十六話 世は無情
「なんだか、今日は魔物が現れないね」
「はい、来る時は時々襲ってきてた」
ルゥラは、馬車の後部に座り、イレネと他愛ない会話を楽しんでいる。
時刻は昼少し前だろう。
商隊は順調にリーリズに向かっている。
ふと、馬車が止まった。
「なんでしょう」
「うん。魔物かな」
イレネは腰の剣に手を当てた。
道脇の叢が、左右に揺れ、擦れ合い、音を立てた。
かねてよりの曇天で、不気味さは一層増すばかり。
前方にいるブレントが剣を抜き放った。
「気をつけろ!」
その声と同時、イレネたち他の冒険者も剣を抜いた。
左右の叢が立てる音も喧しく。
この辺りの魔物は群れるが、せいぜい十匹程度、大きさも中型の犬くらい。
注意は必要だが、苦戦するほどではない。
しかし、様子が違った。
周囲に気配が満ち、十匹より遥かに多く、さらに叢からのぞくその姿は、この辺りの魔物の大きさを遥かに超える。
——轟ッ
と、凄まじい咆哮と共に現れたのは四メートルは優に超える狼。
鉄狼であった。
その鉄狼はブレントへまっしぐら。
「なんだッ!?」
ガナートが声を上げた。
見たことがない魔物。
セントレージア内で活動する彼等は、鉄狼を見たことがないのだ。
棲息地は北に百キロ先である。
冒険者たちの間に、恐れと戸惑いが走った。
「慌てるなッ!」
と、そこへブレントがさけんだ。
彼は、鉄狼の牙を剣で抑えつつ、
「もう襲われてる。慌てたところで何も始まらない、とにかく戦え!」
その声に一同落ち着きを取り戻したか、切先を四方の気配へ突きつけた。
「ルゥくんはここに隠れててね」
「うん」
イレネはそう言うと、ルゥラに背を向け、剣を握りしめた。
鉄狼は叢より続々と現れ、襲いかかる。
牙を剥き出し、唸り声を上げ、涎を垂らし。
「うわッ!」
ガナートが悲鳴を上げた。
見ると左脚を食いちぎられている。
中年組も魔法使いが首を千切られ、即死。
商会員も数名、血を流しうずくまっている。
この辺りの魔物とは、強さの格が違う。
おそろしく強い。
「後ろだッ。フーウェードの方が近い、突破しろ!」
ブレントの一声。
「自力で動けない奴は置いてけッ、道連れになるぞ!」
「イレネッ!」
ブレントの言葉を受け、ベルスが馬車の最後尾に立った。
「来いッ、突き破る!」
「で、でも……」
イレネは覚悟を決められず戸惑うが、
「いい、置いてけ。俺のせいでお前らまでやられるなんざ寝覚めが悪い」
ガナートは苦悶の表情をしつつも力を振り絞り、
「行けッ!」
一喝、イレネを睨んだ。
「……うん。ごめん」
イレネはベルスと並んだ。
「ルゥッ、来い!」
ヨークは馬車を切り離し馬に飛び乗り、ルゥラを呼び寄せた。
そのまま、馬の背へルゥラを抱えるように座らせ、手綱を振るった。
後方では、ベルスとイレネ、残った中年組が、僅かながら道をつくった。
その内に皆逃げる。
「振り返るな!」
今はベルスが指揮。
ヨークは馬の腹を蹴った。
馬は前脚上げ嘶き、駆ける。
ベルス達のつくった道を、少し遅れて通った。
両脇には鉄狼の群れ。
その一匹が大口開け、飛び上がり。
ルゥラの背中にあった感触が消えた。
「お父さん……?」
振り向くが父はいない。
と、ルゥラはバランスを崩し、頭から落ちた。
「ルゥくん!」
と、すんでのところでミリアが受け止め、ルゥラは無事で済んだ。
「ねえ、お父さんは……」
ルゥラはすがるように訊くが、ミリアは伏目、その問いには答えず、
「ルゥくん、私が魔法で飛ばして逃すから。じっとしててね」
と、ミリアは魔法でルゥラを包み込んだ。
そして、ルゥラを宙に浮かし、
「みんなは?」
「私たちは大丈夫、ちゃんと戦えるからね」
「ミリア、早くしろ!」
ベルスがさけんだ。
「うん。生きて、ルゥくん」
「ねえ、待って……」
ミリアは杖を突き出し、
「飛べッ!」
すると、ルゥラはフーウェードの方向へ真っ直ぐ、吹き飛ばされるようにして飛んだ。
「あ……」
飛ばされる刹那、視界の端に父親の姿がうつった。
首から地を流し鉄狼に群がられていた。
ただ、考える間もなく、ルゥラの身体は、緑と鈍色の狭間にいた。
(どうしよう、どうしよう)
考えは浮かばない。
まだ十歳の子供なのだ。
とにかく助けを呼ぼう、街には冒険者も兵隊もいたはずだ。
きっと助かる、ルゥラは今にでも折れそうな心を、僅かな希望に縋って、堪えた。
(あれ……?)
進路が大きく右にズレている。
遠くにフーウェードは見えたものの、ルゥラは右へ右へと飛ばされている。
それに、このままだと飛距離も足りない。
急なことだ、魔法の調整が上手くいかなかったのか。
「ダメ、そっち行っちゃ……」
ルゥラの想いも空しく、フーウェードより南東へ十キロの地点にルゥラは着地した。
ほとんど自由落下で落ちたのだが、ミリアが包み込んだ魔法のおかげで衝撃が吸収され助かった。
(急がないと……!)
