チャプター 15:「恐慌」
「クソッ…………何故だ。何故だ何故だ何故だ!」
自身の研究室で、机で頭を抱えたバルトロは、呪いのように何度も呟いた。
数年ではあるものの、国防の要である人材育成に尽力してきたバルトロは、多少なりと
も中央から必要とされている人材であると思い込んでいた。それが、今回の一件で否定さ
れた事から、自分の価値は一介のメイジ以下であると思い知らされる。
ブーゲンビリアはいざとなれば地方を簡単に切り捨てられる国であると知った今、バル
トロの焦燥は誰にも止められない速度で膨らんでいた。
絶望感と憤怒。
シンとレイラが、何らかの手段でカニバルスプラウトを殲滅した事に一時的に安堵した
ものの、バルトロの胸中は更に先を見ていたが為に、その安堵感は恐怖と怒りに喰い尽く
されていた。
誰も助けてくれない。
臆病なバルトロにとって、有事に頼れる国家権力が自分達を見捨てた事は、許容しがた
い怒りを抱くのには十分な理由だった。非人道的な実験すら厭わないバルトロだが、自身
の生に関する事柄には非常に敏感である。
バルトロは次に同じ事が起こらないとも限らないと考え、その際に何としてでも助かり
たい一心で、資料やノートを読み漁っていた。
彼の研究テーマである、『精神網の融合理論』に関する刻印術は、未だ完成を見ていな
い。正しくは、完全に復元できていないのが現状である。二世紀近く昔に存在した天才科
学者集団が研究し、遂に完成させたと考えられる人造超人計画。あらゆる疾病を無効化で
きる身体と、どのような状況にも対応できる戦闘能力。そして、老いにすら抗う事のでき
るその内容は、人類が欲して止まない、不老不死の研究そのものだった。
一度完成させているのならば、その最適解は既に存在している事になる。バルトロは自
身の研究成果を必死に掘り返しながら、遺跡の発掘を行っている、研究者仲間のダリオや
ボリスが成果を持ち帰ってくれる事を必死に祈っていた。
そして、幸か不幸か、その祈りは届く事になる。
「バルトロ!」
大声が岩窟の中に響き、その音量にバルトロは身体を強張らせる。
そして。恐る恐る顔を上げた先には不気味に笑むダリオの姿があった。
「ど、どうしたんだ? 今日は西方の遺跡に――」
「ああ、そうだ。そうなんだ! 新しい刻印術の資料が見つかった! それも、我々の研
究に関するものだ」
バルトロは飛び上がるように立ち上がっていた。背後に倒れ込んだ椅子を気にも留めず、
ダリオが持ち帰った紙切れへ歩み寄り、差し出されたそれを受け取る。
「これは…………これだ、これだ!」
他の人間が見たなら、不可思議な図が書かれた奇妙な紙切れに過ぎない。しかし、今ま
でバルトロが研究を続けてきた、繋ぎとめた精神網からマナを取り出す基本技術と、それ
らを効率的に利用できるように提示された推奨回路が、その紙には示されていた。
バルトロは興奮した様子で口の端を吊り上げる。
「やった、やったぞ。何とか、間に合った!」
その資料を頼りに、早足で自分の机へ戻ったバルトロは、自分の手記の資料を併せ、大
きな紙に刻印回路を描き始めた。手書きであるのにもかかわらず、専用の定規を使ってい
るかのような精度で、細かな図を書き込んでゆく。
そして、ペン先をインク瓶へ放り込むと、その紙をダリオへ掲げた。
それを目で追ったダリオは、満足げに頷いてみせる。
「完璧な出来だな。精神網とマナ供給の回路はこれで十分だ」
頷いたバルトロは、笑みをひきつらせ、壊れたように何度も頷いた。
「ああ、ああ! あとは…………この回路に精神網結合段の自己複製回路を設計すれば完
成だ。俺達は、老いも病も恐れなくて済むんだ!」
興奮した様子で話すバルトロに、ダリオは机に軽く腰掛けながら自嘲気味に笑む。
