チャプター 10:「厄災」
「さて…………メイジ協会、国軍からの指示如何ではあるが。今後の避難計画について、
大まかな協議を行いたい」
張りつめた空気の中、議長であるバルトロが静かに口を開いた。
「先ず、今回の発生を察知したのは誰だね?」
「私、です」
レイラは俯いたまま手を挙げる。数時間前に起きた惨事に、強烈な嘔吐感を覚えた。レ
イラは胸元から口へと上ってくるものを強引に押し戻し、大きく深呼吸をすると、質問を
投げかけたバルトロへ視線を戻す。
「本日正午。ドラゴン生息の報告を確認する為、不出の森へ調査に入ったメイジ二名に呼
び出され、森の出入り口にて合流。ドラゴン発見時の詳しい情報を伝えていた途中で、協
会のメイジ一名が頭痛を訴えその場にうずくまりました。その直後、彼の左耳からカニバ
ルスプラウトが〝発芽〟し、幾秒も経たない内に、皮膚を突き破り、身体中から次々に芽
が出始めました」
人が喰われて行く生々しい報告に、一同が息を呑み耳を傾ける。語る当人であるレイラ
も、まるで悪霊にとりつかれたかのように血の気を失っている。
一向に治まる気配の無い強烈な不快感を感じながら、レイラは自分の責任を果たさんと
口を開いた。
「発芽した本人は、それがカニバルスプラウトだと直ぐに看破し、私に己を焼却するよう
指示しました」
「ふむ…………それでは、レイラ君が?」
バルトロの冷静な問いに、レイラは静かに頷いた。
「なるほど。妥当な対応だが…………もう一方のメイジ、更にレイラ君も感染の疑いがあ
る。協会での検査は?」
「勿論受けております。森の出入り口付近を魔法にて簡易防疫処理し、参加したメイジと
共に協会へ向かいました。我々は幸い陰性で、感染の疑いはありませんでした。その後、
カニバルスプラウトの発生を学院長に報告するよう指示され、学院へ戻った次第です。今
後の指示、及び対応については、国軍と協会が協議した結果報告されるとの事です」
腕を組み、静かに報告を聞いていたバルトロが、小さく頷いた。
「事の経緯は判った。しかしながら、レイラ君の賢明な対応で被害拡大も防げた。流石優
秀だね」
「いえ、そんな…………」
レイラは愛想笑いと共に視線を落とす。彼女の脳裏には、全身を焼かれながら死んでゆ
くメイジの姿がはっきりと焼きついており、とても喜べるような精神状態ではなかった。
しかし、バルトロは俯くレイラに小さくため息を漏らし、会議参加者を見回した。
「さて。我々が最優先で行うべき事は、情報伝達系統の確認だ。ベラドンナの住民につい
ては、国軍と町が連携して行うだろう。問題は学院内だ。先方からの要請があれば変更も
有り得るが、こちらで先に整理してしまっていた方が早いだろう」
同意する参加者に頷き返し、バルトロは続ける。
「学院生の取り纏めは各学科の講師に担当して頂きたい。私が国軍、メイジ教会からの指
示を受け、それらを各講師に伝達する。生徒達に仕事が回ってくる事は先ずないと見てい
いが、有事には何が起こるか判らないのでね。特に、発熱系メイジの学生は戦力として駆
り出される可能性が高いだろう。そして…………レイラ君」
自分の名前が呼ばれた事で、俯いていたレイラはバルトロへ視線を戻した。その顔は、
生気を抜かれたかのように青かった。
「君とベルタ君、ギリアン君に関しては、参加がほぼ確定と言っていいだろう。ベラドン
ナには優秀な発熱魔法を使えるメイジが少なかった筈だ。特にレイラ君は、戦力として期
待されていると考えた方が良い。心苦しいが、スプラウト焼却に参加して欲しい」
「ま、待ってください!」
大声を上げたのは、バルトロの右手に座るカインだった。苦悶の表情で、右手に硬く拳
を作るカインは、レイラが滅多に見ないような焦りを見せていた。
「他に実行できる人員が居ない事は理解してします…………ですが! 彼女を対応に向か
わせると言う事は――」
「無論、殉職する可能性が高い」
バルトロは、まるで他人事のように言い放った。その一言に、レイラの心臓が縮み上が
る。
「しかしそれでも、レイラ君がカニバルスプラウトの焼却を行わなければ。このベラドン
