5 誘拐
「あれってうちのクラスの足立さんじゃないか?」
「え、誰だっけ」
間違いない。
清次は覚えていないみたいだがクラスメイトの足立美樹さんだ。
大人しく目立たない女子生徒で、話したことはないが席が近かったので名前は知っている。
「誰か待ってるのかな」
「こんな時間にか?」
彼女はたしかまだDリングを発動させていない。
なので当然JOY使いではないはずだ。
中央から離れた住宅街とはいえ、普通の女の子が出歩くにはL.N.T.の夜は危険すぎる。
空人もこの街に来てすぐの頃にひどい目にあったからよく知っている。
「お、誰か来たぞ」
二人はとっさに茂みの中に身を隠した。
「……これってノゾキじゃないか?」
「しっ、静かにしろ」
しばし声を殺して潜んでいると、足立さんに人影が近づいてきた。
私服姿の複数の女子たちである。
「なんだろ。友だちかな」
見覚えのない人たちだ。
少なくともクラスメイトではない。
「あれは……」
「清次、知ってるのか?」
「美隷女学院の生徒だ。しかも、荏原恋歌の取り巻きの女たちだよ!」
清次は大声を出してしまった自分に気づき、慌てて口を押さえて身を低くする。
幸いにも向こうには気付かれなかったようだ。
荏原恋歌の名前は空人も聞いたことがある。
この街に数か月も暮らしていれば、夜の住人たちの噂は嫌でも耳に入ってくるものだ。
少人数ながらも夜の中央で第三位の勢力を誇るグループのリーダーで、JOY使いとしての力はL.N.T.最強とも呼ばれている生徒である。
美女学の生徒であるが、周囲の取り巻きを含め爆撃高校の不良達からも恐れられているという。
「なんでそんな人たちが足立さんに……」
「見ろ、連れて行かれるぞ」
足立さんは彼女たちに脇を抱えられるようにどこかへと連行されていった。
会話の内容はよく聞こえなかったが、どう見ても仲の良い友達という感じではない。
それは足立さんの怯えた表情から推測できた。
「こりゃあ、事件かもしれないな」
清次の呟きは言葉以上の重みをもって空人の頭の中に響いた。
夜の住人たちの抗争はただのケンカでは済まない。
場合によっては命を落とすこともある。
死んだ生徒は『転校』したという扱いになって学園から記録を抹消される。
空人のクラスからもすでに三名ほど『転校』した生徒が出ていた。
いずれもJ授業が第二段階に進み、夜の中央デビューを果たした直後であった。
「後を追おう」
空人は言った。
「おいおい、見つかったらオレたちもヤバいぜ。シャレで済むような相手じゃないぞ」
「だからってクラスメイトの危機を黙って見過ごせるかよ」
危険は重々承知だが、あんな場面を見てしまったのだ。
もし明日の朝になって足立さんが『転校』していたなどと聞かされたら、何もしなかったことを激しく後悔するだろう。
「しかたねえなぁ……」
清次は眉をよせて頭を掻き、茂みの中から立ち上がる。
なんだかんだ言ってこいつも女の子のピンチを無視できるような性格じゃない。
「いいか、くれぐれも見つからないように追いかけるぞ。こっそり、こっそりとだ」
「おう」
そして二人は尾行を開始した。
※
その夜は蒸し暑い日だった。
「きゃっ!」
「何事!?」
いつもの夜間見回り前のミーティング中。
原千田六丁目にある水学生徒会の本拠地ビルでの出来事である。
美紗子が今夜の活動予定を役員たちに説明していると、開きっぱなしになっていた窓から突然ビンが投げ込まれた。
飛び散った破片の中に一枚の紙切れが落ちていた。
それを拾い上げた美紗子は赤いペンで書かれた文字を読み上げる。
「『水瀬学園の生徒の身柄を預かっている。返してほしくば駅ビル下のバスロータリーに生徒会全員で来い。さもないと彼女たちの命は保証しない』ですって……?」
紙切れの下部には人質と見られる人間の写真が貼り付けられていた。
暗い部屋の中に縛られて、寝ころがされた三人の少女。
駅ビルといえばフェアリーキャッツの本拠地だが……
「バカな。深川花子め、なぜこんな真似を!」
「取り締まりが厳しくなったことに対する反発でしょうか?」
まさか花子が?
チームリーダーとしての彼女の立場を考えればあり得ないことではない。
豪龍組との抗争を最高の形で終えた彼女たちにとって、夜のL.N.T.統一に向けて最大の障害となるのは、美紗子たち水学生徒会なのだ。
だが、そんなことは絶対にないと美紗子は思う。
「本当にフェアリーキャッツの仕業なのでしょうか。彼女たちは生徒会に対して敵対を表明したことはありませんし、いくらなんでも突然このような行動を起こすとは考えにくいと思います」
「下の者の独断かもしれませんよ。追放された稟さんを仲間に引き入れるのが目的かもしれません。ナンバー2の大森真利子ともずいぶんと仲が良かったようですし」
「最も怪しいのは豪龍組では? 同士討ちを狙うような小ずるい手段を用いるのなんて、豪龍以外にありえませんもの。きっと生徒会とフェアリーキャッツを争わせるつもりなんですわ」
「みなさん落ち着いてください。まずは状況を確認しないと」
万が一にも間違いはあってはならない。
この書面には差出人の名前はどこにも書いてないのだ。
勘違いで無関係な人間を疑えば、無用な争いの火種を生むことになる。
慎重に、慎重に行動しないと……
「会長、これを!」
役員の一人が落ちていたもう一枚の写真を美紗子に見せる。
それは拉致された人質の写真だった。
その中に水瀬学園の生徒ではない、しかしよく見覚えのある顔が混じっていた。
「な……」
美紗子は思わず写真を握り潰した。
組織のリーダーたるもの私情を挟んではいけない。
そうわかっていても湧き上がる怒りの炎は抑えきれなかった。
拉致されたのは水瀬学園の一年が二人と中学の制服を着た少女が一人。
その中学生は美紗子の妹である麻布紗枝だった。
「美紗子、行きましょう」
聡美が美紗子の肩を叩く。
「犯人が誰であれ、生徒たちの安全を守るのが私たちの使命よ」
「え、ええ……そうね」
こちらの心情を汲み取ってくれたのだろう。
彼女の言う通り、人質を見捨てるという選択肢はない。
他に手段がない以上は罠だろうと指定された場所に向かうしかないのだ。
「行きましょう、みんな」
美紗子の号令のもと、水瀬学園生徒会は夜の街に繰り出した。
※
ビルから出た美紗子はふと空を見上げた。
何かが上空を飛んでいる……鳥?
いや、もっと違う何かだ。
それは何かを追っているように地上を見下ろしながら南へと飛んで行き、やがて見えなくなった。




