5 旧校舎の主
アリスは目を覚ました。
「……う」
また、いつもの悪夢だった。
彼女が『パパ』と過ごした二年半を一晩で追体験する夢。
L.N.T.に来てからはめっきり少なくなったが、ときどき思い出したように見ることがある。
「大丈夫ですか? ずいぶんとうなされていたみたいですが……」
傍にいた女がアリスを心配するように言った。
爆撃高校の女子生徒であるが名前は知らない。
興味もないから覚える気もない。
「なんでもない」
アリスは短く答えてベッドから出た。
※
窓を板で打ちつけて外部からの光を完全に遮った小部屋。
かつて保健室だったその部屋が、今のアリスの寝室である。
保健室だけではない。
この爆撃高校旧校舎はすべてがアリスの家も同然だ。
そして多くの女生徒たちが彼女を頼ってここに住み、あるいは昼の間だけ居つく。
「どうぞ。朝食です」
女生徒がお盆にのせた朝食を運んできた。
ご飯と焼き魚、味噌汁の質素な食事である。
これはアリスの好む食事であった。
アリスは礼も言わずにお盆を受け取って箸をつける。
周りの女生徒は進んでアリスの身の回りの世話を焼こうとする。
アリスがいればそれだけで爆撃高校の男子生徒は決して旧校舎に手を出してこない。
この平穏が彼女のおかげだと考え、女生徒達は当然その恩に報いるべきと思っているのだろう。
アリスは別に彼女たちを守っているつもりはない。
ただ、近くに来る者を拒むつもりもないだけだ。
半分くらい食べたところでお盆を脇にどける。
アリスは保健室を出て四階の視聴覚室へと向かった。
廊下を歩く途中、すれ違った女生徒たちが挨拶をしてくる。
「おはようございますアリスさん」
「今日も一日よろしくお願いします」
アリスは返事もしなかった。
爆撃高校に授業などという概念はない。
新校舎群は男子を中心とした生徒たちの抗争ごっこの舞台になっている。
ここ旧校舎は女子生徒以外は立ち入れないようになっており、女子の一種の安全地帯になっていた。
みな思い思いに時を過ごしている。
昼間は仲間内でおしゃべりをしたり映画を見たりしている。
爆高女子も基本的には男子と同じ。
外の世界で更生の余地なしと見なされた少女ばかりが集められる。
普通の学園生活に適応できない、怠惰で自堕落な生活が性に合っている者たちばかりなのである。
※
視聴覚室にやってきた。
アリスはパソコンの前に座って電源を入れた。
いつものゲームの続きである。
他の生徒と喋るよりもこうやって一人で時間を過ごす方が好きだった。
視聴覚室には彼女の他にもゲーム目的の生徒が何人かいる。
それを疎ましいとも思わないが、仲良く会話をするつもりもない。
午前中はずっとパソコンの前で過ごし、気がつくと昼食を誰が買いに行くかという話になっていた。
交代制で買い出しに行くのが爆撃高校女子のルールだ。
もちろんアリスは当番にはならない。
「どうぞ。アリスさん」
アリスはゲームを中断し、帰ってきた生徒から弁当を受け取った。
昼食を食べながらパソコンの画面を切り替える。
膨大な数字と文字の羅列がディスプレイに表示される。
アリスはキーボードに指を滑らせ、ものすごい速度で文字列を書き換えていった。
傍目には意味不明な謎の作業。
ゲームに飽きるとアリスは突然この作業を始める。
何をやっているのか周りの女生徒たちには理解できないし、アリスも説明する気はない。
ただアリスがこの作業を行っている時は、誰も話しかけてはいけないという暗黙の了解があった。
女生徒たちは邪魔をしないよう静かに視聴覚室を出ていく。
食事を終えるとアリスは図書室へ向う。
必要な書籍を持ち出して、再び視聴覚室へ。
本と画面を見比べながら書き換え作業を続ける。
※
夕方になった。
アリスはパソコンの電源を落として視聴覚室から出た。