ナ、引いては、我が国が滅亡する危険がある」
「それは…………そうですが! 他に何か手は」
「カイン君。実妹が対応する事に反対するのは構わないが…………では、他に誰がカニバ
ルスプラウトを滅してくれるというのかね?」
俯いたまま震えるカインに、バルトロは再度ため息を漏らした。
「しかし、レイラ君が参加する事はまだ決まっていない。今は伝令が指示を持ち帰る事だ
けを――」
バルトロの言葉は、扉のけたたましく開けられる音によって遮られる。そして、入室し
て来た男へ絡み付くような視線を向け、静かに口を開いた。
「…………協会へ向かった者か。先方は……どのように対応すると?」
バルトロの問いにも、伝令らしき男は息を荒げたまま口を開かない。静かに待つレイラ
も、どのような宣告が下されるのか予想できず、緊張が高まっていった。
だが、最も早く我慢が切れたのはバルトロだ。
「…………黙っていては何も判らないぞ? 先ずは情報を――」
「誰も」
バルトロの催促にようやく口を開いた伝令の男は、焦点が定まらないまま短く呟いた。
その意図が汲み取れた人間はレイラを含め一人も居ない様子で、伝令の言葉を待つ。
「どういう意味だね?」
一向に呼吸の落ち着かない男へ静かに問うと、伝令の男は始めてバルトロへ視線を合わ
せる。
「メイジ協会内には誰一人……居りませんでした。施設内はもぬけのカラ、でした。よっ
て、預かっている命令、指示はありません」
「…………なんだと?」
伝令の回答に、レイラは思考が固まる。彼女には、報告が理解できなかったのである。
「この時期に、協会が無人? 一体何故……」
誰かがぽつりと呟いた。その言葉に、思考力を取り戻したレイラは数瞬思案するが、そ
れから導き出された答えに再度硬直する。周囲へ視線を巡らせると、同じ結論に辿りつい
たらしい講師達と視線が交わる。
「待ちたまえ。まだ、決まったわけではない。協会が、メイジを総動員し即対応すべきと
判断したのかもしれん」
「ありえません!」
場を収めようとしていたバルトロへ叫んだのは、メイジ科の講師である金髪の男。その
目は、恐怖によって染め上げられていた。
「我がベラドンナに駐屯するメイジ達の中で、今回の件に対応できる人員は半数にも満た
ない。そして、協会には研究専門のメイジも居ます。建物が無人になる事など、絶対にあ
りえない!」
講師の言葉によって、未だ状況を理解できていなかった人間にも事態の深刻さが伝播す
る。
「我々は見捨てられた、とでも言うのか」
場を取りまとめようと動いていたバルトロの表情からも余裕が無くなり、手を組んだま
ま視線を落とす。
議会の手綱を握るバルトロが口を噤んだ事で、場の崩壊はあっという間に訪れる。
「こうなっては。ベラドンナを護れるのは、もはや我々だけだ! 生徒たちも総動員して
事に当たるしかない!」
「何を馬鹿な! 直ぐに避難すべきだ! 我々だけではどうする事もできない!」
恐慌状態に突入した会議室内で、レイラは虚空を見つめたまま動かなかった。メイジ協
会ですら完全に焼き切れるのかも判らない怪物を、一人前のメイジにすらなっていない自
分達がどのようにできるのか。
無論、対応できる筈もない。
接近したが最期、全ての人間がカニバルスプラウトの胞子に汚染され、生きながらに新
しい苗床へ変わり果てるのである。仮に接近できたとしても、簡単に除去できる胞子と違
い、熱伝導率の低い外殻に覆われたスプラウト本体は熟達したメイジが複数名集まり、よ
うやく焼き切れる可能性がある程の耐久力を持つ。
生徒たちよりも実力のある講師陣を見渡しても、導き出される結果は絶望的なものだっ
た。
「報告申し上げます!」
怒声が飛び交う会議室へ静寂を取り戻したのは、後から入室した二人目の伝令だった。
一同は口を止め、その男へ一抹の希望を願う。
「ベラドンナ駐屯国軍は、南部への長期遠征の為、私が到着する直前に駐屯地を出立した
との事です!」
伝令の報告に、レイラは意識が遠のいた。国軍では対応する事が出来ないとはいえ、国
防を担当する組織がこのようにあからさまな逃亡を見せては、一筋の希望すら見出せない。
