどのように機能するのか
全く判らん。だが、これ以上リミッター解放を行えば、お前の腕力では手加減できまい?
今回も殺す事が目的ではない。厄介事にならないよう、拘束出力で戦ってみろ。もしも危
うい状況になるなら、〝スピードシフト〟で状況判断と拘束解除を行う』
『了解』
電脳内の博士と会話が終了すると、シンは剣を抜き放ち前方へ構える。
だが、ベルタはシンの行動に肩を落とし、レイラに粘りつくような視線を向けた。
「おい、レイラ。こいつは本当に教官推薦の剣士なのか? あたし相手に鉄の剣とは」
視線を受けるレイラは困惑した様子でシンを一瞥すると、再度ベルタへ目を合わせた。
「ええ、そうよ。けれど、お兄様は彼には経験が不足しているから、と。今回の探索へ参
加するよう推薦されたの」
レイラの答えに納得できなかったのか、ベルタは唖然とした表情でシンを見た。
「何だそれは…………訳がわからん。探索に参加する剣士には豊富な経験が絶対必要だと、
カイン教官も重々理解している筈だろうに。どうしてこんな素人臭い奴を」
ベルタの苦言に、レイラは深いため息を吐いた。
「私も、今回ばかりはお兄様の意図がわからないわ。確かに、レネを倒した腕は本物だと
思うけれど…………いくらなんでも過大評価じゃないかしら」
本人を目の前にしながらも、レイラは本心を零す。そして、レイラに同意するかのよう
に何度も頷いて見せたベルタは、呆れた様子でシンを眺めた。
「ああ…………シン君、だったか? 今からでも遅くないぞ。あたしと戦って怪我する前
に諦めたらどうだ?」
蔑視するベルタにも、シンは眉一つ動かさなかった。
「言っている意味を理解しかねる。俺はあらゆる生物、兵器に勝利する為に生まれた。こ
の程度の障害で、博士の目的を諦める訳にはいかない。まして、人相手になど」
シンの言い回しに、博士は電脳内で高笑いを発する。
『シン、言うじゃないか』
『事実です』
だが、電脳内で満足げに笑う博士とは対照的に、怒気の篭った笑みでシンを睨む女が居
た。
ベルタだ。
「この程度、だ? フ、フフフ…………いい度胸じゃないか」
「べ、ベルタ! 手加減を――」
レイラの言葉を遮ったのは、ベルタの左手だった。
「大丈夫だ。あたしも人殺しになりたくはない。ちゃんと手加減してやるさ…………さて、
始めようか」
左右の篭手を嵌め直したベルタが、シンと相対する。戦いの開始を悟り、下ろしていた
AVSを構え直し、ベルタの動きを注視するシン。
腰を落としたベルタが、一層攻撃的な笑みを浮かべる。
「ああ、時にシン君。君は、ベッドが好きかな?」
ベルタの問いに、シンは首を傾げた。
「いいや。俺に睡眠は必要ない」
「そうか。それは残念だ。特別な床を用意してやろうと思っていたんだがな。ベラドンナ
の――」
刹那、前方に構えていたベルタが、一瞬の内に剣の間合いへ踏み込んでいた。
「特別病棟にな」
人の反射速度では到底対応できない速力から左足に体重を乗せ、地面を掠めた右拳が迫
る。
回避が困難と判断したシンは、打ち合わせ通りに緊急対応機能を起動させた。
[スピードシフト オン]
想定されるあらゆる脅威に対して、与えられた僅かな時間で対抗策を講じる為に搭載さ
れた戦術支援機能。スピードシフトが起動した瞬間、日常生活に支障をきたさないよう最
低限まで絞られている電脳内の通信速度を、一定時間最高速度で使用する。これにより、
シンと博士は、緩やかに流れる時間の中で会議を始めた。
『博士。これは』
『ほう…………これが魔法か。想像していたものとは随分と違うようだ。詳しい術式は判
らないが、恐らく身体機能の向上と、物理耐久力を増加させる効果があるのだろう。確か
に、人間相手ならば脅威になるものではあるな』
常人ならば数秒はかける思案も、数千倍に増加した通信速度の前には刹那の時に過ぎな
い。博士は、充分に思考した結果を静かに口にする。
『よし、パワーリミッターを1%まで解放しろ。左目をマナスコープに。可変剣をモード
エグザムへ。シフトアウトしろ』
『了解。リミッター1%。AVS、エグザムへ移行開始』
[シフトアウト]
減速していた時間が通常速度へ戻り、再度加速したベルタの拳がシンへ迫る。それを可
変剣で受け止めると、黒く光る剣は打音と共に真っ二つになった。回転しながら空中を舞
ったたAVSの刀身は、シンの後方へと落下し、地面へ転がる。
回避行動と共に間合いを取ったシンは、腰を落とし構えを崩さないベルタに、折れた剣
を片手で構えた。
「ほう。あたしの拳を受け止めるとはな。だが…………折れた剣で、一体何をするつもり
だ?」
「問題ない」
可変剣に搭載された小型反応炉によってエネルギー供給を受けた量子変換機が、大気中
に存在する物質の波動量を書き換え、折れた刀身が姿を変えてゆく。それはまるで、光が
剣に集まり形を成していくかのような幻想的な光景だった。
1秒にも満たない時間で細剣へと姿を変えたAVSに、ベルタとレイラは驚愕を顔面に
貼り付けた。
