Fランクの復讐者が誕生するまでの軌跡ー②
赤髪の女騎士。
おそらくフェスタで、それもギルドで彼女のことを知らない人間はいないだろう。
「シルティア姉さん……」
「やあ、アベル。何やら物騒なことになっているみたいだけど、どういうことかなこの状況はさ」
シルティア姉さんは僕達フェルダムのメンバーが子供の頃からお世話になっている姉であり、師匠のような存在だ。
そのシルティア姉さんが鞘でクロムの剣を受け、もう一方の手で短剣を握った僕の手を抑えている。
しかし、戦闘を止めてくれた姉さんはどうやらお冠らしい。
「いやその……どうと言われましても」
「アベル?」
言葉に込められた威圧感が僕の心を追い詰める。
姉さんは怒ると氷のように冷たい視線で詰めてきて、言い訳をさせてくれない。
「せ、鮮血のシルティア――っ。こ、ここは一旦引かせてもらうよ」
僕の向かい側で姉さんを見たクロムは、顔色を青くして仲間たちと去っていった。
鮮血のシルティアか……
まあ、僕ら以外の冒険者からすれば、姉さんは今や騎士団に属する女騎士だからな。
勿論。その怖さをこれから味わうのは僕達だけど。
「正直に話します……」
「よろしい」
そうして、僕たちはこっぴどくシルティア姉さんに説教をされたのだった。
***
「なるほど。それで決闘じみたことをしていたんだね」
「は、はい」
宿で説明を終えた僕達、いや僕は正座でシルティア姉さんと向かい合っていた。
なんで僕だけ……
「俺はあれですっきりしたぜ!」
「そうね、珍しく私もアベルの事見直したわ」
「か、かっこよかったよ」
仲間たちの賞賛の言葉が胸に染みる。けれど、僕だけ正座はおかしくないかな。
シルティア姉さんは呆れて物も言えない状態だ。
ため息のあと、姉さんが再び口を開いた。
「だからってわざわざ反感を買うようなこと言わない。これは私の持論だが、下を作る人間ほど醜い人種はいない。だから既に君たちは彼らに人間性で勝っていると、そう考えることはできないかい?」
下を作る人間は醜く、下を作らない人間は既にそれらの人種に勝っていると。これはとても姉さんらしい、崇高な思想だ。
ただ、僕はその言葉にどうしても矛盾を感じてしまった。
「確かに人間としては勝っているような気がするけど、勝ち負けを考えてしまっている時点でそれは上か下かを考えているってことにはならないのかな……」
「そう、言われてしまうと少し困ってしまうね。一つだけ言えるとすれば、多くの人々に勝ち続けている私は醜く見えるかい?」
「いや……見えないけど」
シルティア姉さんは騎士団の中でも飛びぬけた実力を持っている。
多くの輩を倒し、多くの人々の前で力を発揮してきた。それでも姉さんは街の皆に愛されているし人望もある。
そんな姉さんが醜い訳が無い。
「だろうね。それは私が負かした相手を下だとは思っていないからだよ」
「それって、結局勝負じゃティア姉が上ってことになるんじゃねーの?」
窓際に立つケートがそう質問を投げかけた。
ケートの言う通り、姉さんが相手を下に思っていなくても事実上の結果は変わらない。
「はは、そうだね。まあ、要は気持ちの持ちようってことさ。君たちは実力じゃ彼らに劣っているけど、人間性では勝っている。そうやって、何か一つでも相手より勝っている所があるって思えば、少しは楽になると思はないかい?」
そう言われて、何も言えなくなってしまった。
純粋に納得してしまったのだ。何より、そう言う考え方が出来る姉さんは、明らかに僕達より勝っている。
見習わなきゃな。
「……うん。確かに、少しは楽かもしれない」
「ああ、そういう考え方もあるってことが分かってくれれば、もう少し穏便に事を進められるようになると思うよ。だからあんな物騒なこと、もうしないようにね?」
優しい言葉だが、その言葉に込められた威圧感が僕の背筋をピンとさせた。
穏やかな笑顔の奥に鬼の形相が伺えそうだ。
「は……はい。気を付けます」
何はともあれ、これで姉さんの説教は無事に終わったみたいだ。
あぁー、怖かった……
「でも結構久しぶりだよね、お姉と会うのってさ」