「やはり…………私達は」
「それだけではありません!」
最悪の報告が行われたと思いきや、伝令の男は更に強い焦燥を見せながら、深呼吸の後
言葉を紡ぐ。
「独断では、ありますが。メイジの応援を請う為、南方の首都へ向かいました。ですが…
…領境の関所が既に封鎖されており、首都へ入る事すら叶いませんでした。衛兵に話を聞
こうにも、一切の人間を通せないと説明され、槍を突きつけられる有様です」
バルトロの陰気な顔面が更に暗さを増し、左右のこめかみから大粒の汗が流れ落ちる。
「違うな…………見捨てられたのではなく、切り捨てられた、のか」
会議室には、絶望的な空気が渦巻いていた。まともに対処できるメイジ達や国軍の兵は
街の外へ逃げており、逃げようにも唯一の避難先である南方は封鎖されている。
全滅。
レイラも、恐らくは会議室に集まった講師達、伝令達も。その表情から、思考した結果
は同じであると読み取れた。
「それならば、いっそ……」
生きたままカニバルスプラウトに喰われて死ぬならば、自ら命を絶つ方がどんなに楽か。
彼女は死に場所を探す為、静かに立ち上がった。
「質問があります」
負の感情が渦巻く会議室で、一人空気に飲まれず涼しげな表情で手を挙げた男が居た。
その男は、本来会議室に居てはならない一般生徒である。
「…………シン君?」
壁にもたれかかり、黙って話を聞いていたらしいシンは、議長であるバルトロへ質問を
投げかける。しかし、二人の伝令から受けた報告があまりに衝撃的であったのか、バルト
ロは小声で念仏のようなものを唱え、とても会話が成立するような様子ではなかった。辺
りの講師達も言い合いがエスカレートし、相手へ掴みかかる者まで現れる始末。
その有様を見たことにより、一種の諦観がレイラを落ち着かせ、質問を投げかけたシン
へ向き直る。あらゆる常識を覆してきた彼ならば、と、ほんの僅かな希望を信じて。
「私が代わりに答えましょう」
シンが静かに頷くと、レイラは質問を促した。
「先ほどから聞く、カニバルスプラウトとは?」
途端に湧き上がる失望感。一度は諦めたものの、レイラはシンならばと信じた自分を嘲
った。
とは言え、何を嘆いた所で自分たちが死ぬ事に代わりはなく、最期に、この無知な剣士
にそれの恐ろしさを教えてやろうと開き直る。
「…………カニバルスプラウトとは。危険度Aに分類される災害指定生物の事よ。数年に
一度、突如現れ周囲へ胞子を撒き散らす。それに汚染された人間は、生きたままカニバル
スプラウトに身体を喰われ、数日間、生き地獄を味わう。痛覚を初めとした五感は残った
まま、ね。
現在、汚染されているのか判別はできるものの、その治療法や除染法は確立されておら
ず、感染する事は、死を意味します」
自分で話しながら、レイラはそれが自分に訪れるかもしれない最期の姿かもしれないと
慄いた。
しかし、脅かそうとした本人は、未だ無表情のままなのである。
「なるほど…………対象の性能については把握した。俺のデータベースにも、似たような
効果を持つ生物兵器が登録されている。可能ならば、それの形状を教えて欲しい」
「形状…………形という事ね? 私も資料でしか見た事がないの。そこまで詳しい事はわ
からないわ。それでも?」
「構わない」
レイラは、大昔に読んだ危険生物の資料を思い出す。そして、カニバルスプラウトのお
ぞましい姿を思い出し、気分が悪くなった。
「そうね…………深緑の大きな蕾に無数の管が生えたような外観で、下部は触手とも蔓と
もつかないものが四方に伸びている。自身が動く事は無いけれど、近づけば下部の蔓に絡
め取られる。自身の胞子を感染させるに十分な距離まで引き寄せる為にね」
「ふむ…………」
自分の顎へ手を当て視線を落とすシンに、ようやく脅しが効いたのだと、無言で勝ち誇
るレイラ。
しかしシンは、視線を上げると同時に信じられない事を口にしたのである。
「俺の推測する兵器と一致した。対処方法を説明する。学院のメイジ全員を集めてくれ。
生徒も、全員だ」
シンの一言に、会議室に集まっていた人間は一斉に視線を殺到させた。