ルゥラは空から見えたフーウェードの方向へ、一心に走った。
飛ばされる直前、視界の端にうつった父親の姿は忘れようとした。
でないと、ルゥラはもう、走れなくなってしまうだろうから。
ルゥラは走った。
むき出た木の根に足をとられ、転びつつも懸命に走った。
しかし、
「な、なんで……」
目の前に鉄狼が一、二。
ルゥラは腰を抜かした。
動こうにも、身体がいうことを聞かない。
「うわッ……!」
鉄狼は唸り声を上げ、ルゥラ目掛けて飛びかかった。
ルゥラはぎゅっと目を閉じ、食べられてしまうのかと、恐怖し、縮こまった。
その刹那、一陣突風が襲い。
ルゥラは、まだ目を瞑ったままだが、不思議と鉄狼が襲って来る気配がない。
おそるおそる目を開けると、
「えっ……」
目の前には、口から尻尾へ刀に串刺しにされ息絶えた鉄狼に、真紅、華のような衣装をまとった男。
さらに、男の額には隆々と突き出す一対の角。
「ヨォ、少年。大丈夫か?」
男は、振り返り、ルゥラに向け、空っ風のように、爆けるように笑った。
ルゥラは、何が起こったのかわからず、呆然している。
男は二メートルはあろう大太刀を振るい、残りの鉄狼を苦もなく倒した。
「一体どうした、連れは?」
男は腰に佩いた鞘へ納刀した。
「あ、あの、助けてッ。みんなが、みんなが!」
ルゥラは、涙目になりながら訴えた。
自分が飛ばされてきた方向を、指さし指さし。
脳裏にはミリア達の姿があった。
男はルゥラを一瞥、ポンと頭に手を乗せた。
「おう、安心しろ」
男はそう言うと、ルゥラを小脇に抱え、地を踏み締め。
どう、と凄まじい速度で駆け出した。
木々を巧みに避けて一直線、最短で向かう。
ほんの十秒程度で、馬車の付近の道へ出た。
道には群がる鉄狼。
——チッ
男は舌打ち一つ、ルゥラへ動くなよッ、と言い残すと、刀抜き放ち。
——颯ッ
風がルゥラの髪をたなびかせたとおもうと、一閃二閃。
「えっ……」
一方、ルゥラは目の前の光景に言葉を失った。
血は至る所へ飛び、まるで湖の如く。
立つ者、男の他無し。
首を千切られた者、内臓むき出しの者、ことごとく凄惨な姿。
ルゥラの目は丸く、思考が止まった。
口を開けるが言葉は出ず。
代わりに涙が滔々。
男の言葉も忘れて、とぼとぼ崩れかかった足取りで、見知った顔へ。
「ミリアさん、ベルスさん、マイン、お父さん……」
返事はない。
「おい、少年ッ。まだ息がある」
と、男がいった。
鉄狼は辺りに死骸となって散らばり、男の顔には返り血が二条。
ルゥラは少し希望を取り戻し、駆け寄ると、生きていたのはイレネであった。
しかし、腹を食い破られており、瀕死の状態。
「い、イレネおねえさんッ」
ルゥラは、イレネの頭を少し持ち上げた。
当のイレネは、ルゥラの姿を見ると微笑み、安堵の表情を浮かべた。
「よか……ったぁ。ルゥくん……無事だっ…たんだね……」
「おねえさん……」
ルゥラは涙ぽろぽろ。
「あの……ありがとうございます……。ルゥくんを……」
と、イレネは男の方へ視線を動かした。
「俺のことはいい。少年と話してやれ」
男は仏頂面、目を瞑った。
「あのッ……、治せないんですか!?」
と、ルゥラは男に向けて懇願するような視線を送った。
世の中には人の傷を治す治癒の魔法があると、本で見たことがある。
しかし、男は目を開けたかとおもうと、すぐ瞑り首を横に振った。
「悪いが俺は治癒の魔法は使えん。それに、その傷じゃあ……、かなり上等な魔法でも難しいだろう」
ルゥラは落胆、再び顔をイレネに向けた。
「ルゥくん……」
と、イレネはゆっくり手を動かし、優しくルゥラの頬に触れた。
「無事で……本当によかった……」
イレネの息は浅くなっていく。
彼女の目にも涙が溜まり、一条になって流れた。
「おねえさん……やだよ……」
ルゥラを安心させるためか否か、イレネは優しい笑みをして、
「……大丈夫、頑張って……ルゥ…くん……」
と、言った後、ほとり、イレネの全身から力が抜けた。
ルゥラは俯き、涙は滂沱。
「……うぅ、ぐす……」
声をあげて泣いた。
もう、みんなと話すことも笑い合うこともできない、そう思うと悲しさは増えて。
冷たくなったイレネに縋るように泣いた。
わんわん、鳴き声は周りの木々へ吸い込まれていく。
男——キツツキは、それを遠くから見つめるばかり。
部外者の自分が声をかけても何の慰みにもならないだろう、とおもっていた。
「棟梁」
と、いつの間にかキツツキの隣に、配下の男が立っていた。
彼は沈痛な顔をしていた。
そこここに斃れる人、泣く子供。
状況をみれば、何があったか察することは容易い。
ふと、そこへ雨が一つ二つ、おもむろに降り始め。
「……雨」
男は空を仰いだ。
鈍色の空は、先程よりもさらに色濃い。
「夜までは持つと思ったんですが」
キツツキは、ふんっと鼻を鳴らした。
「死臭嗅ぎつけて足早に来やがったんだ」
この夜、雨は轟々と降り続けた。
地面に流れた彼等の血も、ルゥラの涙も、この雨によってすべて流れてしまったことだろう。




