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チャプター 16:「平穏」

「ふう…………」

 レイラは深くため息を吐き、そこへ訪れてから十分以上は見つめている書庫の扉へ手を

掛けられずに居た。

 カニバルスプラウトの災害から一週間あまりが経ち、学院の様子は元に戻りつつあるも

のの、未だ完全に学院の授業を行えずにいた。レイラの兄であるカインをはじめ、優秀な

剣士やメイジの講師達は、不出の森にて大規模な調査を行っており、それらに人員を費や

した学院内は、授業の大半が自習という形になっていた。

 本来ならば自習に参加すべきレイラだが、件の功績や身体のダメージから十分な休養を

取ることが許されていた為、他の生徒達が勉学に励む中、人の少ない学院本棟に残ってい

た。

 そして、ここへ訪れたレイラの目的はほかでもないシンだった。数日の外出を行ってい

たシンだが、先日寮へ戻ったと連絡があり、こうして会いにやってきたのである。

 シンがそこに居る確証はないものの、カインから、まるで本の虫のように書庫にこもっ

て資料を読みあさっているという話を聞いていた為、意を決し、話しにやってきたのであ

る。

 しかし、いざシンと会話をするとなると、レイラの心に芽生えた感情がそれを邪魔して

いた。

 たった一度の功績であれ、シンは紛れもない、救国の英雄である。

 しかし、ドラゴンを容易く倒してしまうその力を目の当たりにしたレイラにとって、シ

ンは畏怖の対象となっていた。自身や、他の人間達を遙かに超越した力を持つシンは、本

人の意志に関係なく、レイラに強い恐怖を与えていたのである。

 感情を整理したレイラは、恐怖に抗う為に、その行為が必要な理由を脳内で並べ立て、

自身を説得する。

「うん…………よし」」

 ようやく覚悟を決め、扉を開くと、書庫特有のカビとインクの臭いが鼻についた。

 書庫内は静寂に包まれており、貴重な資料を持ち出されないよう監視する司書すら居な

い。

「…………居る」

 しかし耳を澄ますと、ページをめくる音がかすかに聞こえた。衣擦れの音すら立てない、

非常に奇妙な、気配を感じさせない読み方に、それがシンであると確信する。音を頼りに

歩を進めると、本棚の前に立ち、ひたすら本を読むシンの姿があった。

 そして、そこが戦闘関係の資料ではなく、片隅に設けられた料理や嗜好品の本が置かれ

たセクションである事に驚きを露わにする。

 人の気配に気がついたのか、黙々と本を読むシンが顔を上げ、レイラを見つめる。

「レイラか。何か用か」

 ぶっきらぼうに言い放つシンだが、その声色が平坦な事もあり、威圧でも嫌悪でもない、

純粋な疑問が感じられたレイラは、戸惑いながら口を開いた。

「え、ええ。その…………改めてお礼を言いたくて。ベラドンナの町を、学院の皆を救っ

てくれたこと。本当にありがとう」

 深く頭を下げるレイラだが、シンはそれを無表情に見下ろすばかりだった。

「攻撃を決定したのは、俺を作った博士…………母親のようなものだ。博士の信条からし

て、見逃せなかったと推察する」

「博士? そんな方と連絡を取り合っていたの?」

 シンが静かに首を振った。

「いつもは俺の電脳内に居るが、今は研究室で件の後始末をしている。今頃は、コード・

レクター…………カニバルスプラウトのナノマシンを分解する専用の抗ナノマシンを散布

している筈だ。金輪際、同じ災害は起こらなくなる」

 レイラには、シンが口にする単語の殆どが理解できなかったが、それが、カニバルスプ

ラウトを完全抹消する奇跡のような話という事だけは理解できた。

「本当に、何てお礼を言ったらいいか」

「必要ない」

 懸命に謝意を伝えようと言葉を思案するレイラだが、当の本人は、その事柄について既

に関心を失っている様子だった。

 普通の感謝ではシンに伝わらないと考えたレイラは、頭をひねり、視線を右往左往させ

る。

 そしてふと、シンが持っている本に興味を持った。

「ねえ、シン。貴方…………紅茶が好きなの?」

 シンが熱心に呼んでいたのは、紅茶の淹れ方や簡単なテーブルマナーが書かれたものだ

った。戦いの事ばかり目立っていたシンだけに、レイラにはその趣向が特に意外に映って

いた。

 シンが静かに首肯する。

「俺ではなく、博士からの命令だ。博士は俺の珈琲や紅茶といった調理プログラムに不満

を持っており、それを改善するよう命令された」

 分からない単語の中から、レイラは必死にシンの意図をくみ取ろうと思考する。

「へえ…………お母さん想いなのね。それで? おいしく淹れられそう?」

「いや、わからない」

 はっきりと混乱を表したシンに、レイラは目を丸くする。

「わからないって?」

「俺には、それが何故悪いのか分からない。成分濃度も規定値以下であり、調理行程に何

の不手際もない」

 僅かに思案したレイラは、自分ならばどのように対処するかまとめ、静かに息を吸う。

「それなら、味見してみたシン君はどう思ったの?」

「味見? 成分測定なら行っている」

「も、もしかして…………味見してないの?」

「味見とはどういった動作を指す? 成分含有量を調べる事とは違うのか?」

 レイラは、シンの言動に呆れると同時に、あまりに常識を知らないシンにおかしさを覚

えていた。謝意を伝える為にやってきた自分が笑ってはならないと堪えていたものの、無

表情のまま動かないシンの姿に、レイラの我慢も限界を超え、遂に声を出して笑い出した。

 何がおかしいのか、と表情で訴えるシン。

「ふふふ………………ご、ごめんなさい。貴方にも欠点があったなんて」

「調理は専門外だ。戦闘データと違い、予備蓄積や本蓄積データが無い。やはり、十分な

資料から現代のデータを取得する事が必要だ」

 本へ視線を戻し、続きを読み始めたシンに、レイラはある事を思いつき、両手を合わせ

る。

「そ、それじゃあ。私とお茶の勉強をしない? これでも、一通りの作法は知っているつ

もりだし、ベルタやギリアンからも好評なのよ?」

 本からレイラへ視線を戻したシンは、全く表情を変えないまま、無機質な動作で口を開

く。

「教えてもらえるのなら、是非頼みたい。早速、頼めるか」

 深く頭を下げるシンに、レイラは畏まって見せた。

「いいのよ。貴方には本当の意味で一生の恩があるんだもの。そ、それじゃあ…………早

速行きましょう。この学院には生徒用のティールームがあるから」

「ああ」

 レイラが踵を返し、書庫の出口に向かって歩き始めると、本を棚へ戻したシンがそれに

続く。

 自分についてきている事を確認したレイラは、書庫の扉を開けながら、自分でも不思議

な程表情を緩ませていた。

 自分が、何故シンを訪ねてきたのかを忘れて。


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