Fランクの復讐者が誕生するまでの軌跡ー⑤
僕と姉さんの目の前で、父さんが死んだ。殺された。
父さんを殺した男は、仰々しい鎌を揺らめかせながら近づいてくる。
それでも僕は、無我夢中で父さんの亡骸に縋り付こうとしている。
『アベル! 行っちゃダメだ!』
姉さんも辛いはずなのに、涙を流しているのに、僕を行かせてはくれなかった。
僕を抱引きずる姉さんは、男との距離を取る。
そんな僕たちを見て、男はねっとりとした笑い声をあげながら口を開いた。
『くっく。いいですね。とてもいい。君たちのその感情はなんていうのかな?』
僕には男の言っている意味が分からなかった。
感情? そんなの決まっているだろう。
『お前なんか、僕が殺してやる!』
怒りだ。怒り以外のなにものでもない。復讐してやる。
姉さんが止めていなければ、今すぐにでも僕が父さんの剣で刺し殺してやるのに。
だというのに、やはり姉さんは僕を離してはくれない。
姉さんも同じ思いのはずなのに。ただ、唇を噛んで血を流しているだけだ。
男は尚も楽しそうにしている。
『〇〇が溜まらないということは、負の感情ではないようですね。私が思うにそれは怒りの感情だと思われるのですが、本来それは負の感情のはずです。ああ、実に興味深い感情だ』
何を言っているのか、全く持って理解できない。
ひたすらに男の言葉は僕の感情を逆なでするだけで。
再び叫びだそうとしたその時、ついに姉さんが口を開いた。
『お前はいつか必ず、そう遠くない未来に私が殺すよ』
その言葉を聞いて、少しだけ安心した。やっぱり姉さんも、僕と同じ気持ちだったんだって。でも、姉さんの強さなら今すぐにでもやれるはずなのに。
どうして。
『〇〇〇であるあなたなら、今すぐワタクシを殺すこともできるのでは?』
その疑問は僕が聞く前に、男が口にしていた。
しかし、姉さんは男の問に答えずに僕を抱き上げると、
『私には使命がある』
そう言って、男に体を向けたまま後ずさり、背を向けて走り出した。
父さんの亡骸を置いて、父さんを殺した男と残して、姉さんは僕を連れて逃げている。
僕は姉さんの背を叩きながら叫んだ。
『どうしてだよ! どうして姉さんも父さんも、戦おうとしないんだよ!』
姉さんは答えてくれない。
男は追いかけてこない。
何故父さんは殺された。何故父さんは戦わなかった。何故あの男は父さんを殺した。何故、姉さんは戦わない。何故、僕には何もできない。わからない。
わからないことだらけだ。
頼むから、誰か答えを教えてくれ――
***
「――! ――君!」
繰り返し誰かを呼ぶ声が、僕の暗闇を破壊していく。
その光に手を伸ばすと、僕の答えの出ない思考の迷宮に亀裂が走り――
「――っ」
ゆっくりと重い瞼を開くと、僕の頬に大粒の雫が落ちてくるのを感じる。
全身が痛みで悲鳴を上げているが、それでも必死に手を伸ばしてその雫を流す少女の顔に触れることができた。
「……ミア?」
「あ……アベル君! ルピナちゃん! アベル君が目を覚ましたよ!」
「本当!?」
視界が明確になると、目の前にいる少女がミアだとわかった。どうやらミアの膝を枕にしているようだ。
ミアは顔を真っ赤に腫らして涙を流している。
そうか……僕は助かったのか。
「泣く……なよミア。僕達は誰も、いなくならないって……いったろ?」
「うんっ……本当によかったっ…………アベル君が目を覚ましてくれて」
本当によかった。
起き上がろうとすると、全身の痛みと手元が崩れるのが相まって立てなかった。
結局、再びミアの膝の上に頭が落ちてしまう。
「無理しちゃ駄目だよ」
「ああ……悪い」
駄目だ。頭も重い。またあの日の夢を見ていた気がするのだが、その影響もあるのかもしれない。
「ちょっとアベル! あんた馬鹿じゃない!?」
駆け足で向かってきたルピナを見ると、僕と目が合うなり大声で怒鳴った。
