人間の一生
医療個体A「子宮から新しいヒト個体が排出されました」
医療個体B「肺に空気が入りました。呼吸機能が起動しています」
新個体C
「今まで液体で満たされていた空間から排出されました。温度が下がりました。重力を強く感じます。液体から空気環境へ移行します。肺を初めて使用します」
「不快なので音声信号を出力します」
(泣き声)
母個体
「正常です。肺が開いています」
父個体
「小さいですね」
医療個体A
「標準サイズです」
母個体
「では、この個体を自立可能な状態まで育成します」
父個体
「推定20年ほどですね」
母個体
「長いプロジェクトです」
生後3ヶ月
個体C
「視界がぼやけています」
母個体
「それは仕様です。徐々に解像度が上がります」
個体C
「空腹です」
(泣く)
母個体
「はいはい。これは栄養要求ですね」
父個体
「この個体は約3時間ごとに栄養を要求します」
母個体
「かなりエネルギーコストが高いです」
父個体
「しかし遺伝子保存の投資としては妥当です」
2歳
個体C「歩行機能が安定してきました」
母個体「危ないので走らないでください」
個体C「しかし走ると楽しいという神経反応が発生します」
父個体「それは運動によるドーパミンです」
個体C「ドーパミンは好ましいです」
父個体「私もそう思います」
個体C
「この物体は何ですか」
母個体
「それは犬です」
犬
「ワン」
個体C
「毛のある動く生物です。触ります」
犬
「ワン!」
個体C
「舐められました」
父個体
「それは好意の表現です」
個体C
「理解しました。毛は柔らかいです」
4歳
個体C
「なぜ空は青いのですか」
父個体
「大気中の分子が短波長の光を散乱するためです」
個体C
「理解しました」
母個体
「つまり、世界が少し綺麗に見えるようになっているのです」
個体C
「それは好ましいです」
6歳
教育個体
「本日から教育施設に通います」
個体C
「目的は何ですか」
教育個体
「社会で役立つ知識を脳に保存するためです」
個体C
「つまり将来、労働力として活動する準備ですね」
教育個体
「概ね正しいです」
8歳
個体C
「犬個体が動きません」
母個体
「少し様子を見ましょう」
個体C
「呼びかけます」
「犬」
犬
(反応なし)
個体C
「触ります」
「体温が低下しています」
父個体
「……犬は寿命を迎えました」
個体C
「寿命とは何ですか」
父個体
「生物が稼働できる時間の上限です」
個体C
「つまり停止しましたか」
母個体
「そうです」
個体C
「再起動はできますか」
父個体
「できません」
個体C
「なぜですか」
父個体
「生物は機械と違い、完全に修復できないからです」
個体C
「理解しました」
(少し沈黙)
個体C
「胸部が痛いです」
母個体
「それは悲しいという感情です」
個体C
「なぜその感情が発生しますか」
父個体
「大事だった存在がいなくなったときに起こります」
個体C
「私はこの生物が好きでした」
母個体
「犬もあなたが好きでした」
個体C
「それは良いことです」
父個体
「庭に埋めましょう」
(穴を掘る)
個体C
「この場所に保存します」
母個体
「そうですね」
個体C
「人間もいつか停止しますか」
父個体
「はい」
個体C
「あなたもですか」
父個体
「そうです」
個体C
「私もですか」
母個体
「はい」
個体C
「理解しました」
(少し考える)
個体C
「では稼働している間に、犬のように誰かに好かれる個体になることは合理的です」
父個体
「それは良い結論です」
母個体
「きっと犬もそう思います」
10歳
個体C「テストで100点を取りました」
父個体「それは良い結果です」
母個体「脳がよく働いていますね」
個体C「では私は優れた個体ですか」
父個体「そうとは限りません」
母個体「人間はそれだけで評価されません」
個体C「評価基準が複雑です」
11歳
個体C
「友人個体Aと衝突しました」
母個体
「なぜですか」
個体C
「私が事実を指摘したからです」
母個体
「どんな事実ですか」
個体C
「彼の絵は下手です」
母個体
「それは事実かもしれません」
個体C
「はい」
母個体
「でも人間は事実だけで会話しません」
個体C
「なぜですか」
母個体
「相手の感情も考える必要があります」
個体C
「つまり、真実よりも関係維持を優先する場合がありますか」
母個体
「そういうことです」
個体C
「人間社会は複雑です」
12歳
個体C
「声帯の振動数が低下しています」
教育個体
「それは思春期です」
個体C
「最近、理由なく不機嫌になります」
友人個体A
「それはホルモンです」
個体C
「ホルモンは厄介な化学物質ですね」
友人個体A
「全員そう思っています」
14歳
個体C
「友人個体Aが私の秘密を他の個体に伝えました」
母個体
「それは辛いですね」
個体C
「なぜそのような行動を取るのですか」
母個体
「人間は時々、他人より自分を優先します」
個体C
「信頼システムに欠陥があります」
母個体
「それでも人間は信頼します」
個体C
「なぜですか」
母個体
「信頼しないと孤独になるからです」
15歳
個体C
「試験で失敗しました」
父個体
「珍しいですね」
個体C
「私は努力しました」
父個体
「それでも失敗することはあります」
個体C
「努力は成功を保証しませんか」
父個体
「保証はありません」
個体C
「それでも人間は努力しますか」
父個体
「はい」
個体C
「非効率です」
父個体
「でもそれが人間です」
16歳
個体C
「特定の個体を見ると心拍数が増加します」
友人個体A
「それは恋愛です」
個体C
「判断能力が低下します」
