四一話 春一番
「いや、本当に良い眺めだ」
会談の翌日、キツツキと不知火は、叔珊に連れられて、琪と呼ばれる場所に訪れた。
この辺りは、人の住まぬ山々であり、木の生い茂る山や、剣山の如き岩山の群れを、土地の者は総称して琪と呼んでいた。
「しかし、まア、こンな所で会えるとはな」
キツツキは呵呵と陽気に笑い、その手に持った大盃を傾けた。
目の前には一筋の滝が轟々と流れ、その周りを白や淡い桃色の花々が咲き踊りつつも、時折、刃物の如き岩肌がのぞかせて、春の陽気に僅かな緊張がはしる。
不知火も、杯の中の景色を見つつ、杯を呷った。
「あの時の小鬼が……、まさか国抜けしていたとは」
不知火は、手酌で杯に酒を満たす。
「……牧田殿が亡くなったと聞いて以来か」
牧田に、キツツキこと晴天丸を預けてから二年後、元服し再び本島に来た不知火は、約束通り晴天丸のもとを訪れた。
不知火は、その後も本島へ用事がある度に、晴天丸のもとへ通っていたが、永元が過ぎ丁方九年の夏、牧田翁は病によって死んでしまった。
当時、不知火は三ノ衛の実家にいたのだが、突如門扉が叩かれて、開けてみると、宋十郎頭巾を被り、編笠をつけた晴天丸が立っていた。
——じいさんが死んだ。墓は行けば分かる。
彼は、それだけ伝えると、それっきり不知火の前から姿を消してしまった。
「どこに消えたかと思えば、火翠とはな」
普段、無口な不知火にしては、今日はやけに饒舌である。
「月日が経つのは早いものだ」
「ケケケッ、やけにしんみりしてンなァ己亥」
と、キツツキは不知火のことを、その幼名で呼んだ。
「それは幼名だ」
不知火は眉をひそめた。
「いいじゃねェか、俺にしちゃァ同じコトだ」
キツツキは、酔っている影響もあるだろうが、ひどく上機嫌。
次は、と叔珊の方を向き、
「そういえば叔珊、嫁はどウなったィ?」
「ずいぶんと……、藪から棒だな」
「フンッ、その歳になって嫁の一人もおらん。気になるだろう」
叔珊は、やや口を曲げた。
べらべらと話したくはないようだ。
まあ、当然といったら当然だろうが。
「そもそも候補すらいない」
叔珊はつまらなそうな顔で言った。
「ケケケッ、そろそろ貰え。もう二十も終わりなんだからヨ」
「いやいや、そうは言われても貰う暇がないのだ。……そうだキツツキ殿、貴殿の配下に見合う者はいないのか」
「ハッ、テメェと深い縁になるのは御免だよ」
「……それは残念」
叔珊は肩をすくめ、困ったように笑った。
宴も酣、三人が談笑していると、
「なんだぁ?」
キツツキは、怪訝な顔をして後ろを振り向いた。
「何か来やがるな」
「猪か何かが匂いを嗅ぎつけてやって来たんだろう」
叔珊は杯を傾け、気にも留めない様子。
事実、この辺りでは、猪や鹿をよく見かける。
「………?」
しかし、キツツキは目を凝らして、後ろを振り向いたまま。
しばらくして、人影が見えたと思うと、よく透る声で、
「おかしらーッ!」
と、サクラが飛び込んできて、キツツキに抱きついた。
「なんで私ばっかりお留守番なんですかー」
彼女は涙目になりながら、悲鳴のような声をあげた。
「街の中で遊んでるだろ」
キツツキは、サクラを抱き上げた。
「街の中だけじゃないッ」
サクラは、街の外の景色も見てみたいと、両手をぶんぶん振った。
「そりゃそうだ。外に何がいるか分からん」
「でもお頭は外にいるじゃん」
「俺はコイツに案内してもらってるらな」
「じゃあ、私にもそれつけて!」
サクラは、子供のようにせがんだ。
キツツキは嫌そうな顔をした。
「俺はいいぞ。誰かこの辺りに詳しい者を付けよう」
「いや、そうじゃない」
キツツキは、叔珊の提案を断りつつ、サクラの頭をポンポンと叩きながら、
「案内つけたって、お前はすぐどこかに行くだろ。何かあったらどうすンだ」
「ちゃんと、その、あんないしゃーと一緒に行くもん」
「ダメだ。そうは思えん」
「えーーッ」
サクラは、不満そうに頬をぷくりと膨らませた。
「アッハハハ、キツツキ殿も手厳しい」
と、叔珊は笑った。
「まあ、キツツキ殿が懸念することもわかる。ここは都の近くで危険は少ないが、無いとは言えんからな。それに、迷子にでもなったら困るだろう」
「わたし迷子にならないもんッ」
「いや、そういう奴ほどなるんだ」
と、叔珊が真面目な顔で言ったが、
「……いや、叔珊」
キツツキは億劫そうにして、
「森でコイツは迷子にならねえよ」
「………」
キツツキの言葉に、叔珊は目を丸くし、サクラを見つめつつ黙った。
事実エルフは、森の中での絶対的な方向感覚を有していた。
どんなエルフでさえ、まず森の中で迷うということはありえない。
「……なるほど、そういうものか」
「そういうものだ」
叔珊は、しばしの沈黙の後、納得したように頷き、キツツキがそれに和した。
亡命政権を今まで背負って来た身だ。先ほどの会話でエルフの特性を察することくらいは容易い。
「ただ、まあ、時々魔足の斥候が見えることもある。他にも古の遺跡もある。迷わないからといって案内なしは危険よな」
この辺りを勝手知る者ならともかく、サクラは霓に来ること自体初めてなのだ。
更には、その幼い好奇心。
迂闊に妖しい所へ入らないとは思えない。
「叔珊の言う通りだ。我慢しろ」
「むっす」
サクラは口をへの字に不機嫌な顔。
「まあまあ、キツツキ殿。コレは一人で外に出るのは危険だと申したまで」
叔珊は、いわば娘さんの足に付いて来れて、時には制止できる者がいれば良いのだろう、と得意気に笑みを浮かべた。
「丁度一人、都合の良い者がいる。娘さんがどうしてもというなら、そいつを付けよう」
「うんッ。つけて、つけてッ」
サクラは、きゃっと喜んで、キツツキの膝から乗り出した。
「おう、コレはよいぞ。あとはキツツキ殿の裁可が得られればよな」
先程から沈黙を守っている不知火も含め、この場の皆がキツツキを見た。
視線を向けられたキツツキは、はじめ難しい顔をしていたが、やがて片頬で笑うと、
「わかった。楽しんでこい」
「やったッ」
サクラは、キツツキの膝の上で、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
春の陽気、草木は青々。
風に流された葉がひとひら、サクラの頭にのった。
キツツキはサクラの肩をおさえ、
「ほら、落ち着け」
と、その葉を取ってやった。




