6 レイン
ルシールはひとりで上階を目指していた。
美紗子たちを騙して二十五階で降ろし、少し進んだ所でこっそりと来た道を引き返す。
エレベーターの中に戻って階数ボタンの横にあるスライドを引く。
そこに『26』から『30』までのパネルが出てきた。
同行者を囮に使い、隠しスイッチを使ってこっそり上を目指すという、当初からの作戦通りの行動である。
ルシールは豪龍の打倒にもL.N.T.の平和にも興味ない。
極端な話をすれば、この街がどうなろうと構わない。
麻布美紗子たちはしばらく豪龍を引き付けてくれるだろう。
その間にヘルサードの元にたどり着いて話を聞く。
ルシールにとっては自分の目的を達成することだけが重要なのだ。
目指すは三十階。
弾妃の話を信じるなら、人質はそこに捉えられているはず。
ルシールは震える足を抑えながらエレベーターが目的の階に到着するのを待った。
しかし――
「あ、あれ?」
階数パネルの現在位置を示す光は『30』の部分を示している。
しかし、到着したはずのエレベーターは開かない。
試しに『開』ボタンを押しても反応はない。
故障……?
いや、エレベーターはしっかり稼働していた。
外に何かがあって開かないようになっているのだろうか。
このままじっとしていても仕方ない。
ルシールは試しに二十九階のボタンを押してみた。
エレベーターが下降する。
チン、という軽い音が鳴ってドアが開いた。
途端に強烈な臭いがルシールの鼻を刺激し、思わず顔を手で覆ってしまう。
鉄錆の腐ったような臭い。
まぎれもない血の臭いだ。
「やあ、ルシールじゃないか」
懐かしい声がしてルシールは顔を上げる。
忘れるはずもない、仮面越しにもはっきりとわかる、あの人の声。
「ミイさん!」
ミイ=ヘルサード。
姉の恋人であり、ルシールの憧れでもある人物。
「わざわざ外から君が来てくれるとは思わなかったよ。まさか俺に会いに来てくれたのかい?」
「え? あの封筒をくれたのはミイさんなんじゃ……」
「いや、なんのことかわからないな」
「その人たちは……」
部屋の中にいたのはヘルサードだけではなかった。
彼の周りには二十名ほどの裸の女性たちが立っている。
ヘルサードの友人であり、街の運営の一員でもある女性たち。
彼女たちは唐突に現れたルシールを気にも留めず視線を虚空に向けている。
誰もが目にまったく生気が感じられず、さらに異様なことに、みな全身血まみれだった。
彼女たち自身が傷を負っているわけではない。
どうやら返り血のようだ。
「ちょうどいま最後の一人が終わるところだよ。ああ、話をすればほら」
奥のドアが開いた。
そこから現れた人物を見てルシールは驚愕する。
他の女性たちと同じように血を浴び、うつろな視線を彷徨わせる女性。
それはルシールがここへ辿り着くための情報を提供してくれた如村弾妃だった。
「こ、これはいったい……?」
「心配しないでいいよ。みんなの心はちゃんと保管してあるから」
心?
保管?
