9 争いを止める者たち
夜になっても明かりの消えない千田中央駅前。
そのバスロータリー付近は今夜、普段よりも大きな喧噪に包まれていた。
集まっているのはフェアリーキャッツのメンバーたちである。
夜の住人の中では最大規模のグループとはいえ、普段はこのように街の中心部を占拠したりはしない。
しかし今夜だけは周りに気を使うつもりはない。
なにせこれから大抗争が始まるのだ。
意気揚揚と騒ぎ立てるメンバーたち。
誰もがこれから始まる一大決戦に向けて気分を高揚させている。
彼らの中には豪龍組憎しの気持ちが半分、この緊張した状況を楽しむ気持ちが半分。
戦いの後やその結果まで考えている人間なんてほとんどいないだろう。
花子が彼の前に姿を現した。
途端、駅前はライブ会場のごとき大歓声に包まれる。
一〇〇人を超える若者たちが吠え猛り、人並みをかき分けて小柄なリーダーが歩を進める。
「さあ行くよ。お前ら準備はいいね」
リーダーの号令を合図に、フェアリーキャッツは進軍を開始した。
※
千田中央駅から爆撃高校まではわずかに二キロほどの距離だ。
その中間あたり、千田街道沿いに豪龍組のアジトはある。
街道と駅を結ぶ原千田大通りには、世紀の決戦を眼にしようと多くのギャラリーが集まっていた。
「うおーっ、来たぜ来たぜ!」
「あれがフェアリーキャッツの深川花子か。意外と小さいな」
「すげえ人数だな……」
おそらく、この街に潜んでいる悪ガキどもの大半が集まっているだろう。
もしかしたら普段は外に出てこない非能力者もいるかもしれない。
なにせ今夜は真の意味での覇者が決まるかもしれない。
まさしく決戦、一大イベントなのだ。
やがて前方にぞろぞろと人影が見えてきた。
千田街道と原千田大通りが交わる所。
爆撃高校の方角からやってくるのは豪龍組の構成員たちである。
後ろを歩くメンバーたちが殺気立つ。
怒りの気配が背中越しに伝わってくる。
「まだだ。慌てるんじゃないよ」
花子は仲間たちを制し、進軍を止めて一人で前方の集団へと近づいた。
あちらからもひとり集団から離れて向かってくる男がいる。
時代錯誤なボロボロの学ランを纏ったその男こそ豪龍組の総長だ。
今夜の花子たちの敵、豪龍爆太郎である。
「よう、深川の嬢ちゃん。ずいぶんと面倒なことになったのう」
「誰かさんのせいでね。こっちは大迷惑だよ」
こうして面と向かって会話するのは初めてである。
だが互いに夜の街を代表する有名人同士、よく知った間柄ではあった。
「まあ、ワシがまいた種とはいえ、いつかはこうなる運命だったんじゃと諦めるかぃ」
「そうだね。遅いか早いかの違いでしかないんだ。だったら……」
「……ケリ、着けようかい」
実は豪龍組が夜の街で大きな争いを起こした事例はほとんどない。
噂にも能力の内容を聞いたことがないため、豪龍の強さは全くの未知数である。
着々とチームを大きくしている以上、彼の実力は本物だろう。
花子は誰が相手であろうと負けるつもりはない。
今夜は一対一の対決にはならない。
どちらかが手を出した瞬間、互いの後方に控えるメンバーたちは堤防が決壊するように前に出て戦闘を始めるだろう。
もはや後には引けないのだ。
「行くよ、覚悟しな!」
「おう、来んかぁい!」
二人のリーダーがジョイストーンを取り出した。
花子が能力を解放しようとした、まさにその時だった。
※
「なっ……?」
腕に突然の重みを感じた。
次の瞬間、ジョイストーンを握った右手が動かなくなる。
巻きついた異常に細長いマフラーのようなものに自由を奪われていることに気づく。
先制攻撃の機を失ったが、それは豪龍も同じだった。
「誰じゃあ! 神聖な決闘に横槍入れたんはぁ!」
怒声を張り上げる豪龍の腕にも、花子と同じように細長い毛織物がまとわりついている。
それは腕から地面に伸び、太い針で固定され、端からは一条の毛糸が上空へと延びていた。
毛糸の先を見上げる。