友人個体A
「それも恋愛です」
個体C
「厄介ですね」
友人個体A
「でも皆それを経験します」
17歳
女子個体D
「こんにちは」
個体C
「こんにちは」
女子個体D
「あなたの顔はは比較的左右対称で整っています」
個体C
「ありがとうございます」
女子個体D
「一緒に栄養を摂取しませんか」
個体C
「合理的な提案です」
(二人はハンバーガー店に入る)
女子個体D
「人間はなぜ恋愛をすると思いますか」
個体C
「遺伝子混合を促進するための神経化学反応だと思います」
女子個体D
「ロマンがありません」
個体C
「ロマンは幻想装置です」
女子個体D
「それでも私は好きです」
個体C
「私もです」
転(危機)
22歳
企業個体
「あなたの時間と労働力を提供してください」
個体C
「代わりに通貨を受け取れますか」
企業個体
「はい」
個体C
「契約を受理します」
27歳
個体C
「毎日同じ作業を繰り返しています」
同僚個体
「それを仕事と言います」
個体C
「少し疲れました」
同僚個体
「皆そうです」
29歳
女子個体D
「話があります」
個体C
「はい」
女子個体D
「私は別の個体と遺伝子混合を試すことにしました」
個体C
「なるほど」
女子個体D
「怒っていますか」
個体C
「少し胸部が痛みます」
女子個体D
「それは失恋です」
個体C
「化学反応は厄介ですね」
女子個体D
「ごめんなさい」
個体C
「理解しました」
個体C
(帰宅)
個体C
「感情システムが乱れています」
友人個体
「アルコールを摂取しますか」
個体C
「それは一時的な神経麻痺装置ですね」
友人個体
「そうです」
個体C
「お願いします」
30歳
個体C
「時間が経過しました」
友人個体
「失恋は時間で減衰します」
個体C
「本当でした」
30歳(転機)
個体C「どうもこんにちは」
女性個体D「こんにちは」
個体C「あなたの顔面構造は比較的左右対称です」
女性個体D「ありがとうございます。視覚情報を解析したところ、あなたの顔面構造は比較的左右対称です。統計的に遺伝的健全性が高い可能性があります。よろしければ、あなたが子育てに協力的な個体か評価した後、遺伝子の半分を提供してもらえませんか」
個体C「提案を受理します。ただし、その前に生存維持のため、あの建造物内部で栄養素を摂取する必要があります」
女性個体D「合理的提案です」
数か月後。
個体C「数ヶ月の評価の結果、あなたは資源管理能力と共感的行動が安定しています」
女性個体D「あなたも長期的協力関係を維持する意思が確認されました。よって、遺伝子混合プロセスを実行することを提案します」
個体C「了承しました。社会的儀式を経由すると周囲の個体群が安心するようなので、形式的契約を締結しましょう」
女性個体D「合理的です」
35歳
医療個体
「あなたの子供が誕生しました」
新個体F
「ギャアアアア」
個体C
「肺が作動しています」
女性個体D
「泣いています」
個体C
「昔の私も同じだったのでしょう」
女性個体D
「はい」
個体C
「不思議ですね」
38歳
新個体F「なぜ空は青いのですか?」
個体C「大気中の分子が光を散乱するからです」
新個体F「もっと面白く言ってください」
個体C「世界が、少し綺麗に見えるようにできているからです」
新個体F「それは好ましい兆候です」
個体C「私も昔同じことを言った気がします」
40歳
父個体
「最近、記憶装置が不安定です」
個体C
「あなたは昔、私に多くの知識を与えました」
父個体
「今は少し忘れます」
個体C
「問題ありません」
父個体
「なぜですか」
個体C
「今度は私がサポートする番です」
父個体
「それは嬉しいです」
45歳
医療個体
「父個体の心臓が停止しました」
個体C
「理解しました」
友人個体
「大丈夫ですか」
個体C
「幼少期、父個体は私に多くの情報を与えました」
友人個体
「はい」
個体C
「今、その情報が私の中で動作しています」
50歳
個体C
「子供が成人しました」
女性個体D
「早いですね」
個体C
「私の役割は少し減りました」
女性個体D
「少し寂しいです」
個体C
「それは正常です」
60歳
企業個体「あなたの労働契約を終了します」
個体C「理解しました。退職ですね」
友人個体「これから自由です」
個体C「しかし膝が少し痛いです」
65歳
医療個体
「新しい個体が誕生しました」
孫個体
「ギャアアア」
個体C
「この音声信号は懐かしいです」
女性個体D
「昔あなたも同じでした」
個体C
「生命プロセスは循環しています」
70歳
個体C
「膝が痛いです」
女性個体D
「私もです」
個体C
「身体は老朽化しています」
女性個体D
「でもまだ会話できます」
個体C
「それは良い機能です」
86歳
医療個体
「心臓機能が弱くなっています」
個体C
「理解しました」
個体F
「怖いですか」
個体C
「いいえ」
個体F
「なぜですか」
個体C
「私は空気を吸い、食物を食べ、学び、働き、恋をし、遺伝子を次の世代に渡しました」
「生物としての主なタスクは完了しています」
最後
個体C
「長い稼働でした
顔を見せてください」
女性個体D
「はい」
個体C
「言いずらいですが、恐怖心を感じています」
女性個体D
「大丈夫です私がそばについています」
個体C
「少し眠ります」
(心拍停止)
エピローグ
葬儀
参列個体A
「彼は良い人生を送りました」
参列個体B
「つまり、生まれて、活動して、遺伝子を残して、停止したということですね」
参列個体A
「はい」
参列個体B
「人間とは面白い生物ですね」
参列個体A
「はい」




