チャプター 22:「契り」
学院を出てから五分。シンは月光だけを頼りに、驚異的な速度で現地へ向かっていた。
博士から、極一部の機能を除いた殆どのプログラム使用を許可されていたシンは、移動の
為だけにエンジンを定格駆動させ、四肢のパワーリミッターを十五パーセントまで使って
走っていた。
これは、身体の損傷状況と新しいパーツの限界性能を加味した上で、シン自身が決めた
数値だった。急がなければレイラが殺される可能性が上がり、身体の損傷を拡大させれば
勝てる可能性が低下する。二つの事柄を天秤に掛け、最も期待できる数字を選択した結果
である。
そして博士は、シンの内部で黙ったまま事の観察を行っていた。電子神経回路の動作観
測と記録こそ通常通り行っているものの、大きな処理を必要とする言語の機能を停止させ、
それをシンの外部処理領域として提供していた。元より処理能力は人間以上に高いシンの
神経回路だが、一度過駆動で機能が制限された回路でスピードシフトの使用は非常に危険
が高い。最悪の場合、シン自体が機能静止に陥る可能性があり、それは戦闘能力低下の比
ではないリスクである。
あらゆるファクターが足かせとなり、シンのポテンシャルは殆どが封印される形となっ
ていた。
「…………あれは」
土煙を上げながら疾走していたシンが、その先に立っている泥人形に気づいた。速度を
落とし、相手を観察しながら移動する。
岩窟の前で暴れているのは、魔法で作り出されたらしい、大きな泥人形。かつて人形使
いと呼ばれる刻印士が存在していた事はシンのデータベースにも登録されており、それに
類する刻印、魔法である事は見当がついた。
しかしその巨大な体躯から、一般的な魔法で生み出されたものではないと直ぐに気づく。
全長は研究室があるであろう岩窟とほぼ同等であり、三階建ての学院本棟の倍はある高さ
である。通常刻印でそれだけの規模の人形を作るのは、シンの持つデータを見る限り、普
通の人間には不可能である(・・・・・・・・・・・・・)。
シンの神経回路に、動作を急かすような命令文が飛び交った。
それは感情に例えるなら、焦燥感。
そして、巨像のようなそれと戦っているのは、見覚えのある男だった。
「…………レッド!」
シンが巨人の攻撃範囲外ギリギリから叫ぶも、レッドは反応しない。反応が無いまま立
ち尽くすレッドに、巨人が巨大な腕を左右同時に振り下ろした。
「ふう…………?!」
しかし、深く息を吐いたレッドの身体が緑色の光に包まれたかと思うと、その肩から巨
大な、光る機械腕が伸び、風圧で辺りに砂埃をまき散らされながらも、それを苦もなく受
け止める。
そして、冷淡な表情のレッドがシンへ振り向く。
「単刀直入に聞く。貴女にはこれの対処が可能か」
レッドからの質問が博士宛てであると気がつくと、シンは即座に身体のコントロールを
イデアへ渡した。
「ほぼ不可能に近い。そいつは見たところ…………四段型の精神網結合回路が組まれてい
るな。後期型の最も効率が良い回路だ。こちらが万全ならばともかく、結合印自己増殖機
能も備わっている事から、計算上のスペックは現状では対処できない」
レッドに腕を掴まれ、身動きできない巨人を観察しながら博士が結論と理由を説明する。
そして、まるで何事もないかのようにその場にたたずんでいたレッドが、落としていた
視線をシンへと戻し、静かに口を開いた。
「俺も同様の意見です。貴女との戦いで予想以上にマナを消耗した事から、即殺できるだ
けのマナが、今の俺にはない。しかし貴女はこれに対処できない。ならば」
レッドがニヒルに笑って見せる。
「貴女が他の化け物の対処を。この奥にあるマナの反応はこれよりも弱い。術が行使され
ていても、倒せる可能性は高まるはずだ。ここは俺に任せてほしい」
博士の操作するシンは、レッドへ不敵な笑みを返した。
「悪くない。任せろ」
同じように笑みを返したレッドと、コントロールを博士から戻されたシンが一瞬アイコ
