6 ヘルサードの思惑
『――のため――のみんなの――長、剣士として――の決闘を――ます』
『――れな奴――だろう――の手で引導を――あや』
『――東二――上空より接近――』
真っ暗な部屋の中、スピーカーから流れる音声が響いている。
聞こえてくるのはノイズ混じりの三人の声。
若い男女と幼い少年の声だ。
録音状態はかなり悪いらしく、何を言っているのか明瞭には聞きとれない。
その音声に混じって現実でドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
暗がりの中で男が返事をする。
ドアが開いて外の光が差し込んできた。
「あ、ごめんなさい。電気はつけない方がいい?」
「いや大丈夫だよ。雰囲気を出すため暗くしていただけだから」
扉を開けた女が入口脇にある明かりのスイッチを入れた。
それによって中央の椅子に腰かけていた男の姿が照らされる。
その人物はミイ=ヘルサードと呼ばれる男。
爆撃高校の校長であり、このL.N.T.に残った最高権力者のひとりである。
「何を聞いていたの?」
尋ねるのは長い黒髪の美女。
素朴な日本人的美しさの中に大人の色気も持ち合わせている。
ヘルサードは彼女の姿を一瞥し、視線を宙に彷徨わせながら、独り言のように呟いた。
「ずっと昔の……歴史に記されなかった戦いの記憶さ」
「ああ」
黒髪美少女が頷いた。
「じゃあ、この男の人がラバースの先代社長?」
「新生浩樹氏。そしてこの子供が……」
音声の中の男女は互いに強い言葉で言い争っている。
それよりもさらに聞き取り辛い少年の声。
彼は意味のよくわからない言葉で、方角を指し示したり、危険を伝えたりしている。
「古大路一志さんだね」
「そう。あの頑固な爺さんにも、純真な子供時代があったってわけさ」
「ちょっと信じられないけどね」
この街で古大路氏を見たことがある者なら誰もがそう言うだろう。
実際に彼はいつも眉間にしわを寄せて怒っているイメージしか残していない。
すべての住民たちから恐れられ、ラバースに対しても唯一正面から意見が言えた老人。
存命中はラバース社長の新生浩満やヘルサードと並んで街の三大権力者と呼ばれた人物であった。
こうしてヘルサードが古い音声記録を聞いているのは、先日に亡くなった古大路一志氏を悼んでのことであった。
どんな人間も年をとれば変わるし、やがて訪れる死からは逃れられない。
それはあまりに悲しく辛いことである。
「ところで、もう一人の女の人は?」
「櫻木綾中尉……大尉だったかな? 月島博士が設立した秘密部隊のエースだった女性さ」
「じゃあ、この人が本当の意味での『最初の能力者』なんだ」
「月島博士が研究を始める前にも世界中にはいろんな能力者がいたらしいけどね」
「私たちみたいに、突然変異で産まれた天然のSHIP能力者が?」
「そうそう」
いつの間にか音声記録は止まっていた。
残念ながら戦いの結末は記されていない。
「運良く時代に恵まれたら、伝説の英雄や物語の登場人物として名を残す。けれど現実には彼らみたく記録から抹消された能力者たちの方がはるかに多い」
歴史に残らなかった太平洋上の一騎討ち。
この戦いで櫻木綾は戦死した。
はたして彼女は幸せだったのだろうか?
