四七話 龍人と巫女
遥か遠くの空が薄く青ずみ、洛遼に朝の薫りがにおい始めた。
ジローとスズの帰還祝いの宴は夜更けまで行われていたらしい。
ただ、ルゥラは途中で眠くなって、屋敷内の男たちが使っている大部屋で布団にくるまって寝てしまったが。
ちなみに、屋敷内の男女は基本的に、それぞれに分かれて大部屋で寝ることになっている。
ルゥラは、その朝の薫りが立ちはじめた頃に目を覚ました。
ただ、朝の薫りといっても、ここは峡谷の街、辺りはまだ暗いまま。
まだ夜だ、とルゥラは再び瞼を閉じて四半刻ほど横になっていたが、一度覚めた目はなかなか眠気を呼ばない。
仕方なく起き上がり、中庭にある、湧水の滴る簡素な泉で顔を洗った。
手持ちの手拭いで顔を拭き、また着物を脱ぐと、それを湿らして体も拭った。
さっぱりした体で、ぐいっと両手を上げて背を伸ばした。
起きた時は着崩れしていた着物を、しっかりと着直した。
ただ、それら一連を済ませたところで時間はそう掛かるものでなく、周囲は鳥の鳴き声も聞こえぬ闇である。
ルゥラは屋敷の中に戻ったが、手持ち無沙汰になった。
(どうしようかな)
ルゥラは眉間にシワを寄せ、口を歪めて頭をくるくるまわして悩んだ。
しばらくの間廊下を歩きつつ頭を回していたら、ふとほのかな酒の匂いがした。
階上に昨日の宴を開いた大部屋があるのだ。
(宴会場に行ってみよう)
何かすることあるかな、と漠然とした思いで階段をあがった。
しかし、宴会場は男どもが酒を飲み散らかしたままの状態である。
「うっ………」
階段を上がったルゥラは、咄嗟に鼻を抑えた。
ひどい酒の臭いに、気持ち悪くなった。
それでも勇を鼓して部屋の襖を開けると、中は惨憺たる様相。
人は無造作に横になっていびきをかき、膳は四方八方へ転がっていた。
また、部屋の奥では、上座で大の字になるキツツキも見えた。
(よしッ)
ルゥラは、宴会場の有様を見ていてもたってもいられなくなって、膳部を片付けはじめた。
もともと、酷く散らかっている状態が嫌いな性格でもあった。
まあ、潔癖症というほどでもないが。
ともかく、片付けるにせよ、一度には片付けられるはずもなく、一膳ずつ台所へ持っていく。
ルゥラは音が出ないように膳の上に食器を載せて部屋を出た。
台所へ向かったが、まだ早い時間で人はいない。
ルゥラは、ゆっくりと台所の床に膳を置き、大部屋へ踵をかえした。
そうして、何度か部屋と台所を往復するうち、偶然すれ違った景姫英も手伝ってくれた。
「こんな早くから片付けしてるなんて、ルゥラくんはえらいね」
「……えへへ、そんなことないです」
ルゥラは、英に褒められて素直に照れた。
やがて、廊下を何度も往復していると、太陽もその姿を現し始め、屋敷の他の者も起き始めた。
台所にも人影が見え始め、ルゥラ、景姫英と一緒に膳を片付けはじめた。
人が増えてからは、大部屋の片付けは案外早く終わった。
キツツキは気がついたら起きてどこかへ行ってしまったようだが、未だ大半の連中は、大部屋で大いびきをかいたまま寝ている。
ルゥラと景姫英は、台所にあったイスでひと休憩した。
「いやぁ悪いね。客人なのに手伝わせちまって」
五十代の中年の女が二人に話しかけた。
彼女は、皆から「祭さん」と呼ばれており、主に屋敷の台所関係の主宰をしていた。
「疲れたろう。ほら、これをやるから食べな」
と、祭さんは、お茶と練り餅を二人に渡した。
「あ、ありがとうございますッ」
「ありがとうございます」
朝ごはんを食べていなかった二人は、勢いよく練り餅にかぶりついた。
練り餅は中に餡が入っており、疲れた身体には甘い餡が染み透るように美味しい。
ルゥラは、その練り餅をお茶を飲みつつ食べたが、英は一気に全部を口の中へ放り込んだせいで胸を押さえてひどく咽せた。
「うっ……、ゲホッゲホッ」
「だ、大丈夫ですか!?」
ルゥラは、あわてて彼女の背を叩いてやった。また、景姫英の分のお茶の入った椀も机から持ってきて、咽せる彼女に手渡した。
英は椀を受け取ると、それを一気に飲み干した。
彼女は、お茶を飲み干すと、ぷはっと息をついた。
「英さん、大丈夫ですか?」
「……うん。ルゥラくん、ありがとうね」
額に冷や汗をかいて、まだ息が荒いが、どうにか喉に詰まったものは取れたようだ。