ンタクトを取ると、即座に行動を開始する。
『オ……アア…………アアアアア!』
シンの行く手を阻もうと、呻くように暴れる巨像。
「…………おっと。お前の相手はこの俺だ」
シンが岩窟内に入り、レッドが呟いた直後、背後から爆発のような轟音が聞こえた。
しかし、シンは振り返るそぶりすら見せず、先を急ぐ。レッドと相対したからこそ、そ
の能力は身を持って体験している。戦闘能力に限定するなら、レッドはシンが知る誰より
も優れた戦士である。その男に先を託された以上、振り返るわけには行かなかった。そし
て何よりも、レイラを助ける為に一刻も早くその安否を確かめたかった。
しかし、シンの行く先に、自分の倍近い泥人形が立ちはだかる。
一見通常魔法で作り出された泥人形であるかのように見えるが、顔面の半分が生身の人
間である事から、それは禁呪を行使して形作られたものだと直ぐに看破する。
泥人形の目が、シンを見下ろした。
「クヒッ…………ヒャハハハハハ! 誰かは知らないがちょうど良い。この身体で試し斬
りをしたくて仕方がなかった。君が………………骨のある戦士である事を期待するよ!」
会話する余裕はなかった。言語こそ聞き取れるものの、会話が成立するような相手では
ないと判断し、シンが剣を抜く。
「イイイイイイイイ、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ベラドンナの守衛隊が使う剣を握り、奇声を上げながら斬りかかって来たその泥人形は、
その体躯を感じさせない驚異的な速さを持っていた。速度が乗っている分斬撃は重く、万
全な状態でないシンにとっては、受けるだけで精一杯の攻撃。
「このままでは…………?!」
しかし、防戦一方のシンは、身体の各部が著しい損傷を受けていた。
「ヒャハハハハハ! ホラ、ホラホラホラ! どうした! ああ?!」
シンの倍以上ある身体が持つ重量と超大なリーチが生み出す遠心力で、その剣戟は驚異
的な威力を持っていた。そして、得物の扱いが素人のそれとは違う、カインに近いもので
あることから、相手が剣の扱いに長けた優秀な剣士であると推察し、焦燥感を募らせる。
一撃受けるごとに、各部の損傷が広がり、博士が賢明にダメージをコントロールするも、
シンの身体は限界に近づいていた。
「先ずは、左腕だ」
自身の判断でリミッターを外し、螺旋筋繊維の持つポテンシャルを可能な限り使ってい
たシンだが、遂に左腕を掴まれた。泥人形の手は桁外れの握力を発揮し、刃物を使うこと
なく、シンの腕を力任せに引きちぎってゆく。柔軟性の高い、幾つかのケーブルは金属フ
レームより粘るも、それを引きずり出されながら、最終的に肘から先の全ての腕部が失わ
れた。
「ハハハッ! 何の事もあらん! バルトロがレッドではないかと憂いを感じていたのは
杞憂だったわけだ! この程度。いや、貴様…………!?」
泥人形の男は、シンの異変に気づいた。
己の身体を失ったシンが、全く動じていない事に。
「何故だ! 痛みを……感じないのか?!」
高笑いしていた泥人形の男が、初めて動揺を露にする。
しかし、その台詞を聞くシンは、内部で冷静に勝利への道筋を模索していた。バススピ
ードそのものが低下しようと、シンの計算能力が人間のそれを上回っている事に変わりは
ない。そして、シンの電脳は何度も計算を行い、勝利不可能という結果をはじき出し、本
人がそれを否定する、という動作を繰り返していた。
既存のデータだけでは絶対に勝てない相手を前に、それでもシンは諦めなかった。機械
的に計算を繰り返すのではなく、あらゆるアプローチを模索する様は、不屈の闘志にも似
た、非常に有機的なものだった。
自身より素早く、攻撃力の高い相手。
生身である部分が露出している事から、対人武装も有効。
損傷した状態で十分な威力を出す事ができる攻撃。
「はっ…………?!」