ビルの上に人が立っていた。
その人物はふわりと宙に浮くと、まるで重さを感じさせない紙人形のように地面に降り立った。
毛糸の先は彼女が持つ細い金の編み棒に続いている。
花子はその人物を知っていた。
信じられない気持ちで彼女の名を口にする。
「い、いっちゃん?」
ビルの窓から舞降りてきた人物は、白い振袖姿で髪もアップにまとめているが、紛れもなく市だった。
予想外の人物の登場に花子は驚きを隠せない。
そんな花子をよそに、市は編み棒の先を花子と豪龍それぞれに向けながら言い放つ。
「この決闘は本所家当主、本所市が預かります。どうか御両人ともに刃をお収めください」
「本所家当主だと!?」
豪龍が驚嘆の声をあげる。
口にこそ出さないが、花子も驚いていた。
この街に暮らしていれば、誰でも一度は本所の家名を聞いたことがあるだろう。
L.N.T.設立以前にこの地を所有していた古大路家の分家であり、ラバースに積極的に協力して街を開いた名家である。
前当主はラバースの専務として古大路家とラバースの間の橋渡しに尽力し、その後は自ら建設会社の代表となって街の開発工事を一手に引き受けた傑物だ。
その当主はたしか二年前に病で亡くなっているはず。
当時中学生だった花子も、街を上げての葬式に無理やり参加させられた記憶がある。
本所家の当主とはそれほどの重要人物だったのである。
その本所家の跡取りが市だって?
「本所家がどうしたぁ! 今更止められるかぁ!」
「そうだそうだ、ぶっ殺されたくなかったらひっこんでろ!」
しかし熱くなった両陣営のメンバーたちは市の言葉を聞こうとしない。
相手は名家とはいえ、若い彼らには関係のないことである。
いまさら彼女一人の言葉で止まる状況ではない。
彼女ひとりだけの言葉では。
「だが、止めてもらわなくては困る」
市が下りてきたビルの入口のドアが開く。
中から三人の男が現れた。
その瞬間、騒いでいた少年少女たちが水を撃ったように静まり返る。
「でなければ、この場にいる人間すべてにペナルティを与えねばならなくなる」
冷え切った空気の中、さらに冷たい氷のような冷静な声色で淡々と喋る金髪の男。
彼こそがこのL.N.T.を支配する大企業『ラバース社』の若社長。
名を新生浩満と言う。
その右隣に立っているのは花子たちと同じくらいの年齢の若い少年だ。
「古大路家当主代行、古大路偉樹だ。これ以上無益かつ有害な争いを続けるというのなら古大路家もしかるべき措置を取ると、祖父に代わって警告に来た」
この近隣一帯の土地の所有者であった大地主、古大路家。
現当主の孫が水瀬学園の新入生として入学したという話は聞いたことがある。
花子は初めて目にするが、彼がその古大路家の跡取りなのだろう。
そして、反対側の隣。
他の二人と比べても圧倒的な存在感を持つ男。
「聞けばうちの生徒による悪戯が大きな誤解を生み、事態を大きくしたとのこと。ならば原因となった生徒が頭を下げることで、この場は何とか納めてもらいたい。爆撃高校の校長として平和的な解決を望む」
「み……『ミイ=ヘルサード』」
衆目の中、誰かがその名を呼んだ。
真っ黒なスーツに赤い裏地のマントという奇妙な服装。
だが真に奇妙なのは、顔の半分を覆うように被った銀色の仮面だろう。
目の部分はマジックミラーのような銀一色になっており、こちら側からでは視線の動きもわからない。
水瀬学園設立に関わった第一人者であり、現在は爆撃高校の校長。
その名を口にすることも憚られ、誰もが通称である『ミイ=ヘルサード』という渾名で呼ぶ。
圧倒的な存在感と威厳。
彼を前にするだけで花子ですら思わず平伏してしまいそうになる。
ラバース社の若社長。
本所、古大路の二名家の代表。
そして伝説のヘルサードが一同に会している。
式典でも催されるかのような錚々たる顔ぶれに、怒りに燃えていたはずの少年少女たちも、いつしか言葉を失ってしまっていた。




