酒場にて
左手は腰に、右手にはジョッキ。
「アリス、いきまーす!」
そう宣言し、アリスは掲げたジョッキの中にあったエール酒をあおった。
小柄で長髪、整った顔立ちに、冒険者の宿に併設された酒場では眼を引くほど清潔な身なり。まるでドワーフの職人が、丹精を込めて作り上げた神事用の人形のような少女は、その見てくれに反し豪快にジョッキを空にした。
「アリスちゃんすっげえ!」
「気持ち良い飲みっぷり! 惚れるぜ!」
「最高!」
「よっ! うわばみ!」
居合わせた客達は拍手喝采を送った。
「がはは! 嬢ちゃん、キップがいいねえ!」
「ありがとうございまーす! ごちそうさまでーす!」
スキンヘッドの強面の店主も、客と一緒に賞賛の言葉を送る。
「あわわ……そんなことして大丈夫ですか?」
アリスの横に座していた子が心配そうに問うた。ほっかむりを深めに被っており、男の子か女の子かはぱっと見ではわかりにくい容貌だが、どちらだと言っても可愛い子供で通用しそうな中性的な魅力を備えていた。
「へ? なにが?」
アリスはなぜ心配されているのか本当に理解していない様子で、首を傾げた。
「そんなに飲んで大丈夫かってことですよお!」
テーブルの上には空になったジョッキやグラスがいくつも転がっていた。
「余裕」
「即答ですか!」
「あと十杯は軽い」
「そんなに飲んじゃダメですよ!」
「じゃあ九杯でいい」
「あんまり変わってないです!」
「ビトの心配ももっともです。『酒精の火遊びは大火事を起こす』ということわざもありますし、酒を甘く見ては危険です。それに、主は暴飲暴食を推奨していません」
押し問答を繰り広げる二人の向かいに座る男がそう説いた。今の台詞や、行儀良く飲食を続けている様子から、堅物といった雰囲気が醸し出されている。筋骨隆々とした体躯から、酒に強そうな感じはあるが、彼の前に置かれているグラスの中身は水だ。
「まあまあガイツ、美味しく飲み食いできているうちは暴飲暴食じゃないさ。それよりお前も飲んだらどうだ? ここの酒旨いぞ。さすが醸造所が近くにあるだけある。これを味わえただけでも、旅に出た甲斐があったって思うぐらいの出来だ」
ガイツの隣に座る、飄々とした風の青年が宥める。こちらもアリスに負けず劣らずの美形で、アリスがあんな目立つことをしでかした今でも、店内にいる女性客の目の多くは彼に注がれていた。
「スローン、良いこといった。満点」
「アリス嬢からお褒めのお言葉をいただくとは、光栄だな」
アリス、ビト、ガイツ、スローンの四人で、1つのテーブルを囲んでいる。性格はてんでばらばらだが、互いに相性の良いパーティーだというのは一目瞭然だった。
「おもしろい奴等だ! お前さんがた、今日からしばらくうちに泊まるんだろ? これからよろしくな!」
「こちらこそよろしくお願いします!」
恭しく、というより大げさに、アリスは深々とお辞儀をした。
「見ての通り、騒がしい一行ですが、ご迷惑にならないように勤めますので、しばらくの間、よろしくお願いします」
「兄ちゃん、そんな堅苦しいのはいらねえぜ。『酒場では皆同胞』って言うだろ」
店主はガイツに、彼がアリスに対して先ほどそうしたように、ことわざを引用して諭した。
「まあ、確かにそうですが、『親しき仲にも礼儀ありとも』……」
「兄ちゃん、堅苦しいのは飲んでないからだ。これはサービスだ。飲みな」
店主は琥珀色の液体をガイツに差し出した。
「『据え膳食わぬは男の恥』! さあ、ガイツ! いっちゃいなさい!」
「え、それ使い方あってるんですか?」
「ビトは細かいこと気にしすぎなの!」
アリスに煽られたガイツは、グラスをしばらく見つめたあと、それに口を付けた。
途端、グラスを手に持ったまま、頭だけテーブルに突っ伏してしまった。
「……zzz」
いびきを立てている。どうやら眠ってしまったようだ。
「この兄ちゃんよええ!」
「下戸だ下戸だ!」
「ここまで酒に弱い奴初めて見たぜ!」
「ひょっとしてギャグでやってるんじゃねえのか!」
酒場が爆笑に包まれた。
数分ほど突っ伏していたガイツだったが、いきなりむくっと顔を上げ、
「……あれ、小アトゥオリス様、どうしてここに? ……! 失礼しまし……」
と、アリスに問うた。
「オリャー!」
アリスは威勢良い掛け声をあげてガイツをどついた。再び卓に突っ伏すガイツ。
酒場は一瞬、静寂に包まれた。
(……しまった。今の聞かれた?)
「うわ、この姉ちゃん殴ったぜ!」
「こええ!」
「おい男そこ代われ!」
しかし、またすぐに騒がしくなった。
「……ガイツさん、大丈夫ですか?」
ビトはガイツの頭をさすった。
「おい、そっちの子も健気で可愛いじゃねえか!」
「マジ天使!」
「やっぱり男そこ代われ!」
異様な雰囲気に呑まれ、ビトは頭をさするのをやめ、椅子にかけて縮こまった。
「全く、難儀な奴だな、っと」
スローンはガイツを抱えた。
「こいつを部屋まで送ってくるぜ。そしたら飲みなおしにまた来る」
「おお、気をつけてな。アリスの嬢ちゃんほどじゃないにしろ、あんたも結構飲んでただろ?」
「気遣いありがとな」
(うわ、お姫様抱っこだ)
(……酔った仲間を介抱するシチュ。大好物です)
(堅物受け……そういうのもあるのか)
酒場から去るスローンの背中に、一部の女性達の視線が釘付けになっていた。