彼女が命がけで守った、故郷やかつての仲間たち。
戦後は見る影もなく変わってしまったこの国の姿を知らずに済んだのは……
「ところで春華。うちの子たちはどうしてる?」
ヘルサードは唐突に話題を変えた。
黒髪美女――榛沢春華は嬉しそうに答える。
「もう、元気いっぱい。毎日手がつけられないくらいだよ」
ヘルサードはエイミーとの間に五人の子がいる。
男子四人に女子一人の五つ子で、今年で四歳になるはずだ。
多忙なヘルサードやエイミーに代わって、普段は友人に子どもの面倒を見てもらっている。
この春華もそんな彼の古くからの友人の一人である。
別に個人的な秘書というわけではない。
普段の春華は大里清子と同じ中学で教師をやっている。
エイミーは公休のたびに会いに行っているらしいが、ヘルサードはもう長いこと子どもたちの顔を見ていなかった。
「体は大丈夫か?」
「うん。みんな風邪ひとつひいてないよ」
「子どもたちじゃなくて、春華の体だよ」
「私?」
春華は不思議そうに自分の顔を指差した。
「別になんともないけど……」
「能力が消えて、もう一年が経つだろう。何か悪い兆候が出たりしてないか?」
「ああ、そういうこと。今のところは全然だいじょうぶだよ」
JOYとSHIPは共に期限付きの能力である。
JOYはその正式名称である青年期の宝石の名が示す通り、若者のうちしか使用できないという制限があった。
適応能力がない者が力を引き出そうとすれば、たちまち体が崩壊してしまう。
Dリングはそのための素養を調べる試験紙も兼ねている。
そしてSHIP能力者。
超能力のようなJOYに対し、常人を超えた身体能力に目覚めた者。
こちらはジョイストーンの使用によって副次的に目覚めるタイプと、一定の年齢になると自動的に目覚める先天的SHIP能力者の二種類がいる。
先天的SHIP能力には個人差があるが、力に目覚めるのは一五から一七歳くらいが多い。
力を失う時期は個人によってバラバラだが自己研鑽によっては延長も可能だ。
ヘルサードのSHIP能力≪テンプテーション≫は未だに些かの衰えも見せていない。
春華は力を誇示するようなタイプではないので、比較的早い段階でSHIP能力を消失した。
能力消失後、身体にどのような影響が現れるのか……それはまだ研究途中である。
「あ、でもひとつ気になることがあって――」
何かを言おうとした春華の言葉を遮るようにチャイムが鳴った。
「誰だろう?」
「こんにちはー」
元気の良い挨拶が聞こえてきた。
声の主は二人のよく知っている人物である。
一応、チャイムは鳴らす決まりになっているが、カードキーを持つヘルサードの友人は基本的にフリーパスである。
「お邪魔しまーす」
「あ、真夏さん」
「おはよう真夏。今日は休みだったのか?」
「うん。ちょっと妹のところに寄ってきたの」
彼女の名前は荏原真夏。
あの荏原恋歌の実姉である。
普段は水瀬学園で英語教師をやっている。
「元気そうだった?」
「まあ……相変わらず、まともに口をきいてくれなかったけどね」
恋歌は以前に起こした騒動が原因で留置所に拘束されている。
姉としては気が気ではないだろうが、時期的にそろそろ釈放されるはずだ。
彼女ほどのJOY使いをラバース社がいつまでも閉じ込めておくわけがないのだから。
今まさに類まれなJOYの使い手である妹の恋歌。
かつては強力なSHIP能力者だった姉の真夏。
残念ながら真夏の力も今ではほとんど消失している。
それと同時に性格も穏やかになった。
それはそれで結構なことだが、時の流れを思うとどうしても切なさを感じてしまう。
「お土産あるんだけど、みんなで食べない?」
「わー、ありがとう」
「っていうかさ、春華ちゃんはもう少し露出の少ない服を着なよ。いつまでも若くないんだから」
「それ、ひどくない? これでも心も体も少女のままなんですけど」
談笑を始めた二人を微笑ましく眺めながらヘルサードは天井を見上げた。
視線の先に見えるのは白い天井と蛍光灯。
その向こうに広がる有限の空の下には、十五万二千七十五人のL.N.T.市民が暮らしている。
彼は理想のため、そして身近な人々の心を救うため、ずっと努力を続けてきた。
親しい人から誤解をされても、その先にある未来を手に入れるために。
これから先も変わらない。
多少の犠牲を払おうとも――
つー、つー。
電子音が鳴った。
音は壁に吊るしてある無線から聞こえている。
電話が使えないL.N.T.において、特別な立場の者だけが所持を許されてる通信機器である。
無線機を手に取って耳に当てる。
四角い機械の箱から声が聞こえてきた。
ヘルサードの表情が強張っていく。
「わかった、できるだけ対処は穏便に。犠牲は最小限になるよう監視を怠らないでくれ」
通信ボタンを押しながら無線の先の相手に告げる。
了解の返事を聞くと、ヘルサードは無線機を壁に戻した。
「春華、真夏」
ヘルサードは友人二人の名を呼んだ。
「話しておきたいことがあるんだ」
まもなく、この街は大きく変化する。
彼女たちにも協力してもらわなければならない。
これまで秘密にしてきたことも打ち明ける必要がある。
エイミーですらまだ知らないL.N.T.の真実を。
彼自身の偉大なる目的のために。