幾つかの要素を勘案しシンはそれに気づいた。
必要な要素を即座にコマンドすると、シンの身体がそれに応答する。
『エンジン定格駆動。排熱孔解放。緊急閉鎖されている左腕のエネルギーラインへ供給準
備開始』
内部で着々と準備が行われる中、動揺から復帰した泥人形の男が、剣を構え直し、シン
へと斬りかかった。
相手の表情は、シンが何かを思いついた事に気づき、焦りを感じたそれだった。
しかし、動揺が剣閃に現れているのか、攻撃は単調なものへと変わっていた。それを片
腕のみでいなしながら、シンは勝利への詰めを続ける。
『…………そういう事か。タイミングはお前に任せる。機関の調整は私に任せろ!』
『了解』
博士がシンの意図を見抜き、各部のコントロールを補助する。背部に開かれた排熱孔か
ら噴出す火柱が徐々に小さくなり、その下方に設けられたキャパシタが赤熱する。
そして。
「イイイイイイイイエアアアアアアアアアアアアアアアア!」
泥人形の男に斬りかかられる寸前、シンが左腕の損傷部を相手へ向ける。
『エネルギーライン、解放』
コマンドされた瞬間、エンジンから発生し、背部に蓄積された熱エネルギーがシンの左
腕に殺到する。しかし、本来それを受け止める筈の駆動部が存在せず、行き場を失った暴
熱は、大気へと解放された。
まるで、空気そのものが引き裂かれるようなプラズマと光の放射がほとばしる。
「ぐうっ…………あ、ああああああああああああああああああ!」
巨大兵器を駆動させる機関二つ分の熱出力は、とても人間に耐えられるものではなかっ
た。半身を化け物に変えようとそれは覆す事が出来ず、瞬く間に炭化してゆく泥人形。
『…………左腕シールド。エンジン、限定稼動へ』
解放が終了した頃には、相手は地面に影を残すのみとなっていた。気化する程に熱せら
れた、かつて男だった物質は、跡形も無く消失する。
『敵の消滅を確認』
万が一の不意打ちを想定し、マナスコープで空間を観察したシンは、その場に脅威がな
い事を確認し、即座に移動を再開する。
『シン。お前には根性がある。しかしもう…………持たんぞ』
度重なる戦闘で、シンの身体は限界を超えていた。明確なスペックの上限を持つシンに
とって、それは致命的な状況だった。エネルギーラインすら酷使したシンは、同じような
相手が出た場合、同じ手段を講じる事すら出来なくなっていたのである。
その状態をおしてレイラの元へ向かうシンから、博士は執念を感じていた。
そして、遂にその場へと到着する。
「さあ。最後は君だ」
「あ、ああ…………」
岩窟最奥に位置する研究室には、バルトロとレイラの姿があった。
レイラが無事であった事に、安堵に似た反応を示したシンの電子神経回路だが、しかし、
レイラの様子に再度その振舞いを変える。
「レイラ。無事か」
声を掛けられ、レイラの表情が何かに取り付かれたかのように豹変する。そして、剥い
た目から流れ落ちる涙が、その心情を物語っていた。
レイラの口からは、掠れた声がたった一言、零れ落ちる。
「シン、君。助けて…………」
「ああ」
レイラからの要求に、シンの電脳は即座に応答する。バルトロが害意のある相手である
と判断し、その身体能力、マナの保有量、精神網の強度を分析し、勝利する為の手順を構
築する。
しかし、バルトロは陰気に笑み、レイラの頭を掴む。
「よく来てくれたね、シン君。いや…………レッドと呼んだ方が良いかな?」
「俺はレッドではない。しかし……レッドは岩窟の外だ」
その一言で、バルトロの表情から余裕が消し飛ぶ。目を剥き、焦点の定まらない眼球が
右往左往すると、それがレイラを捉える。
「レイラ、逃げろ!」
シンが叫ぶと、一瞬でレイラの目に光が戻り、何かを唱え始める。
「ぐっ…………あああ………………?!」
同時に光り始めたバルトロの篭手だが、レイラの魔法が一瞬早くバルトロの腕を焼き、
それに耐えかねたバルトロが、堪らずレイラから手を離す。