「おいおい…………魔法剣だったのかよ! どうして対抗刻印の入
った木剣を使わないかと思えば。そういう事だったのか」
一人で納得するベルタに、シンは疑問符を浮かべた。
「魔法剣? 一体何の事だ」
「しらばっくれるなよ。世界に五振りとない国宝級の剣だろうが。どこから手に入れてき
たのかは知らないが、分不相応だな」
ベルタの皮肉に、シンは眉をひそめる。
「これは魔法剣などというものではない。俺と対で生み出された、科学技術の――」
「ああ、わかった! お前の妄想はもういい! まだ足掻くつもりなら、徹底的に潰して
やる!」
もはや嫌味すら通り越し、本心を口にするベルタ。
だが、感情がないとしか考えられなかったシンの口元が緩み、僅かに笑む。
「それは、どうかな」
「貴様…………まだ言うか!」
未だ余裕を見せるシンの態度が気に入らなかったのか、ベルタは予備動作皆無の踏み込
みを見せ、先とほぼ同じ間合いでシンを完璧に捉えた。
かに見えた。
「な…………に……?!」
魔法により筋力や硬度を強化されている筈のレイラの拳は、シンの左手にしっかり受け
止められていた。
「う、嘘でしょう! ベルタの拳をあんな簡単に!?」
声を上げたのはレイラだ。拳を受け止められたまま身動きの取れないベルタ以上に、シ
ンへの驚きを隠せない。
「ク……クソッ! 貴様! 離せ!」
直後、シンが突然拳を離し、ベルタは地面へ尻餅をつく。彼女の双眸は、不可思議なも
のでも見ているかのようにうろたえていた。
「な、何なんだよお前!」
ベルタを掴んでいた左手を背中へ回し、細剣を静かに構えたシンは、ベルタへ涼やかな
視線を送る。
「俺はドラゴンを倒す為に生み出された戦闘機械だ。それ以外の何者でもない。まだ、続
けるのか? 既に俺は、貴女を圧倒している」
シンの電脳がはじき出した結果を包み隠さず口にした事で、相対していたベルタは遂に
我慢の限界を超えてしまった。
「ふ、ざ、け、た、事をおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ベルタ! 駄目!」
レイラの叫びも届かないのか、三度目の踏み込みは鋭さを更に増していた。押しのけら
れた大気はシンへ叩きつけられ、足元まで迫ったベルタが、容赦のない攻撃を繰り出した。
だが、リミッターを解除されているシンは、その上を行く身のこなしで攻撃を回避する。
体幹を中心として、華麗に回転しながら拳を交わし、続け様に撃ち出された左拳も鍔元で
いなして見せた。
幾ら攻め立てても、ベルタの攻撃はシンへ届かない。戦いが始まって十数秒経った頃、
遂に息切れを起こしたベルタが手を止めた。
「ハアッ……ハアッ! お、お前…………一体……」
肩で呼吸するベルタとは対照的に、シンは涼しい顔で剣を構えなおした。
「貴女はどうやら、決着をつけなければ納得できないらしい。それならば、次は俺から行
こう」
シンの一言に、ベルタの表情が強張った。咄嗟に腰を落とし、来るであろう攻撃に備え
る。
だがシンは、ゆっくりと歩きながら間合いを詰め始めたのである。ベルタの間合いなど
御構い無しに、軽い足取りで近づいてくるシンは、その様に狂気を纏っているかのようで
ある。
「な、何なんだよお前! なあ!」
シンは応えなかった。散々説明した事も聞き入れられず、それは既に効果のない行動で
あると結論付けていた。そして、それを伝える手段は現状たった一つ。
「…………行くぞ」
間合いに入った瞬間、シンは素早く踏み込み、間合いを詰める。そして、細剣のしなり
と細さを活かした素早い剣戟により、ベルタの胸に挿されたベラドンナを狙う。
「くっ! そう簡単に…………やらせる、か!」
肉眼で捉えられる限界を超えたシンの攻撃ではあったが、ベルタはその攻撃を全て捌き
きっていた。常人ならば回避不可能な攻撃も、天性の格闘センスと直感により、そのこと
ごとくを篭手で受け切る。
だが、防御にも限界が出始めていた。
「うそ……だろ! いつまでこれが…………」
限界まで目と双腕を酷使しているベルタに対し、シンが使っているのは身体能力の1%
に過ぎない。地力の差から来る持久力が、対等な状況を傾け始める。
「ハッ! マズイ――」
腕の疲労による一瞬の防御ミスをシンは見逃さなかった。防衛線の穴を的確に着いたシ
ンの剣が、花弁を貫通し、ベラドンナの花を散らす。
その瞬間、体力の限界に到達したベルタは、地面へ崩れ落ちた。
「ベルタ!」
急いで駆け寄ったのはレイラだ。友人を抱き起こし、脈拍や体温を確認する。
「ベルタ、大丈夫? 意識があるなら返事を」
「ハッ……ハアッ…………大丈夫……だ…………」
レイラは友人の身体に異常がない事に安堵しているのか、大きくため息を吐いた。そし
て、無言のままシンを見上げる。
「これで、探索への参加を許可してもらえるか?」
「え、ええ。けれど…………貴方は一体……?」
許可が下りたことでその場から立ち去ろうと踵を返したシンが、僅かに振り向き、レイ
ラを見た。
「俺はシン。科学の体現者だ」