三九話 五十年前のこと
上帝歴、一四七四年
葦鳴の暦で永元十二年。
キツツキが不知火に再開する五十年ほど前。
葦鳴、本島。都の西郊に位置する逆月山、その麓の道。
九釣己亥、後の九釣不知火は、その麓道を歩いていた。
その姿は、現在の堂々たる体躯とは違い、前髪を残した、一般的な少年の姿である。
また、葦鳴の一ノ衛から四ノ衛の将軍の嫡子は、数え十六になり元服を済ますと、本島にいる皇帝と謁見することになっている。
ただ、かといって元服には未だ数年早い。
今日は、父が本島に用があるというので、付いてきたのだ。
道中、折れた木や竹、荒れた地面が目立つ。
(話には聞いていたが……、よほど凄まじかったようだ)
不知火は以前聞いた、本島で起こった事件の話を思い出した。
以前は、逆月山に隣接する大釜山というところに、黒木童子と呼ばれる鬼とその一族が勢力を誇っており、都の者へ乱暴狼藉甚だしく、婦女を攫い、抵抗する者は殺し、大釜という山の名から、釜で人を煮て喰らう、大釜山の人喰い鬼と恐れられ、かつ恨まれていた。
そこで一年ほど前、この事態を看過できないと、朝廷に仕える陰陽師を中心とした鬼退治が始まった。
当然、黒木童子とその配下の鬼どもは抵抗し、その凄まじさは大嵐の如く、三日三晩の大激闘となり、大釜山はもちろんのこと、その周りの山々も、木々は薙ぎ倒され、道は寸断、さらには、泉山という山一つが跡形もなく吹き飛ぶほどであった。
しかし、最後には黒木童子含め、その配下のほとんどは討ち取られたいう。
依然として大釜山周辺は、木々は折れ、所々道が寸断されたままである。
己亥は、所々横たわった木を、ぴょんと飛び跳ねて越えた。
やがて山の頂きが見え、そろそろ昼にしようかと思った。
途端、ガサリと左の木々の中、何かが動いた。
己亥は咄嗟に、腰にさした木刀を握ったが、どうにも森に棲む獣ではなさそうだ。
柄を握る手を離し、動いたものを見つめた。
(小鬼……)
人にして約十歳程度の背丈、しかし額には小さく生える、やや赤い角が二つあった。
その身にはボロ切れのような無地の浴衣を纏い、顔は煤をまぶしたかの如く汚れ、ひどくやつれてみえた。
「おい」
声をかけた。
小鬼は、木にもたれ、目はうつろに己亥を見つめた。
己亥の目は、あくまで厳しい。
小鬼は目を瞑った。
その顔には諦念がみえた。
「………」
己亥は厳しい表情のまま、しばらく小鬼を見つめていた。
風が三度通り過ぎ、未だ碧い落葉が地をなめた。
「小鬼、人を食ったか」
己亥はようやく口を開き、小鬼へ、そう問うた。
小鬼はゆっくりと目を開けた。
その顔は眉間にシワが寄り、逡巡しているるよう。
須臾の間、経ち、小鬼は弱々しく、控えめに、こくり、と頷いた。
一瞬、己亥の顔に殺気がみなぎった。
腰を落とし、木刀の柄を握り締め、今にも抜刀しそうな勢いで構えた。
小鬼は、ぎゅっと目を瞑って縮こまった。
己亥の腰のものは木刀だが、思いっきり振り下ろせば、それなりの威力にはなる。
まあ、人より頑丈な鬼に、効果があるかどうかはわからないが、その時は、木刀に気を込めればいい。
気とは、ルゥラたちのいう魔力のことを指す。
葦鳴の武士は、武器や防具、もしくは己の身体に魔力を流して強化する武術を主に使う。
一応、普通の魔法も使えなくはないのだが、そもそもほとんどの者が習っておらず、魔法使いは西夷(大陸西側のこと)のものと蔑まれていた。また、霓発祥だが葦鳴独自に発展した陰陽術を扱う陰陽師がいたことも、魔法が発展しなかった要因の一つであった。
とかく、己亥も幼少の頃より、その武術を習い、小鬼を殺すことくらいは造作もない。
(……殺るか)
おそらく、目の前の小鬼は黒木童子一派の生き残りだろう。
もし生かしておけば、後々、黒木童子の敵討ち、と民衆を襲うかもしれない。
しかし、鬼とはいえ、子供を手にかけることは、さすがに躊躇われた。
(鬼は嘘をつかぬというが……)
己亥は、そんな俗説があることを思い出した。
だが、あくまで噂である。
「小鬼」
己亥は呼びかけた。
「これから人を食わぬと誓えるか」
その声は、まだ元服前とは思えないほど、沈着としている。
小鬼は、はじめ驚いた様子だったが、少しして、こくり、と小さく頷いた。
「……鬼は、うそつかない」
たどたどしく、かすれた声で言った。
己亥は腰を落としたまま、小鬼を睨んで動かない。
そのまま、半刻も経ったのち。
己亥はようやく腰を上げ、構えを解いた。
一つ、息を吐き、
「二言は無いな」
小鬼はこくり、と強く点頭した。
己亥は、二つ目、息を吐き、
「ついて来い」
と、スタスタ山の頂上目指して歩き始めた。
小鬼は弱々しい足取りで、地を這うように、己亥を追う。
やがて、山の頂上につくと、己亥は近くに転がった腰掛け程度の石に座り、小鬼も、己亥に追いつくと、彼の前に胡座をかいて座った。
山の頂上ゆえか、周りの木々が風を遮るが、それでも木の葉を散らし、髪を強く靡かせた。
己亥は、肩にかけた風呂敷から、竹の皮に包まれたおにぎりを二つ取り出した。
彼は、そのうちの一つを手に取り、
「食え」
と、小鬼の前へ、おにぎりをつき出した。
当の小鬼は呆然、困惑した様子。
「手を出せ」
と、己亥は無理矢理にも小鬼に手を出させ、その上に、おにぎり一つ置いた。
己亥は、すでにもう一つのおにぎりを食べ始めている。
——ぐう
と、小さく鳴ったのは、小鬼のお腹。
「食え」
己亥は、おにぎりを食べながら、再度言った。
小鬼の目線は、何度か己亥とおにぎりを往復し、やがて、
——はむっ
と、一口、二口とおにぎりに噛みついた。
おにぎりは、どんどんと減り、掌にあった一塊は、すぐになくなってしまった。
小鬼は、手についた米粒を、ぺろぺろ舐めた。
「うまかったか」
「……ッ!」
小鬼はこくり、頷いた。
その様子を見て、己亥は若干頬を緩めたが、すぐに厳しい顔つきになった。
「小鬼、先ほど言った通り約束だ」
「うん」
「人を食わぬと誓うか」
「さっき、やくそくした。嘘つかない」
小鬼は、強く頷き、たどたどしくも先程より生気のこもった声をあげた。
「そうか。ではお主、名はなんという?」
「……晴天丸」
小鬼はつぶやくように言った。
「わかった。晴天丸、もしお前が人を食った時は……」
と、己亥は語気を強め、
「この九釣己亥が必ずお前の袂まで行き、斬る」
「うん……ッ」
小鬼は決意のこもった眼差しで、目の前の武士を見つめた。
「やくそく、まもる」
「よしっ」
己亥は立ち上がった。
まさか、おにぎりを与えたとはいえ、このまま晴天丸を置き去りにするわけにはいかない。
「お前を匿ってくれる所まで案内してやろう」
己亥は、ついて来い、とサッサと歩き始めた。
晴天丸は、その後ろを、やや急ぎ足で追いかけた。