三階の教室に行くと、女生徒たちが集まっていた。
「お疲れ様です、アリスさん!」
女生徒たちが一斉に頭を下げて挨拶をする。
アリスは視線も向けずに奥のソファに寝転がった。
「そう言えば聞いたか? 荏原恋歌の噂」
「水学の生徒会を潰そうとしたけど、逆にやられて懲役をくらったんだろ。誰だって知ってるよ」
女生徒たちの歓談が始まる。
アリスは彼女たちの話には興味なかった。
別にうるさいとも思わないので好きにさせておく。
「校内じゃ生徒会にやられたって話になってるけど、実は違うんだよ。もう水学内じゃ常識だって」
「麻布美紗子がやったんじゃないのか? でなけりゃ誰があのバケモノをやったんだよ」
「水学の一年生に負けたんだよ。とんでもないルーキーが出てきたらしいぜ」
荏原恋歌の名前はアリスも知っていた。
L.N.T.で最強のJOY使いと呼ばれている女である。
夜の中央で一度だけすれ違ったことがあるが、確かに他の生徒たちとは異なる雰囲気を持っていた。
だからといって、わざわざ知り合いになりたいような相手でもなかったが。
「なんでもそいつは大きな翼の形をしたJOYを使うらしいぜ。この前やってた水学と美女学の対校試合があっただろ。そこでお披露目されてたってよ」
「マジか。そんなスゴイもんが見れるなら無理してでも行ってみりゃよかったかなあ」
アリスは身を起こした。
話をしていた生徒たちを見る。
「翼がどうしたの?」
同じ教室にいても普段は決して話題に参加しない。
そんなアリスが興味を示した。
常ならざる状況に教室内の生徒たちはざわめいた。
「あ、は、はい。えっと、荏原恋歌はご存知ですか?」
「知ってる」
「それを倒した一年生がいるって噂なんですけど、そいつの使うJOYがですね、翼の形をしているってことなんですけど」
「そいつはどこにいるの?」
生徒たちの動揺は大きくなった。
荏原恋歌とアリスはL.N.T.における二強と呼ばれている。
圧倒的な威圧感で夜の街を徘徊する最強のJOY使い荏原恋歌。
爆撃高校の凶悪な男たちを寄せ付けず、旧校舎を支配し続けるアリス。
どちらが強いのかという話は、夜の住人ならば一度は話題にしたことがあるだろう。
しかしアリスは夜の街の勢力争いになんぞ全く興味がない。
恋歌もあえてアリスに手出しすることはなかった。
いつかは対決の時が来るだろうと囁かれながらもその機会は訪れず、そうしているうちに荏原恋歌は別の生徒によって倒されてしまった。
アリスがその「別の生徒」に興味を持っている。
その意味を教室の生徒たちは深読みせずにはいられない。
「えっと……いまは水学の生徒会に入って、夜の中央の見周りなんかをしてるみたいです」
アリスはソファから起き上がるとと、何も言わずに教室から出ていった。
彼女は行動を起こすとき集団に付きまとわれるのを嫌う。
校舎から出ていく時はなおさらだ。
男子生徒たちにアリスの留守を悟られないため、他の生徒は黙って待機する。
残された生徒たちの間にはさまざまな憶測が飛び交っていた。
荏原恋歌を倒した相手を倒して自分の最強を証明するのでは?
そんなふうに考える生徒もいたが、もちろんアリスはそんなことに興味はない。
誰が強くて誰が一番かなんてことはどうでもいいことだし、闘ってまで得たいものなど何もない。
生活していくだけなら旧校舎で充分だ。
アリスがその生徒に興味を持った理由。
それは『翼』である。
あの日、ビルから飛び降りて地面に叩きつけられてパパは死んだ。
翼が完成していれば。
あるいは警官の邪魔が入らなければ。
パパはもしかしたら死なないで済んだかもしれない。
今更考えても仕方ないことであるが……
アリスの胸の裡は今もパパへの愛情でいっぱいだった。




