記録2 海ドラゴンのホイル焼き その2
「さあ、出港するよ! 皆の者!」
「……マイシィちゃんが船長さんじゃないんだからさ」
私とエメ君、漁師のおじさんの三人は海ドラゴン討伐を目指して意気揚々と出発した。
時刻は既に14時を回っている。おじさんは早朝に港を出て昼頃に帰ってくるのが習慣になっていて、このくらいの時間帯はあまり漁には出ないそうだけど、今回の相手は魚ではない。活動時間もよくわかっていない海の怪物が相手だ。
今回は塩湖が舞台なので正確には海じゃないんだけどね。
船は船着き場を出港すると、風魔法の力を受けてぐんぐん加速していった。おじさんの風使いは凄い。船のスピードから舵取りまで、いろいろなところに応用している。自然の風もうまく使い、魔法の風、帆の傾きや舵の角度、それら全てをまるで手足のように操るおじさん。すごくかっこいい。
「海ドラゴンは少なくとも3体はこの湖に迷い込んでいるらしい! でけぇのとちいせぇのと、それから棘の欠けてる中くらいのやつが確認されてる!」
「どこに潜んでいるんですか!」
「わからねぇ! 嬢ちゃん、坊主、周りしっかり見とけよ!」
潮風が気持ちいい。残暑の日差しが湖面に輝いてキラキラしている。流れる汗も風に飛ばされて、それもキラキラ輝きながらどこかへ消えていく。世界がみんな、キラキラで溢れている。なんて素敵な世界なんでしょう。
「水着、持ってこればよかったな」
そうすれば、きっとリゾート気分を感じられたに違いない。若干、季節外れではあるのだけれど。
そうだ! 来年の夏はあの子たちと海に行こう。みんな美人だから、水着なんかで波打ち際にいたらきっと何度もナンパされてしまうのだ。それを目撃した我が親衛隊のお兄さま方とナンパ男たちが険悪なムードになっているのを眺めながら波と戯れてキャッキャウフフするのだ。あはは。
「……マイシィちゃんがなんか良からぬことを考えているような?」
◇◇ 1時間後 ◇◇
「あ゛づうううううういいいいい……エメ君、みずー」
「もう。自分で水魔法使えばいいじゃん」
「ただでさえ頭われそうだのに魔法つかいだくな゛ーい」
私は、暑さに完全に参っていた。湖の上は日の光を遮るものが一切ない。湖を囲う山々も、少し距離があるせいか影をここまで届けてはくれないのだ。
私は少しでも日陰のあるところを求めて、船が進行方向を変える度に帆の陰の裏へとのそのそ移動するのであった。
そんな私を見ておじさんは大笑いしている。流石漁師、暑いのなんてなんのその、ずっと風魔法を使い続けている。
ちなみに今は船を低速で巡航させて、あたりに異変がないか確認している最中だ。
「そう言えば、水魔法は使わないんですか?」
「お、坊主。漁に興味があるのか?」
「いや、なんというか暇ですし……」
おじさん曰く、魚を追い込む際には水魔法を使うそうだが、移動の時はあまり水中をかき乱さないようにしないと魚が逃げてしまうらしい。だから漁師と言うと水のイメージがあるが、実際は風に適性がないと難しい職業なんだって。
「この二つばっかり使いすぎて、たいていのやつぁ他の系統の魔法を忘れちまってる。海ドラゴン倒すのに、何人も寄り集まらねえときっと勝てねぇだろうな。情けない話だが」
それならば、きっと私達が今ここにいる意味は大いにあると言って良いだろう。なんて言ったって、私達は同学年の中ではかなり優秀な成績の生徒なのだ。
特に私は炎魔法、氷魔法、治癒魔法をかなりのレベルで習得している。見様見真似だが、最近は雷魔法も少し扱える。電気の力があれば海ドラゴンなんか一撃だろうさ。
……という話をおじさんにしたら、とんでもないことが発覚した。
「ぎ、漁獲法ですか」
「そうさ。雷魔法は湖沼や海洋に向かって撃つのは法律で禁止されてるんだ。辺りの生物がみんな死んじまったら大変だからな。だが、そうだなぁ……たとえば海ドラゴンにだけ電撃を与える事ができるなら、たぶんセーフだろうぜ。まあ、そんな事は難しくてできねぇと思うがな! ガハハ!」
ふむ、なるほど。生態系保護とか漁獲資源の保護のために施行された法律なのだろう。そういったものがあるのであれば従う他ない。貴族の娘が率先して法を破るような事があれば、ただでさえ吹けば飛んでしまいそうな貴族の権威が失墜して、余計な火種を生みかねないからね。
しかしそうなると、海ドラゴンとはどんなふうに戦うべきだろうか。水の中にいる相手、たぶん表面は粘膜に覆われていて、危険な棘まで持っている。あとは大きさ次第、かな。
「ねえ! おじさん! あそこに、何か見えませんか?」
エメ君が興奮気味に声を上げる。彼の指指す方を見てみるが、何も見えない。
「エメ君、何も見えな──」
「おう、本当じゃねぇか。よく見つけたなぁ」
あれ? あれあれぇ?