「初め、お前にこの話を持ちかけられた時は懐疑的だったものだが。本当にこのような技
術が存在していた事に俺自身も驚いてる。それで? 実行は何時がいい?」
「ああ、その事なんだが。なるべく早いほうがいいんだ」
必要以上に焦燥感を持っていたバルトロに、ダリオは首を捻る。
「何故そんなに急ぐ? もう、回路設計そのものは殆ど完成していると言ってもいいだろ
う? つい先日、大規模な災害が起こりかけて大変だったが、国軍もメイジ協会も、事が
収まれば防疫協力させればいい。少なくとも、大人数が動因されている間は同じ事が起こ
っても心配要らないだろう」
「協会のメイジや都の連中など信用できるものか。いや…………それよりも重大な事態に
なっている」
表情を緩めていたダリオの視線が、バルトロの一言で鋭く細められた。
「我が学院の生徒が、カニバルスプラウトの殲滅に向かい、これを仕留めた。メイジ一人
と、剣士一人でだ」
ダリオが目をみはる。
「それは………………本当なのか? にわかには信じがたいが」
「ああ。そして、もう一つ信じられない事がある。同日、不出の森にてブラウンボア、ド
ラゴンと交戦、これを撃破したとの事だ。これは剣士のシンという生徒一人で――」
「そんな馬鹿な!」
ダリオが発狂したように大声を上げる。
「熟練メイジですら十分な準備が必要なドラゴン相手にたった一人だと?! 魔法も使え
ない人間が、倒せる筈がない!」
ダリオが興奮している為か、バルトロは落ち着いた様子で静かに頷いた。そして、友人
が口を閉じた後、静かに息を吸う。
「確かに、普通ならば考えられない。シンが普通の剣士ならな。だが…………もし奴が、
あの"レッド"だとしたら?」
「…………なんだ、と?」
顔色が悪いバルトロと同じように、ダリオの顔も青褪める。
「つい最近やってきた新入生。肉厚の剣を扱い、超人的な身体能力を持つ。魔法が使えず
マナの保有量も生きているのが不思議な程少ない。精神網は、不気味な程希薄だ。だが奴
なら、マナの保有量や精神網の能力を秘匿する事など造作も無い事だろう。考えれば考え
る程、"レッド"である可能性は否定できない。それどころか…………かなり高確率でそう
であると結論せざるを得まい。では、何故この時期にやってきた?」
「我々の、抹殺………………?!」
バルトロが静かに首肯した。その瞬間、ダリオが引き攣ったように息を呑む。
「表の世界でこそ謎の剣士、程度の認識でしかないが、奴が禁呪抹殺の為に百年以上動い
ている事は明白だ。恐らくは、自身を生み出した科学者達への復讐と、世界の治安維持を
国法の定めるアイリス帝国の平和の為だろう」
「…………奴は、我々を殺しに来たのか」
ダリオからの問いに、バルトロは黙って首を振る。
「それは判らない。奴に狙われた人間は、まるでそれまで存在しなかったかのように消さ
れている。殺されているのか、どこかに監禁されているのかすらわからないんだ。下手を
すれば、我々も死ぬよりも壮絶な目に遭う可能性もある」
自分でも不気味な程冷静に分析できた事に、バルトロはから笑いを漏らした。
そして、暫く過呼吸気味だったダリオが、突然拳で机を突き、怨嗟のような声を漏らす。
「ふざけるな………………ふざけるなふざけるな! 何処までも世界は俺達をコケにしや
がる! バルトロ!」
怒りに燃えるダリオの双眸を見つめ返したバルトロは、黙って首肯した。
「ああ。もうこうなってはなりふり構っていられまい。学院内から、優秀な精神網を持つ
生徒を三人見繕う。一月以内……いや、半月以内に、計画を実行に移そう。ボリスにも、
その旨を」
バルトロの決定に、ダリオは力強く頷いた。
「黙ってやられてやるつもりなど、ない」