「お姉様、会えてうれしいです」
説教が終わったのを見計らったように、ルピナとミアが姉さんに声を掛けた。
「今の私の職は王国騎士団白銀の靭翼の副団長だからね。大体宮殿か戦場にいるから、この街に来るのも一年ぶりくらいになる。私も君たちに会えてうれしく思うよ」
王国にある三つの騎士団の中で最も優秀な騎士が集められた白銀の靭翼。
その副団長を務めているとは、どうやら僕達の知らないうちに大出世していたらしい。
「騎士団に入ったって話は聞いてたけどよ、まさか白翼の副団長になってるなんてな。やっぱティア姉はすげーや」
興奮した様子のケートは自分の事のように嬉しそうにしている。
昔から姉さんの剣術は目に余るものがあったが、僕達からすれば師匠であり姉さんだ。
すぐ身近にいるのが当たり前だと思っていたから、遠くに行ってしまったような気がして少し寂しい気もする。
「ありがとうケート。私は私なりに先生の意志を継いで頑張っているよ」
「…………」
姉さんの言葉に、僕たち四人は沈黙してしまう。
返事に困ったからとか、喉に何かが引っかかったからでは無く、ただ辛くなってしまったのだ。
「そうか、君たちはまだ乗り越えていないのか。てっきり一年前、最後に会ったときには乗り越えているものだと思っていたよ」
「乗り越えたっていうか、ただ考えないようにしてただけなんだ、俺たちはさ」
ケートの言う通り、僕たちは父さんの死という決して乗り越えることのできない壁をなかったことにしようとしている。
忘れてはならないことだ。しかし、抱え続けることが必ずしも正解とは限らない。
「まあ、そう暗くなることは無いさ。こればっかりは簡単に乗り越えろ、だなんて言えないからね。時間をかけて、ゆっくりと向き合っていけばいいさ」
僕の頭を優しく撫でながら、全員に向けて励ましてくれる。
元々姉さんは父さんが個人的に開いていた剣術学校の生徒で、僕達が物心ついたころから一緒だった。
「……姉さんにはかなわないな」
僕達の誰かが落ち込んでいたりすると、決まって姉さんは優しく励ましてくれる。
そんな姉さんのことが、僕達は大好きなんだ。
「ふふ、君たちはいつまでたっても子供だな」
「お姉の前では子供でいいんですぅー」
「姉様姉様! 大好きです!」
気持ちが抑えきれなくなったのか、ルピナとミアがそれぞれ姉さんの腕に抱き着いた。
そんな二人を見て、僕とケートは目を合わせて笑ってしまう。
僕達につられたのかルピナとミアも笑い出して、それから姉さんも笑って、笑いがしばらく止まらなかった。
「はぁー、笑い疲れたっ」
ケートが笑い過ぎて流れた涙を拭って言った。
そう言えばここしばらくこんな風に笑ってなかった気がする。
唯一のFランクパーティーだのギルドの汚点だの、そんなことばかり気にして気がめいってしまっていたのかもしれない。
「あー、そういやさ、白翼の副団長ともあろうお方がこんな辺境の街に何しに来たんだ?」
落ち着いたケートが思い出したかのようにそう話を振った。
そう言えば、どうしてだろう。シルティア姉さんとしての帰省なら何も不思議なことはないが、鮮血のシルティアとしての訪問は少し気になる。
「ああ、言っていなかったね。この街の近くに阿吽の魔窟っていう洞窟があるのは知っているね?」
「あれでしょ? あの魔物が沢山出るっていう。ね、ミア」
「結構、ギルドの掲示板で見るよね。Fランクの私達じゃ受けられないけど」
阿吽の魔窟。
世界にいくつかある魔物の発生源の一つ。そもそも、この街フェスタは阿吽の魔窟を管理するために作られた魔窟監視街だ。知らないほうがおかしい。
中は地下に続いていて最下層に魔物を生み出す核があるとされており、その魔窟内の調査依頼がよく掲示板に張られている。
けど、ミアの言う通り魔窟関連の依頼はどれも難易度が高いんだよね。
「そう、それ。規則であまり詳しくは言えないけど、その洞窟の最深部付近で指名手配されている大罪人の目撃情報があってね。そいつが中々に手強いものだから、白翼が駆り出されたってわけだよ」
指名手配されている大罪人?
