二十四話 洛遼
泰山を、鉈で割ったような峡谷が、細い糸のように続いている。
両側の岩壁は、平らか、競う如く相聳え、まるで向かい合う屏風のよう。
眼下、谷底からは、遠く聞こえん岩に砕ける水飛沫。
音は壁を堂々巡り、やっと地上に踊り出でれば、重なり重なり九十九折り。
その、頂付近、街がある。
峡谷、両壁の頭を削って、階段状、二層に分かれた平地をつくり、両脇を繋ぐ橋はそこここに。
上層は三階建、下層は二階建の木造建築が、二層の平地にずらりと並ぶ。
岩壁を削った穴はあれど、石造の建物は無い。
また木造建築も、セントレージアとは趣が違う。
峡谷都市、洛遼。
現在、キツツキの縄張り、その中心部にあたる街である。
(なにこれ……)
この街に入ってすぐ、ルゥラは、思わず立ち止まって、この奇観に見入ってしまった。
峡谷の両壁につくられた都市なんて、後にも先にも聞いたことがない。
(教会で見た絵みたい)
街は、右と左で不均等、建物もそれぞれ不均一、さらに橋が輻輳と。
セントレージアでは、建物は左右対称を尊ぶ。
しかし、その洛遼の非対称さが、ルゥラからすれば、浮世離れした光景に見えた。
それは、まるで神の世界を描いた絵画のような、手の届かぬ幻想を、そのまま現世に持ってきたのではないか、とさえ思ってしまった。
ルゥラは、ぐるり、まわりを見渡しつつ、一歩ずつ踏み締めて洛遼の中をゆく。
峡谷を跨ぎ両側を繋ぐ木造橋、剥き出しの橋桁、軒下に吊るされた提灯、連なった青黒く輝く瓦屋根、そこへ点々と混じる銅の鈍い碧。
ルゥラ達は谷の左側を進む。
途中、ミシウと章は、周りの人に、何度か呼び止められていた。
ルゥラのことなどを話していたようだが、ルゥラには何を言っているのかさっぱりである。
これが、アシナリという所の言葉なのだろう。
「キツツキさんに会うんです?」
「そうだよ。この街の、はしっこにあるから、もう少し歩くよ」
「はい」
ルゥラは、時々まわりの風景に気を取られて崖下へ落ちそうになりつつも、てくてく歩く。
しばらく歩くと、ルゥラの歩く左側に、一際大きな建物が見えた。
その建物は、上下二層を覆うように建ち、他の建物とは比べ物にならないほど大きい。
二階部分には欄干、屋根が幾重にも連なり、その姿はまるで城郭のよう。
「……すごい」
ルゥラは、その壮大な姿に見惚れた。
「……棟梁の屋敷だからな」
と、章も屋敷を眺めつつ言った。
「行こうか」
「うん」
三人、揃って屋敷の中へ入った。
「ここでは、家に上がる時に靴を脱ぐんだよ」
と、ミシウが教えてくれた。
「そうなんですか?」
「うん。棟梁の故郷の文化なんだって」
「へぇ……」
ルゥラは靴を脱いで、屋敷にあがった。
セントレージアは、主に土足文化である。
「脱いだ靴はどうするんですか?」
「置いとけ、取る奴なんていねぇ」
と、章が言った。
「はい」
ルゥラは素直。
ふと、ばたばたとせわしない足音が、こちらに向かってくる。
「あ、ミシウさん、章さん、お帰りですねッ。そして、その子がルゥラくんだね」
と、大息つきながらそう言ったのは、やや紅い髪が、少し乱れた、着物姿の少女。
歳は十七、八くらいだろうか。
着物の裾を、帯に挟んでからげている。
着物の裂け目より覗く、その両脚は、まるで雪のよう。
彼女は景姫英という。景姫が姓。
「大将が待ってます。三階のいつものところにいますッ」
「お久しぶりです、英さん。ありがとうございます」
ミシウは軽く頭を下げた。
ルゥラも、ぺこり、とミシウに倣った。
言うべきことは終わったが、英は立ち去らず、てててッ、とルゥラのそばに駆け寄った。
「君がルゥラくんね。大将から聞いてるよ!」
彼女は東レリル語がわかるようだ。
英は「かわいいね〜」と、ルゥラの頭を撫で、ほがらかな笑みを浮かべた。
「………」
ルゥラは伏目、黙々。
英の溌剌と、無邪気な姿が、イレネに重なって見えた。
「私も付いてっていいですよねッ」
「ええ、もちろん」
ミシウは頷いた。
一応、構いませんよね、と章の方を見ると、彼は「ああ」と一諾。
「じゃあ、行こう」
英はルゥラと手を繋いだ。
三人はキツツキのいる部屋へ。




