絶頂期と刺激について
何をやっても駄目な日ってある。
そういう日はもの書きするに限る。
そういう流れで言えば、人生のピークすなわち絶頂期というものは存在する。
自分に関連して不可解な事例が多発したことや、もちろん自分の能力の限界にぶち当たることなどがある。
僕は他人に触発されるタイプで、そういうタイプは他人に依ってしまう。
良いも悪いも他人次第ということだ。
これは非常にやっかいなもので、なぜなら刺激が無ければ、一向に変化が生じないから。
また、刺激に慣れてくると、カンフル剤のごとく、刺激の必要量も増えていく。
最近は、刺激に感じることがほとんどなくなってしまった。
現代社会もそんな様に感じる。
コンテンツが大量に溢れて、色々なバリエーションにも対応出来る世の中になった。
程々に享受して、程々に満足する。
その代わり、真新しい刺激というものが無くなった。
単純に老いなのかもしれないが、社会も成熟してきているということなのだろう。
むしろ衰退に近いと言えるかもしれない。
話は変わり、人生の絶頂期で亡くなりたいと思う人や、実際に自殺などで亡くなっている人もいる。
わからなくもないが、果たして刺激に感じることがない人生はつまらないものなのだろうか。
…つまらないものなのかもしれない。
人生生きてれば、死にそうになる場面は、一度くらいある。
その様な体験をして思うのは、全てを失ったとしても案外大したことはないということだ。
むしろマイナスに振り切れた人生であっても、慣れてしまえば生きていける世の中である。
国破れて山河あり。
何が起ころうとも案外生きていけるものだ。
僕達は一度リセットをして、もう一度最初から建て直す方が、まだ成長の見込みがあるのではなかろうか。
リセットがどこまでとか、どうやって建て直すかなどの問題は山積みであるが。
気持ちの問題としては、その様な気持ちでいた方が楽だし、これから何が起ころうとも生きていける。
…これって新手の死亡フラグなのかな。
全体通して言ってることブレブレであるが、まとめとして言いたいことは、刺激求む、ということである。
人生のスパイス欲しいですねぇ…