言っている意味がわからない。
混乱するルシールをよそにヘルサードは、
「ちょっと待っててくれ」
と言ってそそくさと奥の部屋へ行ってしまった。
後を追いかけようにも異様な雰囲気が漂う部屋を横切る気にはなれない。
軽く見渡すと、うつろな表情の女性たちの中に、かつてよく遊んでもらった女性の姿を見つけた。
ルシールは胸を締め付けられるような気持ちだった。
この人たちはもう『人ではないモノ』なのだ。
「お待たせ」
ヘルサードはすぐに戻ってきた。
手に円盤状の記録媒体を持っている。
「さて、最後の仕上げだ……ルシール」
「は、はい」
「せっかくなので君に頼みがある。聞いてくれるよね」
「……はい」
わからないことはたくさんある。
だが、彼の頼みを断るという選択肢はない。
「その前に話しておこうか。たぶん君がずっと俺に聞きたかったこと……レインシリーズの秘密をさ」
※
フェアリーキャッツのナンバー2、大森真利子は焦っていた。
ラバース支社から敵をおびき出して迎撃するという戦術。
それ自体は確かに最小限の人数で最大の戦果をあげることができた。
だが、誤算があった
相手の数があまりにも多すぎること。
そして誰もが、死を恐れずに立ち向かってくることだ。
倒れる仲間を踏み越えて迫る豪龍組の構成員たち。
彼らはまるでよく訓練された戦場の兵士のよう。
末端構成員など少し小突けば逃げ出すと思っていたが、奴らは不思議なほどに必死に戦っている。
相手が能力者であれば相応の苦戦も強いられる。
真利子は仲間を守って闘うため常に最前線に立っていた。
これではあまりに消耗が激しすぎる。
体力も次第に限界へ近付いてくる。
唯一、当初と変わらぬ活躍を見せているのは、上空を飛びまわる赤坂綺だけだった。
相手の攻撃の届かないところから急降下し、狙いをつけて二、三人ずつ確実に倒していく。
彼女の存在が相手にとって脅威であることは間違いない。
しかし、攻撃手段は単なる投げ技でしかなく火力に乏しい。
狙いを定めた敵を一撃で敵を倒しきれないことすらもあった。
彼女がやられることはないが、大局を覆すほどの活躍は期待できない。
戦いを終わらせるにはやはり花子と美紗子が豪龍を倒してくれるのを待つしかない。
あの二人が負けるとは思わない。
けれども時間が経てば不安も大きくなる。
だからといって真利子たちが退けば敵は花子たちに殺到する。
リーダーの勝利を信じて敵を引きつけ続ける。
それしか今の真利子たちに出来ることはなかった。
「燃えっ、ろぉ!」
地面に倒れた敵の腹部に拳を叩きつけ、炎を迸らせる。
Dリングを持つ敵も至近距離からの攻撃を完全に防ぐことはできない。
「ぎゃあああ! 熱ぃいいいいいいいいい!」
火だるまになった敵は絶叫を上げながら転がり回り、やがて動かなくなった。
真利子に出来る最良の戦法はできるだけ派手で残酷な方法で敵を殺すこと。
恐怖によって周囲の別の敵から戦意を奪うのだ。
彼女だけではない。
敵も、味方も、すでにこのL.N.T.の誰もが、人の死や殺しを日常として当然のように受け入れてしまっている。
「よくもやりやがったなぁ!」
「ぶっ殺してやるわぁ!」
しかし、十分な効果は得られていなかった。
ひとりを倒しても息つく間もなく次の敵が襲って来る。
恐怖を感じていないのか、まるでこいつらは何かに操られているようだ。
「死ねやクソアマァ!」
「ちっ!」
殴りかかってきた敵の攻撃を左腕で受け止める。
そして、触れた部分から炎を送り込む。
「アチィッ!?」
敵が慌てて手を引っ込めた。
炎を消そうとしている隙に飛び込んで胸倉を掴む。
とどめの一撃。
相手の上半身は炎で包まれた。
「死ね!」
「ぎゃああああああっ!」
続けざまに二人の能力者の撃破に成功。
真利子は周囲の敵を睨みつけて叫んだ。
「次に焼き殺されたい男は誰よ!?」
しかし呼吸は乱れており、自身の消耗を否応なく敵に伝えてしまう。
「真利子さんっ!」
上空から声が聞こえた。
何事かと思ってそちらに顔を向ける。
赤坂が焦った様子で真利子の背後を指さしていた。
「後ろ! 危ない!」
振り向くと、後ろに日本刀のような武器を手にした敵の姿があった。
「もらったぁ!」
避けられるタイミングではない。
あの刀はただの武器か?
それともJOYか?
後者なら――
死ぬ。
直感が恐怖を呼び、体の動きが鈍る。
白刃がスローになってゆっくり迫ってくる。
しかし、敵の凶刃が真利子に届くことはなかった。
「な、がぁ……っ?」
刀を振り下ろす途中で男の動きが止まる。
男の腹から槍の穂先のようなもの突き出ていた。
「っ!」
何が起きたか考えるより早く、真利子は刀を握る男の手を掴んだ。
「うぎゃああああああ!」
男の腕が一瞬にして炎に包まれる。
その手に握っていた刀が音を立てて地面に転がり、ジョイストーンに姿を変える。
やはり能力で作り出した武器だったのだ。
「大丈夫だったか?」
間一髪のところで文字通り横槍を入れて助けてくれた男……
自身の身長ほどもある長槍を肩に担いだ、端正な容姿の青年が真利子に声をかけた。




