25 片翼・片刃・剛力の魔天使
「な、なんで? だって、美紗子さんは……」
『こんにちは、逃亡者の諸君』
香織が疑問を呟く声に被せて、スピーカーを通したくぐもった声が響いた。
その声は忘れるはずもない。
この街でもっとも憎むべき敵の一人。
「新生浩満……!」
『クズの分際で私を呼び捨てにするんじゃないよ。さんをつけるか、社長と呼べ』
普段とはイメージが違う、強い苛立ちのこもった声色である。
だが、これがラバース社長の新生浩満であるのは間違いない。
作り物の街で狂った実験を行い、何百人もの若者を犠牲にした、ラバース社の最高責任者だ。
『……さて、話を続けよう。どうやらこのL.N.T.から抜け出そうと思っているようだが、君たちのような危険分子を街の外に逃がすわけにはいかないのでね。残念だがここで死んでもらうよ』
社長の声は麻布美紗子の付けている仮面から発せられていた。
美紗子自身の目は一切の感情が見られず、ただ無機質にバスを見下ろしている。
『先に紹介をしておこうか。こいつの名はAMリペア。麻布美紗子の肉体をベースに、赤坂綺の戦術データとJOYをインプラントした第三世代最強の再生兵士だ。君たちもかつての友人に殺されるのなら本望だろう?』
「兵士、ですって……?」
香織は怒りをかみ殺し、歯をくいしばって美紗子の姿をした存在を睨みつけた。
翼を動かしてもいないのにバスとほぼ同じ速度で飛翔している。
機械的な仮面と無機質な表情はまるで人形のよう。
あれはただのゾンビ人形だ。
あんなものが美紗子さんであってたまるものか。
『さあ行けAMリペア。反逆者の頭上に血の雨を降らせてやれ!』
社長の宣言と同時にAMリペアは片側三枚となった≪魔天使の翼≫を広げた。
翼から無数の羽根が分離され、赤黒いミサイルとなって降り注ぐ。
「智絵さん、こちらへ!」
「えっ」
和代はアクセルを踏み込んだまま不安定な姿勢で立ち上がった。
そして後ろでぽかんとしていた智絵の手を引っぱってハンドルを握らせる。
運転席から解放された和代は≪楼燐回天鞭≫を発動。
先端に震動球のついた長い鞭を思いっきり振り回す。
「はああああああっ!」
彼女は迫りくる赤い羽の雨を正確に狙い、そのすべてを弾き返した。
弾かれた羽根は落下することなく≪魔天使の翼≫へと戻っていく。
『ほう……?』
新生浩満が感嘆の声を漏らす。
敵の攻撃が止まった隙に和代はほとんど怒鳴り声で智絵に指示を出した。
「そのまま運転を続けてください!」
「えっ、あっ」
「あれは私にしか防げません! 集中しなければ次はやられてしまいます!」
「で、でも私、運転のやり方とかわからない……」
「ハンドルを固定したままアクセルを踏み込んでいればいいんですわよ!」
「わかりましたっ!」
すでに十分加速している車体を走り続けさせるだけなら難しいことでもない。
智絵が真剣な表情で運転を代わると、和代はJOYを手に座席の手すりの上に飛び乗った。
『なるほど新三帝のひとりに数えられるだけのことはある。ならば、これはどうかな?』
面白がるような新生浩満の声に続いて、先ほどに倍する数の赤い羽が降り注いだ。
和代や香織だけじゃなく子どもたちも巻き込むつもりの無差別攻撃だ。
「うおおおおおおっ!」
普段だったら絶対に人に聞かせないような咆哮。
和代は鬼気迫る表情で飛来する赤い弾丸を次々と薙ぎ払った。
『おお、すごい! すごいなあ! 神田和代! 君はこれほど強かったのか!』
耳障りな新生浩満の声は無視。
和代は全力で攻撃を防ぐことに集中した。