どうやら私には見えないものの、二人は何かをはっきりと認識している様子だ。まさか、海ドラゴンを発見したのだろうか。
「嬢ちゃん、分かってねぇようだから教えるが、あそこの水面を見てみろ」
そう言われておじさんの指の示す方を見てみると、水面で泡がポコポコと次から次へと弾けているのが分かった。
あれはきっと水中から立ち上る空気だ。何か大きな肺呼吸をする生き物が、息継ぎをした痕跡だろう。鼻や口から少し空気が漏れたのだ。
「僕が見つけたときには頭のようなものがちょうど湖に沈むところだった。奴はついさっき呼吸をしたばかりだ」
エメ君は海ドラゴンの姿を見たらしい。
いる。間違いなく、あそこにいるのだ。私の食材が。
しかしどうする? 先ほど呼吸に上がっていたということは、今後しばらくは水面に上がってこないかもしれない。両生類は皮膚呼吸の率が高いので、時には息継ぎなしで長時間水中に留まっている種類もいると学校で習った。海ドラゴンも例に漏れず息継ぎが少ないのだとすれば、次にいつ現れるかわからない。むしろその間に移動しちゃうかもしれない。
「おじさん、どうしよう」
するとおじさんはニカッと笑った。
「はっは! ここはよぉ、漁師の腕の見せ所ってもんだぜ!」
おじさんは水面に手をかざす。そしておじさんの頭頂眼が大きな魔法力場を形成し、光り輝きはじめた。
「水よ、波よ、渦を巻け、巻き上げて、吐き出せ! お前の胎にいる物を吸い上げて打ち上げろ! 上昇潮流!」
おじさんのちょっと雑な詠唱の後、湖面がにわかにさざなみを立て、まもなく大きな水の流れが生まれた。海ドラゴンのいるであろう場所を中心に、大きく大きく渦を巻く。
当然のように船も渦に流されるが、そこは風魔法を使って踏ん張っているようだ。船首を流れに対して平行に保ち、その上で渦を維持する。すごい技術だ。海の男って、すごい。
「くるぞおおおお!! 構えろ嬢ちゃん達!!」
渦の中心に黒いものが見えた。黒くて、丸い頭。左右に張り出した大きな眼。その瞳は縦に細長く、伝承に聞くドラゴンによく似ている。だが、顔つきはどちらかと言えばカエルに近い。黒いカエルの側頭から、棘が4対生えているイメージ。
頭が全て視認できたと思った次の瞬間、海ドラゴンは水面から勢いよく飛び出してきた。そしてその全体像が明らかになる。
確かにサラマンダーの仲間だ。滑りのある皮膚に、皺のある皮膚、縦方向に幅の広い肉質の尾鰭。お腹の色が白くなったイモリを想像するとかなり近い。そいつの超巨大版だ。体長は、5メートルを少し超えるくらい。大きい。確かにドラゴンのようだ。
ドラゴンっぽい特徴がもう一つ。前肢指が長く伸び、皮膜が大きく広がって翼のような形状になっているのだ。たぶん用途は翼じゃなくて鰭なんだろうけれど、シルエットがドラゴンに似るわけだ。
「逃がすものか! 氷柱!」
エメ君の作り出した氷の柱が海ドラゴンの尾鰭に突き刺さった。しかし海ドラゴンは動きを止めることもなくそのまま泳ぎ去っていこうとする。雄叫びの一つもあげないのがサラマンダーらしくて不気味だ。
「待てえええ!」
私は船の船首から湖の方へ飛び出した。夏にプールでこっそり練習した、とある技の使いどころだと確信したからだ。
私は風を全身に纏ってふわりと湖面に降りると、氷で即席の足場を作る。それを蹴って、前に進む。着地点に次の足場を形成、ジャンプ、次の足場を……もっと早くだ。スピードを上げろ。足場を先に作っておくのだ。そして、駆け抜けろ!
「ふろーとうぉーく!」
私は風魔法単体では飛べない。氷の足場だけで体勢保持も難しい。だったら、両方使えばいいのだ。足場を蹴って、風魔法で滞空時間を伸ばし、次の足場を作れば間に合う。私の気力が保つ限りは水上を走り回る事ができるのだ。……逆に、立ち止まることはできないんだけどね。
私は湖面を吹き抜ける風になった。風になって、獲物を追い詰める狩人になった。狩人になって、獲物の正面に回り込むと、次の瞬間に私は──。
──海ドラゴンの餌になった。
「マイシィちゃん!?」
「あっれー。勢い余って、口の中に入っちゃったよ」
しかし細かい歯を掻い潜って敵の口内に侵入できたのは幸いだ。そういう作戦だったということにしてやろう。
「マイシィちゃん! 今助けに──」
「いいえ、エメ君! 始めるよ!」
「ふぇ!? な、何を」
何をって、そんなものは決まっているではないか。
「美食研究レポートを、始めるのよ!!」