門
「……じゃあ、入るわよ」
アリスは声を潜めて御供の三人に言った。
「……本当にここから入るんですか?」
顔を青くしたビトがそう返す。
「本当よ。運命のダイス様がそう決めたんだから」
四人の前には、アリスの身長の4倍ほどの高さを持つ漆黒の直方体がそびえていた。
門の両端からは人間の手足のようなものが生えている。
あるものはぴんと伸び、またあるものは、枯れた植物のように萎えていた。しかし、皆一様に、救いを求めているようであった。
上部には苦悶の表情を浮かべた顔。本当に今にも「助けてくれ」と呻き声が聞こえてきそうな程にリアルであった。
そして頂上には、手を顎に付け座する男。何かを考えているような姿勢であったが、彼はこの様をみて、何を考えているのだろうか。
直方体の下部には、人が歩いたまま通れる空間があり、それが門を模したものであることが理解できる。しかし、この門からは歓迎の雰囲気は微塵も感じとれない。
「なんか上のほうに怖そうなこと書いてありますよ~」
「あ、もうくぐっちゃった」
上部を仰ぎ見ていたビトは目線を下ろす。門の向こう側に、三人の姿を見つけた。
「そんな~薄情ですよ~」
「まあまあ、所詮作り物だ」
「そうよ! 覚悟を決めてくぐってきなさい! 早くしないと置いてくわよ!」
「うう~。行きますよ~」
スローンとアリスに煽られたビトは目をつぶって駆け出した。
「っと、危ない!」
そう聞こえたのとほぼ同時に、抱きかかえられるような感触をビトは覚えた。両頬には弾力のある一対の塊。
「まったく、気をつけなさいよね」
「す、すすす、すみませんでした!」
「ちょっと、慌て過ぎよ。……やっぱり、怖かった?」
アリスはビトの頭を撫でた。
「い、いえ、やっぱり怖くないです」
「そう、ならよかった」
ビトはアリスの腕から抜け出した。先ほどとは打って変わって、その顔は真っ赤だった。
「ほら、門を抜けた先にあったのは地獄じゃなくて天国だったろ」
「な、何言ってるんですか!」
「スローンの言うとおりよ、ここは芸術の街ケーテ! 人間が生んだ文化の天国! そして早くも第一名所通過! このまま一気に巡るわよ! ここで見ておきたいものはたくさんあるんだから!」
アリスはスローンの軽口につなげて、そう宣言した。
芸術の街ケーテの入り口には東西南北に数多くの門がある。しかし、街を囲む城壁は存在しない上に、常に開放されていた。おまけに、門をくくらずとも迂回すれば街の中に入れる構造になっている。
それらの門は、防御のために造られたものではなく、いわば門を模した彫刻であった。それぞれ異なったモチーフがあり、独自の意匠が施されたそれらには、様々な背景がある。
剣を掲げ盾を持ち、勝ち鬨の声を上げている初代国王を中央に、歩兵の石像と騎馬兵の銅像を両端に据えた『凱旋門』。英雄王とも呼ばれる彼の祝福を得ようと、主に冒険者がここから入るらしい。
宝石が散りばめられ、小さな天使の姿が刻まれている『祝福の門』。「この門をくぐりながら告白して成立したカップルは永遠に幸せになれる」という伝説があり、多くの男女がここをくぐってケーテに入り、そのままハネムーンとしゃれ込むとかなんとか。カップル達が詠んだポエムを纏めた『ときめきの記憶』という詩集もあるらしい。
八百万の神が住むと呼ばれる東方の島国において、神と人の領域を分ける門と呼ばれる『トリイ』。二本の垂直に立つ柱の上部に、二本の水平な棒を添えたシンプルな作りながらも神聖さを醸し出す真紅の門。ここも珍しい物を好む冒険者に人気を博している。
同じく東方の島国由来のものには、筋骨隆々とした上半身を晒し憤怒の形相をした一対の像を左右に配置した『アウン』と呼ばれる門もある。
これらを通った冒険者の中には、「そうだ、キョートに行こう」と、次の旅先をその東方の都に定める者もいるのだとか。
どこの家にもある扉をそのまま切り取ってきてどんと置いたような珍妙なオブジェもある。しかし、外に扉がある、というだけで、それがどこにでもつながる、神秘の扉めいて見えてくるのが不思議だ。
アリスたちが潜ったのは、『黄泉の門・地獄』。先述の通り禍々しい見た目をしており、鑑賞に来る者はあっても潜る者は少ないらしい。『ここを過ぎれば憂いの都あり』だの『滅亡の民あり』だの『終わることのない苦痛がさいなむ』だの『狂気の世界の始まり』だの『お前を破滅へと導く』だの『一切の希望を捨てよ』だの物騒なことがやたらと書いてあるので、当然といえば当然であった。
ちなみに「せっかくだけど、俺はどこの門も選ばないぜ!」なんて言って、あえてどの門も潜らずに迂回して入るようなひねくれ者もいたりする。「上から来るぞ! 気をつけろ!」と甲高い声で叫びつつ、門を棒高跳びで超えていった男は、ある種の芸術として伝説になっている。