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紅の欠片が舞い散るころに

作者: 水瀬黎

酒壺を抱えて帰る高風の姿を見送りながら、木上でため息を吐く。

やっぱ月が出てないと姿が見えないってか。

――いや、見えなくなったという方が正しいか。


 昔。まだ、俺が金山の隣の隣のそのまた隣の山の泉で

守り神の役割うんぬんがかったるくなって丸投げして暮らしていた頃のこと。   

ある日、蹴鞠(けまり)をしに五つになるかならないかの童がやってきた。

最初はぽんぽんぽんぽん蹴っていたのだが、

飽きたらしくころんと草の上にねっころがった。

こんな山奥に一人で来るなんて珍しいなと思い

童の顔をのぞきこもうと近くの木にとび移ったその時、

くるっと顔をこっちに向けた。

「こんにちは」

「!」

死ぬほど驚いた。木から落ちるかと思った。

こいつ、俺の姿が見えているのか…………?!

自己主張が激しく人間を化かすのを至上の悦びとする妖怪の類とは違い、

普通人間は木霊など人間を守り慈しむ精霊や守護神の類を視ることは出来ない。

稀に徳を積んだ爺さんとゆーか坊さんが視えるようになるらしいが。

それにしても。

「なんで男の格好なんかしてるんだ?」

ぎくりとする童。

「ぼ、僕は女の子じゃないもんっ」

いーや、俺の鼻が間違えるわけない。あのうっとうしい奴らと同じ匂いを。

「ま、訳ありなら理由は聞かねえよ」

貴重な人間の話し相手だ。嫌われたら、困る。

「……僕の両親は、男の子が欲しかったんだよ。

男の子はまき割りに芝刈り、

それに頭がよければ官吏になって親孝行とか色々できるけど

女の子は嫁入りとか着物とかでお金がかかるけど

其の費やしたお金はほとんど返ってこないし」

うつむいて、さみしそうに漏らす童。

「――だから、僕は決めたんだ。男になろうって。

だから、僕が男じゃないって言わな……」

童が俺の顔を見て絶句した。

「なんて親孝行な奴なんだ!!」

ずるずると鼻水をすすりながらぼろぼろと涙をこぼす。

「お前の思いはきっと報われる!

この猩々こと暁月(あかつき)様が保証してやるぜっ!

ああ、そういえばお前の名前って……」

俺の頭をさする手を止める童。

「僕は――高風だよ」

そう言ってふわりとほほえんだ。


 それからそいつは引っ越したらしく、会うことは無かった。

けど、神無月の年一度の神々の重大会議(という名の宴会)で金山に行ったとき、

偶然頭を抱えて唸っているそいつを見かけた。

どうやら、就職難に陥っているようだった。

そりゃそうだろう。

男装の変人は女官はもちろん

売り子などのまともな職につかせてもらえない。

せいぜい劇団に入れるくらいだろう。

そこで俺は知り合いの神に高風の才能について尋ねて回った。

どうやら高風には酒造りの才があるらしいとわかると

桃を手土産に夢の神を買収して預言を授けた。

え、職権乱用?

はっはっは、聞こえねえな。

きっとお酒の神の声を聞いたんだ!とはしゃぐ高風を見た時に

若干心が痛んだが気にしないことにした。


 それから数年して。

山に住んでいる師匠のもとでの修行を終えたあいつは

酒を売りに市へ出て来た。

「兄さん、一杯くれよ」

そう言って初めてあいつの酒を買ったのは、俺だった。

高風の酒は今まで飲んだどの酒よりもうまかった。

この酒に比べたら神殿に供えられている最高級と(うた)われる酒でさえ

泥水みたいなもんだったのかと思ったくらいだ。

 当然、高風の酒はよく売れた。

人間、精霊、神、妖怪問わずに。

それから何度かあいつの店に行ったが、あいつが話しかけてくることはなかった。

忙しいからしゃーねーなとか最初こそ思っていたが

どうやらそうではなかったらしい。

「君は何者なんだい?」

あいつは、忘れていたんだ。

あの日のことを。

「俺は揚子江の中に住んでいる猩々という者だ」

高風は驚いて目を見開いた。

ああ、やっぱり覚えていないのか。

……やばい、泣きそうだ。

俺は盃を空にすると席を立ちあがり、

先程買い取った酒の壺を胸に抱いて揚子江の中に飛びこんで去っていってしまった。


それから数日後、高風の酒の香りに導かれて岸に上がった。

月の綺麗な晩だった。

月の光は精霊をふくめて人ならざるものの力を増幅させる。

俺はいつも月の出る晩を選んで陸に上がった。

その日なら霊視できないやつでもなんとなく姿をみることができるようになり、

高風が空気に向かってしゃべる変人だという噂はたたないと踏んだからだ。

それから酒を飲みかわした。

誰かと飲むのは久しぶりで、いつもの酒だが特別うまく感じた。

礼に舞と酒の神から預かった酒を渡したところで

あいつが倒れ、宴はお開きとなった。


 で、冒頭に戻る。

目が覚めた高風は俺の腰かけた木の前を見向きもせず

酒壺を抱えて素通りしていった。

どうやら高風は子どもの頃は視えても

大人になるとさっぱり視えなくなる性質の人間だったらしい。

うすうす感づいてはいたが、いざ明らかになってみるとつらい。

頬を、蘆におりた朝露ように澄んだ雫がつたっていく。

「達者で暮らせよ、此の馬鹿。

あと早く婿もらって子産め。

んで子に酒の仕込み覚えさせろ。

俺は、お前の――――」

昔のあどけない笑顔が、約束の為に差し出したちいさな指が浮かぶ。

「お前の以外飲めねえんだからよ」

秋の冷たい風が紅い葉と共に雫を散らした。


ああ、此の声が届いたらいいのに。

此の葉のように。

俺の声は。

もう。


届かない。


此の風のように虚しくすりぬけるだけ。


けど、語りかける。

自己満足でもいい。届かなくていいから。


「俺は、姿が視えなくても此処に存在()るんだよ……」


それだけは、覚えていてくれ。

たしかに俺は、存在していたということを。



 ぴたり、と足を止めた。どすんと壺が鈍い音をたてて手から落ち。

「暁月……?」

そう、つぶやいた。

しっかりと俺のいる(ばしょ)を見上げて。


     終


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