「ふーん、なんかヤバそうだな」
「因みに姉さん……その大罪人とやらは、コキュートスじゃないの?」
コキュートスは父さんを殺した組織の名前だ。
僕がその名前を出すと、三人は難しい顔をして姉さんに視線を向けた。
「それは言えない。否定することは簡単だけど、それをしてしまうとそうでないという情報を与えてしまうからね。まあ、君たちは気にせず、ただ最前線で戦う私の事を応援していてくれると嬉しいな」
「そりゃ、応援はするけどさ」
姉さんが認めない限り、その大罪人がコキュートスとは限らない。
でも、もしコキュートスだというのなら僕は――
「リーダー、ティア姉の言う通り気にするのは止めておこうぜ! 仮に大罪人がコキュートスだったとしても、俺たちには何も出来ねーんだ。応援してるぜ! ティア姉」
納得しきれていなかった僕の背を叩いたケートは、そう言って満面の笑みを姉さんに向けた。
ケートの言う通り、仮に相手がコキュートスだったとしても、僕達には何も出来ない。
その力が無い。
こうやって僕が前を向けていない時、決まって背中を叩いてくれるのはケートだ。
「そうだね……僕も、応援してるから!」
「お姉頑張ってね!」
「姉様……ずっと応援してます!」
それぞれが姉さんにエールを送ると、姉さんはほんのりと頬を紅潮させて微笑んだ。
「ありがとう。これで私は百人力だ」
姉さんがいるのは死と隣り合わせの戦場だ。
本当にいつ死んでしまうかわからないし、幾ら姉さんが強いからって絶対死なないという保証はない。
だから、会える時に会って思う存分思い出を作らないと。
「さて、そろそろいい時間だし、ご飯にしようか。今日は私が奢るよ」
「ひゃっほーい! 肉だ、肉!」
「いいわねお肉! ついでにパスタも食べたいかも!」
「……お肉……じゅるっ」
姉さんの言葉を聞くや否や、ケートは飛び跳ね、ルピナはうっとりとした表情で天井を見上げ、ミアは口から流れる涎を拭った。
ほれぼれするほどの変わりように、姉さんは呆れ気味だ。
「やれやれ君たちは現金だな。アベルは――」
「高級肉に高級パスタ……久しぶりだな、パンと芋以外のご飯は……」
想像するだけで泣けてきそう。
「……たんとお食べ」
そんな僕達を見た姉さんは、何故か途轍もない慈悲に満ちた表情をしていた。
***
ご飯をごちそうになった後、仕事に戻った姉さんを見送った僕達は宿で布団に入った。
上手い飯ってやつを食べたのはいつぶりだろう。
Fランクの僕達は冒険者としての収入がほぼ無い。こなせる依頼は薬草摘みだの物探しだので、簡単だがその分報酬も微々たるものだ。
勿論、それだけで生計を立てることが出来るわけも無く、僕達は全員出稼ぎをして補っている。
寧ろ出稼ぎをしている時間の方が長い。
もう少し冒険者としての収益があれば、この宿だって四人で一室にする必要だって無くなるんだけどな。
本当に、ルピナとミアには申し訳ない。
「三連勤か……」
全く、これが冒険者をしている人間の発言とは思えないな。
この日はそのまま、翌日から控えている三連勤に備えて眠りについた。
***
離れたくない。
ここでこの手を放してしまったら、もう二度と会えないような気がする。
『ごめんな……アベル』
それでも、父さんは僕の手をそう言って引き剥がした。
涙で前が見えなくなっても、がむしゃらに追いかけようと手を伸ばす。
けれど、その手は空を掴んで届かない。
シルティア姉さんが泣きながら僕を抱きとめるのだ。
『父さんっ……行かないでよ!』
僕の必死な叫びに一度だけ振り向いた父さんは、死ぬかもしれない状況だっていうのに、いつものようにへらへらと笑っていた。
腹が立った。
どうしてそんな風に笑えるのか、どうしてそんな決意に満ちた瞳をしているのか、訳が分からなかった。
『ルイ子! 子供達の事、頼んだぜ』