「あらら、大丈夫かい?」
英のひどい苦しみ様に、祭さんも台所仕事の手を止めて来てくれた。
「ええ……。なんとか、大丈夫そうです」
英は胸に手を当て、しかめた顔をしつつも、そう答えた。
「ほら、今おかわり持って来させるからね」
祭さんは、台所の男衆に水を持って来させ、英の椀にそそがせた。
「あ、ありがとうございます……」
おかわりの二杯目はゆっくり飲んだ。
窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
微かな陽が、部屋の中に漏れ入っている。
やがて、英が安静になったと見ると、祭さんは再び台所で男衆の指揮を取り始めた。
ルゥラと英は邪魔にならないように、お茶と饅頭を食べ終わると、祭さんにお礼を言ってから台所を後にした。
台所を出た二人は縁側に向かった。
外はすでに明るく、朝の冷たい陽射しが、屋敷を照らしていた。
「太陽も出てきたね」
「はい。まぶしいです」
ルゥラは、掌をひさしに空を仰いだ。
鳥が二、三羽、視界を横切った。視線を下せば、中庭の草木が青々とした葉を蓄え、梅や牡丹の花が陽に照らされて輝いて見えた。
二人は、特に行くあてもなく、縁側をぶらりと歩いていたが、ふとすれ違った男に声をかけられた。
「客人。棟梁が探していたぞ」
声をかけたのは宋蒙であった。
ただ、ルゥラと彼の面識は数えるほどしかない。
キツツキの縄張りの取りまとめ役の一人であることは知っているが、何をしているかまでは、よく知らなかった。
「キツツキさんが?」
「ああ」
棟梁は二階の南端の部屋にいる、とも言った。
「なら、ルゥラくん行ってきなよ」
と英は、じゃあねと手を振ったが、宋蒙はそれを制止するように、
「いや、あんたも一緒にいるなら来いと言われた」
「え、わたしもですか」
「そうだ」
宋蒙は無愛想な面でいった。
彼は普段から口がへの字に曲がるような顔をしており、感情を露わにすることがほとんどなく、常に沈着としている。
「なんの話でしょうか」
と、英が首をかしげたが、
「行けばわかる」
彼の返答はとりつく島もなかった。
二人は仕方なく、二階に上がり、宋蒙に示された部屋に入った。
「失礼します」
「ヨォ、来たか」
ルゥラと英が部屋に入ってきたことに気づき、上座にあぐらをかいて座っていたキツツキが声を上げた。
その側には、ジローとスズの姿も見えた。
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
「応ッ」
キツツキは、何がおかしいのか、陽気に笑った。
「英ちゃんおはよッ」
「……おはよう」
ジローとスズも挨拶をした。
ただ、ジローの方は、まだ眠い様であくびをかいていた。
「お前らも土産話、聞くだろ?」
キツツキは、あぐらをかき、頬杖ついていた。
彼は、すでに水を浴びてきたのか、大部屋に充満していた酒臭さは微塵も感じない。
ルゥラと景姫英は、キツツキに誘われるまま、ジロー達の隣に座った。
「えっと……、ジローさんとスズさんは、龍人さんの手伝いをしていたんでしたっけ?」
「そうだな」
キツツキは頷いた。
ほら、とキツツキは急かすようにジローとスズの二人に目配せをした。
「えーーっと……、なんだっけな」
ジローは朝が弱いようで、眉間をつまんで考え込んだ。
「はぁ……。いいよ、わたしがしゃべるから」
と、スズは懐から折り畳まれた一片の紙を取り出し、開いた。
どうやら、予め用意していたようだ。
「まず、ある方の地図に記されてあった封龍石はすべて回収しました——」
ある方の地図……とは魔王から渡された地図のことを指しているのだが、魔王から渡されたことを知っているのは、スズ達含め一部の者だけで、このことはキツツキから口止めされていた。
キツツキとしては、余計な情報で縄張りの内が混乱することを避けたかった。
「さらに、魔族領外縁部——エルフ領との国境線なども調べましたが、見つかった封龍石はあの地図に記された三つのみでした。おそらく、エルフ領を除けばこの大陸には、もう封龍石は残されていないと思われます」
「そうか。でもそれだけじャア、ないだろう?」
「はい。探索が終わった後、中央大陸に行ってきました」
「ほう」
キツツキは、興味ありげに首を傾けた。
(中央大陸ッ!)