だが、彼女の瞳からもまた、大粒の涙が流れている。
「ごめん……心配かけたね」
「べ、別に心配なんかしてないわよ。でも、あんたがいなくなったらなんかもう色々と駄目なのよ!」
「は……はは」
強がっているルピナだが、心配してくれていたんだろうな。
二人には目立った怪我もないみたいだし、これはまさしく奇跡だ。
いや、待てよ。
「そうだ、ケートは……ケートは無事なんだよ!?」
僕が生きていたってケートが生きていないと奇跡とは言えない。
寧ろ最悪だ。
ミアにしがみついてケートの安否を聞き迫ると、一度頷いてから複雑な表情をした。
「うん、生きてる。ケート君もさっき目を覚まして、でも……」
「こっちよ」
言いづらそうに口ごもるミアを見兼ねたルピナが先導してくれた。
ミアの肩を借りて如何にか立ち上がり、彼女の後を追う。
立ち止まった彼女の目の前には、岩壁に背を預けたケートの姿があった。
「よ、よおアベル。どうやら奇跡ってやつが……起こったみたいだな」
「ケート! お前、それ……」
しかし、その姿は笑顔で受け入れられるほど幸いなものでは無い。
ケートの太腿に、太く鋭い牙のようなものが貫通していたのだ。
「ああ、これか。これな……目ぇ覚ましたら突き刺さってやがった。動くと滅茶苦茶痛いけど、動かなきゃそうでも……ないんだぜ?」
「嘘つけよ! 早く抜かないと!」
「待ってアベル、落ち着いて」
僕が焦燥感に駆られてケートに近づこうとすると、クウカが手を掴んで止めてきた。
「落ち着く? これが落ち着いていられる!? このままだとケートが手遅れになるかもしれないんだぞ――」
パチン。
取り乱す僕の頬を、ルピナが思い切りビンタした。
「だから落ち着けって言っているでしょ! 今それを抜いたらどれだけの血が流れるかを考えなさいよ! 今は牙で塞がってそこまで血が出てないけど、抜いたら間違いなくケートは出血死するわ!」
それを聞いて、茫然としてしまう。
そこまで考えが及ばなかった自分の愚かさと、ケートが死地に立たされているという現実を受け入れられなかったのだ。
「……ごめん」
それしか、言葉が出てこなかった。
重苦しい空気が僕達を包み込もうとすると、それを嫌がったケートが笑って言う。
「まあ、そんな暗い顔すんなって! 今俺は生きてる。それでいいじゃねーか。てことで、こういう時はあれだ、じょうちょうふんせき? ん、なんだっけ」
「状況分析?」
「そう、それだミア。一回冷静になって、その状況分析ってやつをしよーぜアベル」
僕体を励ましながら、いつも通りを装うケート。
状況分析は魔物との戦闘時などに僕が自然としているものだ。
まあ、それをしたからと言って魔物を倒せるわけでは無いけど。
しかし、ケートの言う通り状況分析は重要だ。取り乱して皆に気を使わせた手前、リーダーぶるのは気が引けるが。
「わかった。状況を整理、分析しよう」
「おう、頼むぜ」
「ルピナとミアも、手伝ってくれる……かな」
正直、このパーティーの中で最も情けないのは僕自身だ。
だから、二人に断られても文句は言えない。
「当たり前よ」
「うん! 頑張る」
「……ありがとう」
泣きそうになった。
こんなにも頼りないリーダーについてきてくれる仲間には感謝してもしきれない。
互いに助け合い、時に笑い合ったり泣いたり怒ったりもした。
そんな関係はこれまでも、これからも続いていく。
だからこそ、ここから四人全員無事に脱出してみせる。
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立ち止まって集中し、頭の中で分かっていることだけを整理して共有する。
まず、僕達はラナンキュラスを摘むために阿吽の魔窟までやって来た。実際に花畑がすぐ近くにあり、各自花摘みを開始。そこで突然、地震と共に穴が出現して僕達は落下した。