一発でも見逃すわけにはいかない。
そうしたら子どもたちの誰かが頭を撃ち抜かれて死ぬ。
魔天使の猛攻相手にここまで耐えた人間はいない。
だが、防戦一方では体力が削られ続けるだけだ。
「香織さん……っ!」
「わかってる!」
隣にいる仲間の名前を呼ぶ。
彼女は承知しているとばかりに頷いた。
和代は次々と飛来する攻撃を防ぐだけで精いっぱい。
天高くに居座る敵に反撃をする余裕はない。
余裕ができたとしても≪楼燐回天鞭≫に絶対的な防御力を誇る≪魔天使の翼≫を打ち破れるほどの威力はない。
反撃は香織に任せるしかない。
なんとしてでも≪天河虹霓≫を当ててもらう。
最強の攻撃力を持つ能力と絶対防御の能力。
それらがぶつかり合っても、どちらが勝つはわからない。
だが万が一にも魔天使を堕とせる可能性があるのは香織しかいないのだ。
『ふむ……』
赤い羽の乱撃が止まった。
和代は緊張した面持ちで空の敵を見上げる。
AMリペアがつけた仮面から新生浩満の退屈そうな声が流れた。
『君の曲芸は見ていて面白いが、あまり時間をかけるのもよくないな。このままでは外周部に到着してしまう』
自分たちが倒されることなど微塵も考えていないのだろう。
社長は余裕の声で重要な情報を漏らした。
あと少し、もう少しで、この街から逃れることができる。
『トドメを刺すとしようか』
AMリペアは翼を翻して降下を始めた。
猛スピードで走るバスに並走しながら徐々に高度を落とし……急加速した。
「なっ」
バスを追い越して前方へと回り込む。
壁面に刃を突き立てると、アイスクリームをスプーンで掬うようにアスファルトを削り取った。
直径三メートルほどもある巨大な塊を肩に担ぎあげたままAMリペアはさらに加速する。
その姿が小さく見えるほど遠くに離れたところで、旋回してこちらに戻ってきた。
「じょ、冗談でしょ?」
智絵が信じられない物を見るような目で呟いた。
翼も半分、剣も一本。
赤坂綺と比べて戦闘力は半減していると思った。
だがAMリペアには赤坂綺にはなかった麻布美紗子の『剛力』のSHIP能力がある。
AMリペアは担いだブロックを振りかぶり、軽々と投げ放った。
バスの進行方向から巨大なアスファルトの塊が飛んでくる。
「智絵さん、避け――」
「無理ですっ!」
相対速度三〇〇キロ以上の飛来物を避けるような運転技術は智絵にはない。
あの質量で迫る物体を弾き落とすことは和代にも不可能だ。
「くっ……!」
数秒後に訪れるだろう惨事をありありと思い浮かべながら、それでも和代は一縷の望みをかけて武器を振った。
その時、視界の片隅を小さな影が横切った。
今まで座席に身を隠すように震えていた子どもの一人が前に出る。
「させない」
運転席の横へと飛び出した少年の背中に透明な翼が現れる。
眼前に迫っていたブロックが見えない壁に阻まれ粉々に砕け散る。
そのまま残骸はバスの左方へと流れていった。
「あれは……」
エンジェルタイプの絶対防御。
それも赤坂綺の≪魔天使の翼≫とは明らかに違う。
翼本体に捉われない防御フィールドを前方に展開する、ミス・スプリングと同じ形式の能力だ。
少年の立っている場所と防御フィールドが展開された位置はかなり離れている。
それは同系統のJOYの中でもずば抜けた最強の防御能力を有することを示していた。
和代はこの能力を知っていた。
これは神器と呼ばれるJOY。
その名は≪神鏡翼≫
使用した者は保育園から連れてきた子供たちのひとり。
ヘルサードと赤坂綺の血を受け継ぐ少年、赤坂翔樹。