ルゥラも、口には出さなかったが、中央大陸と聞いて目を輝かせた。
中央大陸といえば、人間という種族の首都のようなものだ。
いってしまえば、ルゥラの国のセントレージアなどは、人間族全体から見れば、違う大陸に在る僻地の一国に過ぎない。
その中央大陸は、中部に人間が広大な勢力を誇り、その北東にはエルフの住む大森林、北西にドワーフの住む巌窟群がある。南方には獣人などの亜人が住む地域が広がっていた。
また、龍人の居る虹龍国も、人間の領域と大森林の中間に存在していた。
「巫女に会ってきたのか?」
巫女、とは虹龍国の名の元でもある虹龍と意思疎通できる者のことを指す。一般的には、龍の巫女と呼ばれている。
現在、世を騒がせている龍人の主人が虹龍なのだが、その虹龍は前述の事情によって身動きどころか、地中に眠っているさまであった。
ただ、そのままではいけない。
たいていの物事であれば龍人同士で決断して対処してしまうのだが、世界を二分するほどの大事、ましてや数千年前よりの因縁たる地龍が相手となれば、彼等の主祭神たる虹龍に判断を仰がなければならず、彼等はその判断のもと、理非を問わずに従い動く。
そこは、あくまでも虹龍の眷属なのである。彼等が自分等の主人に逆らうことはない。
また、理由は解らないが、龍人の内、封印の鎮となった虹龍と会話できる者は、この巫女しかいなかったのだ。
「はい。メーチェに案内されて会ってきました」
スズは、頷きつつ答えた。
その隣、ジローはようやく目が醒めてきたのか、ぐいっと腕を天へ伸ばした。
「そういや巫女さん、結構かわいかったぜ」
と、ジローは軽薄な笑みを浮かべた。
「若干赤い茶髪でよ、おでこに兄貴よりも立派な角が生えてたんだ」
「ホウ、それはどんな」
「そうだな……、あれだな。鹿の主みてェな角だったな」
「そうか」
キツツキは、ジローの喩えに微笑した。
「ああ、でもあれだ。巫女らしく若いし可愛かったぞ」
と、ジローは再び巫女の容姿をほめた。
「ちょっとジローッ」
スズは焦ったような顔でジローの引っ張るように叩いた。
気が気でないスズは、傍目に景姫英の方を見た。
彼女は、少し俯き、まつ毛を伏せていた。
「いいよ、わたしが話すからさ」
「ええー、なんでェ?」
「いいからッ」
変な所で鈍感なんだから、とスズは内心思ったが、いつものことだ。
また、英は英で俯いて黙ったままである。
(もう、二人とも、もっと積極的になればいいのに)
スズは、呆れるような目線を二人に送った。
「それで、龍の巫女と会ってきたのですが——」
と、スズはジローの話を継ぎ、
「なんというか……、巫女が王のように振る舞っているわけではないようですね」
スズは、少し考えるようなそぶりをしつつ、
「見た目はジローのいうように、お人形のようにかわいい方でしたよ。ただ、どこかふわふわとして、儚い雰囲気をしていましたね」
「その巫女は何か言ってたか」
「封龍石の蒐集を手伝ったことに感謝していました。ただ、あとは自分たちでやるから大丈夫だ、と」
「そうか。俺たちに言ったのは他には無いか」
「まあ、今のところは……」
スズは、何か意味ありげな顔つきである。
キツツキは一瞬戸惑うように首を傾げたが、すぐに合点がいったように頷くと、あぐらを解き、畳に足をつけて勢い良く立ち上がった。
「詳しいことは後で詰めればいいだろう。とかくこれで一片の義理は立った。ジロー、スズ、よくやったなッ」
と、キツツキはジローとスズの頭を、わしわしと掴むように撫でた。
「わあっ、兄貴ッ」
「あ、ちょっとッ」
二人は、いきなり撫でられて、びくっと驚いた。
「あっははは。お前等、俺はちょっと人を集めてくる。まずは、ルゥラの問いにでも答えてやってやれ」
キツツキは大笑しながら、襖を開く音とともに、砂埃舞い上げる乾っ風の如く立ち去っていった。
部屋に残されたのは、ジロー、スズ、あとは景姫英とルゥラの四人。
ジローとスズは、キツツキに撫でられたせいで髪がそそけ立っていた。
「スズ、スズッ。兄貴に褒められたぜッ」
ジローは、髪の毛など気にせず、キツツキに褒められた、と喜んだ。
「わかってるって。もう、髪がぐしゃぐしゃだよ……」
一方、スズは手櫛で髪を梳いていた。むっとした表情にはなっているが、若干口端が上がっているのを見ると嫌ではなさそう。
「いいなぁ、二人は中央大陸にまで行ってきたんだね」
と、二人の報告をじっと聞いていた景姫英が言った。
私も行きたかったな、と英は羨ましそうに二人を見た。
「カカッ、まあそのうち行けるさ」
と、ジローは気楽に言いながら、ボサボサの髪を後ろへかき上げた。
そして、ルゥラの方に顔を向け、
「ほら、ルゥラ。お前の番だぞ、何が聞きたい?」
「あ、いいんですか?」
「おうっ、兄貴が言ってたからな」
「ありがとうございますッ」
ジローの言葉に、ルゥラはパッと喜色を溢れさせた。
今のルゥラには、虹龍や地龍のことよりも色々な場所の地理風俗を知ることのほうが楽しかった。
幼い頃は飽きずに地図を眺めていたほど、ルゥラにとって色々な場所の知らないことは、黄金のように煌びやかに輝いていた。
しかし、時代の波濤は、平穏な世を永く続かせるほど呑気ではない。
不穏とは、他を這い、気づいた頃にはもう手遅れなものである。




