手打ち
〈暖かさ我が身覆ふや白日夢 涙次〉
【ⅰ】
雪川組組長・雪川正述の主導で、雪川組とカンテラ一味の「手打ち」式が執り行われることになつた。カンテラは悦美、じろさんは澄江さんをエスコートして、式に臨んだ。
「カンテラ先生、此井先生、奥様がた、やうこそお出で下さつた」雪川はご満悦である。
固めの盃が(兄弟分としての)、カンテラに手渡された。
「殘念だが、これは頂く譯にはいかない」「何ゆゑ!?」「私の本当の兄弟姉妹に惡くてね」本当の...と云ふのは、勿論カンテラの一味の事である。「私たちは、飽くまで私たちの道を行く。ヤクザ者にはなれないのです」「はゝ、カンテラ先生らしいですな」「出すなら、カネにして慾しい。お宅の牧野がドアに彈丸を撃ち込んだので、修理代がかゞる」「お幾ら程、用意しませうか」「さうですなあ、一千萬、と云つたところかな」「容赦ないですなあ、ま、氣に入つた。帰りにでもお渡ししませう」
と云ふ譯で宴となつた。雪川は、盛んにカンテラ・じろさんコンビの武術を褒めあげた。関東随一の「武闘派」ヤクザ、雪川組の組長ならでは、である。「長ドス、いや、太刀を使はせたら、カンテラ先生の右に出る者はゐない」だとか、「此井先生のステゴロぶりには、惚れ惚れとする」だとか。
訊けば、牧野はヤクザ界追放、だと云ふ。「奴の『龍』が、奴にはコントロール出來てゐない。それでは何の役にも立たぬ。赤つ恥を掻かせをつて。その上、私どもヤクザ者にはご禁制の魔道に入れあげてゐるとやら」じろさん「一昨日ヒットマンかと思へば、昨日若頭、今日斯界を追放とは、忙しい奴だ」カンテラ「追放、なら、奴をどう処分しても、私たちの自由、ですか?」雪川「煮て食ふなり焼いて食ふなり、なんなりと」カ「それなら、奴の身は、私たちに預けさせて頂く」じ「!? 聞いてないよ、そんなの」カ「ま、俺に考へがあるのさ」雪「だうぞお好きに」
【ⅱ】
カンテラが帰りの道々語るには、「奴はたゞの小心者だが、あの儘魔道に墜ちられたんぢや、俺たちには厄介なだけだ。まあ、『龍』を體内に飼ふ男として、何かの役に立つ事もあらうかと、さう思つてね。何、奴の世話は杵に頼めばいゝだらう」
と云ふ譯で、ヤクザ廢業の牧野は、カンテラ事務所の「下足番(?)」となつたのだつた。
【ⅲ】
何から何まで、ソフィスティケイトされてゐるカンテラ事務所。牧野には未體驗の世界である。おまけに、悦美姐さんと云ふ、美形までが、ゐる。得體の知れぬ【魔】に墜ちるよりも、この方が氣樂だ。牧野はすつかり、下足番としての今日に、慣れた。
「龍」は動きを見せない。カンテラは、その内いつか斬つてやる、と思つてゐた。そしたら、牧野ともお別れだ。云ふなれば、カンテラ事務所は「獅子身中の蟲」を一匹、飼ふ事となつた譯。
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〈やあと云ふ掛け聲武者の震ひ立つ関東平野今日は晴れたり 平手みき〉
【ⅳ】
カンテラは然しまた、「龍」の絶大なパワーに一目置いてゐた。「『龍』は必ずや、一味の切り札、となる。飼ひ慣らされるやうな事はなからうが...」だが、「龍」には「龍」の思惑があつたのを、彼は知らなかつた。
「かんてら、我ガ身ニ傷ヲツケ得タタダ一人ノ男」-やうするに、カンテラの危機には、役に立つてみせやう、との思ひである。武者として、「龍」も認めるカンテラ。カンテラが牧野を居候にしたのは、あながち間違へではなかつた。
カンテラの單なる思ひつきが、後にカンテラ自身を救ふ事となる- 今のところ、だうにも未知數の牧野はさて置き。(杵塚は彼の事は正直なところ、氣に入つてゐなかつた。)
その内、カンテラ・じろさん・テオ・悦美・杵塚・そして「龍」と役者が揃つた一味は、「龍」の實力を知る。このニューキャラは、一味になくてはならぬ存在となるのである。その事は、追々。
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〈信頼や双葉に芳しきを嗅ぐ 涙次〉