『――先生っ、私は……』
父さんが姉さんに呼び掛けると、姉さんは声を詰まらせる。
言いたいことを言えないような、そんな風に見えた。
しかし、父さんは返事を聞かないまま死地へと向かう。
視界の先、父さんの目の前に黒い何かが現れて、鎌のようなものを振りかざしている。
だというのに、父さんは剣も抜かずにただ立ち尽くしているのだ。
『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! 戦ってよ、父さん――』
***
魘されていたのか、目が覚めるなり急な疲労感に襲われた。
呼吸も乱れて、息苦しさも感じる。
「だだ、大丈夫アベル君!」
僕の普通じゃない様子に、いつも一番に起きているミアが背中を撫でながら心配してくれる。
「……っうん。だ、大丈夫」
「そ、そう? 本当に?」
どうにか落ち着きを取り戻そうと、深呼吸をしてからミアと目を合わせた。
「――ふぅ。本当だって。そんなに……魘されてた?」
「うん、とっても苦しそうだったよ。でも私、どうしたしたいいかわからなくて……ごめん」
「ミアが謝ることないよ。それより心配してくれてありがとうな。ちょっと怖い夢を見ただけだからさ。大丈夫大丈夫」
申し訳なさそうに謝るミアに対して強がって見せた。
本当は内心、誰かに縋りつきたい気持ちがあったが、ミアの手前それを実行に移すわけにも行かない。
あれは三年前、父さんが死んだときの光景だ。
久しぶりにシルティア姉さんと会ったから、その影響であんな夢を見てしまったのだろうか。
「そっか、ならよかった」
きっと心の底から心配してくれていたのだろう。
無事とわかるなり、ミアは安堵から大きな溜息をついている。
それから不意に僕の手を握ると、その手に自分の額を当てて口を開いた。
「あのね……」
「うん?」
「アベル君は……みんなは、私の前からいなくなったりしないよね?」
震えた声で、泣きそうになるのを我慢しているのが伝わってくる。
父さんの死で最も精神的に病んでしまったのはミアだった。
当時は塞ぎ込んでしまったミアをどうにかしようと、僕とケートとルピナの三人で元気づけようとしていたのを今でも覚えている。
今でこそ僕達といるときは笑顔を振る舞うようになったけど、やっぱりシルティア姉さんとの再会はあのトラウマを思い出すには十分だったようだ。
もし次僕らの誰かが欠けようものなら、今度こそミアが立ち直ることは無いだろう。
だから、ミアの前から消えるなんてあるわけがない。
いや、だからも何も、元々いなくつもりなんてないのだから。
「ああ、いなくなるわけないだろ? 僕もケートもルピナも、ずっとミアと一緒だ」
心の底からの思いを笑顔に乗せて伝えると、ミアは涙を拭って笑った。
「うん! そうだよねっ」
「当たり前だ」
ミアの頭を撫でてやりながら横目でケートとクウカを見ると、背中を向けてはいるものの起きていることに気づく。
初めから起きていたのか途中から起きていたのか分からないが、二人も思うことがあるのだろう。
「あ、そうだ。私、食堂で皆の分のパン貰ってきちゃうね」
「悪いな、頼む」
そう言ってミアは、無料で配給されているパンを受け取りに部屋を出て言った。
さて、そろそろ寝たふりしている二人にも起きてもらおうか。
「起きてるんだろ。二人とも」
「バレてたか」
「気づいていたなら言いなさいよ」
少しの間、静かな時間が続いた。
各々、父さんの事やシルティア姉さんの事、ミアの事等考えることが多い。
その何もかもに答えは何一つ出ないけど、僕達がやれることは一つだけだ。
「……頑張ろう」
「だな」
「そうね、もうミアは泣かせないから」
戦っている理由を再確認した僕達は、今日も出稼ぎや依頼に明け暮れる。
いつか、頑張ってよかったって思えるその日の為に。