つまり、ここは阿吽の魔窟の地下層である可能性が高い。
気を失ってしまって性格な深さはわからないが、相当深い層だろう。
そして落下した結果、ミアとクウカは擦り傷程度でほぼ無傷。僕は打撲程度で全身が痛むが動けない程ではない。そして、ケートは右足の太腿に牙のようなものが突き刺さってしまって動けない。
ポーションなどが入った荷物は地上に置いてきてしまって、各自携帯していたアイテムしか持っていないということになる。
一応、僕が携帯していたポーションが一つだけあるが、体力と痛みを回復するだけで物理的外傷は直せない。
これらを踏まえたうえで次にするべき行動は、早急に脱出方法を見つけることだ。
何故僕たちが穴に落ちたのか。調べたところでそう簡単に答えが出るとは思えない。
ここが魔窟のどこに位置するのか。これは下層であることは推測できても、全員が気を失っていたことから答えは出ない。
だから――
「いや、少なくとも人が落ちて助かる距離ではなかったはずなのに、どうして僕たちは助かったんだ?」
あの距離を落下して無事でいられた原因は何なのか。
死ぬ可能性のほうが間違いなく高い。助かったとしても、もっと重症であってもおかしくないだろう。
その疑問に答えてくれたのはルピナだった。
「無事だった理由はあれよ。私達が落ちたあそこ、あの山になっているのは多分魔物の残骸だと思う」
ルピナの指摘を受けて見に行くと、確かにそこには腐敗した魔物の残骸が山積みになっていた。
恐らくこの残骸の山が緩衝材になったのだろう。ただ、そのせいで残骸の牙がケートの太腿に突き刺さったというわけか。
「なるほどね、幸か不幸か……」
全員が生きているだけ幸運なんだろうけど、だったらケートにだけ不幸を背負わせないでほしかった。ただ、今はそれを考えるだけ時間の無駄だ。
一つ気になるとすれば、この残骸の山が一か所に集められているのは何故か。
そもそもこれだけの魔物、一体だれが?
「いや、これも時間の無駄か。それじゃあ、脱出方法を探そう」
ケートのこともあるし、時間を無駄にはできない。
早速行動に移そうと魔物の残骸に背を向けると、クウカが横に来て言った。
「それなら、二人が眠っている間に少しこの場所を見て回ったけど、ここから続く道は無かったわ。あちこちに穴があるけど、どう頑張っても手が届きそうにないの」
「そっか……ありがとう」
「うん」
この空間は相当広く、端から端までは百メートルを優に超えている。辺りを見回すとルピナの言う通り大穴がいくつも開いているが、歩いて進める場所にはない。
ん? いや、そもそも僕達はどこから落ちてきた?
「あのさ、僕達はこの残骸の山に落ちてきたんだよね?」
「うん。気づいたらこの上で眠ってたよ」
ミアが僕の質問に頷いて肯定してくれる。
しかしそれは、この疑問が正しいという裏付けにもなった。
「だとしたら、どうしてその真上に穴が開いていないんだ?」
そう。確かに大穴が至る所にあるものの、僕達が落ちてきたらしい穴は残骸の上にはないのだ。
つまり、その穴は塞がった? いや、閉じ込められたのか?
「あ……本当だ」
「どういうことなの?」
「わからないけど、もし仮にこの状況が意図的なものだとすれば、僕達は閉じ込められたってことになる……かも」
そう言えばラナンキュラスの花畑に穴が開いた時も自然な感じでは無かった。
そうだ。確かにあの時、地面が崩れていくのではなく、消えって行ったような気がしだのだ。
魔法か何か、人為的なものである可能性が高い。
「嘘でし!? そんなこと、誰がするのよ!」
「でも、あるべきはずの穴が塞がってるなんて、自然には起こり得ないだろ?」
「そ、それはそうだけど」
僕達は誰かによって意図的に閉じ込められた。そう考えた方がよさそうだ。
だが、ルピナの言う通りそんなこと一体だれが?
