残されたモノ
兄の葬儀は、姪が退院する前に行われた。「まだ受け入れられる歳じゃない」「悲しいかもしれないけど知っておかないと」などと家族間で話し合いの場があった。姪は、自分の父親がもういないことをまだ知らない。しかし、いつかは知らなければいけない。そして、遅かれ早かれ苦しまなきゃいけない。それならもう少しわかるようになってからにしよう。そう結論が出た。
その日は、雲ひとつなく、驚くほどの晴天だった。葬儀には、多くの人が参列した。その中には、咲の姿もあった。あの事故の日から一度も咲とは会っていない。天真爛漫で、明るい咲ばかりを見ていた。だから、兄の前で泣き崩れる咲を見ることはできなかった。俺は、そんな咲に声をかける事もできず、ひたすら俯いていた。
このお斎って奴は苦手だ。香典のお返しって意味もあるが、みんなで酒を飲み、ご飯を食べる。故人を笑って送り出すなんて、できるわけがない。俺は、耐えられずに抜け出し、外で煙草を吸っていた。そこには、兄の友人や、会社の人がちらほらいて、みんなが口を揃えて言う。
「君のお兄さんは本当にいい奴だったよ。惜しい人を亡くした」
みんな目に涙を浮かべて言う。その言葉は嘘でも、なんでもないと心からそう思う。
そして、ひとり、またひとりと帰っていく。俺はただ、ベンチに座り空を眺めていた。
「隣・・・いい?」声をかけてきたのは咲だった。俺は、ベンチの真ん中から端に寄り、腰掛ける。
化粧は直っていたが、さっきまで泣いていたのがわかるくらい目は充血していた。会話はなく沈黙が続く。何か話さなければ。でも、何を話せばいい・・・。思い出話か?だめだ・・・また泣かれてしまう。たばこを勧めるか?いやいや、何を考えてるんだ俺は・・・。
「その煙草・・・陸兄が吸ってたやつだよね」
確かに、この煙草は兄が吸っていたものだ。俺はいつも兄の背中を追いかけていた。高校も兄が卒業した高校に行きたくて、必死に勉強した。そして、大学も兄が行っていた場所を受けた。しかし、兄には追いつけず、結局ワンランク下の大学に進学した。いつかは、兄を越えてやると自負していたが、兄の真似ばかりしていた俺には、越えるどころか追いつくことすらできなかった。
煙草も兄の影響で吸い始めた。真似ばかりじゃ駄目だと、違う銘柄を吸っていた。小さいな俺って。
「これ好きだったからな」
「ずっとそれじゃなきゃだめだー!とか言ってたよね」
咲は、フフッと笑いながら話をした。
やっと笑った。ずっと落ち込んでいた咲を見ていられなかった俺は、少し安堵の表情を浮かべた。
「これは兄さんのこれだけは譲れないものベスト3の3位だからな」
「なにそれ。初めて聞くかも」
咲には黙ってと言われたから言わなかったけど、もう打ち明けていいよね。兄さん。
「3位はさっきも言った通り煙草の銘柄」
これは、綾子さんが唯一好きだと言ってくれた匂いで、これじゃなきゃ駄目なんだ。と自慢げに語っていた。
「2位は嫁と娘は誰にも譲らない」
これは入ってて当たり前だろう。でも、あんな綺麗な奥さんで、かわいい娘が一番じゃないのはおかしいよな。
「1位は・・・」
「やっぱりいい!」俺の話は、遮られた。
1位は…咲の結婚相手は、俺が認めないとダメ。これだけは譲れない。
言わずともわかるように、咲を可愛がり、誰よりも心配していたのは兄さんだった。小さい頃からずっと一緒で、本当の妹だと思っていた。だから、咲の想いは届くことはなかったんだ。それは、お互いに察していたようだ。俺は蚊帳の外だな。
咲は1位を聞くことなく、戻っていった。
俺は、一人思い出に浸り、ひとり泣いていた。