その隙に、レイラはシンへ駆け寄った。
そして、その表情が青褪める。
「ウソ…………シン君。腕が」
シンの腕は、先の戦闘で無残にも引き千切られていた。表面は痛々しく引き裂かれ、内
部から飛び出る幾つかのケーブルは、熱によって溶融していた。
「貴方、本当に人間では…………」
驚くレイラに、シンは視線を返し、肘から先の千切れた腕でレイラの頭を優しく撫でる。
「レイラ、逃げろ。学院長は俺が」
何かを始めようとするバルトロを牽制しながら、シンはレイラに脱出を促した。
しかし。
「いや…………イヤ! 絶対にイヤ! ベルタやギリアンだけじゃなく、貴方まで――」
「心配の必要はない」
顔を近づけ、優しく微笑みかける(・・・・・・)シン。相手を安堵させる為、今まで滅
多に使わなかった、表情変化のプログラムを引き出し、レイラを諭す。
「必ず戻る…………脱出しろ」
口を開けたまま言葉を詰まらせていたレイラだが、迷っていた視線が、しっかりとシン
へ向けられた。
「絶対に。絶対に約束よ」
「ああ…………行け!」
最後の一言で、レイラは外に駆け出した。バルトロが追いかける素振りを見せるが、シ
ンが行く手を阻み、それを許さない。
バルトロは玉のような汗を流し、シンを睨む。
「何故…………何故邪魔をする! 私はただ、身を護る力が欲しかっただけだ! 誰も助
けてくれない! ならば! 私は何に頼ればいい?」
「選べる手段は幾つもあります。それを取ればいい」
シンの言葉を嘲るような表情で聞いていたバルトロは、それを鼻で笑い、顔を歪めた。
「強者の理屈など、話にならんわ! 私は…………私は!」
バルトロが自身の篭手で自身の頭を掴む(・・・・・・・・・・・・・)。シンは剣を構
えながら、バルトロの攻撃を警戒した。
「が、あ、ああ、ああ…………あああああああああああああああああああ!」
篭手が光り輝き、バルトロは自らの意思で、自らの精神網を身体から引きずり出した(・
・・・・・・・・・・・・・・・・・)。そして、それを自身の身体に刻まれた刻印へ叩き
つけると、バルトロはその場に倒れこみ、息絶えた。
そして、動き続ける刻印が、徐々に辺りの土を集め、人の形を成してゆく。
「これが…………禁呪の」
ものの数秒で、バルトロの精神網を用いた泥人形が完成していた。
そして、泥人形の光る双眸がシンを捉えた瞬間、間髪入れずに拳を振り上げる。
「くっ…………ぬう!」
辛うじて右手で受け止めたシンだが、その一撃でシンの身体へ致命的なダメージが与え
られる。
"大腿部螺旋筋繊維破損、駆動不能。背部螺旋筋繊維断裂、駆動不能"
途端に言う事を聞かなくなったシンの身体は、剣を持ったままその場に倒れ込んだ。泥
人形がそれを逃す筈もなく、悪意のみで動くその怪物は、シンを掴み上げ、身体を押しつ
ぶそうと力を込める。
シンには抗う力が残されていなかった。自身の身体がへしゃげる感覚と、各部から発せ
られるシグナルが次々になくなって行く過程で、シンはそれが死であると結論した。
そして、最後に残された、右手に握るAVSへ変換指令を送る。
『AVS、モードストラテジ』
コマンドを受け取ったAVSが変化を始め、それは瞬く間に巨大な剣へと姿を変えてゆ
く。全長の変化により、みるみる巨大になってゆくAVSは、遂に天井へ達し、それを突
き破る。
岩窟に穴が開き、空が見えた(・・・・・)。
『博士』
『準備できている』
即座に衛星と通信したシンは、そのチャージが完了している事を確認し、仮想のトリガ
ーを空に描く。
『自転同期、完了』
剣を離したシンは、そのトリガーを右手で握り、空に向けて寂しげに呟く。
「レイラ。さようなら」
シンがトリガーを引き絞る。
「グオ、オオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
夜空から赤い閃光が降り注ぎ、シンと泥の化け物は、業火に包まれた。