クロム……はEランクだしそんな力を持っているとは思えない。
冷静に考えても、僕らは馬鹿にされているだけで恨みを買っている人はいないはずだ。
ギルド関係者ではないとすると、まさかコキュートス? それとも誰でもよかった無差別的なものなのか。
コキュートスだったとしても、僕達を狙う理由は無いはずだ。三年前のあの時、奴らは父さんの命を目的にやって来たのだから。その理由までは知らないが。
ただ、可能性としてはありえなくはない、か。
「もしかしたら――」
『くっく、おはよう。それともこんにちは? それともそれともこんばんは? まあそんなことどうでもいいですよね。みんな元気かな?』
僕がその可能性を二人に伝えようとしたその時、突然ねっとりとへばりつくような奇妙な声がこの空間に響いた。
その不快感に頭が痛くなる。
「この声……何?」
「う、頭痛い」
ミアとルピナの二人が頭を抑えながら苦言を呈した。
この声……どこかで聞いたことがあるような。
『そろそろ君たちの置かれた状況が事故ではなく事件だって気づいた頃ですよね』
常に相手を不快にさせるねっとりとして口調が腹立たしい。
ただ、この声の主がこの状況を作り出した犯人であることは明確だ。
『ご名答! その犯人はワタクシです。それでですね、今から君たちには私のいるところに少しばかり来て欲しいのですよ』
「お前誰だよ! どうしてこんなことをする!」
『まぁまぁ、そう怒らないでください。初めましての仲でもないのですし』
始めましてではない?
やはり、僕はこの声の主と会ったことがあるのか?
『お話は後でゆっくりしましょう。フランデスネークちゃん』
謎の声がそう言うと、急に地響きが鳴り出した。
シュルシュルと奇妙な音が辺りを移動しているのがわかる。
「何か来るぞ! みんな、ケートの所に!」
「う、うん!」
「わかってるわよ!」
動けないケートを一人にしておくわけにはいかない。
急いでケートの元に駆け寄ると、頭を押さえながら口を開いた。
「まったく、頭痛え。アベルよ、今のでなにかわかったかよ」
「いいや、まったくだよ」
「だろーな」
「ねえ、あそこ!」
ミアが指さした先の大穴から目を疑うものが現れた。僕たち全員、絶句して何も言えなくなってしまう。こいつが、奇妙な音の発生源か。
手足は無いが鋭い牙を持つ一見蛇のような生物だが、大きさがまるで違う。
太さだけで直径二メートルはあるというのに、終わりの見えない体の長さ。こいつは蛇何て言い方は可愛らしすぎるくらいの化物だ。
「こいつはSランク……いや、それ以上だろ……」
我に返ったケートがどうにか感想を述べる。
こんな大規模な魔物、掲示板のSランク制限の依頼でも見たことが無い。
『このフランデスネークちゃんはですね、とある世界とある国にある蟲毒って呪術で生み出したのですよ。君たちがいるその部屋に沢山の魔物達を閉じ込めてですね。殺し合いをさせて生き残ったのがその子ってわけです』
長々と説明を始めた声の主だが、僕達には意味が分からない。
『つまり最初はこのフランデスネークちゃんも小さな蛇の魔物だったのです。それがこんなに大きくなってしまいました』
駄目だ。何を言っているのか分からないのは変わらないし、声に耳を傾けていると頭が痛くなる。今は目の前の化け物をどうするかだけ考えろ。
無抵抗でやられてやるほど、僕達の根性はねじ曲がってはいないのだから。
「ケートを背に向けて武器を構えるんだ!」
「うん! 生きてここから出るんだもん!」
「もう構えているわよ!」
ミアは今にも崩れ落ちそうな自分の足を叩いて、ルピナは鋭い眼光で蛇を睨み付けながら言った。
「すまねぇ! 俺も一緒だからな! 絶対生きて帰ろうぜ!」
背後でケートが鼓舞してくれている。
折角みんな無事だったんだ。こんなところで終わるわけにはいかない。
「行くぞ!」
僕の合図に、二人が反応して走り出す。
しかし、それも一瞬にして無駄になった。
フランデスネークが顔を近づけてきたと思いきや、大口を開いて白い煙を吐き出したのだ。
その煙を吸ったミアとルピナが目の前で倒れ、そのまま僕の視界も曖昧になっていく。
『必殺の催眠ガスです。くっく、もう一度お休みなさいませ。くっく、くくく』
ねっとりとした笑い声を最後に、僕の意識は再び遠のいていく。
その最中、僕は思い出した。
特徴的な気味の悪い笑い声に、相手を苛立たせるねっとりとした喋り方。
こいつは……父さんを殺したコキュートスだ。