お嬢様は寡黙
ある暖かい春の朝。
俺はデカい屋敷の前に立っている。今日から、この屋敷に住んでいる令嬢の執事として働くのだ。
聞いたところによると、ここの令嬢は扱いが難しいとのことで、すぐに雇った召使が辞めていくそうだ。正直、俺にとってはどうでもいい。どんだけ扱いが難しかろうと、給料は決まった金額が払われるのだ。そこらへんは適当にしておけばいい。
執事の仕事は初めてだが、家事は得意だ。1人でどうにかできる。それに、この屋敷には令嬢1人だけだというじゃないか。たった1人の人間の世話、4人の妹の世話を見てきた俺が苦労する程ではない。
ついているインターホンを鳴らし応答を待つ。
……?
インターホンは繋がった。しかし全く応答がない。
「すみません。今日からこちらで働かせていただく新島ですが。」
不審者と思われていたらいけない。こちらから声をかけるか。
しかし、やはり声は返ってこない。そう思っていると、あちらから何も声が掛からないまま門が開いた。入っていいのだろうか。入ってしまおう。
一歩足を踏み入れると屋敷の扉から1人の女性が出てきた。この女性が俺がこれから世話するご令嬢なのだろう。
全身黒いドレスで腕は全て袖で隠れ、手は出ていない。随分と動きづらそうなドレスだな。1人なのにそんな動きにくい服でどうするんだ。食事とかしづらいだろう。
黒い髪も足首まで真っ直ぐ伸ばして……結っている様子はない。動く気ないのか。
「……。」
女性は扉を開けたまま横にずれて停止する。
……?何も話さないがどういうことだ?執事が来ると話が伝わっていなかったのか?
「……?」
女性は首を傾げて屋敷の中に腕を向ける。入らないのか?と言わんばかりに。
入っていいのかよ。じゃあそう言えよ。何で喋らないんだよ。これが扱いが難しいと言われる原因か?いや、これくらいどうってことないか。これくらいなら汲み取れる奴は多いだろう。
「失礼します……。」
1礼して屋敷に入る。先程と同様、ご令嬢サマは無言で広いロビーの真ん中のソファーに座るよう勧めてくる。
「今日からこちらで働かせていただきます、新島 結弦と申します。」
「……。」
こちらが会釈すると、やはり無言で、俺と会釈をする。見た感じ、常識はあるように見えるが。
「お嬢様とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「……。」
やはり無言で頷く。無口なだけか、喋れないのか。
暫く無言の時間が続くと、お嬢様は急に立ち上がり階段を上り始めた。
自己紹介的なものはこれだけなのか?というか、お嬢様自身の情報は何もないのだが。名前も知らないぞ。前任に訊こうとしても、前任も知らずに辞めたらしいからな。
「あ、あのお嬢様?お嬢様のお名前は……?」
なんか礼儀とかどうでもいいような気がする。失礼な態度とっても無言を貫きそう。
「……古都寺 彩。」
喋れるのかよ。じゃあ普通に喋ろよ。
どうやら、このお嬢様はひどく寡黙な方らしい。